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人狼
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半獣の漢三と行為をした次の日から、漢三は狼の姿でいる事が多くなった。…というか、ここ数ヶ月、人型の漢三を見た覚えがない。
「漢三、今日の晩飯何にする?」
「ん…お前の好きなものでいいよ」
「昨日もそう言っとったやん」
「お前が好きなものが食べたいんだよ」
「…たまには漢三の飯食べたいんやけどなあ」
「…ごめん。今日も作れないんだ」
漢三は項垂れてしまった。
「あ…ご、ごめん。そ、そうやなぁ…炊き込みご飯はどうや?」
「美味しそうだな」
「ん、じゃあ決まりな」
待っとってな、と一言告げて篠崎は台所へ向かう。追いかけたかったが、体が重くて動きたくない。もぞもぞと座り直して布団に体重を預けた。
「…ん…かんぞ…」
「…?」
「漢三!」
うっすらと目を開けると篠崎が心配そうな顔で覗き込んでいた。
「大丈夫かや…?」
「あ…うん、ごめん。何?」
「ご飯出来たよ、って呼びにきてん」
「そうか、ありがとな」
首をブルルと回して毛並みを整える。立ち上がり、ベッドから降りようとすると篠崎に抱き抱えられて降ろされる。
「?」
「なんか…しんどそうやったから」
「ありがとう」
スリスリと篠崎の手のひらに頭を擦り付けた。
階段を降りて食卓へ向かう。篠崎は毎日自炊するわけではないし、惣菜物を買ってきて、それを食卓に並べることも多い。しかし今日は全部手作りなのだそうだ。嬉しくてつい尻尾が揺れてしまう。
「漢三、本当にそこでええんか?」
篠崎は床に座った漢三に聞いてみた。小さな台があるとはいえ、床に置いたご飯と味噌汁。どちらも食べやすいように平たい皿に盛られている。今まで目の前に座って食べていた漢三が、床で食べているのが寂しい。もう数ヶ月になるので今更駄々をこねても仕方ないとは思うが、やっぱり気になる。
「毎日ここで食べてるだろうが。机汚すよりはいいだろ」
「でも…」
「いいから。ほら、食べよう。腹が減った」
「…うん…」
いただきます、と二人で唱えて食事を始めた。
「篠崎、お前料理上手くなったな」
「ほんと?」
ぱっと明るい顔になった篠崎が漢三を見た。
「ああ。美味しい」
ぺろりと口を舐めて狼が笑う。それを見て、ギュ、と胸が苦しくなった。
漢三はなんで狼の姿でいるんだろう。聞いても、「楽だから」とか、「居心地がいいから」だとかってはぐらかされてばかりだ。でも篠崎だって、そんなに馬鹿ではない。狼の姿でいるのではなく、狼の姿でしか居られないんじゃないか、なんて事はとっくに気付いていた。
しかしだからといって、どうして狼の姿でしか居られないのかが分からなくて。それを聞こうにも、漢三は答えてくれなくて。一人で抱え込まれている事に、自分の無力さを感じていたりもした。
ごちそうさま、と漢三が皿を咥える。洗い場まで持っていって、立ち上がって洗い台に置いてくれた。
「ありがとぉ、洗っとくから先寝とりな」
「ん、ありがとな」
階段へ向かう途中、擦り寄ってくれた漢三をワシワシと撫でてやる。しばらくすると満足したらしく、漢三は尻尾を揺らして寝室へと向かった。
篠崎も食べ終わった皿を片付けて寝る支度をする。
歯を磨き、銭湯に行くか悩んで、やめた。漢三が行けないのに一人で行くのもなんだかなあ、と思ったのだ。簡単にシャワーを浴びて済ませ、寝室へと向かう。
