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 ガレージに赤いコンパクトカーを駐車して、外からスマートキーでロックをかけたタイミングで、クラクションを鳴らされた。自宅の敷地外からだ。
 道路のほうに視線を向けると、パパが運転席側の窓を開けて手を振っていた。

「優愛、夕飯まだだろう? パパと食べにいかないか」

 駆け寄ると、パパは顎をしゃくって助手席に乗りなさい、とジェスチャーした。
 シルバーのセダンに素直に乗り込んで、シートベルトを装着しながら尋ねる。

「どうしたの?」
「会議が思いのほか早く終わったんでね。ママや奈津さんには連絡しておいた。たまには、パパとデートもいいだろう?」
「それ、ママに言ってあげたほうがいいと思う」
「ママとは仕事しながら食事なんてしょっちゅうだ。年がら年中デートしているようなもんさ」

 せっかくだから違うお店に行くのもいいかと、パパとあれが食べたい、これも食べたいと希望を出し合ったけど、結局はいつものお店に落ち着いた。二人が求めるメニューは大概、通い慣れたレストランに揃っているのだ。

「優愛、例の、お見合いの件なんだが」

 料理が運ばれてくるのを待つ間に、パパがもう抑えていられないといった様子で切り出してきた。
 そんなことだろうと薄々勘づいていたから、特別驚かなかった。

「それ、わたし断らなかった?」
「はっきり断られた覚えはないな」

 ため息をついた。
 確かに明言してはいないかもだけど、意思は絶対に伝わっているはずだ。

「福永さんにだって、選ぶ権利あるよ」

 やんわりと、言い方はグチグチと、自分は福永さんのストライクゾーンからかけ離れたところにいるのだ、と言ってみる。実際は、かけ離れているどころではない。もはや次元が違う。
 パパはまったく動じることなく、余裕すら感じさせながら、ニコニコと言った。

「その言い方は、優愛のほうは受け入れてもいいって解釈でいいのかな」

 もお、と不満が漏れる。我が父親ながらしつこい。

「福永さんは、わたしみたいな鈍臭くて抜けてる子は嫌いなんだよ」

 改めて落ち込むから、あえて言葉にするのを避けたのに。

「またそんなことを。優愛はちょっと抜けてるところが、むしろかわいいんじゃないか。第一、それ本人が言ったわけじゃないんだろう?」
「そうだけど……そういうのってわかるじゃん」
「いや、わからない。もしかしたら、そういうをしているのかもしれないだろ」

 パパはちらりと黒目だけを動かしてわたしを見た。
 呆れてしまう。

「そんなことする意味がないよ」

 パパはどうあっても、わたしと福永さんをくっつけたいらしい。福永さんのことをよほど気に入っているか、よほど私の性格に合うと信じているのだろう。

 ふと、琴音が言っていたことを訊いてみたい気分になった。パパは、本当に福永さんに便宜を図ったのか。でもすぐに、訊くこと自体がバカらしくなる。パパが弱みを握られている説が本当だとしたら、このしつこさも、福永さんがわたしと結婚したさにパパを脅しているからみたいではないか。それこそあり得ない。

「わたし、まだ結婚なんて考えられないって言ったよね?」
「だから、それはおいおいにだな」
「ママは? ママも賛成してるの? お姉ちゃんも」

 パパはとたんに顔色を曇らせた。

「いや……実は、ママにも希美にも、まだ話していないんだ」
「ええ?」
「いや、これから話そうと思っているんだよ。まずは、優愛の了承を取ってからにしようとだな」

 そうか。だからあの時、ママに知られまいと焦ってわたしを止めたのだ。

「それって、ママたちは反対するってわかってるからじゃないの?」

 社内での評判が悪い福永さん。パパや相馬さんは、福永さんに対して好意的なのかもしれない。でも、ママたちはそうではない可能性は大いにある。

「いや、きっとママたちだって賛成してくれるさ」
「なに、その希望的観測!」
「とりあえず一度会ってみてくれよ。優愛が会ってもいいってなれば、福永くんだって乗り気になると思うんだ」
「もぉ、どうしても男性を紹介したいって言うなら、福永さんじゃなくて、溺れたわたしを助けてくれた人にして」

 パパは目を見開いた。

「社長の娘が水に飲まれたからって、自分の身を顧みずに、濁った川に飛び込んでくれた。あの時の社員さんだって、勇気があって優しくて、きっと素敵な人だよ」

 現場に居合わせて、わたしを助けるために尽力してくれた人は、他人であっても見ず知らずではなかった。
 交流会に参加していた、男性社員の一人だ。
 もちろん、わたしは覚えていない。意識を取り戻したあと、少し落ち着いてから、他ではないパパからそう教えてもらったのだ。

「優愛……その人は」

 瞬きを忘れるくらい、パパは驚いている。わたしがそんなことを言い出すとは、夢にも思わなかったのだろう。

「わかってるよ。その人はもう会社にいない。事故のあと、すぐに辞めちゃったんだよね?」
「あ、ああ……そうだ。詳しいことは聞いていないが、入社して間もなくのことだったから、のっぴきならない事情があったんだろう」
「あの当時に、今のわたしより少し年上……てことは、あれから十五年経ってるから、今は三十代後半から四十代くらい?」
「そういう計算になるな」

 パパの口ぶりは弱々しい。傷ついているのだと思って、わたしは密かに胸を痛ませる。

 会社を去った恩人は、現在は行方知れずだ。直接お礼を言う機会がないことが残念だけど、見つける術がない。
 パパたちはその場でお礼を伝えたに違いなく、もう思い出したくないことでもあるからか、わたしが分別のつく歳になっても、知っているはずのその人の名前を口にすることはなかった。

 どこでどうしているのか、生きているのかさえ確かめようのない人を、本気で結婚相手に指名するわけがない。

 事故のことになんて、できれば触れたくなかったのだ。当時のことを思い出せば、パパは自分を責める。そんな親の姿を見たい子供はいない。でも、そうでも言わないと、引き下がってくれないと思ったからだ。

 効果はてきめん過ぎた。
 パパは黙り込み、料理を食べ始めてからも、しばらくだんまりが続いた。
 そうなると、わたしのほうでも話しかけづらい。味のしないオムライスを口に運んでいると、やがて、パパがおもむろに口を開いた。

「優愛……もしも」

 顔を上げる。パパはじっと皿の上のカツレツを見ている。

「もしもその人が、実は身近にいるとしたら、優愛はどうする?」
「え?」
「いや、いい。もしもの話だが、つまらんことだったな。忘れてくれ」
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