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6 そういうとこが

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 放課後の教室は、いつも2人以外生徒がいない。
 隣の開いた窓から、草の匂いに包まれた空気がふわりと入ってくる。この3階からの眺めでは、端から端まで陳列された緑の山々が遠くに見える。

「ゆき。手が止まってるよ。分からない所あった?」
 机を挟んだ真向かいから戒が尋ねる。
「あ、いや。英Cの予習って毎回面倒だなと思って」
「確かにね。教科書の本文全部和訳しないといけないから。今半分くらい終わってる?」
「そうだな。……なぁ、戒」
「うん?」
「この文、お前なら何て訳す」
「なになに。……ふむ、これね。直訳だと前文といまいち繋がらないから、ちょっと意訳して『彼はとっくに姿を消していた』、かな」
「これ過去完了だよな」
「うん。hadと過去分詞だから。参考になった?」
「ああ、ありがとう」
 ノートを書き進めていく。
 ページをめくったところで再び手を止め、顔を上げる。
 2人が冊子を広げるには机の幅が少し狭いにもかかわらず、俺より先に予習を終わらせ問題集に取りかかっている戒。面倒だ退屈だとこぼしつつも、大抵一度やり始めればひたすら集中する。結局のところ根は俺より真面目だろうといつも見ていて感じる。
「ねぇゆき。さては予習と称して放課後2人きりの中僕をひたすら眺めたかったのかい、って思う程視線を感じるんだけど」
 ペンを動かしつつ戒が言う。
「何言ってんだ」
「だよね。じゃあ何か悩み事でも?ちょうど終わったから聞くよ」
 と、解いていた問題集を閉じ顔を上げる。
「別に、悩んでるわけじゃ」
「じゃあ今思いついたことを口にしてみよう。さんはいっ」
「ってやるか」
「溜め込むのは良くないって言ったでしょ。言うまでやるからね。さんはいっ」
「お前それうざいと分かっててやってるだろ。ったく」
 なおも催促する戒を睨みつけ、溜め息混じりに呟く。思いついたというより、前から頭の片隅にあったことを。
「…………ないよな」
「お、なになに?」
「いなくなったりは、しないよな。お前は」
「僕が君の前から、ってこと?」
「よくあるだろ。正体を知られたら、もうここにはいられないって」
「今更訊くんだね。別に僕は恩返ししに来た鶴じゃないよ。心配しなくても君を置いてどこかへ行ったりしないから、そんな悲しそうな顔しないで」
 映画のセリフのように仰々しい口調で言う。やっぱりうざい。
 ノリ悪いーと戒は机に肘を置き、見上げるような目線を向ける。
「僕も今更言うけど、ゆきは本当にそれでいいの」
「それでいいって、何が」
「その熱烈な強い想いを、本当に僕に向けてていいのかってこと。いわゆる世間一般的な恋愛とは違うわけでしょ」
「……何が言いたいんだ」
「君がずっと、僕しか見えてないみたいだから。他の選択肢もあるよってことを伝えたかっただけ」
 と、澄ました顔でさらっと言う。
 途端に目を合わせているのが無性に恥ずかしくなり、急いで視線を逸らす。
「……迷惑だって、言いたいのかよ」
 床を見つめたまま、ぼそっと言葉を吐き出す。
「そりゃ男同士だしな。おかしいって思うのが普通だ。俺だって、自分の感情がよく分かってない。お前に言われてからずっと考えてるけど」
「ゆき__」
「こんな気持ち、おかしいんだ。そもそもお前は…………っ、何でもない」
 そもそもお前は人間じゃない。だからお前を好きだという感情はおかしい。そう言いたかったのか、この腐れ脳みそは。
 勢いよく立ち上がり、逃げるように席から離れる。
「待って。幸守」
 数歩歩いたところで、戒に腕を掴まれた。
 足を止めるが、振り向かない。
「迷惑だって、僕がいつ言った。勝手に決めつけないで」
「……お前だって決めつけただろ。俺の感情を」
「そうだね。あれは当てつけのようなものだった。こっちの身を焦がすような想いを向け続けていながら、それを自覚してない君への。ちょっと大人げなかったかなって今は思うよ。だからちゃんと言わせて」
 腕を掴む力が増す。
 振り払うこともできず、ぎこちなく振り返る。
 俺とはっきり目が合ってから、戒は口を開いた。

