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第二部 1章 気になるあの子
第9話 研究室の先輩
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食堂に向かうと、いつもの場所にリュウト、ユキオ、チヒロがテーブルに着いて昼食を口にしながら談笑していた。三人は、ユースケの存在に気がつくといつもと同じように反応した。三人もまだ着いたばかりなのか、リュウトの前にあるうどんから湯気が立っていた。
「なんか疲れた顔してるね」
定食を購入し、そのお盆を持って席に着くとユキオが開口一番にそう言った。隣でリュウトが可笑しそうに笑った。
「そりゃあ、この間こっぴどく振られたからな。というか、その土台にすら立ってなかったというか」
「え、いよいよ告白したん、こいつ?」
「いやあ、マジでそれ以前の話だったよ。告白すら出来てねえ」
リュウトが面白がってそのときの話をすると、チヒロが眉を下げて悲しそうに歪ませるも、口元ははっきりと笑みを浮かべていた。
「あちゃあ、あんたねえ、それは可哀想だわ」
「だったらそのにやけ顔やめろ。それに疲れた顔してるとしたらそれが原因じゃねえから、研究室でだから、勘違いすんなっ」
ユースケが唾を飛ばす勢いで反論するも、チヒロはあまり聞く耳持たずに興奮したままだった。それとは対照的に、隣に座るユキオは感心したように口をぽかんと開けていた。
「研究室で何かあったの?」
「うーん、なんて言えば良いんだろうなあ……なんか、研究って思ったよりも難しいなって、実感してんのかもしれん。ユキオはどうなんだよ」
「僕? 僕もけっこう右も左も分からない状態が続いてるなあ。研究室内での勉強は何とかついていけてるけど、でも僕なんてすぐ置いてかれそう」
ユキオの言葉はどんどん尻すぼみになっていき、すっかり身を縮こまらせておにぎりを再び齧り始めた。すると、向かいの席でうどんをつるつる食べていたリュウトがその手を止めた。
「ユキオはともかく、ユースケがそんなこと気にするなんて意外だな。まだ始まったばかりだし、これから忙しくなれば嫌でも身に着くだろうから、焦んなくて良いだろ」
リュウトは気楽そうにそう言うと、勢いよくうどんをつるつるっと掬い上げる。リュウトの横でチヒロもリュウトの言う通りだと言わんばかりにうんうんと頷いている。それでもユースケは頑なで、リュウトの言う通り研究室にすっかり慣れたであろうレイの姿を思い浮かべると、悲観的にまではならないにしろ、リュウトのように楽観的にもなれなかった。そんな煮え切らない様子のユースケを、ユキオがおにぎりも食べ終えてじっと見ていた。レイの姿を思い浮かべていたからか、ユースケは早く戻らなければならない気になって、祖母の言いつけも破って一気に飯をかきこんでいく。
「どうしたん、そんな急いで。珍しい」
チヒロの問いかけも無視して一気に平らげると、ユースケはすぐさま立ち上がって盆を返しに行こうとする。午後の授業の予鈴もまだ鳴っていないどころか、食堂にはまだ食事を続けている学生も多い。
「お、おい、もう行くのか?」
「わりい、俺先輩に頼み事してたんだけど、頼んどいて先輩待たせるわけにもいかねえからもう行くわ」
「先輩に、頼み事……」
ユキオがユースケの言葉をオウム返ししている間に、ユースケはさっさと盆を返しに向かった。そのユースケの背中をリュウトたちは三者三様な想いが宿った目で見送っていた。
食堂を出たユースケは、昼食を取りにも行かずに自分のためにノートを見てくれているレイのことを考え、売店であんパンと緑茶を買ってから研究室に向かった。研究室に着くと、まだ他の人たちは昼食から帰ってきていないらしく、レイがユースケの存在にも気づかずに黙々と机に向かって作業しているだけだった。ユースケはレイの邪魔をしないように、足音を立てずに自分の席に戻った。
遠くで午後の授業を知らせるチャイムが鳴り、ケイイチや他の人たちも帰ってくるが、レイが顔を上げたのはそれからさらに三十分ほどしてからだった。それまでユースケは自分のために周りの音も気にならないほど取り組んでくれているレイの背中をじっと見つめていた。レイはきょろきょろと辺りを見渡し、ユースケの存在を確認すると、再び眠そうな雰囲気に戻って近づいてきた。
