上 下
10 / 14

9 これが俺の気持ちだ

しおりを挟む
 …………あれ。

 ここは、何だ。
 一面真っ白。何もない。

【おにいちゃん。おきた?】

 子供の声がする。
 誰だ。誰かいるのか。
 起き上がる。
 すると、すぐそばに幼い男の子が立っている。
 衣服も手足もなぜか泥だらけ。顔立ちは大体小学1年生くらいで__

「え…………戒?」

 初めて出会った時の戒と、全く同じ顔だった。

【ぼくのことしってるの?でも、ぼくはおにいちゃんのことしらない】
 不思議そうな表情で男の子は言う。
「でもお前は戒なんだろ?だったら__」
【もしかしたら、おにいちゃんがしってるぼくは、もうひとりの“ぼく”なんだね】
「もう一人の…………あ」

 ひょっとして。
 今目の前にいるのは、俺が知ってる“戒”じゃなく、俺と出会う前に亡くなった戯堂戒なのか。

【ねぇおにいちゃん。もうひとりの“ぼく”はどんなかんじなの?】
 戒がしゃがみ込んで尋ねる。
 色々訊きたいことがあるが、そう無邪気な顔で質問されたらスルーするわけにはいかない。
「どんな感じか。そうだな……」
 少し考えて答える。
「学校の成績が全部良くて、料理がド下手くそで、思ったことがすぐ顔に出て、幼馴染の俺の考えてることを大抵当ててきて、笑顔が太陽みたいで、イベント事は何でもはしゃいで、会えない時のRINEのメッセージが鬱陶しいくらい多くて、自分の感情に誠実でいる。そんな奴だ」
【いっぱいあってわからないよ】
 困った顔をする戒。
「語ろうと思えばいくらでも語れるってことだ。俺にかかればな」
【おさななじみだから?】
「そうだな。それに俺にとって、…………、大事な人だから」
【だいじ?】
「ああ。世界で一番大事だ」
 こんなこと、本人に正面切っては言えないな。
【ほんと?よかった】
 ニカっと戒は笑った。
【ぼくね、ずっとしんぱいだったんだ。もうひとりの“ぼく”のこと。がっこうにいけるかとか、ともだちができるかとか】
「そうなのか。優しいんだな」
【でも、だいじょうぶだね。おにいちゃんがいるから】
「むしろ俺があいつに助けられてるよ。……でも、俺はもう……」
【あ、もうおわかれだね】
 そう言って、戒が立ち上がる。
 途端に、周囲が眩しい光に包まれる。
 戒はこちらを振り返り、笑顔で手を振る。

【ばいばい、おにいちゃん。“ぼく”のことよろしくね】

 その言葉を最後に、俺の意識は光に飲み込まれた。







「____、___て!_守!」

 目を開ける。
 視界がはっきりしない。
 そばに、誰かいる。何か叫んでいる。
「幸守!返事してよ!幸守っ!」
「…………あ…………戒?」
「はっ、大丈夫?幸守」
 ひどく必死な形相で覗き込む戒。全身ずぶ濡れで水が滴っている。
「息できてる?苦しくない?痛いとこは?僕のこと分かる?」
「分かる、から……落ち着け、って」
「落ち着いてられるわけないよっ!」
 空気を裂くような鋭い叫びがこだました。
「僕がどれだけ心配したと思ってるの。土砂崩れに巻き込まれそうになった君を間一髪で助けて、でも意識が戻らなくて。ずっと怖かったんだよ。このまま、起きなかったらどうしようって…………また、間に合わなかったのかって……」

 ポツッ

 頬に雫が落ちた。
 戒の瞳からぽろぽろと涙がこぼれて、後から後から落ちてくる。冷たい雨とは違う、熱を持った粒。
「戒……ごめん」
「ズズっ……謝っでも許ざないから」
「ああ。それと……助けてくれてありがとう」
「……うん゛」
 ぐずぐずの顔で頷き、俺の上半身を抱えてぎゅっと抱き締める。まだ体に力が入らないためされるがままにしておく。
 戒が泣くのなんて、いつ振りだろう。前は確か、俺が自転車で転んで車に轢かれそうになった時だった。
 自分のことは全くの無頓着なのに、俺のことになると血相を変えて心配してくる。
 よせって言うべきなんだろうけど、ちょっと嬉しくもある。
「そういえば、ここって……」
 肩越しに辺りを見回す。
 頭上まで広がる枝葉の覆い。小さなドームのような空間の内部は平静に満ちて、一切の雨風を遮断している。
 そしてその中心には、祠がひっそりと佇んでいた。
「ここは僕の実家だからね。色々勝手がきくんだ」
「実家って」
「ゆき、これから移動するけどいいかな。すぐ家に帰って休んだ方がいいから」
「分かった。でも、俺立てるかどうか」
「それは大丈夫。今回だけ裏技使うから。ゆき、目閉じて」
 言われるがまま目をつぶる。
 すると、一瞬だけブランコに乗った時のような浮遊感が生じた。
 同時に草木の匂いが消え、明らかに周囲の空気が変わった。
「着いたよ、ゆき」
 戒の声がして、そっと目を開ける。
 そこは、俺の家の玄関前だった。
「えっ、いつの間に……」
「はぁー、やっぱすごい疲れる。余程の緊急時以外やらないからね」
 裏技というか反則技だろ、と心の中で突っ込んだ。



