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第一部 2章 指差して 

第17話

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 後日、タケノリたちが泊まりに来る日になると、予定の時間よりもだいぶ早い昼頃にタケノリだけが妹のセイラを連れてやって来た。玄関先で若干申し訳なさそうに苦笑しながら、重そうなリュックサックを降ろし遠慮なく入ってくる。
「セイラが早くユリに会いに来たいってうるさくてさ」
 そのセイラも、ユースケに一言二言挨拶しただけでさっさとユリを攫ってユズハの家へと向かってしまった。
 セイラもユリと同じように身体が弱く、小さい頃はユリ以上に倒れて病院に運ばれていた。タケノリと幼馴染みであったユースケは、その事情を当時から知っており、ユリに重ねて見ていたセイラのお見舞いに甲斐甲斐しく通っていた時期があった。セイラは小さい頃は自分に起きていることや自分の置かれている境遇を上手く理解できておらず、人が来てくれるだけできゃっきゃと無邪気に喜んでいたが、次第に自身の身体事情を理解し始めると途端に看護師や見舞いに来る人にも辛辣になったという。ユースケもその例外ではなく、むしろ親戚でも何でもないよそ者のユースケには他の人に対して以上にきつく当たっていた。それでもユースケは、持ち前の図太さと鈍さ、そして妹思いな部分とが相まって、何度も足を運んでいた。その際には必ずタケノリとユリとも一緒だった。
「楽しいことなんていっぱいあるぞお」
 まるでセイラの反抗など気にしていないかのように、ユースケは見舞いに訪れるたびにセイラにそう言って聞かせていた。セイラももちろん聞く耳持たずで、「それは身体が元気だからでしょ」と突っぱねていたが、次第に、病院でも相変わらずであったユースケの言動や病院の中でもカードゲームや折り紙に絵のついた本などをユリと一緒になって提供していくうちに、セイラもそれらに興味を持ち始めていった。当時はタケノリですら、すべてを諦めきったような感じで、しきりに病院のお世話になるセイラの先を思えずにふさぎ込んでいた。
 セイラが初めに心を開いたのはユリであった。そして、ユリの話を聞いていくうちに、その話の中にしょっちゅう出てくるユースケの奇怪な話題に、笑みを零すようになっていった。その変化をタケノリは見逃さなかったし、セイラもタケノリにぽつぽつと色々なことを話すようになったらしい。どういったことを話したのかはユースケは知らなかったが、唯一ユースケとユリも一緒にいるときに話したときがあった。神妙な面持ちで、見舞いに来た三人の顔を見てセイラは顔をくしゃっと歪ませた。
「お兄ちゃん。私、もういじけたりしないから。今まで八つ当たりばっかしてごめんね、お兄ちゃん」
 たった一言二言、それだけの言葉だったが、タケノリにとってはとても意味のあるものだったらしく、何とも言えない表情を浮かべながら互いに泣きつくように抱きしめ合っていたのを、ユースケは今でも覚えている。そして、それが契機であったかのようにセイラの体調は快復していき、入院生活もしばらくおさらばできるとなった頃に、入れ替わるようにしてユリが倒れて入院することになった。
 それまでもユリは体調を崩して部屋に寝たきりになることは何度かあったのだが、病院のお世話になったのはそのときが初めてだった。見舞いにはタケノリもついてきた。セイラはまだ外に連れ出すのは不安だったらしく、一緒に行きたいとごねていたのを何とか言い聞かせて置いてきたとのことだった。
 病室にいるユリは顔色が優れず辛そうにはしていたが、決して暗い顔や弱気な姿勢を見せることなく、普段と変わらぬ態度でユースケたちを迎えた。そんなユリの様子を見て、ユースケは初めてユリの強さと、ユリにつき纏う現実を実感した。手の平をここまで強く握りしめるのかと思うほど握りしめられることを知ったのも、そのときであった。
 見舞いの時間が終わり、帰り道のことであった。
「ユリも、ユースケの妹とはいえ、セイラと味わったような想いをしていると思う」
 タケノリが重苦しく、悲しそうにそう言った。「俺のとはいえってどういうことだよ」と突っ込みたくなったが、タケノリがあまりにも悲壮感を漂わせた表情をしていたので、流石に空気を読み、黙ってその先に何か言うのを待っていた。やがてタケノリは、辛そうに息を吐きながら言った。
