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第一部 3章 それぞれの

第11話

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 手術が終わってから、ユリが再び目を開けたのは四日後のことであった。その間ユリの体内では、医療用人工ロボットによる迅速な手術によって消耗した体力の回復が行われていたことであろう。しかし頭ではそうだと分かっていても、中々目を覚まさないユリにユースケはひどく取り乱し、その様子を見ていた医者たちは、元々その予定ではあったが、他の患者にも悪影響を及ぼしかねないと判断され、ユースケは即刻元の街に強制送還された。戻されて数日後、家にユリが目を覚ましたという便りが来て、ユースケも「あのまま残っていれば立ち会えたのに」とその便りを破り捨てて怒り狂った。
 学校のない休日にユースケは甲斐甲斐しく、早起きしてまでユリの見舞いに行くため自転車を走らせていた。初めの方はユリも流石に疲労が抜けきっていないのか、随分と覇気のない様子で出迎えられてユースケも狼狽したが、それでもそのユースケの様子にユリが、家にいたときと同じように小さく笑うのを見て、ユースケもユリは決して何か怖いことがあるのではなく単純に体力が衰えているからなのだと実感できた。初回ではベッドに横になったまま動かなかったり、眠そうに欠伸を連発していたユリだったが、休日が訪れユリの見舞いに通ううちにその気怠さを示す時間は徐々に短くなっていった。
「もう、少しは落ち着いた?」
「ああ、もう、大丈夫……」
「まったく、何で私が慰めっぱなしなんだろ。私一応病人だよ?」
「そんなこと俺が一番分かってるよ!」
 便りを受け取って早々、玄関も閉めずに飛び出してきたユースケは、病院に到着するなり真っ先に受付の人に、今でも殴りかからん勢いでユリの病室を訪ねた。しかし、受付の人に「身分を証明できるものの提示をお願いします」と冷淡に言われ、ユースケはポケットをまさぐって初めて、学校から帰って来て直後すべての荷物を自分の部屋に置きっぱなしにしたまま、本当に何も持たずにやって来たことに気がついた。せめて便りを受けた手紙でも持ってくれば良かったのだが、それもどうやら家に置いてきてしまったらしい。何も手元になく受付でみっともなくあたふたしていると、リハビリのために病室から出ていたユリと出くわして何とか身分を証明してくれてことなきを得た。病室に戻りそのいきさつを話し、ユリに呆れられたように問い詰められていたところであった。
「まあいいや。先生とオハナシしてきてよ」
「……そうだな」
 しかし、ユリに宥められすっかり冷静になっていたユースケは、先生の元へ訪れる前に、母親にも一緒に来てもらった方が良いのではないのかと思い至り、ユリに一言断ってから一旦家に戻ることにした。
 大急ぎで家に戻ると、般若の如く怒りを露わにした母親が玄関の前で立ちはだかっていたが、ユースケも気後れせず早口にユリのことを伝えると、「そんなこと分かってるわよ」と怒鳴られた。そのまま母親を連れて病院に再び向かい、医者の話を聞くことになった。
「こんなに回復が早いのは予想外です……私たち医者も当てにならないものですね」
 医者は清々しいほどまでに開き直りながら、ユリの回復振りに脱帽していた。ユースケとしてはユリの代わりに寂しさが埋めていたような三か月間は苦痛でしょうがなかったが、医学の世界から見るとユリの回復速度は珍しい部類であるそうだ。もう生活の全て——たとえば、外出などのための歩行はもちろん、お手洗いや食事なども含めた——を看護師たちで付きっきりでサポートする必要はなく、そのためこちらの病院に戻って、三か月間ほとんど寝たきりで安静にしたままだったことで衰えた体力と筋力を戻すためのリハビリ生活を行ない、一通り自力で生活を送れるようになったら家に帰る、ということになるらしい。元の生活——母親の畑仕事を手伝う——が出来るほどに体力や筋力が戻るかどうかは手術前にも説明された通り分からないが、それでも今回の予想外の回復の早さから鑑みて、その望みは決して薄くないとのことだった。隣に座る母親がよく分からないタイミングで泣き出したので、ユースケは感極まっていても泣くに泣けなかった。
