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【翌日】
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桃香が恐る恐る顔を上げると、実際に、虎丸の顔の前に広げた指の長い手のひらでもって、その口が言葉を続けるのを遮っていた。目は初めて会った時の、息を飲む鋭さを携えて、桃香を見つめている。
虎丸は不安そうながらも口を結ぶ。それを確認してから、手を下ろし、日下は尋ねてきた。
「今日は、それをオレに?」
「……はい」
厳しい視線を見つめ返すことができず、桃香は睫毛をふせる。心臓を貫きそうだと怯えたその先端は、すでに胸の壁の表面に刺さっていた。
自分は、間違えてしまっただろうか。
「なんだ、そっか。やっぱりオレらは、最強のコンビだったんだな」
桃香の耳に飛び込んできたのは、嬉しそうな日下の声。
桃香は思わず目線を引っ張り上げてしまう。そんな明るい声が、そんな内容のセリフが聞こえてくるとは、まったく予想していなかった。
「え?」
鼻のいちばん高いところを指で掻く、照れ臭そうな笑みは、どう見ても桃香に幻滅しているようには見えない。
「桃香ちゃん、昔の自分がオレにバレるのが怖かったって」
「はい」
「でも、じゃあ、話してくれたのは何で?」
「それは……だから、あの、嫌だったからです」
「いや?」
「……いじめられるような性格だってことがバレて、嫌われるのも嫌でしたが、でも」
日下が右側の眉毛のお尻を持ち上げる。知らない人が見たら、睨まれたと誤解するところだ。でも、桃香の目には、それが優しさを込めて先を促す仕草だと正しく伝わる。
そういう互いの呼吸の重なりとでも言おうか、些細なことだけど、性格的に合致しているとしか思えない出来事に、桃香は日下との出会いが必然だったのではとさえ思えてしまう。
包み隠さず話すことで、きっとそれをまるごと失ってしまうと思うと、桃香は怖かった。
だけど、今は、日下の前では正直でいたい思いのほうが強い。
「……でも、わたしに幻想を抱いたままで、また昨夜みたいに気まずくなったらと思うと、それも嫌で」
「幻想だなんて」
「騙していると同じじゃないですか」
「見くびらないでくれよ」
日下は身を乗り出す。背筋を伸ばして、しっかりと桃香に向き直った。
「プロ意識と強い信念を持って、仕事の話をしてくれた桃香ちゃんには、正直痺れた。でも、それは単なるきっかけだ」
「きっかけ」
「桃香ちゃんを、仕事上の相手としてではなく、一人の人間として見てみたい、と思ったきっかけ」
そこまで言うと、日下は前触れなく噴き出した。
「そんでよく見てみたら、ものすごく天然でストレートで」
「……否めません」
「ものすごく可愛かった」
日下は口角を引き上げる。
いきなりの直球すぎる言葉に、さすがの桃香も閉口して、両方の耳にまで熱を持たせてしまう。
「桃香ちゃんは不出来でも欠陥品でもない」
「でも」
「桃香ちゃんもオレも、少しばかり孤独な青春時代を送った。桃香ちゃんにしてみたら、不良のオレなんかと一緒にするなって話だろうけど」
孤独な青春時代。確かにそうだ。中学生の多感な時期を、桃香はほぼ独りで過ごした。
今の日下は、周りに多くの友達が集まっているように見える。不良だった頃からの付き合いである人間が大半であることは、間違いないだろう。
でも、孤独の形は一つではない。
「でも、だからこそだ。オレには桃香ちゃんの抱える寂しさや不安が理解できる」
「同じように、孤独を感じてきたからですか……?」
「そう。でも、オレも神様じゃねぇ。桃香ちゃんがわかって欲しいって、オレにきちんとぶつけてきてくれないと、わからない時もあるんだ」
「ぶつける……?」