ガチャリと戸を開けると、ベッドの側で床に漢三が丸まっていた。
「あれ、漢三?」
「…ぁ、篠崎」
「どしたん、ベッド乗ったらええのに」
「すまん、乗せてくれ」
驚いて絶句してしまった。自分でベッドに乗る元気も無いのだろうか。抱え上げてベッドに乗せてやる。すると漢三はくるくる、とその場で回って布団を整え、ぼふりと座り込んだ。
「ありがとう」
「…うん」
篠崎もベッドに上がる。と、ドロンと狐に戻った。
「漢三、入れて」
「ん…?」
ぐいぐいと漢三の体に潜り込み、包まれるようにして収まる。
「はー…安心するわぁ」
「はは、くすぐったいな」
「ふふ、ほらほら」
耳先をふるふると漢三の口元で揺らしてやる。
「あはは!やめろやめろ」
「んふふ」
漢三が笑うたび、ピアスが揺れる音がした。
「あ、つけててくれてんねや」
「ん…?ずっとつけてたけど、気づかなかったか?」
「毛に埋もれとって分からんかったな」
「悪かったな、毛むくじゃらで」
「…うん」
「そこは別にいいとかって言ってくれよ」
意を決して聞いてみる事にした。
「…なぁ漢三」
「ん」
「狼、そんなに楽か?」
「…ああ、そうだな」
「ウチも…狐でおろうかや」
「好きにしたらいいんじゃないか?」
「…」
「俺はどのお前も好きだぞ」
スルリと鼻先で撫でられる。
「漢三…」
「なんだ?」
「もう…人にはなれんのかや?」
声が震えてしまった。
漢三からの返事はない。
「…もうずっと抱きしめて貰うてない。ご飯も同じ席で食べとらへん…。もう…抱いてもらうことは叶わんのかや…?」
「……お前の事を抱いてやれない俺は要らないか?」
「違う!」
「…ごめんな、抱いてやれなくて」
「ちが…っ」
「ごめんな」
ごめんな、と謝り続ける漢三が震えているのに気付いてしまった。もしかしなくても、一番辛いのは漢三なのだ。
「ごめん、漢三…そんなつもりじゃ…」
「ごめんな、篠崎…」
「違う、悪いんはウチや、自分ばっか押しつけて」
「いや」
漢三が腕を上げて篠崎を抱え込んだ。
「悪い。これで許してくれ」
ぎゅ、と覆い被さって懇願されてしまった。
「…っ」
グッと噛み締めた狐の牙から嗚咽が漏れる。どうしようもなく虚しくて、寂しい。こんなに近くにいるのに、愛してくれているのに、どうにも触れられない。触らせてくれない。
自分で引いた一線が邪魔をして、漢三を。篠崎を、独りにさせてしまっていた。
「ごめんな、篠崎。ちゃんと好きだからな」
「…ッ」
違うのに。そうじゃない。そうじゃないのに。
「…篠崎、愛してるよ」
「…分かった」
グズ、と鼻を啜って返事をした。
漢三はホッとしたように息を吸って吐いて、よかった、とだけ呟いた。
安心したらしい漢三が寝たのを見て、篠崎も寝る事にした。
(愛してる…初めて言われた気がするなぁ…)
その一言が耳から離れないまま、眠りについた。
酷く疲れたらしい。ぐっすりと、夢も見ないほど睡眠に溺れた。
…そして明るい日が差し込む。鳥が鳴き、澄んだ空気が辺りを包む。
ーー目が覚めると、朝食漢三は、話せなくなっていた。
篠崎、と呼んだはずが、ばうと鳴き声が出る。二、三度鳴いて、ああ、とうとうここまできたかと肩を落とす。
クゥン…と悲しそうな声を上げて寄り添う狼に、篠崎は何も言えなかった。ぎゅ、と狼の首を抱きしめる。ふかふかの毛に顔を埋めて静かに泣いた。
ある日。
漢三は歩くたびにそこら中に頭をぶつける。ぶつけては、キャンと鳴き、尻尾が項垂れた。
「漢三、大丈夫かや?」
その声に耳が反応して、顔がこちらを向く。しかし焦点は合わずふらふらと篠崎を探す。