 見慣れた天井。
 ということは、自分の部屋か。
 起き上がると、床に座りベッドに頭を乗せた戒が眠っている。
 あどけない顔を眺め、そっと手を伸ばし髪をなでる。ふわふわで柔らかい。
「戒」
「…………」
「起きてるの分かってるぞ」
「あれ、ばれてた?」
 むくっと起き上がり笑いかける。
「顔がニヤけてた」
「そっかー。具合は大丈夫?」
「ああ。もう何ともない」
 なら安心だよ、と戒がベッドに腰かける。
「なぁ戒。お前どこで何してたんだ」
「僕も君に訊きたいんだけど」
「なら俺が先攻な」
「むー、分かったよ」
 仕方ないという表情で話し始める。
「山から妙な気配がしてね、様子を見に行ってたんだ。祠がなくなったら多分僕終わりだから」
「軽そうに言ってるが、事態は深刻だったんだな?」
「存在が消えたらゆきに会えなくなる。それはもちろん、ゆきがいなくなっても同じだ」
 一旦言葉を切り、すっと目線を尖らせる。
「なんで一人で山に行ってたの。僕を捜しに来たんだとしても確証はなかったでしょ」
「お前が俺の立場でも、同じことしたんじゃないのか」
「だからって危険すぎる。人のこと言えないけど、僕ほんとに心配したんだよ」
「それはこっちのセリフだ。連絡はつかないし、行き先も曖昧。じっと待ってるなんて無理な話だ」
「連絡?あ…………そういえば携帯壊れてた。昨晩階段で落として」
 と、画面にクモの巣状のひびが入った端末を取り出す。
「はぁ。この人騒がせ」
「わざとじゃないよ。ってそれはゆきもでしょ」
「お互いな。でも反省はしてる」
 目を伏せた先には、毛布の上に置かれた戒の手。
 とっさに手を伸ばし、何も言わずぎゅっと握る。温かい。
「ゆき?」
「戒。俺、ずっと言いたかったことがある。答えは分かりきってるのに、自信が持てなかった。でも、今ならはっきり言える」
 顔を上げ、ドキドキする気持ちを必死に抑えて言った。

「俺は、戒のことが好きだ」

「帰ってきてお前がいないって分かった時、すごく不安で怖かった。悪天候の中捜しに行くのに何の躊躇いもなかった。それくらい、大切な存在なんだって思えた。何より、俺はお前と過ごす日常が好きだ。朝お前に起こされて、学校行って、飯食って、勉強会やって。何でもない退屈な風景でも、戒がいるからかけがえのないものになる。その笑顔が見られるなら何だっていいって思える。……戒、これが俺の気持ちだ」
 気が付くと、手にさっきより強い力が入っていた。口の中がカラカラに乾いている。
 目の前の真顔はしばらく無言で見つめてきて、そして、
「……僕は人間じゃないよ。それでもいいと?」
「人間とか怪異とか関係ない。10年前に出会って、たくさんの思い出を共有してきた、ただ一人の戒が好きだよ」
 すると、戒はついと顔を逸らす。
 耳が少し赤くなっている。
「自覚するとこうなんだね。もう物理的に熱い気がしてくる。ほんとすごいよ……」
 お手上げだというように弱々しく呟く戒。
 照れてる、のか。これまで一切そんな素振り見せなかったあいつが。
 ともかく、と戒は気を取り直して、
「僕達は両想いってことで、これから恋人同士。そういう認識ね」
「え、ああ。そうなるか」
「何その微妙な反応」
「いや、だって急にこ…………恋人、同士とか言われても。どうすれば」
「ゆきはそのままでいいよ。僕がガンガン攻めてくから」
「攻めるって何」
「それはご想像にお任せしまーす」
 かなり気になるが、ここは深く突っ込まない方がいいんだろう。
 でもよかった。滅茶苦茶に緊張したけどちゃんと伝えられた。
 これでやっと、自分の気持ちに向き合えただろうか。