「まあ、医者の言うことがすべてではないですから。きっと良くなりますよ、ははっ」
 手術前はあれほど心優しい丁寧な医者を演じていたのに対し、今では随分と気さくで謙虚な医者となっており自然とユースケたちの緊張していた雰囲気を和らげてくれた。ユースケはただただ医者に頭が上がらない想いでいっぱいだった。
 ユリが順調に回復してきたことに喜びを隠せないユースケは、早速と言わんばかりに行くところすべてでそのことを話して回っていた。ユースケの高いテンションは一日や二日では収まらず連日続き、そのため時々しか登校しなくなったカズキやセイイチロウ、アカリの耳にもその話は届いた。忙しそうにはしているものの、見舞いに何回か訪れてくれ、ユリもそれに励まされたかのようにリハビリに励んでいた。
 毎日退屈そうに帰宅し、寂しさを振り切るように勉強していたユースケは、ユリの病室で勉強するのが次第に日課となった。学校が終わると、図書館では授業を補完する形で調べるだけに留め、時にユズハと別れ、時にユズハと共に、ユリの病室に向かい、その部屋に用意されたテーブルで勉強道具を広げて、ユリの話とリハビリを見守りながら勉強に勤しんだ。初めはすっかり白くなってしまったユリの顔色も徐々に肌色付いてきて、女の子らしくなかったごつごつと荒れていた手は歳相応な綺麗な柔肌を取り戻していった。
 いつ雪が降り始めてもおかしくないほど寒くなった。曇天の空が続き、灰色に覆われた窓の外は一層寒そうに映り、それを眺めるたびにユリは両腕を擦った。ユリが退院する日ぐらいは少しは暖かい日が良いなあと思いながらも、雪が降ってる日の退院はそれはそれで何だか縁起が良さそうだなとぼんやり考えていると、病室の扉が開いた。タケノリがやって来た。
「おー頑張ってるなあユースケ」
 ユリが嬉しそうに会釈すると、タケノリも会釈し返して、からかうような声音でユースケに向けてそう言った。ユースケはキョロキョロとタケノリの背後を確認するが、セイラはいないらしい。
「何だよ、タケノリ今日部活じゃないのかよ」
「今日は軽い練習とミーティングだけ。それより」
 タケノリはずかずかと入ってくると、ユリのベッドを回り込んでユースケに近づいてきた。ユースケが、「見舞いに来たわけではないなら帰れ」と文句を言おうとした直前で、タケノリがノートの切れ端ぐらいの小さな紙をユースケの広げていたノートの上に乗せた。その紙をよく見ると、二日後の日付、よく分からない名前のようなもの、よく分からない数字列、そしてフットサル部の試合、と書かれていた。
「明後日の試合、良かったら見に来て欲しい。まあ大会でもなんでもないんだけどさ」
「試合……?」
「俺の最後の試合」
 最後、という言葉がひどく耳に残った。それを訊き返す気も起きず、ユースケは何とかふざけたことを言って茶化そうとしたかった。しかし、そういう言葉は考えて出るものではないようで、面白いぐらい何も思いつかず、何よりタケノリがいつものどこか余裕のある瞳ではなく、歳相応にそわそわしていて落ち着かない瞳になっているのを見て、ユースケはタケノリの気持ちを推し量りかねていた。ベッドで座るユリが悲しそうに小さく何かを呟いたがユースケには聞き取れなかった。タケノリはユースケの目をじっと見てきたかと思うと最後に「来てくれよ、試合」ともう一度付け足してから、ユリに別れを告げて病室を去っていった。
「お兄ちゃん、明後日は私の見舞いは良いから、行ってあげなよ」
 ユリの言葉に、ユースケは曖昧に頷きながら再び教科書やノートに目線を落とした。しかし、何か考えをまとめようにも教科書の文章を読んでみるも集中力が続かず、意識はすっかり先ほどタケノリが置いていったノートの切れ端に向いていた。
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