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第二部 3章 手を伸ばして
第9話 寂しげな瞳
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ユースケは早速、自分も帰郷することに決め、六月の後半からしばらく研究室を休むことを申し出た。事情を話すと、ソウマは快くそのワガママを聞いてくれた。
「ユースケ君、それが君の研究意欲に繋がっていることを知っています。しっかりとケリをつけてくるまで休んでいきなさい」
そう背中を押してくれるソウマが微笑むと、やはり目尻の皺が目立って歳の積み重ねを感じさせる。普段文句を言い返しそうになるほどスパルタな指導をしてくるので、ここ一番でのソウマの優しい配慮がユースケの心に沁みた。
「そう、なんだ……ユースケってやっぱり、困ってる人は放っておけない優しい人なんだね」
「まあ腐っても幼馴染みだしな」
フローラにもその話をすると、フローラは眩しそうに目を細めてユースケを見ながらしみじみと言った。他の人に言われても何も感じないのに、フローラに言われると途端に嬉し恥ずかしくなってユースケは真正面からじっと見つめてくるフローラから視線を逸らした。
『そう、なんだ……分かった、一応リュウト君にも伝えておくね』
「助かるぜユキオ」
ユキオにも電話越しに事の顛末を伝え、念のためしばらく昼にも会えなくなることを詫びると、ユキオはむしろ快く納得してくれ、ユースケのことを送り出そうとしてくれた。以前までなよなよして自信がなさそうにびくびくしていたユキオが力強くそう言ってくれて、ユースケも頼もしかった。
しばらく研究室を休むため、今のうちにやれることを出来るだけ多くしていこうと、研究室にいる時間はむしろ長くなり、ほとんど日付を超える間際まで残って作業していた。最後に訪れる日に、先日のソウマとのディスカッションも踏まえた研究計画と実験案をまとめたものを提出して研究室を後にした。忙しかったユースケに配慮してなのか、フローラは「明日は良いから、明後日は約束の時間通りに来てね」と念押しと同時に明日の夕食は会わないことになった。帰郷する日はちょうどフローラと約束した日と重なり、フローラとの時間をゆっくりと堪能してから帰郷するつもりでいた。
「それにしても、お前、何か落ち着いてるなあ」
「そうか?」
フローラと会わない休日、ユースケは久し振りにナオキの部屋に訪れて、いつものように図々しくベッドに横になってゴロゴロしていた。ナオキもなんだかんだ忙しそうにしていたのでてっきり小説をいくつも書き上げてきているのかと期待してやって来たが、今はユースケに読ませてくれる小説はないと断られて衝撃的だった。そのため、本当にただ人の部屋でゴロゴロしているだけである。
「というか……俺にそんな話して良いのかよ。俺なんてそのユズハって人からしたらただの他人じゃねえか」
「俺が話す相手はマジで信用してるやつだけだから、心配すんな」
ユースケは恨みがましく本棚に並ぶ、新作と思しきナオキの書いた小説を睨みつけるが、ナオキはそれを無視してぼんやりと天井を見上げる。椅子に深くもたれかかっており、後頭部が机につきそうである。ユースケが訪れてからというもの、それまで真剣に執筆していた形跡はあったのにすっかりその作業もせず、ユースケと同じようにだらけていた。
「なあ、そのユズハって奴はユースケにとってどんな奴なんだ?」
「ユズハ? そうだな……」
ふいにナオキがユズハのことを尋ねてきて、ユースケも改めて考える。
物心ついたときにはすでに隣にユズハがいた。ユリは三歳年下であり、ユースケが物心つく頃はまだユリには自意識はなかったであろうから、下手をすればユリ以上に古い付き合いだった。周囲には他に住居もなかったため、幼い頃は本当に何をするのも一緒だった。それがまさか大学校になってまで関係が続くとは思わなかったが、改めて考えてみるとユズハとは本当に付き合いが長い。
