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 翌日は、朝から相馬さんに呼び出されて、会議室へ向かった。
 新店で働く予定のパート従業員たちが、本店で研修を受けるらしい。そのセッティングを頼まれたのだ。

 新人さんは十人。本店より少ない三人の正社員を入れて、全員で十三人で店舗を回していく。商業施設内のテナントだから、従業員数はむしろ多いほうだ。

 準備は、マニュアルや会社規定などの冊子がメインで、本来は事務を担当するオペレーションが受け持つ仕事なのだけど、今日は人手が足りないとか。

 だったら、実施する日は前もってわかっていたんだろうし、出勤人数の調整をしておいてほしいと思うところだけど、しかたない。

 うちのオペレーションは主婦が多い。これは、うちの会社に限った話ではなくて、こういったサービス業界全般のどの部署でも言えることだろうと思う。だから、お子さんが急に熱を出したとか、突発的な理由で急遽休まれることはわりと普通だ。

 わたしは、ホワイトデーが過ぎ、母の日が終わって父の日メインの売り場に切り替わるまでは、それほど忙しくない。売り場を延々と掃除しているよりかは、他の従業員とお喋りしながら、書類のホチキス留めをしていたほうがぜんぜんいい。

 何より、新店の従業員研修なら、きっと福永さんもいる。

 十人分の書類作りがあらかた終わったところで、期待通り、福永さんが顔を見せた。オペレーションのリーダーが「おはようございます」と挨拶したので、たぶん、今出勤なんだ。

 その瞬間、会議室中の空気がぴりっと張り詰める。
 わたしも緊張感に包まれたけど、その理由はもちろん他の人と違う。

 進捗状況を伺う厳しい横顔は、とても昨夜、わたしの額にキスをした人と同じ人とは思えなくて、ドキドキした。

 そこに立っている人は、わたしの大切な人で、半日前も一緒にいた。誰にも知られたくないことなのに、不思議と、大声で言いたいわたしもいた。

 だけど、そんな浮かれた気分は、次の瞬間、たちまち萎んでしまう。

「福永さん。新人さんたち、まもなく到着するそうです」

 福永さんから遅れること数分、見覚えのある女性が会議室に入ってきた。きれいに整えられた眉毛と完璧にカールした毛先に、わたしの心がひりつく。

 羽田さんだ。新人教育を担当している人。

「了解です。こちらも準備が終わったようなので」

 そう答えた福永さんの隣に、羽田さんが並ぶ。甘えるように福永さんの腕を取っていたあの光景が、わたしの脳裏にじわっと蘇った。

 そうだ。どうして思いつかなかったんだろう。新店研修なら当然、教育係だって一緒に来る。わたしは急激に、さっきとは違う意味で落ち着かなくなった。

「福永さん、あの」

 考えるより先に、わたしは動いていた。集めたばかりの冊子を手に、福永さんに足早に歩み寄る。

「えっと、これ、どう並べたらいいですか?」

 福永さんは、わたしのそばにいると約束してくれた。つまり、羽田さんとは何もない。ただの同僚ってことだ。だから、焦る必要はないのに、焦ってしまう。

 福永さんは一瞬ぽかんとしたかと思うと、なぜかこぶしを口元に当てた。

「……うん。いや、長机の上に等間隔に置いてくれればいい。一つの机に三人、座れるだろう」
「わかりました……」

 わたしはとぼとぼと福永さんから離れた。簡単にあしらわれた気がした。

 わたしたちのことは、やっぱり他の従業員にバレたらまずいのだろうから、福永さんがいつも通りわたしに素っ気ないのは、しかたがないと言うか、当たり前だ。わかっているのに、わたしは傷ついた。

 ふと気づくと、羽田さんがわたしをじっと見ていた。すぐに素知らぬふりで顔ごとそらす。

 何か勘づかれたかもしれない。でも、それならそれで別にいい。

 わたしは悔しかったのだと思う。
 羽田さんはわたしと同じように、福永さんから飲み物を買ってもらった。でも、わたしの時については、福永さんは忘れている。福永さんの中でも、羽田さんの中でも、福永さんに奢ってもらえた人は、羽田さんが唯一になっている。それが悔しくてたまらない。
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