「内容によっては渋い顔するかもしれねぇよ。でも、それで桃香ちゃんを嫌いになんかならねぇ。桃香ちゃんが昔いじめられていたことなんて、なおさら関係ねぇ。そんなんで嫌いになるくらいだったら、最初から付き合ってくれなんて言わねぇよ」
その言葉は、知らず桃香の視界を覆っていた暗い色のフィルターを、ベリッと剥がすかのようだった。目の前がクリアになる。
「今回みたいに、桃香ちゃんがオレに伝える必要があるって感じたことは、恐れずに言っていいんだ。桃香ちゃんがオレに話したいことには、何でもちゃんとした理由がある。オレは、そう思ってる」
正面から真剣な眼差しを向けてくる日下に、昨夜の少し不満そうな表情が重なる。
あの時、日下がワガママを言って欲しいと訴えたのは、無理をする桃香が見苦しいわけではなかった。
真摯に向き合いたいと、自分にとって桃香はそれだけの価値があるのだと、そのことを伝えたかったのだ。
心が震える。
「オレはさ、桃香ちゃんも同じなんじゃねぇかって思ってるよ。桃香ちゃんがオレと逆の立場になった時、同じこと考えるんじゃねぇかなって」
それに対して、異論なんてない。日下の言う通りだ、と桃香は思った。
日下が理由もなく自分に冷たく当たるとも思えないし、強く言葉をぶつけてくるなら、その裏には必ず理由なり原因なりがあるはずで、それを一緒に解決できたら、と願う。
同じなんだ。ここまでの生き方はまるで違うのに、培われてきたものが、自分と日下は同じ。そんな二人が出会う偶然は、ありそうでなかなかない。なんて奇跡的なんだろう。
だから、桃香は大きくうなずいた。
鼻の頭を赤く染めながら、日下は満足そうに、歯を見せて笑った。
「だろ? こんな巡り合わせなんて、そうそうねぇよ。だからオレらは、最強のコンビだ」
桃香は笑ってしまう。
最強のコンビ。その響きはちょっとだけダサくて、無骨なのに親しみがある。
きっと硬派と人情を貫いてきたに違いない、不良の世界では、時代遅れと笑われてきたであろう日下みたいだ。愛嬌がありながら、そして、何があっても決して解けることのない、強い絆を感じさせた。
虎丸は不安そうながらも口を結ぶ。それを確認してから、手を下ろし、日下は尋ねてきた。
「今日は、それをオレに?」
「……はい」
厳しい視線を見つめ返すことができず、桃香は睫毛をふせる。心臓を貫きそうだと怯えたその先端は、すでに胸の壁の表面に刺さっていた。
自分は、間違えてしまっただろうか。
「なんだ、そっか。やっぱりオレらは、最強のコンビだったんだな」
桃香の耳に飛び込んできたのは、嬉しそうな日下の声。
桃香は思わず目線を引っ張り上げてしまう。そんな明るい声が、そんな内容のセリフが聞こえてくるとは、まったく予想していなかった。
「え?」
鼻のいちばん高いところを指で掻く、照れ臭そうな笑みは、どう見ても桃香に幻滅しているようには見えない。
「桃香ちゃん、昔の自分がオレにバレるのが怖かったって」
「はい」
「でも、じゃあ、話してくれたのは何で?」
「それは……だから、あの、嫌だったからです」
「いや?」
「……いじめられるような性格だってことがバレて、嫌われるのも嫌でしたが、でも」
日下が右側の眉毛のお尻を持ち上げる。知らない人が見たら、睨まれたと誤解するところだ。でも、桃香の目には、それが優しさを込めて先を促す仕草だと正しく伝わる。
そういう互いの呼吸の重なりとでも言おうか、些細なことだけど、性格的に合致しているとしか思えない出来事に、桃香は日下との出会いが必然だったのではとさえ思えてしまう。
包み隠さず話すことで、きっとそれをまるごと失ってしまうと思うと、桃香は怖かった。
だけど、今は、日下の前では正直でいたい思いのほうが強い。
「……でも、わたしに幻想を抱いたままで、また昨夜みたいに気まずくなったらと思うと、それも嫌で」