「ところで幸守」

 ほっと安堵していると、戒が粘着テープのような笑顔を向ける。
「何か忘れてない?」
「何かって何だ」
「僕言ったよね。僕がどれだけ心配したかって。謝っても許さないって」
「あぁ、そうだな」
 祠の場所にいた時、随分と緊迫した様子だった。一歩間違えれば俺が死んでいた可能性もあったのだから、心配だったの一言では済まないだろう。
「悪いけど、君が無事ならそれでいい、とはならないよ僕は。さて、この収まらない気をどうしたものかな」
「それについては言い訳できない。お前の気が済むようにしろ」
「へぇ……いいの?同意ありなら僕手加減しないよ?」
「それ以外俺にできることないだろ」
 仕方ないというように肩をすくめて見せる。こうなったら質の悪いいたずらでも何でも受けるしかない。

「じゃあ、好きにしていいんだね」

 そう言った途端、戒は勢いよく手を伸ばし、俺の肩を掴んで押し倒す。そうしてベッドに押さえつけたまま上に跨ってきた。
 その目は獰猛な獣そのもの。

「って。急に何だ」
「前に言ったよね。次はあんなものじゃ済まないって。それに、もう“抑える”必要はないんだ」
「戒、何言って…………あ、何だこれ」
 体が動かない。
 かろうじて動くのは目と口だけで、指先すら完全に固まっている。
「な、なんで、動けな……」
「あぁ、ゆき。すごくいい表情だね。……やっとこの時が来たんだ」
 戒の右手がシャツの下に潜り込んでくる。
 ぞわっとした感触に襲われて思わず声が漏れる。
「ひっ、あ」
「ちょっと待ってね。今から始めるから」
「おい、やめろって……んっ。お前、どこ触って……ひゃっ」
「ふふ、君はほんとにかわいいね。やっぱりちゃんと僕のものにしないと」
 身動きが取れないため、じわじわとまさぐられる感覚にひたすら耐えるしかない。
 やがて手が止まる。ちょうど胸の真ん中あたりに。

 ドクン

 その時、自分の心臓が大きく跳ねるのが分かった。
 同時に戒の姿がぼやけていく。輪郭が崩れ、どろどろと溶け始める。
「あ…………うぁ……」
「大丈夫。痛くしないから」
 目の前にあるはずの戒の顔が、もう判別できない。
 黒く重い泥が全身にまとわりつく。声が出なくなり、意識まで飲み込まれていく。
 この感覚…………どこ、か……で…………。
 完全に闇に沈む直前、愉快げな声が頭の中に響いた。


【いただきます】





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

女装趣味がバレてイケメン優等生のオモチャになりました

都茉莉
BL
仁科幸成15歳、趣味−−女装。 うっかり女装バレし、クラスメイト・宮下秀次に脅されて、オモチャと称され振り回される日々が始まった。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

逃げるが勝ち

うりぼう
BL
美形強面×眼鏡地味 ひょんなことがきっかけで知り合った二人。 全力で追いかける強面春日と全力で逃げる地味眼鏡秋吉の攻防。

突然現れたアイドルを家に匿うことになりました

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 「俺を匿ってくれ」と平凡な日向の前に突然現れた人気アイドル凪沢優貴。そこから凪沢と二人で日向のマンションに暮らすことになる。凪沢は日向に好意を抱いているようで——。 凪沢優貴(20)人気アイドル。 日向影虎(20)平凡。工場作業員。 高埜(21)日向の同僚。 久遠(22)凪沢主演の映画の共演者。

多分前世から続いているふたりの追いかけっこ

雨宮里玖
BL
執着ヤバめの美形攻め×絆されノンケ受け 《あらすじ》 高校に入って初日から桐野がやたらと蒼井に迫ってくる。うわ、こいつヤバい奴だ。関わってはいけないと蒼井は逃げる——。 桐野柊(17)高校三年生。風紀委員。芸能人。 蒼井(15)高校一年生。あだ名『アオ』。

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

雪は静かに降りつもる

レエ
BL
満は小学生の時、同じクラスの純に恋した。あまり接点がなかったうえに、純の転校で会えなくなったが、高校で戻ってきてくれた。純は同じ小学校の誰かを探しているようだった。

処理中です...