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第一部 2章 指差して 

第10話

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「あんた、のほほんと暮らしてる自分に何かできることがないか、みたいなこと言ってたけど。だったら、こんなところにいる暇なんてないんじゃないの」
「……どういうこと?」
 コトネの問いかけの意味が把握できず、ユースケは教科書をぱたりと置いて首を傾げた。そんなユースケの様子にコトネは苛立ったように目を吊り上がらせるが、すぐに目を泳がせながらも自身を落ち着かせるように深く息を吐いた。
「こんな人も少ない、辺鄙な所の人たち手伝ったって、あんたの言っていたことは果たせないってこと」
「そうなのか? ここだって十分、戦争の影響受けてて大変そうじゃないか。実際、爺さんや婆さんたちには歓迎されまくってるぞ」
「……そんなんじゃ、ここにいる人たちにしか力を貸せないでしょ」
 コトネは呆れたように吐き捨てる。今まで見てきた感じ、学校にも通えていないはずなのに、何だかコトネは自分よりもよっぽど賢そうにユースケには思えた。
「あたしだって、もうずっとここに住んできて、たまに届く新聞や組合からの注文票とかでしか外の世界に触れないけど……それでも分かるわよ。あたしたち以上に貧しい生活を強いられ、何も育たない、それこそ、最先端の技術やロストテクノロジーの遺産を駆使してもどうにもならない土地で暮らしている人が大勢いるって」
 コトネは話していくうちに二重の瞳を伏せて声も落としていった。ユースケは、自身が不謹慎であると自覚しながらも、もっとコトネの話を聞きたいと思った。そう思ってじっとコトネのことを見つめていると、そんな念が伝わったのか、コトネの口を開かせた。
「あんた、あたしの弟に似てるよ。すっごい世間知らずで、バカっぽくて、それでいて身体が弱かったのがあんたと違うところだけど、それでも爺さん婆さんのこと手伝ってばっかで、そのせいで身体悪くしても笑顔でさ。将来は学者になるんだって本気で言ってて。見ていて、すごく苛々した」
 コトネの、懐かしむでもない、ただ恨みつらみを吐き出すような喋り方に、ユースケはその弟はもうこの世にはいないのだと悟った。ふとユリのことを頭が過ぎった。
「あんたも、そんなバカなことは考えずに、静かに暮らしてな。普通に不自由なく暮らせてるんでしょ? なら、そこでぬくぬく過ごしてなって」
 コトネは一方的にそこまで話すと、それで話はお終いとでも言いたげにノートに視線を落とした。その意志は固いようで、先ほどのように集中が途切れるような素振りはなく、すらすらとペンを走らせていた。しかし、そのペンの動きにユースケはふつふつと何かが腹のうちで沸き立つのを感じていた。
「あんたの弟は、絶対後悔していない」
 ユースケの言葉に、コトネの形の良い眉毛が分かりやすくピクリと反応した。ペンを持っている手の動きも止まる。
「コトネさんが言ってくれたように俺も多分その弟さんと同じだから、分かるんだ。先を暗く思いながら生きるよりも、明るく生きていた方が良いって。自分の望むように生きられれば、それだけで暗い未来なんて関係なくなるって。そして、そんな風に周りにも生きて欲しいから、何かできることをしたいって思う気持ちも、全部、心から望んだことなんだ。だから、弟さんが最後までその望み通りに生きられたのなら、きっと後悔なんてしなかったと思う」
 喋っている途中で、この後怒られるだろうなとユースケは覚悟した。しかし、最後まで話し終えても、コトネは何も言い出すことはなく、ペンをトントンと叩いていた。やがてその手から力が抜けペンをころろりと落ち、コトネはそのまま静かに顔を伏せた。不気味なほど静かで、冷たい温度が伝わってきて、怒っているのではないことだけは判ったが、ユースケはコトネの様子を窺うのが怖く、視線を教科書の上に逃がしていた。
 やがてコトネがわずかに顔を上げる気配があったが、ユースケはその顔を盗み見ることも出来ず視線を落としたままにさせた。冷たい空気が伝わってきて、思わず腕を擦る。
「後悔、してるわよ」
 コトネがぽつりと、先ほどまでと打って変わって弱々しく、寂しげに呟いた。その先を訊いても良いのかと躊躇うほど小さな呟きだったが、頭頂部に何となくコトネの視線が突き刺さっているような気がして辛抱して居座り続けた。
「だって、最後まで反対しちゃってたもん、あたし。あの子の学者になる夢も、爺さん婆さん手伝うのも、いい加減止めなって、何度も何度も言い続けた。とにかくあたしは、身体の弱い、先の短くないあの子と一緒に静かに暮らせればそれで良かったから。それでも、あの子は最期まで……なのに、あたし……」
 その先は言葉にならず、コトネはそこで顔を覆い、静かにすすり泣いた。ユースケは顔を上げ、そのコトネの様子を確認して、どうすればいいのか分からず、途方に暮れた気持ちでコトネのすすり泣く様子をじっと眺めていた。外から虫たちが慰めるように鳴いた。コトネは泣き止まず、そのまま虫の音と共鳴し合うように泣き続けた。そのままコトネが泣きつかれてテーブルに突っ伏すまで、ユースケは立ち上がることも出来ずにただただコトネを見守ることしか出来なかった。

 二週間も過ぎれば辺りが暗くなっても何となくコトネに起こされる前に目が覚めるようになったユースケだったが、念のために部屋を出ずに待っていると、いつものようにコトネが部屋の外でフライパンをおたまで叩くけたたましい音が鳴り響いてきた。しかし、明らかに昨日までよりもその音に勢いはなく、それまでユースケが部屋を飛び出てくるまでフライパンを叩き続けていたのにしばらくするとその音は尻切れトンボとなってあっという間に小さくなった。
 ユースケがコトネの家に居候してからというもの、会話らしい会話はなかったはずだったが、朝食の際も、街の人たちを手伝って帰って来てからの時間も何故だかいつも以上に寂しく感じられ、外の虫の声がいやにはっきり聞こえてきた。食事や勉強などで居合わせる際にユースケがちらりと様子を窺うも、コトネは至っていつもと変わらない表情をしていたが、心なしかぼんやりしている時間が多く、食器を洗う手もペンを動かす手も止まっていることが多かった。そうして止まっているときは決まって、口をうっすらと開け何かを思い出して哀しそうに長い睫毛まつげが揺れた。
「あーそれは弟さんを思い出しているんじゃろうなあ」
 二週間の手伝いですっかり輪に溶け込んだユースケがコトネの様子について話してみると、一人の爺さんがそう言って、あっという間に他の老人たちの間からも「そうねえ」といって同情するような雰囲気が広がった。
「大学校行きたかったっていう?」
「そうそう。それで大学校に行って偉くなったら、わしらの生活をうんと良くすると言ってくれていたなあ」
 コトネから先日弟の話は聞かされて知っているくせに白々しいユースケにも、爺さんは懐かしむように語ってくれた。その空気も伝播でんぱ伝播していき、老人たちはすっかり昔を懐かしむ流れになっていた。その話に混じれそうにないユースケは、何とか自分の存在を思い出してもらおうと話を続ける。
「大学校行けば爺ちゃんたちどうにかできるのか?」
「そりゃそうじゃろ。それこそ、他の国の人をもどうにかしようとしてくれている人たちだっているじゃろうに」
「へえー……それはすげえなあ」
 話しかけた初めはコトネのことで相談しようとしていたユースケだったが、いつの間にか関心はその大学校の方へと向いていた。
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