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3 怖くないの

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 ピピピピ ピピピピ ピピッ

 寝転がったまま頭上へ手を振り下ろし、目覚ましを叩く。
 ゆっくり起き上がる。今日は珍しくアラームの前に目が覚めたため眠気はほぼない。
 ベッドから出ると、つま先に何かが当たった。見ると、昨日学校から帰るなり投げたリュックが床に放置され、中身が散乱している。
「…………」
 しばらく無言でそれらを睨みつけた後、溜め息を吐いて着替えにかかった。



 支度を終え、玄関ドアを開けて外に出る。
「おはよう、ゆき」
 家の前に、自転車に跨った戒がいた。顔はいつも通りに笑っている。
「おはよう。待たせて悪かったな」
「ううん。今着いたところだから」
「……そうか。チャリ取ってくる」
 家の脇に停めてある自転車のところへ行き、鍵を差し込もうとする。が、なぜか鍵穴に入らない。
 ……あ。これ家の鍵だ。



 通学路を進み、信号の前で止まる。さっきも渡る前に赤に変わった。今日はついてない。
「なぁ、戒」
 次々と流れる車を眺めつつ、隣に話しかける。
「なに」
「昨日さ、山に肝試しに行ったよな」
「うん」
「それで、倒れた奴が出て中止になって、すぐ帰ったんだよな」
「うん。それがどうかした」
「いや、何となく現実だったかどうか確かめたくなって」
「夢だったらよかった?」
 一瞬隣へ目線を飛ばし、すぐ戻す。精巧なマネキンのような横顔からは特に何も読み取れない。
「夢だったら俺だけが怖い思いしたってことになるから、それは癪だ」
「どうせなら道連れがいいと。結構ひどいね」
「どっちにしろお前は欠片も怖がってなかったけどな。どんな神経してんだ」
「まー、色々違うからね。君達とは」
「……戒。お前__」
「あ、青になったよ。行こ」
 戒が先に走り出す。
 前を行く背中を、鬼ごっこの鬼になった気分で追いかける。



 昼休み。
「昨日山で倒れた女子、2人共体調良くなったって。明日くらいには退院できるとか」
「そうか」
 前の席。戒が弁当箱を持って横向きに座っている。
「あの山への生徒だけの立ち入りは禁止だって、HRで先生言ってたし、当分ああいうことをやろうって言い出す人はいないんじゃないかな」
「だといいな。だが実際、毎年誰かがやってるんだろ。俺達みたいに」
「確かに、リスクを楽しむような人間に危機感を持てと言っても意味ないから」
「俺は別に楽しんでないからな」
「他人に流されてる時点で危機感がない証拠だよ」
「うっさい。…………なぁ戒。今朝から気になってるんだが」
「なに」
「お前、俺のこと怖がってるのか」
「え」
 首がギクッと動き、ようやく目が合った。
「…………なんで、そう思うの」
「態度。露骨に避けたくはないが、かと言って今まで通りの距離感も気が引ける。朝からそんな感じだぞお前」
「……妙に具体的だね」
 表情が曇る。どうやら全くの的外れではない様子。
「俺、お前にドン引かれるようなことしたか」
「引いてるっていうか…………逆に訊くけど、ゆきは怖くないの?自分で言うのも何だけど、君が苦手なホラーそのものみたいなものだよ僕は。実際見たでしょ昨日」
「ああ。でもあの時のことは何も理解できてないから、実感が湧かないというか。お前も何も話さないから、とりあえず保留ってことなのかと」
「僕はそれが怖かったんだけど。僕の正体について突っ込んでこようとしない君の姿勢が」
「悪かったな。じゃあ放課後訊いてもいいか。今人多いだろ」
 はぁ、と戒が溜め息を吐く。
「君ってさ、そんなに楽観的だったかな。あの時、人間ではないとは言ったけど、人間に害を成す存在ではないとは一言も言ってないよ」
 鋭く細められる目つきを受け流し、俺は空になった弁当箱を片付けながら言う。
「口封じする気ならとっくにしてるだろ。そうせずここにいるのは、いつかは俺に本当のことを話すつもりだからじゃないのか。俺が訊くにしろ訊かないにしろ」
「どんな話でも信じると?」
「俺が知ってる戯堂戒という“幼馴染”は、そういう時嘘は吐かない」
 戒は真顔でこちらを見つめ、やがて目を伏せて言った。
「分かった。ゆきには全て話すよ。見せたいものもあるから明日に。ちょうど休みだし。それでいいね」
「ああ」
「それと、正体を話すのは君が初めてだから、僕の方で気は遣わないよ。聞きたくなかったと後悔したくないなら来なくていい」
「……分かった。どこに行くか訊いてもいいか」
 戒は席を立ち、風化した花崗岩のような瞳で見下ろした。
「灰ヶ山だよ」



 翌日。
 重い曇り空の下、つい2日前に通った灰ヶ山の山道を戒と再び歩いていた。昼間のため視界は良好。だが自分達以外の人の気配は皆無で、気付かぬうちに飲み込まれてしまいそうな程の自然の存在感に圧倒されている。
「怖いの?ゆき」
「別に、そうじゃなくて。何となく、落ち着かないっていうか」
「よく、何も分からないから怖いって言うけどさ、恐怖こそ想像力の権化だと思うんだよね。例えばこの茂みから幽霊が覗いてるかもとか熊が飛び出すかもとか、妄想ありきの恐怖でしょ。怪談を聞いて怖くなるのだって、語られる光景を脳内で再現してしまうからで__」
「そういう分析はいらねぇ」
 長々と続きそうな言葉を遮り、隣を睨みつける。
「そもそも、生徒だけで山に行くなって昨日言われたばっかだろ」
「危険だからってことでしょ。でも僕と一緒に行くのが、一番安全だと思うよ」
「どういう意味だ」
「肝試しの夜、僕が林の中に入っていった時、周りを囲んでた奴らって見えてた?」
「ああ、あの影みたいなやつか」
「そう。あれの対処、君達には無理だと思うよ。僕は簡単だけど」
「みたいだったな。……つか、あれって何だったんだ」
「知りたい?」
「あんま知りたくないから簡潔に」
「どっちなの。まぁ一言で言うと、僕の同類みたいな」
「えっ」
「いや、同列にされるのはやだなー。でも人間と比べたら断然そっち寄りだし」
 何かを悩んでいる様子の戒。
 今更だが、人間じゃないってどういうことだろうか。見た目は別に普通だし、今まで一緒にいて変な奴だと思う場面はいくつもあったが、正体を疑う程の違和感はなかった。あの夜の出来事が起こらなかったら、今も気付いてないんだろう。
「こっちだよ」
 二つの道の分岐点。前回避けるように素通りした左側の方へ進んでいく。
「見せたいものって何だ。お前と関係あるのか」
「あるよ。僕そのものと言ってもいいくらい」
 乾いた枯れ葉や枝を踏みしめつつ案内されたのは、頭上まで枝葉のトンネルに覆われた場所。

 そこに、祠があった。
 石の台座の上に置かれた、胸の高さ程の社殿。四角い木製の箱の上に屋根が乗っかっているような簡素な様式。正面の観音開きの扉は閉まっている。それなりに年季が入っているのか、所々黒く変色している。

「これが、僕の正体だよ」
 祠の前に立ち、淡々とそう言った。

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