「ほれ。何か好き勝手書きすぎちまった気もするが……それより、俺のノートはもう良いか?」
ユースケはレイに渡されていたノートのことをすっかり忘れていたが、何とかそれを顔には出さずにうんうんと頷いてノートを返却する。代わりにレイに預けていたノートを受け取ると、レイは気怠そうに会釈してすぐに自分の席に戻っていった。ユースケも机と向き合い、たった今受け取ったノートを広げる。すると、最初のページから、見覚えのない赤字が書き込まれていた。一番上には、「〇〇ページまでの赤ペンは、〇月〇日にレイが記入」と記載されていた。ユースケはじっくりとノートを振り返っていく。
赤字の記入はそれほど頻繁にはなかったが、ゼミの発表をメモしているページになるとその量は一気に増えた。そして、本日のゼミの分のが終わった直後に、「この研究室について」から始まる文章が、図解なども交えて丸々一ページ分続いていた。ユースケは思わず顔を上げてレイの姿を探すが、すでにレイは研究室にはいなかった。仕方なくノートに視線を戻し、じっくりと読み込んでいく。初めのページから赤字を読んでいくと、どうやって研究を進めれば良いのか、論文を探したり研究を進めるにはどういう視点が必要なのか、といった、ユースケがちょうど悩んでいたようなところを埋め合わせて補足してくれるような内容が記されているのに気がついた。そして、最後のページでは、自分の所属する研究室全体でどういうことを研究していて、何を目標にしているのか、といったことから、レイ自身の研究はこの研究室においてどういう立ち位置なのか、といったことまで、淡々とだが分かりやすく説明されていた。その文章はどれも、教科書の説明よりも下手すれば丁寧で言葉選びが配慮されており、急な後輩のお願いに即興で応えたとは思えない熱量と律義さだった。
昔、カズキが言っていたことを唐突に思い出した。タケノリは凄い奴で、自分では敵わず、ああいう奴が上に行くのだと、そんな諦め混じりの告白をして、それでもタケノリより上の奴もこの世にいるのだということに感銘を受けていた。そのときのカズキの気持ちが、ユースケも今ようやく分かったような気がした。許可もほとんど取っていない状態で他人のノートにこれだけ赤字で好き放題書き込むという行為に、驚きや不信よりも先に尊敬と感謝の念がこれほど立つ日は、もうこの先二度とないだろうと、ユースケはひたすらに胸を打たれていた。
「なんか疲れた顔してるね」
定食を購入し、そのお盆を持って席に着くとユキオが開口一番にそう言った。隣でリュウトが可笑しそうに笑った。
「そりゃあ、この間こっぴどく振られたからな。というか、その土台にすら立ってなかったというか」
「え、いよいよ告白したん、こいつ?」
「いやあ、マジでそれ以前の話だったよ。告白すら出来てねえ」
リュウトが面白がってそのときの話をすると、チヒロが眉を下げて悲しそうに歪ませるも、口元ははっきりと笑みを浮かべていた。
「あちゃあ、あんたねえ、それは可哀想だわ」
「だったらそのにやけ顔やめろ。それに疲れた顔してるとしたらそれが原因じゃねえから、研究室でだから、勘違いすんなっ」
ユースケが唾を飛ばす勢いで反論するも、チヒロはあまり聞く耳持たずに興奮したままだった。それとは対照的に、隣に座るユキオは感心したように口をぽかんと開けていた。
「研究室で何かあったの?」
「うーん、なんて言えば良いんだろうなあ……なんか、研究って思ったよりも難しいなって、実感してんのかもしれん。ユキオはどうなんだよ」
「僕? 僕もけっこう右も左も分からない状態が続いてるなあ。研究室内での勉強は何とかついていけてるけど、でも僕なんてすぐ置いてかれそう」
ユキオの言葉はどんどん尻すぼみになっていき、すっかり身を縮こまらせておにぎりを再び齧り始めた。すると、向かいの席でうどんをつるつる食べていたリュウトがその手を止めた。
「ユキオはともかく、ユースケがそんなこと気にするなんて意外だな。まだ始まったばかりだし、これから忙しくなれば嫌でも身に着くだろうから、焦んなくて良いだろ」