「幻想だなんて」
「騙していると同じじゃないですか」
「見くびらないでくれよ」
日下は身を乗り出す。背筋を伸ばして、しっかりと桃香に向き直った。
「プロ意識と強い信念を持って、仕事の話をしてくれた桃香ちゃんには、正直痺れた。でも、それは単なるきっかけだ」
「きっかけ」
「桃香ちゃんを、仕事上の相手としてではなく、一人の人間として見てみたい、と思ったきっかけ」
そこまで言うと、日下は前触れなく噴き出した。
「そんでよく見てみたら、ものすごく天然でストレートで」
「……否めません」
「ものすごく可愛かった」
日下は口角を引き上げる。
いきなりの直球すぎる言葉に、さすがの桃香も閉口して、両方の耳にまで熱を持たせてしまう。
「桃香ちゃんは不出来でも欠陥品でもない」
「でも」
「桃香ちゃんもオレも、少しばかり孤独な青春時代を送った。桃香ちゃんにしてみたら、不良のオレなんかと一緒にするなって話だろうけど」
孤独な青春時代。確かにそうだ。中学生の多感な時期を、桃香はほぼ独りで過ごした。
今の日下は、周りに多くの友達が集まっているように見える。不良だった頃からの付き合いである人間が大半であることは、間違いないだろう。
でも、孤独の形は一つではない。
「でも、だからこそだ。オレには桃香ちゃんの抱える寂しさや不安が理解できる」
「同じように、孤独を感じてきたからですか……?」
「そう。でも、オレも神様じゃねぇ。桃香ちゃんがわかって欲しいって、オレにきちんとぶつけてきてくれないと、わからない時もあるんだ」
「ぶつける……?」
「内容によっては渋い顔するかもしれねぇよ。でも、それで桃香ちゃんを嫌いになんかならねぇ。桃香ちゃんが昔いじめられていたことなんて、なおさら関係ねぇ。そんなんで嫌いになるくらいだったら、最初から付き合ってくれなんて言わねぇよ」
その言葉は、知らず桃香の視界を覆っていた暗い色のフィルターを、ベリッと剥がすかのようだった。目の前がクリアになる。
「今回みたいに、桃香ちゃんがオレに伝える必要があるって感じたことは、恐れずに言っていいんだ。桃香ちゃんがオレに話したいことには、何でもちゃんとした理由がある。オレは、そう思ってる」
正面から真剣な眼差しを向けてくる日下に、昨夜の少し不満そうな表情が重なる。
あの時、日下がワガママを言って欲しいと訴えたのは、無理をする桃香が見苦しいわけではなかった。
真摯に向き合いたいと、自分にとって桃香はそれだけの価値があるのだと、そのことを伝えたかったのだ。
心が震える。
「オレはさ、桃香ちゃんも同じなんじゃねぇかって思ってるよ。桃香ちゃんがオレと逆の立場になった時、同じこと考えるんじゃねぇかなって」
それに対して、異論なんてない。日下の言う通りだ、と桃香は思った。
日下が理由もなく自分に冷たく当たるとも思えないし、強く言葉をぶつけてくるなら、その裏には必ず理由なり原因なりがあるはずで、それを一緒に解決できたら、と願う。
同じなんだ。ここまでの生き方はまるで違うのに、培われてきたものが、自分と日下は同じ。そんな二人が出会う偶然は、ありそうでなかなかない。なんて奇跡的なんだろう。
だから、桃香は大きくうなずいた。
鼻の頭を赤く染めながら、日下は満足そうに、歯を見せて笑った。
「だろ? こんな巡り合わせなんて、そうそうねぇよ。だからオレらは、最強のコンビだ」
桃香は笑ってしまう。
最強のコンビ。その響きはちょっとだけダサくて、無骨なのに親しみがある。
きっと硬派と人情を貫いてきたに違いない、不良の世界では、時代遅れと笑われてきたであろう日下みたいだ。愛嬌がありながら、そして、何があっても決して解けることのない、強い絆を感じさせた。
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