「アイツは……もはや兄妹みたいなもんだな。すんげー憎ったらしいし、ことあるごとに俺を小バカにしてきて腹立つ奴だが、何か……多分、誰よりも俺はアイツのことを知っていると思う。それは向こうも同じ、だろうな」
「…………ユズハはきっと、お前の存在が必要だと思うぜ」
「……いきなり何言うんだよ」
急な言い回しにドキっとしたユースケが身体を起こすと、ナオキは先ほどと変わらない態勢で天井を見上げていた。顔色も表情も全く変化していなかったが、どこか遠い瞳をしていた。
「お前がそこまで言う奴なんだ、向こうにとってはお前以上にそう思ってるかもしれねえってことだよ。ユースケと違って姉妹も兄弟もいないならなおさらな。ユースケみたいな奴が気がついたときから傍にいるなんて、想像しただけで恐ろしいしな」
「そうそう、そんな感じの憎まれ口。アイツはそれをさらに毒強くして言ってくるから腹立つぜまったく。というかナオキも失礼な奴だな、今度ラーメンでも奢らせるぞ」
「……なるほどな」
ユースケの憤慨も無視してナオキは一人で納得したかと思うと、足を急に高く持ち上げ、勢いをつけて立ち上がった。何がなるほどなんだとユースケは問い詰めようとしたが、ぼんやりと床を見下ろすナオキの表情にそんな軽口も出てこなかった。やけに優しく、そして寂しげな瞳は、ここにはないどこか別の何かを見ているような気がした。
「無事に戻って来いよ。これでそのユズハって奴説得できずに帰ってきてみろ、二度と口利いてやんねえからな」
先ほど自分から、ユズハは自分とは関係ない他人だと認めたとは思えないほど辛辣で散々な言いようであった。しかし、そのキツい言い方に、ユースケも怯まずに自然と言葉が出てきた。
「当たり前だろ。でなきゃ俺が俺を許せねえよ。というより、俺がそんなヘマするわけねえだろ、だから絶対ラーメン奢れよ」
いつの間にか奢るのがユースケの中では確定した約束となっているが、ナオキはそのことに気づいているのかいないのか「ああ」と、どこか満足したようにも思える穏やかな顔つきで答えた。
「ユースケ君、それが君の研究意欲に繋がっていることを知っています。しっかりとケリをつけてくるまで休んでいきなさい」
そう背中を押してくれるソウマが微笑むと、やはり目尻の皺が目立って歳の積み重ねを感じさせる。普段文句を言い返しそうになるほどスパルタな指導をしてくるので、ここ一番でのソウマの優しい配慮がユースケの心に沁みた。
「そう、なんだ……ユースケってやっぱり、困ってる人は放っておけない優しい人なんだね」
「まあ腐っても幼馴染みだしな」
フローラにもその話をすると、フローラは眩しそうに目を細めてユースケを見ながらしみじみと言った。他の人に言われても何も感じないのに、フローラに言われると途端に嬉し恥ずかしくなってユースケは真正面からじっと見つめてくるフローラから視線を逸らした。
『そう、なんだ……分かった、一応リュウト君にも伝えておくね』
「助かるぜユキオ」
ユキオにも電話越しに事の顛末を伝え、念のためしばらく昼にも会えなくなることを詫びると、ユキオはむしろ快く納得してくれ、ユースケのことを送り出そうとしてくれた。以前までなよなよして自信がなさそうにびくびくしていたユキオが力強くそう言ってくれて、ユースケも頼もしかった。
しばらく研究室を休むため、今のうちにやれることを出来るだけ多くしていこうと、研究室にいる時間はむしろ長くなり、ほとんど日付を超える間際まで残って作業していた。最後に訪れる日に、先日のソウマとのディスカッションも踏まえた研究計画と実験案をまとめたものを提出して研究室を後にした。忙しかったユースケに配慮してなのか、フローラは「明日は良いから、明後日は約束の時間通りに来てね」と念押しと同時に明日の夕食は会わないことになった。帰郷する日はちょうどフローラと約束した日と重なり、フローラとの時間をゆっくりと堪能してから帰郷するつもりでいた。
