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溺愛と結婚と

128:閑話 兄が大好きなある妹の話・2

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 私は俯きかけた顔を上げた。

こんなことではダメだ。
兄に心配をかけてしまう。

仏壇を見ると、
すでに線香は消えていて、
ロウソクの炎もあと少しで消えそうだ。

火が消えたら、
買い物にでも出かけようか。

冷蔵庫の中は空っぽだった筈。

私は遺影とイクス様のイラストの
間に置いてあるトレーに目を向けた。

100円ショップで買ったトレーだが
その上にガーゼのハンカチを敷いている。

ぱっと見、遺影にお供えをするための
トレーのように見えるが、
実は違う。

このトレーは、イクス様の設定集を
置いておくトレーなのだ。

……と言っても、
その設定集は今は、ない。

トレーの上に置いてあったのに、
突然、消えたのだ。

イクス様の設定集。
これは不思議な本だった。

きっとイクス様の世界と
私の世界を結ぶ不思議な本だ。

最初は兄の御棺の中に
入れたものだった。

兄の死に動揺していて
葬儀の時の私はプチパニック
状態だった。

何故、イクス様愛を込めたものを
兄の棺に入れようと思ったのか
今となってはよくわからない。

よくわからない衝動に
駆られていたとしか思えない。

その時はそれで兄が
あの世か次の世で幸せになれると
信じていたのだ。

そして兄の身体と一緒に
焼かれたはずの設定集だが、
何故か、いつの間にか
私の手元に戻って来ていた。

気が付いたら、
遺影のそばに設定集が置いてあったのだ。

もちろん、私は驚いた。

あの世で兄が受け取りを
拒否したのかと思った。

でもBLに何の興味も
無かった兄だから、
その兄がBL本を拒否するのも当たり前かと
私は自然にその不思議な現象を受け入れた。

不思議な体験だったが、
怖いとは思わなかった。

兄は昔から男性に好かれることが多かった。

本人は気が付いていないが、
家に遊びに連れて来た男友達は
やたらと兄と距離が近かったし、
いつも立ち寄る本屋でもコンビニでも
兄がレジに行くと
必ず同じ店員がやってきて
兄を接客する。

お釣りを渡すときは
私の時はそっけなくお金を
トレーに置くだけなのに、
兄の時だけはやけに笑顔で
兄の手を取り、両手でお釣りを
その手の中に入れるのだ。

これでやましい気持ちに
気が付かないわけがない。

と思うけれど、
兄は恋愛感情にはにぶかった。

私がいたから、
そういうのとは無縁だったのだと思う。

「丁寧な店員さんだな」と
小銭を財布にしまいながら言う兄を
私は無言で見つめたものだ。

そんな兄だったから、
私のイクス様愛を書き綴った
設定集を渡されてもきっと、
あの世で困ったのだろう。

私はそう理解して、
その設定集を開いて
イクス様の妄想を書き込むことにした。

兄がいなくなって寂しかったし
落ち込んでいたから
萌えの想像をすることで
気を紛らわせようと思ったのだ。

設定集にびっしりと妄想を書き、
私は遺影の横に設定集を置いて
その日は眠ったのだが。

でも気が付いたらまた
その設定集は行方不明になっていた。

兄があの世で「やっぱり読む」と
でも思って持って行ったのだろうか。

あの世って、じつは暇なところなの?

なんて思ってたら、その後、
私はイクス様になった兄と
不思議な再会をした。

そこから私はまた
精力的にイクス様の本を作った。

イクス様が兄だとわかったから
もう、イクス様は総受だとかは言わない。

その代わりにヴィン様とイクス様の
ラブラブ愛の物語をひたすら描く。

と、ある日また、私は遺影の横に
あの設定集が置いてあることに
私は気が付いた。

慌てて開くと、私が書き込んでいた
イクス様総受けの文字が消え、
私が考えていたヴィン様とイクス様の
ラブラブ設定がびっしりと
書き込まれている。

もしかしたらこの設定集は
私の妄想を表してくれているのかも!

そしてそして。
もしかしたら、この設定集なら
イクス様に、いえ、兄に届くかも。

私はそう思って、
「初ちゅーはいつ?」と書いたメモを
設定集に挟んで遺影の横に置いた。

数日経つとやはり設定集は消えていた。

もしかしたら、手紙みたいに
兄とやりとりができるかも?