しばらくして、しょぼくれた顔をして、伏せてしまった。そっと頭を撫でてやり、鼻筋と、体を触ってやる。ぱたぱたと尻尾が振られた。
ある日。
漢三が食事を戻してしまった。苦しそうにえづいて、喉に詰まったらしい固形物を吐き出す。
「苦しいな、漢三」
隣にしゃがんで背中をさすってやる。一通り吐き出した漢三はぐったりとしてしまった。
次の日、篠崎は明臣の店に来た。老犬用ご飯のレシピ本を買う篠崎に明臣が声をかける。
「宗旦…犬でも飼ったの…?」
「あ……」
「なんかの依頼?」
「ん…まあ、そうやね」
「じゃあその犬がいなくなるまで僕は遊びに行けないや…」
寂しそうに商品を渡す明臣はうさぎの妖だ。捕食者である犬は怖くて仕方がない。明臣は漢三が狼である事を知らない。妖力の弱い明臣は、正体を知っている篠崎をのぞいて、他の妖仲間がなんの妖であるかまでは分からないのだった。
「ん…ごめんな」
「ううん、またね」
後日。
柔らかいご飯に食事を変えたら漢三はよく食べるようになった。撫でながら食べるところを見守ってやると嬉しそうに尻尾を振ってくれる。よかった、と安堵した。
またある日。
名前を呼んでも漢三が反応しなくなった。呼吸はしているから、どうしたのかと体に触れた次の瞬間。驚かせたようで、大きな声で鳴きながら手に思い切り噛みつかれてしまった。
「イ゛ッッッタ!!」
尚も漢三はグルルと唸り声をあげて首をブンブンと振る。
「漢三!ウチや!漢三!!」
つぅ、と篠崎の手から血が滴った。その血が舌に触れると同時に漢三はハッと気づいた顔をして口を離し、ととと…と後退りして壁にぶつかり、そこで縮こまって丸くなってしまった。
「…ッテェ…」
グ、と腕を押さえつけて、妖力を傷口に集め修復していく。吹き出した脂汗を拭いて漢三の方を見やると、狼は震えていた。
「漢三…」
床をドンドン、と叩いて揺らしてからそっと背中に触れる。今度はすんなり受け入れてくれて、されるがままに撫でさせてくれた。ぎゅ、と抱きしめてやると、少しゴワゴワになった毛が頬をちくりと刺した。
日を追うごとに、漢三は痩せていく。たくさん食べて欲しくて工夫しても、途中で食べるのをやめてしまう。見かねて手で口元まで持っていってやると、ぺろぺろと舌でそれを舐めて食べてくれた。
それからは、手で掬って食べさせてやるようになった。
ある日。
漢三が粗相をしてしまった。今までは必ず、二人で決めた場所にしていたのに、そこがわからなくなってしまったらしい。ついに鼻も効かなくなったのだろうか。
叱ることもできず、一人悩みながら片付けた。
ある夜。
篠崎宗旦はベッドの上で隣に寄り添う狼に腕枕をして、背中を撫でてやりながらひとりごちた。
「ウチがこんなもんあげたからかの…」
狼の耳についた小さなピアスをそっと弄ぶ。
狼は規則的な息を吐くだけでなにも反応を示さない。
「これ外したら良くなったりせんかや…」
小さな望みをかけてピアスを外そうとした。
「グルル…」
歯を剥き出して唸られてしまった。
「…ごめん」
フス、と息を吐いた狼は篠崎の身体にぴっとりと寄り添う。
「…漢三…あんなぁ。もっとちゃんとした時にあの言葉聞きたかったんやで…?」
優しく狼を撫でてやる。
「なんでもっと早う言うてくれんかってん」
「ああいや…言わんでよかったわ」
行為中に言われていたら、それにどう答えればいいのか分からなかっただろう。…神格化したら独りになるのに、今更心を開いたとしても遅い。というか、開かないつもりでいるのだから、応えないつもりのくせに。