「僕は、幸守のこと好きだよ」

 瞳は快晴の青空のように、澄んで曇りがない。
「だから僕はここにいる。正体を知られたからと逃げるような上面の感情なんかじゃない。それは分かってくれるよね」
「…………うん」
「それでね、ゆき。僕は、君の口から君自身の気持ちを聞きたい。いきなり正体を告げて、勝手に心の内を暴いておいて都合のいいことを言うなって感じかもしれないけど、中途半端なままにはしたくないんだ。他でもない、ゆきに関わることだから」
「気持ちって…………お前なら分かるだろ」
「僕だって君が考えてる内容まで具体的に分かるわけじゃない。君に自覚してもらって、はっきりと伝えてほしいんだ。だから僕の言葉は気にしないで。嫌いだと思ってるならそう言えばいいから」
「そんなことはないっ」
 被せる勢いで言葉が飛び出す。
 すると、戒の真顔がふと柔らかな表情に変わった。
「気持ちを聞きたいとは言ったけど、ゆきも色々整理したいだろうから焦らなくていい。僕はずっと待ってるから、ゆっくり向き合ってみて。自分自身と」
「……分かった」
 淡い橙色の夕日に染まった穏やかな瞳を見つめ、小さく答えた。
「ふふっ、ゆきは素直だね。純粋オーラが眩しいよ」
「バカにしてるのか」
「まさか」
 戒はすっとこちらへ踏み出す。
 わずかに身長差があるため、少しだけ戒が見上げるかたちになる。

「そういうとこが好きなんだよ、僕は」

 からかうような笑みと囁く口調。でも真っ直ぐ向けられる目はひたすらに真剣で。
 本心だと疑うことなく分かってしまう。

「っ…………そうかよ」
「あはっ、ゆきさっきは平静だったのに今度は赤くなってる。こういう言い方が好みなんだー」
「う、うるさい。変なこと言うなっ。あといつまでも手握ってんじゃねぇよ」
「ふーん、ゆきがこんなに照れ屋だったとは。これは重大発見だ。ちなみに言っとくけど、僕はやるなと言われたらとことんやりたくなるタイプだから」
「知るか!いいから離せって」
 必死に手を振り回すが、戒は一向に緩める気配がない。
 頼むから離せ。これ以上余計なこと言うな。でないと。
 心臓がドキドキし過ぎて破裂しそうになるだろ。



 通学路。
 日の沈みかけた空の下、自転車を押して歩く。
「ねぇゆきー。機嫌直してよー」
「別に怒ってない」
「じゃあなんで逃げるのー」
 戒が小走りで隣にやってきては、俺が足を速めて前に出る。という謎のいたちごっこ状態が先程から継続している。
 理由は一つ。なんか、顔合わせづらい。
「今週末から夏休みで、お互い家の用事でしばらく会えなくなるんだよ。なのにずっとこの調子なんて悲しいよー」
「……そうだったな」
 確か去年は、それぞれの都合のせいで2週間近く顔を合わす機会がなかった。毎度のことながら、年に一度の面倒な行事に付き合わされると考えるだけで気が重い。
「親戚の集まりって何なんだろうね。あれ意味ある?」
 戒が右隣に追いついてきた。前を向いていれば大丈夫だろう。多分。
「毎回何を話せばって感じだ。そもそも口挟む余裕ないし」
「それな。もう相槌マシンになるしかないよね」
「俺はいつもさりげなく逃げてる」
「逃げれるんだ。すご。僕さ、毎年叔父さんに彼女できたかって訊かれるんだよね。いい加減にしてほしいよ」
「……そうか。大変だな」
「あれ。ゆき、そのモヤモヤな感じは、まさか僕に彼女いるなんてことないよね、っていう心配?」
「なっ、か、勝手に覗くなっ」
「合ってたんだ。覗くというか、オンオフなしで常時分かっちゃうから。あと浮気はしてないから安心して」
「はぁ、質悪い。分かっても口に出すな」
「分かったー」
「顔にも出すな!」
 むかつくニマニマ顔を置いて早足で歩き出す。
 しばらくして、俺の家の前にたどり着いた。
 また明日と声をかけようと振り向くと、道の端に自転車を停めて戒が近付いてきた。
「どした、戒」
 自転車の両ハンドルを握ったまま尋ねる。
「ゆき、ちょっと目つむって」
「はぁ?唐突に何だよ」
「いいからいいから」
 催促され、仕方なく目を閉じる。
 また変ないたずらでも思いついたのかとじっとしたまま考えていると、両頬にそっと手のようなものが当てられる。


 そして、唇に柔らかく温かいものが触れた。


 数秒程過ぎ、感触が離れる。ゆっくり目を開けると、戒と目が合った。
 雰囲気が、まるで別人のような。
「以前君が寝てる間にしてもよかったけど、反応が見たかったから」
「…………」
「あは、フリーズしてる。そんな顔もかわいいよ」
「…………な……何して……」
「何してる、か。それは僕の前でつれない態度を取った自分自身に言うべきじゃないかな」
 鷹のような鋭い視線が突き刺さる。奥底まで見透かされているような気分。
「僕に対する言動には気を付けた方がいいよ。最近どうもが悪くなってる。次はこんなものじゃ済まないかも、なんてね」
 至近距離で見せる悪巧みをするような表情。
 そのせいで、ぐらぐらに揺さぶられた精神にさらなる追い打ちをかけられてしまって。
「じゃあゆき、また明日―」
 戒が通常に戻った底抜けの笑顔で手を振り、自転車を走らせてあっという間に遠ざかっていった後も、ただ呆然と立ち尽くしていた。
 はっと我に返った時には、とっくに辺りは暗くなっていた。

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