「俺、人の心を救いたい。お前がセイラを救ってくれたように、俺らの前でも明るく前向きになろうとしているユリを見て、そう強く思った。ユリやユースケみたいな明るさが、きっと今の世の中に必要なことなんだ」
 そのとき、どういう言葉を返したかはユースケは覚えていなかったが、それでもタケノリは決意を固くし、短くユースケに対して礼を言ったのを最後にそれっきり黙りこくっていたのを覚えている。
 そんな事情のあるセイラであったが、そのセイラの頼みを聞き入れたタケノリは本来カズキとセイイチロウと待ち合わせしてユースケの家に来ることになっていたはずである。
「おいおい、他二人はどうするんだよ。友人二人よりも妹の願いを優先させやがって」
「シスコンのユースケには言われたくねえな……置き手紙残してきたから大丈夫。道のど真ん中にだけど」
 タケノリは靴を揃えてするすると入っていく。躊躇いなくユースケの部屋に入り、相変わらず物で散らかっている床の空いているスペースにどさっとリュックサックを降ろした。鈍い音が、その荷物の多さを物語っていた。
「おいおい、明日出発なのに準備できてねえのかよ」
「タケノリが来るのが早いんだって」
「この時点で出来てないってのがまずダメなんだよ。客人の前で用意するつもりだったのかよ」
 タケノリが脱ぎっぱなしにされているパンツを指先でつまみ上げ、ぽいっとベッドの方へ放る。そして空いたスペースに腰を落ち着けさせ、ゆっくりと部屋を見渡す。タケノリが部屋にいるからか、ユースケは唐突に猫がどうなったかが気になりだした。
「なあ、皆揃ったら商店街のあのおじさんとこの猫がどうなったか見に行かねえか」
 興奮したように提案するユースケとは対照的に、タケノリは「おっ」と机の上に乗っているラジオを見つけてはマイペースにそれを手に取って弄っていた。タケノリはラジオを上に持ち上げて見上げながら、「あー……確かに」と賛成したのかどうかよくわからない返答をした。久し振りのラジオにすっかり興味を惹かれた様子のタケノリに話を聞かせるのを諦めたユースケは、タケノリを放って黙々と準備を進めた。廊下に出て、物置部屋と化しているところから大きめの鞄を取り出し、それを部屋へ持って帰ると、次に着替えを無造作に床に散らばっているところから適当に摘まみ上げて鞄に入れていく。次に何が必要かと考え、うーんと唸らせ、「着替え以外に何が必要だっけ」とタケノリに訊いてみるが、タケノリも「んー、飯」と適当に生返事をしながら、ラジオを弄ってどこかの放送を流していた。その放送でも、惑星ラスタージアの話題が出てきて、いよいよ明日の夜から見られることについて声の高い女性アナウンサーが熱く語っていた。
 キャンプする際に必要な最低限の道具は明日登る山の山頂に置いてあったりユズハが持っているため、ユースケは何でもいいかという気になって、寝袋とタオルだけを鞄に詰め込むとベッドの上に寝転んだ。タケノリは床に胡坐をかいて、ラジオを睨みつけてそこから流れる音声に集中していた。今は惑星ラスタージアの発見の歴史について語っていた。
「ユースケ、準備終わったのか?」
「終わったよー」
「食器とか、箸とかは入れたか?」
「……皿はユズハが用意してくれるだろ」
 ユースケは身体を起こして、再び部屋を出てリビングへと向かう。誰もいない台所から自分用の箸を持って、部屋へ戻り、乱暴に鞄に放った。再びベッドの上に、本格的に寝る体勢になって寝転んだ。タケノリは依然としてラジオを睨んでいる。ユースケはいつまで気になってるんだよと突っ込みたくなるのを何とか引っ込めた。
「なあ、このラジオを持ってくの、中々良いんじゃないか? 夜空の下で惑星ラスタージアについての話を聞きながら実際に眺めるっての」
「……タケノリ、センス良いじゃん」
「だろ?」
 タケノリは上機嫌に鼻歌を歌いながら、そのままラジオを持ってタケノリが持ってきたリュックに入れた。ラジオの音声がなくなると途端に部屋はしんと静かになり、時計の音が際立った。ユースケは思いついたように、灯りの存在を思い出し、携帯用のランプを自分の押し入れから引っ張り出そうとする。
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