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終章
197:縮まらない距離【ヴィンセントSIDE】
しおりを挟むイクスには驚かされてばかりだ。
イクスの幼さを知らなければ、
閨に誘われているのではないかと
錯覚してしまいそうになる。
別荘に着いて
まず、イクスに屋敷を案内した。
俺も別荘に来るのは初めてだったが
前もって屋敷の図面は見ていたし、
説明も聞いていたので
バトラーにすべてを
案内させるまでもない。
そう思って俺は湧き出た温泉を
そのまま利用した風呂へ
イクスを案内した。
外で入浴ができる風呂など
貴族社会では滅多にない。
貴族では懇意にしている者以外に
素肌を見せるのは女性だけでなく、
男性でもハシタナイと思われる風潮がある。
イクスは俺に対して
まったくの無防備だが、
本来であればもっと距離があっても
おかしくはない……のだが、
イクスに関しては公爵家の家人たちも
侯爵家の者たちも、誰も何も言わない。
まぁ、俺以外の人間に
同じ様にしていたら問題だが
俺なら構わないというのが
公爵家に意向なのだろう。
有難いと言えばありがたいが、
信頼を裏切るような真似はするなよ、と
釘を刺されている気分にもなる。
だが、今日は違う、ハズだ。
公爵殿からイクスとの初夜の許可が
下りたのだ。
……下りたんだよな?
いまいち自信がないが、
そのはずだ。
そんなことを思いながら
イクスを風呂のある庭に案内すると
イクスは目を輝かせて叫んだ。
「露天風呂だ!」
露天風呂。
確かに。
良い名前だと俺は感心する。
が。
突然、イクスがズボンのボタンを
外したかと思うと、ストンと。
本当にストン、とズボンを床に落とした。
……何故そんなに簡単にズボンが脱げる?
ウエストが細いからか?
ボタンを外したらそれだけで
脱げてしまうようなサイズの服を着ていたのか?
……初夜だからか?
初夜の日だからか?
いや、違う。
そんなわけはない。
落ち着け、俺。
「……イクス!
なぜいきなり服を脱ぐ!?」
「え?
ダメだった?」
きょとん、とした顔で言われて
落ち着け、と心の中で
自分にもう一度言う。
いや違う。
落ち着くのは俺ではなく
イクスの方だ。
「……落ち着け。
いきなり、ズボンを脱ぐな」
「シャツからの方が良かった?」
シャツを細い指で引っ張るイクスに
違う、と思わず首を振る。
どう言えばいいか迷い、
バトラーが昼食の前に
お茶の準備をすると言っていたことを
俺は咄嗟に思い出した。
「そうじゃない。
バトラーがまずお茶を準備すると
言っていただろう」
俺はしゃがんでイクスの
ズボンを掴んだ。
イクスの白い足が目の前に迫る。
咄嗟に目を背け、
俺は力強くイクスのズボンを
引き上げてボタンを留めた。
「温泉は後だ」
「はーい」
と無邪気な声で言われてしまえば
叱ることもできない。
ただ、このイクスのはしゃぎように
俺は疑問を持つべきだった。
茶菓子を食べた後、
イクスは突然、俺の膝に
頭を乗せて甘えて来た。
可愛い仕草につい
頭を撫でてしまう。
イクスは眠そうな顔をして
「ぎゅう、ってして」と
抱きついて来た。
甘えたい、眠たい、そんな
口ぶりだったが、俺は
イクスの瞳の奥に
寂しさのような感情を感じた。
抱きしめてやると、
イクスは俺にすり寄る。
こんな時、
イクスはたぶんだが
前世のことを思い出しているのだと思う。
イクスは以前俺に
「前世の妹ともきちんと
別れもできたし、もう大丈夫」と
言ってはいたが、
気持ちはそんなに
簡単にわりきれるものではないのだろう。
これからだって何度も思い出すだろうし、
心が揺れ動くこともあるかもしれない。
だが俺にはどうすることもできないし
もちろん、イクスにだってもう過去のことだ。
今から解決できることは何もない。
これはイクスが受け止め、
乗り越えねばならないことだ。
だから俺は、こうして
イクスのそばにいて
大丈夫だと抱きしめる。
イクスはもうこの世界で、
この国で、俺と共に生きればいいのだと。
イクスが甘えながら
眠そうにしているので
俺は「少し寝るか?」と声をかけた。
昼食の時間は遅くていいと
バトラーには伝えている。
俺はイクスを抱き上げて
寝室に連れて行こうとしたが
イクスが甘い声で俺に囁いた。
「ヴィンスも一緒に寝る?」
思わず、足を止めてしまった。
どう言う意味だ?
動揺を隠せずにいたが、
イクスの言葉に一瞬で緊張が解ける。
「昼寝は嫌?」
「……い、や。
そんなことない」
そうだよな。
イクスが俺を閨に誘うなど
あるわけがない。
俺は軽く首を振り、
イクスをベットに下ろす。
だがイクスは俺から
離れようとしない。
しかも。
「初めての場所だし、
ヴィンスと一緒にいたい」
などと、可愛いことを言う。
俺はイクスを抱きしめて
シーツに潜る。
幼い頃よくやっていたことだが、
閨を意識するようになっても
まだ同じようなことをしている関係に
少しだけ落ち込む。
それでもイクスを元気づけたくて
俺はイクスを抱きしめた。
俺にはこれしかできないから。
「あいしてる」
イクスが眠った頃合いを見て
俺は耳元で囁いた。
本当は毎日だって言いたい。
抱きしめて、愛を囁いて
口付て。
誰よりも愛しているのだと
そう伝えたい。
イクスが不安になっても、
悩んでも、前世のことで
苦しんだとしても。
俺がいるから。
俺が一緒に居るから。
大丈夫だとそう伝えたくて。
「ずっとそばにいる。
俺が守るから」
俺は眠るイクスに
噛みしめるように言葉を紡ぐ。
と。
不意にイクスの指が俺の頬に触れた。
え?
と思った。
「イクス?」と名を呼ぶ。
すると急に引き寄せられ、
唇が重なった。
驚いた。
俺の想いが通じたのかと思った。
嬉しくて、思わず強く
イクスを抱きしめてしまう。
それから何度も俺は
イクスに口づけた。
「愛してる、イクス。
……誰よりも」
俺は抱きしめた腕の力を緩めて
イクスの顔を覗き込む。
「今夜は……本当に俺と初夜……」
言いかけた言葉が途中で止まる。
イクスは……眠っていた。
いったい、いつの間に。
いや、最初からか?
わかってる。
そうさ、イクスだからな。
俺はいいようのない脱力感が俺を襲う。
それでも。
腕の中にイクスがいる。
それだけでいい。
……いい、けど。
もう少し欲を持っても構わないだろうか。
俺は腕の中で眠るイクスに
小声で聞く。
返事がないのはわかっている。
けれど、言いたかった。
「今夜、イクスを抱いてもいいか?」
イクスは俺の前で、
幼馴染になったり、
恋人になったりする。
でも俺は。
イクスと伴侶になりたい。
身体を重ね、心も重ね合いたい。
イクスの心が寂しい等感じないぐらい
俺でいっぱいにしたい。
眠るイクスからは返事がない、
はずだったのに。
イクスが軽く寝言を言い、
俺の胸に頬を摺り寄せた。
それがイクスの返事にも思えて。
俺は落ち込んだ心が簡単に
浮上するのを感じて
思わず苦笑してしまった。
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