「それにしても、お前、何か落ち着いてるなあ」
「そうか?」
フローラと会わない休日、ユースケは久し振りにナオキの部屋に訪れて、いつものように図々しくベッドに横になってゴロゴロしていた。ナオキもなんだかんだ忙しそうにしていたのでてっきり小説をいくつも書き上げてきているのかと期待してやって来たが、今はユースケに読ませてくれる小説はないと断られて衝撃的だった。そのため、本当にただ人の部屋でゴロゴロしているだけである。
「というか……俺にそんな話して良いのかよ。俺なんてそのユズハって人からしたらただの他人じゃねえか」
「俺が話す相手はマジで信用してるやつだけだから、心配すんな」
ユースケは恨みがましく本棚に並ぶ、新作と思しきナオキの書いた小説を睨みつけるが、ナオキはそれを無視してぼんやりと天井を見上げる。椅子に深くもたれかかっており、後頭部が机につきそうである。ユースケが訪れてからというもの、それまで真剣に執筆していた形跡はあったのにすっかりその作業もせず、ユースケと同じようにだらけていた。
「なあ、そのユズハって奴はユースケにとってどんな奴なんだ?」
「ユズハ? そうだな……」
ふいにナオキがユズハのことを尋ねてきて、ユースケも改めて考える。
物心ついたときにはすでに隣にユズハがいた。ユリは三歳年下であり、ユースケが物心つく頃はまだユリには自意識はなかったであろうから、下手をすればユリ以上に古い付き合いだった。周囲には他に住居もなかったため、幼い頃は本当に何をするのも一緒だった。それがまさか大学校になってまで関係が続くとは思わなかったが、改めて考えてみるとユズハとは本当に付き合いが長い。
「アイツは……もはや兄妹みたいなもんだな。すんげー憎ったらしいし、ことあるごとに俺を小バカにしてきて腹立つ奴だが、何か……多分、誰よりも俺はアイツのことを知っていると思う。それは向こうも同じ、だろうな」
「…………ユズハはきっと、お前の存在が必要だと思うぜ」
「……いきなり何言うんだよ」
急な言い回しにドキっとしたユースケが身体を起こすと、ナオキは先ほどと変わらない態勢で天井を見上げていた。顔色も表情も全く変化していなかったが、どこか遠い瞳をしていた。
「お前がそこまで言う奴なんだ、向こうにとってはお前以上にそう思ってるかもしれねえってことだよ。ユースケと違って姉妹も兄弟もいないならなおさらな。ユースケみたいな奴が気がついたときから傍にいるなんて、想像しただけで恐ろしいしな」
「そうそう、そんな感じの憎まれ口。アイツはそれをさらに毒強くして言ってくるから腹立つぜまったく。というかナオキも失礼な奴だな、今度ラーメンでも奢らせるぞ」
「……なるほどな」
ユースケの憤慨も無視してナオキは一人で納得したかと思うと、足を急に高く持ち上げ、勢いをつけて立ち上がった。何がなるほどなんだとユースケは問い詰めようとしたが、ぼんやりと床を見下ろすナオキの表情にそんな軽口も出てこなかった。やけに優しく、そして寂しげな瞳は、ここにはないどこか別の何かを見ているような気がした。
「無事に戻って来いよ。これでそのユズハって奴説得できずに帰ってきてみろ、二度と口利いてやんねえからな」
先ほど自分から、ユズハは自分とは関係ない他人だと認めたとは思えないほど辛辣で散々な言いようであった。しかし、そのキツい言い方に、ユースケも怯まずに自然と言葉が出てきた。
「当たり前だろ。でなきゃ俺が俺を許せねえよ。というより、俺がそんなヘマするわけねえだろ、だから絶対ラーメン奢れよ」
いつの間にか奢るのがユースケの中では確定した約束となっているが、ナオキはそのことに気づいているのかいないのか「ああ」と、どこか満足したようにも思える穏やかな顔つきで答えた。
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