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一つの仕事を完遂できないままに、新しい仕事に取りかかる。そういうことが、子供の頃から苦手だった。
こっちがまだ終わっていないんだけど、次が来ちゃったし、一旦こっちは切りのいいところで保留にしておいて、二つを同時進行でこなそう。
そんなの、わたしには無理。一点集中型のわたしにかかったら、結局は、どっちも中途半端な仕上がりになることなんて、火を見るよりも明らかだ。
「なぁ、もうそろそろ時間じゃないのか?」
祐介が、自身の手首に巻きつけられたダイバーズウォッチを確認しながら、苛立ち気味に言った。
どうしてお前が苛立つ必要があるのだ、と、わたしは不機嫌を隠そうとは毛頭思わない。
「わかっているんだったら、早く結論を出せばいいじゃない」
いつまでもここに居座ってやる、くらいの気持ちで、わたしは温かいフルーツティーが入ったカップを持ち上げる。透明なアクリルのティーカップは、最近は百円ショップでも買えるが、値段以上におしゃれに見えて優秀だ。
「明日でもいいよ、なんて夜にかかってきた電話は、大抵たいしたことない用事なの。待っているのはお母さんだけだし、そこまで焦らなくたっていいんだって」
「お母さん、待たせたらかわいそうだろ」
「だからさ、そう思うんだったら、ちょっとでも早く結論をさ」
昼下がりのカフェで、少なく見積もっても一時間以上、わたしたちは不毛な話し合いを続けていた。
今年の夏は稀にみる酷暑で、八月の一ヶ月間で、わたしは一年分かと思うほどの大量の汗をかいた。みるみるうちに痩せていくという、嬉しい効果に喜んでいたのも束の間、九月に入ったとたんにぐっと涼しくなり、お菓子の新発売ラッシュも手伝って、体重はあっという間に戻った。
久しぶりに取れた、日曜日の休み。全国チェーンのカフェはそれなりに混んでいて、食べたかったスイーツが売り切れていた。ダイエットの神様の思し召しと解釈し、食後は飲み物だけで我慢することにしたのだった。
「そんな、ちゃっちゃと結論を出せるわけがないだろ。一生のことなんだぞ」
正面で、祐介は眉をひそめた。顔つきが濃いめだと、眉間に寄るシワもくっきりと濃くなる、とは彼に出会って初めて知ったことである。
「わたしの中ではもう決まっているし、あとは祐介が首を縦に振ればいいだけの話じゃない」
「オレは、夫婦別姓なんて反対だよ」
「じゃあ、別れる?」
「なんでそうなるんだよ。オレは、加菜恵と別れることなんて考えていない」
「わたしだって、三十目前にしてシングルなんて勘弁だから。でも、わたしは夫婦別姓じゃないと結婚したくない。祐介がそれを承諾できないなら、わたしたちに将来はないでしょ?」
「何か、お互いが歩み寄った解決策があるんじゃないのか?」
「じゃあ、まずは祐介から歩み寄ってよ」
一時間以上前から、いや、祐介がわたしにプロポーズをした半月前から、わたしたちはずっとこんな調子なのだ。
問題を長い間抱え込んでいることは、わたしにとって、弊害以外の何物をも産み出さない。仕事には身が入らないし、プライベートも充実しない。
一つの問題がしっかり片づかないと、集中力が分散してしまう。不器用すぎると言われれば、そんなこと、とっくにわかっているとしか返しようがない。何年「わたし」をやっていると思っているのだ。
だから、この際どんな結論でもいい。早く決めてしまいたい。わたしは、不器用な上に短気なのである。
祐介は、これ見よがしにため息をついた。
「とりあえず、今日のところはタイムオーバーだ。加菜恵はお母さんとの約束があるんだし、この話はまた今度、たっぷりと時間が取れた時に」
そうして、問題はまた持ち越される。
こっちがまだ終わっていないんだけど、次が来ちゃったし、一旦こっちは切りのいいところで保留にしておいて、二つを同時進行でこなそう。
そんなの、わたしには無理。一点集中型のわたしにかかったら、結局は、どっちも中途半端な仕上がりになることなんて、火を見るよりも明らかだ。
「なぁ、もうそろそろ時間じゃないのか?」
祐介が、自身の手首に巻きつけられたダイバーズウォッチを確認しながら、苛立ち気味に言った。
どうしてお前が苛立つ必要があるのだ、と、わたしは不機嫌を隠そうとは毛頭思わない。
「わかっているんだったら、早く結論を出せばいいじゃない」
いつまでもここに居座ってやる、くらいの気持ちで、わたしは温かいフルーツティーが入ったカップを持ち上げる。透明なアクリルのティーカップは、最近は百円ショップでも買えるが、値段以上におしゃれに見えて優秀だ。
「明日でもいいよ、なんて夜にかかってきた電話は、大抵たいしたことない用事なの。待っているのはお母さんだけだし、そこまで焦らなくたっていいんだって」
「お母さん、待たせたらかわいそうだろ」
「だからさ、そう思うんだったら、ちょっとでも早く結論をさ」
昼下がりのカフェで、少なく見積もっても一時間以上、わたしたちは不毛な話し合いを続けていた。
今年の夏は稀にみる酷暑で、八月の一ヶ月間で、わたしは一年分かと思うほどの大量の汗をかいた。みるみるうちに痩せていくという、嬉しい効果に喜んでいたのも束の間、九月に入ったとたんにぐっと涼しくなり、お菓子の新発売ラッシュも手伝って、体重はあっという間に戻った。
久しぶりに取れた、日曜日の休み。全国チェーンのカフェはそれなりに混んでいて、食べたかったスイーツが売り切れていた。ダイエットの神様の思し召しと解釈し、食後は飲み物だけで我慢することにしたのだった。
「そんな、ちゃっちゃと結論を出せるわけがないだろ。一生のことなんだぞ」
正面で、祐介は眉をひそめた。顔つきが濃いめだと、眉間に寄るシワもくっきりと濃くなる、とは彼に出会って初めて知ったことである。
「わたしの中ではもう決まっているし、あとは祐介が首を縦に振ればいいだけの話じゃない」
「オレは、夫婦別姓なんて反対だよ」
「じゃあ、別れる?」
「なんでそうなるんだよ。オレは、加菜恵と別れることなんて考えていない」
「わたしだって、三十目前にしてシングルなんて勘弁だから。でも、わたしは夫婦別姓じゃないと結婚したくない。祐介がそれを承諾できないなら、わたしたちに将来はないでしょ?」
「何か、お互いが歩み寄った解決策があるんじゃないのか?」
「じゃあ、まずは祐介から歩み寄ってよ」
一時間以上前から、いや、祐介がわたしにプロポーズをした半月前から、わたしたちはずっとこんな調子なのだ。
問題を長い間抱え込んでいることは、わたしにとって、弊害以外の何物をも産み出さない。仕事には身が入らないし、プライベートも充実しない。
一つの問題がしっかり片づかないと、集中力が分散してしまう。不器用すぎると言われれば、そんなこと、とっくにわかっているとしか返しようがない。何年「わたし」をやっていると思っているのだ。
だから、この際どんな結論でもいい。早く決めてしまいたい。わたしは、不器用な上に短気なのである。
祐介は、これ見よがしにため息をついた。
「とりあえず、今日のところはタイムオーバーだ。加菜恵はお母さんとの約束があるんだし、この話はまた今度、たっぷりと時間が取れた時に」
そうして、問題はまた持ち越される。
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