リュウトは気楽そうにそう言うと、勢いよくうどんをつるつるっと掬い上げる。リュウトの横でチヒロもリュウトの言う通りだと言わんばかりにうんうんと頷いている。それでもユースケは頑なで、リュウトの言う通り研究室にすっかり慣れたであろうレイの姿を思い浮かべると、悲観的にまではならないにしろ、リュウトのように楽観的にもなれなかった。そんな煮え切らない様子のユースケを、ユキオがおにぎりも食べ終えてじっと見ていた。レイの姿を思い浮かべていたからか、ユースケは早く戻らなければならない気になって、祖母の言いつけも破って一気に飯をかきこんでいく。
「どうしたん、そんな急いで。珍しい」
チヒロの問いかけも無視して一気に平らげると、ユースケはすぐさま立ち上がって盆を返しに行こうとする。午後の授業の予鈴もまだ鳴っていないどころか、食堂にはまだ食事を続けている学生も多い。
「お、おい、もう行くのか?」
「わりい、俺先輩に頼み事してたんだけど、頼んどいて先輩待たせるわけにもいかねえからもう行くわ」
「先輩に、頼み事……」
ユキオがユースケの言葉をオウム返ししている間に、ユースケはさっさと盆を返しに向かった。そのユースケの背中をリュウトたちは三者三様な想いが宿った目で見送っていた。
食堂を出たユースケは、昼食を取りにも行かずに自分のためにノートを見てくれているレイのことを考え、売店であんパンと緑茶を買ってから研究室に向かった。研究室に着くと、まだ他の人たちは昼食から帰ってきていないらしく、レイがユースケの存在にも気づかずに黙々と机に向かって作業しているだけだった。ユースケはレイの邪魔をしないように、足音を立てずに自分の席に戻った。
遠くで午後の授業を知らせるチャイムが鳴り、ケイイチや他の人たちも帰ってくるが、レイが顔を上げたのはそれからさらに三十分ほどしてからだった。それまでユースケは自分のために周りの音も気にならないほど取り組んでくれているレイの背中をじっと見つめていた。レイはきょろきょろと辺りを見渡し、ユースケの存在を確認すると、再び眠そうな雰囲気に戻って近づいてきた。
「ほれ。何か好き勝手書きすぎちまった気もするが……それより、俺のノートはもう良いか?」
ユースケはレイに渡されていたノートのことをすっかり忘れていたが、何とかそれを顔には出さずにうんうんと頷いてノートを返却する。代わりにレイに預けていたノートを受け取ると、レイは気怠そうに会釈してすぐに自分の席に戻っていった。ユースケも机と向き合い、たった今受け取ったノートを広げる。すると、最初のページから、見覚えのない赤字が書き込まれていた。一番上には、「〇〇ページまでの赤ペンは、〇月〇日にレイが記入」と記載されていた。ユースケはじっくりとノートを振り返っていく。
赤字の記入はそれほど頻繁にはなかったが、ゼミの発表をメモしているページになるとその量は一気に増えた。そして、本日のゼミの分のが終わった直後に、「この研究室について」から始まる文章が、図解なども交えて丸々一ページ分続いていた。ユースケは思わず顔を上げてレイの姿を探すが、すでにレイは研究室にはいなかった。仕方なくノートに視線を戻し、じっくりと読み込んでいく。初めのページから赤字を読んでいくと、どうやって研究を進めれば良いのか、論文を探したり研究を進めるにはどういう視点が必要なのか、といった、ユースケがちょうど悩んでいたようなところを埋め合わせて補足してくれるような内容が記されているのに気がついた。そして、最後のページでは、自分の所属する研究室全体でどういうことを研究していて、何を目標にしているのか、といったことから、レイ自身の研究はこの研究室においてどういう立ち位置なのか、といったことまで、淡々とだが分かりやすく説明されていた。その文章はどれも、教科書の説明よりも下手すれば丁寧で言葉選びが配慮されており、急な後輩のお願いに即興で応えたとは思えない熱量と律義さだった。
昔、カズキが言っていたことを唐突に思い出した。タケノリは凄い奴で、自分では敵わず、ああいう奴が上に行くのだと、そんな諦め混じりの告白をして、それでもタケノリより上の奴もこの世にいるのだということに感銘を受けていた。そのときのカズキの気持ちが、ユースケも今ようやく分かったような気がした。許可もほとんど取っていない状態で他人のノートにこれだけ赤字で好き放題書き込むという行為に、驚きや不信よりも先に尊敬と感謝の念がこれほど立つ日は、もうこの先二度とないだろうと、ユースケはひたすらに胸を打たれていた。
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