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子ども時代を愉しんで

7:イクスの恋

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 目を回した俺はすぐにベットに戻された。

大事はなかったものの、
一人で勝手に部屋を出たことで
兄だけでなく、家令や執事、
侍女長までもがやってきて、
両親にも報告します!
ときつく言われてしまった。

両親にまで話が行くと、
俺の世話係だったリタが
何かの処分を受けるかもしれないと
俺はそれだけはやめてくれと
必死で懇願する。

その熱意が伝わったのか、
兄が両親に俺が階段から落ちかけたことは
内緒にしようと話を話をまとめてくれた。

その代わり、
一人では決して部屋を出ないと
神に誓うがごとく約束をさせられてしまったが。

騒動が終わるまで
青年は俺のそばにいてくれた。

しかも着ていたシャツを脱いで。

というのも、
落ちた衝撃があまりにも
怖かったせいか、

イクスの恋心がそうさせているのか
俺の指が、青年のシャツから
離れないのだ。

……物理的に。

青年は「怖かったんだな、
指がこわばってる」と
シャツを脱いで、
俺の震える指をシャツごと
包み込んでくれた。

俺の身体はベットにいるが
指だけはまだ青年のシャツを
握りしめたままだ。

その俺の手を青年は
両手で包み込んでくれている。

兄は執事や侍女長たちを
部屋の外に出してから
俺のそばにやってきた。

「いつまで握ってんだよ」

兄は驚くほど気安い口調で
俺の手を握っていた
青年の手を引きはがす。

「イクスは兄様がいるからね」

と、兄がシャツの上から
俺の手を握ってくれた。

「はは、相変わらず、
弟が大好きなんだな」

甘い声で青年が言う。

うん、めちゃくちゃ声が良い。
女子なら惚れそう。

じゃなくて、イクスはすでに
惚れてるんだっけ。

だって甘酸っぱい記憶は
すでに俺の中にある。

全てを思い出したわけでは無いが
俺の中にあるイクスの感情が
好きだーって騒いでる。

でも落ち着け、俺。

前世の記憶が無かった時は
このイケメンボイスの彼を
好きだったかもしれない。

だが、前世を思い出した俺は
もう以前のイクスではない。

俺は生まれ変わった世界で
可愛い女子と素晴らしい恋愛を……

「イクス」

甘い声が俺を呼ぶ。

どくん、と心臓が鳴った。

「反省はしたと思うから
俺は何も言わないが、
あまり心配をかけるな」

青年がそう言って俺の髪を撫でる。

知ってる、と思った。
この撫でられる感覚を、
俺は好きだった。

いや、確かに心地よいが
俺は恋には落ちていない。

「そうだ、きちんと
名乗ってなかったな。

俺はヴィンセント・ハーディマン。

ハーディマン侯爵家の領地が
このバットレイの領地と
隣接していて、俺たちは
幼い頃から家族ぐるみで
付き合いがあったんだ」

ヴィンセントはそう言い、
ちらり、と兄を見た。

「イクスは俺を
ヴィー兄様、とヴィー兄様と
呼んで慕ってくれたが、
レックスは、イクスの兄は
僕一人だとヤキモチを焼いて大変だったよ」

「ヤキモチじゃないから。
だってほんとのことだろ」

兄がすかさず言う。

ほんとに親しい仲みたいだ。

それに……知ってる。
俺の頭の中に3人で遊んだ記憶が
流れて来たから。

「ヴィー兄さま?」

俺が言うと、ヴィンセントは頷く。

「一緒に……川で遊んだ?」

俺がそう言うと、
ヴィンセントも兄も目を見開いた。

「イクス!記憶が……?」

兄が包み込んでいた俺の手を
ぎゅっと握る。

「うん……まだ、曖昧だけど……
川で遊んで……僕が、転んだ……?」

「そう、そうだよ!
僕とヴィンセントと一緒に
川で遊んでたらイクスが
足を滑らせたんだ」

興奮した兄の言葉に、
穴だらけだった記憶が
1つになっていく。

「そうだ。
僕が川に尻もちをついて、
それで……」

力強く腕を引かれて
抱き上げられたんだ。
目の前の赤い髪の青年に。

大丈夫か?って顔を覗き込まれて、
逆光になって表情は
あまり見えなかったけれど。

焦ったような、真剣な顔に、
そして抱き上げられた腕の強さに。

怪我はないな、と聞かれた声に。

イクスは……恋に落ちたんだ。

兄は「思い出したんだ」って
俺に抱きつき、早く医者!っと
慌てた様子で俺の手を離した。

その俺の手を、
今度はヴィンセントが握る。

兄は部屋から飛び出して
行ってしまったから
部屋には二人きりだ。

「俺のことも、思い出した?」

甘く聞かれて、俺は頷くしかない。

「全部……じゃないけど、
ところどころ、記憶が戻ってきて」

「そうか、よかったな」

また髪を撫でられる。

「俺のことはどこまでわかる?」

そう言われて俺は首を傾げた。

「名前……と、一緒に遊んだこと」

どう言えばいいのかわからず
そう言うと、ヴィンセントは笑った。

「そうだな。
俺は今、15歳。
俺が学校に通うようになるまでは
良く遊んでいたし、
学校に入ってからも
長期休みは良くここに
遊びに来させてもらってたよ」

「15歳……」

もっと年上に見えた。
意志の強そうな瞳と、
鍛えた体のせいでそう見えたのだろう。

「俺の家は騎士の家系で
幼い頃から鍛えられるからな。

この家に来る時間は
訓練から抜け出せるから
助かったんだ」

なんて笑うが、
俺の中のイクスが
良く遊びに来てくれたのは
自分に会うためではなかったのかと
落胆している。

いや、子どもなんてそんなもんだろう。

というか、イクスは10歳だろう。
何故、そんなに恋愛脳なんだ?

落ち着け、イクス。
いや、俺。

俺は自分の感情と意識が
重なり合わないバグに
困惑しつつも、
過去の自分にツッコミを入れたが、
急に不安になってきた。

俺の意識はこのまま28歳の
サラリーマンのままだったとしたら
この世界で育って来たイクスは
どうなるのだろう?

そもそも俺もイクスも
同じ人間なんだから
そのうち意識が1つに
なるのだろうか。

そしたらサラリーマンの
俺の意識は消えるのか?

それは……怖い、と思う。

だからと言って、
イクスとして育って来た10年を
否定することもできない。

「どうした?
何か不安か?」

突然、ヴィンセントが
俺の顔を覗き込む。

よく考えたら、
ヴィンセントは俺との
距離が近い。

まぁ、年の離れた弟の世話を
するみたいな感覚だとは思うが。

そう考えた俺の言葉に
傷付くイクスがいる。

いや、両方俺だし。

何も答えない俺を、
ヴィンセントは立ち上がって
ベットに座る俺を抱き寄せた。

「大丈夫だ。
そばにいるから安心しろ」

甘い声に俺は震えた。

でも。
……安心する。

声変わりをした少し低い声も
大きくて筋肉質な腕や胸も。
それから俺の背中を優しく
なでてくれる手も。

俺は甘えるように
ヴィンセントにすり寄ってしまった。

イクスも俺も、
ヴィンセントのそばは安心する、
と言う共通に認識に至ったのだ。

これが俺の中のイクスと
サラリーマンの意識の俺との
初めての共通認識だった。




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