こじあけられそうになっているな、と思いつつ、またその気持ちに蓋をした。
「おやすみ漢三。いい夢みてな」
ちゅ、と額にキスを落として灯を消した。
「漢三、今日の晩飯何にする?」
「ん…お前の好きなものでいいよ」
「昨日もそう言っとったやん」
「お前が好きなものが食べたいんだよ」
「…たまには漢三の飯食べたいんやけどなあ」
「…ごめん。今日も作れないんだ」
漢三は項垂れてしまった。
「あ…ご、ごめん。そ、そうやなぁ…炊き込みご飯はどうや?」
「美味しそうだな」
「ん、じゃあ決まりな」
待っとってな、と一言告げて篠崎は台所へ向かう。追いかけたかったが、体が重くて動きたくない。もぞもぞと座り直して布団に体重を預けた。
「…ん…かんぞ…」
「…?」
「漢三!」
うっすらと目を開けると篠崎が心配そうな顔で覗き込んでいた。
「大丈夫かや…?」
「あ…うん、ごめん。何?」
「ご飯出来たよ、って呼びにきてん」
「そうか、ありがとな」
首をブルルと回して毛並みを整える。立ち上がり、ベッドから降りようとすると篠崎に抱き抱えられて降ろされる。
「?」
「なんか…しんどそうやったから」
「ありがとう」
スリスリと篠崎の手のひらに頭を擦り付けた。
階段を降りて食卓へ向かう。篠崎は毎日自炊するわけではないし、惣菜物を買ってきて、それを食卓に並べることも多い。しかし今日は全部手作りなのだそうだ。嬉しくてつい尻尾が揺れてしまう。
「漢三、本当にそこでええんか?」
篠崎は床に座った漢三に聞いてみた。小さな台があるとはいえ、床に置いたご飯と味噌汁。どちらも食べやすいように平たい皿に盛られている。今まで目の前に座って食べていた漢三が、床で食べているのが寂しい。もう数ヶ月になるので今更駄々をこねても仕方ないとは思うが、やっぱり気になる。
「毎日ここで食べてるだろうが。机汚すよりはいいだろ」
「でも…」
「いいから。ほら、食べよう。腹が減った」
「…うん…」
いただきます、と二人で唱えて食事を始めた。
「篠崎、お前料理上手くなったな」
「ほんと?」
ぱっと明るい顔になった篠崎が漢三を見た。
「ああ。美味しい」
ぺろりと口を舐めて狼が笑う。それを見て、ギュ、と胸が苦しくなった。
漢三はなんで狼の姿でいるんだろう。聞いても、「楽だから」とか、「居心地がいいから」だとかってはぐらかされてばかりだ。でも篠崎だって、そんなに馬鹿ではない。狼の姿でいるのではなく、狼の姿でしか居られないんじゃないか、なんて事はとっくに気付いていた。
しかしだからといって、どうして狼の姿でしか居られないのかが分からなくて。それを聞こうにも、漢三は答えてくれなくて。一人で抱え込まれている事に、自分の無力さを感じていたりもした。
ごちそうさま、と漢三が皿を咥える。洗い場まで持っていって、立ち上がって洗い台に置いてくれた。
「ありがとぉ、洗っとくから先寝とりな」
「ん、ありがとな」
階段へ向かう途中、擦り寄ってくれた漢三をワシワシと撫でてやる。しばらくすると満足したらしく、漢三は尻尾を揺らして寝室へと向かった。
篠崎も食べ終わった皿を片付けて寝る支度をする。
歯を磨き、銭湯に行くか悩んで、やめた。漢三が行けないのに一人で行くのもなんだかなあ、と思ったのだ。簡単にシャワーを浴びて済ませ、寝室へと向かう。
ガチャリと戸を開けると、ベッドの側で床に漢三が丸まっていた。
「あれ、漢三?」
「…ぁ、篠崎」
「どしたん、ベッド乗ったらええのに」
「すまん、乗せてくれ」