そう思って設定集を置くための
トレーを買って来て。

私は毎日、トレーを見るけれど
設定集は戻って来ない。

トレーを置いたからダメだったのかな?
それとも行き来できる回数制限があったとか。

それなら、あんな「初ちゅーはいつ?」
なんて馬鹿なメモを挟むのではなく、
ちゃんと感謝の気持ちを綴ればよかった。

だって、でも、だって。

「初ちゅーはいつ?」なんて
バカなことを書いたら、
兄だったら「このバカ妹め」って
叱ってくれると思ったから。

いつもならそうやって私を叱ったら
兄はすぐに笑顔になって
私の頭を撫でてくれるから。

もう、会えないのに。
頭を撫でてくれる日なんて
来るわけがないのに。

私の目に涙が浮かぶ。

すっと、ロウソクの火が消えた。

瞬間、すぐ横のトレーが淡く光る。

私は息を飲んだ。

一瞬だった。

一瞬光ったと思ったら、
トレーの上に設定集が載っていた。

私は設定集に手を伸ばす。
指が震えているのが自分の目でもわかる。

設定集を掴んで、
何か変わったことが無いかと
震える指でぺらぺらめくっていると、
メモが挟まっていることに気が付いた。

私が挟んだメモだろうか。

それにしては、紙質が違うように
見えるけど……

私はそのメモを手に取る。

そして大きく息を吸い込んだ。

そうでなければ、
呼吸が止まりそうになったからだ。

メモの紙は高級そうな紙で、
縁に花の模様が書いてある。

少なくとも100円ショップでは
売ってないような高級紙だ。

そしてその紙の真ん中には
『バカ妹め! 誰が言うかバカ』と
兄の文字で書かれている。

私の目から涙があふれた。

嗚咽が口から洩れる。

私は、泣いた。

兄が死んだときよりも、
イクス様になった兄と再会したときよりも。

もっともっと大きな声で、
もっと沢山の涙をこぼして。

まだ、大好きな兄と繋がれる。

私のウエディングドレスの姿だって
写真にすれば、
写真をこの設定集に挟めば
きっと兄に見て貰える。

私は育ててくれた兄に対して
負い目があった。

感謝も言えずに、
ただ私を甘やしてくれた兄に
何もできなかったから。

だからイクス様を推して
ヴィン様との幸せな話を描いて。

これでイクス様は、兄は
きっと幸せになると
思い込もうとしていた。

本当にそんなことで兄が
幸せになるのかなんてわからない。

でも私はそうすることで
自分の罪悪感や負い目を
減らそうとしていた。

だって、そうでもしないと
自分が幸せになることが
罪のように思えて来たから。

彼と結婚してもいいのかと
そんなことまで思うようになった。

だけど。

私はまだ兄と繋がっている。

私が幸せだと知れば
きっと兄は喜んでくれる。

そして私がバカなことを言えば
「このバカ妹め」と叱ってくれる。

ただ会えないだけだ。
ただ、それだけ。

私は設定集を抱きしめて
大泣きに泣いた。

それから鞄からスマホを取り出す。

電話をかける相手は一人だけ。

結婚を約束している彼だ。

彼はずっと、私を見守ってくれている。

私が結婚を迷っていることも
気が付いているようだけれど
何も言わずにそばにいてくれた。

私が数回コールをすると、
すぐに彼が出た。

「どうした?」という優しい声に、
また涙があふれる。

私は愛されてばかりだ。
私は涙を拭って明るい声で言う。

「あのね。
ウエディングドレスの試着に行きたいの。
沢山のドレスを着て、
一番似合うドレスを着た写真を撮りたいわ」

そして兄に送ろう。
絶対に兄は喜んでくれる。

彼も嬉しそうな声で、
優しく、次の休みに行こうと
約束してくれた。

大丈夫。
もう、私は前に進めるよ
お兄ちゃん。

ちゃんと私も、
幸せになるからね!

安心して。
だからお兄ちゃんも
ヴィン様に愛されて幸せになって!

スマホの通信を切って、
私は兄の遺影を見た。

笑っている、私が大好きな
兄の顔だ。

不思議だけれど、
隣のイクス様のイラストと
交互に見ると、何故か兄と
イクス様が似ているように思える。

イクス様は兄とは違って
美しすぎる美少年なのに。

私は思わず笑った。

「私は大丈夫だからね」

私はもう一度仏壇に手を合わせる。

「よし。
今日はお兄ちゃんの好きな
カレーでも作りますか」

ひき肉で作ったカレーは
普段から兄が良く作っていたものだ。

もしかしたら好きだったのではなく
火がすぐに通って簡単に
作れるから食卓に良く並んで
いただけかもしれないけれど。

でもいい。

今日は兄直伝のカレーを食べたい気分だ。

私はカレーの材料を
買いに行くために立ち上がった。

ふふ。そうだ。
次のヴィン様×イクス様本は
二人があつあつシチューを
食べさせあいっこする
新婚本にしよう!

恥ずかしそうにするイクス様と
甘く優しいけれど押しが強い
ヴィン様。

「ほら、口をあけて」なんて
ヴィン様が優しく言って……

くーっ。
萌えるわっ。

早く買い物に行って、
原稿書こーっと。

お兄ちゃん、次は新婚本だよ。
楽しみにしててねーっ。

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