驚いて絶句してしまった。自分でベッドに乗る元気も無いのだろうか。抱え上げてベッドに乗せてやる。すると漢三はくるくる、とその場で回って布団を整え、ぼふりと座り込んだ。
「ありがとう」
「…うん」
篠崎もベッドに上がる。と、ドロンと狐に戻った。
「漢三、入れて」
「ん…?」
ぐいぐいと漢三の体に潜り込み、包まれるようにして収まる。
「はー…安心するわぁ」
「はは、くすぐったいな」
「ふふ、ほらほら」
耳先をふるふると漢三の口元で揺らしてやる。
「あはは!やめろやめろ」
「んふふ」
漢三が笑うたび、ピアスが揺れる音がした。
「あ、つけててくれてんねや」
「ん…?ずっとつけてたけど、気づかなかったか?」
「毛に埋もれとって分からんかったな」
「悪かったな、毛むくじゃらで」
「…うん」
「そこは別にいいとかって言ってくれよ」
意を決して聞いてみる事にした。
「…なぁ漢三」
「ん」
「狼、そんなに楽か?」
「…ああ、そうだな」
「ウチも…狐でおろうかや」
「好きにしたらいいんじゃないか?」
「…」
「俺はどのお前も好きだぞ」
スルリと鼻先で撫でられる。
「漢三…」
「なんだ?」
「もう…人にはなれんのかや?」
声が震えてしまった。
漢三からの返事はない。
「…もうずっと抱きしめて貰うてない。ご飯も同じ席で食べとらへん…。もう…抱いてもらうことは叶わんのかや…?」
「……お前の事を抱いてやれない俺は要らないか?」
「違う!」
「…ごめんな、抱いてやれなくて」
「ちが…っ」
「ごめんな」
ごめんな、と謝り続ける漢三が震えているのに気付いてしまった。もしかしなくても、一番辛いのは漢三なのだ。
「ごめん、漢三…そんなつもりじゃ…」
「ごめんな、篠崎…」
「違う、悪いんはウチや、自分ばっか押しつけて」
「いや」
漢三が腕を上げて篠崎を抱え込んだ。
「悪い。これで許してくれ」
ぎゅ、と覆い被さって懇願されてしまった。
「…っ」
グッと噛み締めた狐の牙から嗚咽が漏れる。どうしようもなく虚しくて、寂しい。こんなに近くにいるのに、愛してくれているのに、どうにも触れられない。触らせてくれない。
自分で引いた一線が邪魔をして、漢三を。篠崎を、独りにさせてしまっていた。
「ごめんな、篠崎。ちゃんと好きだからな」
「…ッ」
違うのに。そうじゃない。そうじゃないのに。
「…篠崎、愛してるよ」
「…分かった」
グズ、と鼻を啜って返事をした。
漢三はホッとしたように息を吸って吐いて、よかった、とだけ呟いた。
安心したらしい漢三が寝たのを見て、篠崎も寝る事にした。
(愛してる…初めて言われた気がするなぁ…)
その一言が耳から離れないまま、眠りについた。
酷く疲れたらしい。ぐっすりと、夢も見ないほど睡眠に溺れた。
…そして明るい日が差し込む。鳥が鳴き、澄んだ空気が辺りを包む。
ーー目が覚めると、朝食漢三は、話せなくなっていた。
篠崎、と呼んだはずが、ばうと鳴き声が出る。二、三度鳴いて、ああ、とうとうここまできたかと肩を落とす。
クゥン…と悲しそうな声を上げて寄り添う狼に、篠崎は何も言えなかった。ぎゅ、と狼の首を抱きしめる。ふかふかの毛に顔を埋めて静かに泣いた。
ある日。
漢三は歩くたびにそこら中に頭をぶつける。ぶつけては、キャンと鳴き、尻尾が項垂れた。
「漢三、大丈夫かや?」
その声に耳が反応して、顔がこちらを向く。しかし焦点は合わずふらふらと篠崎を探す。
しばらくして、しょぼくれた顔をして、伏せてしまった。そっと頭を撫でてやり、鼻筋と、体を触ってやる。ぱたぱたと尻尾が振られた。
ある日。
漢三が食事を戻してしまった。苦しそうにえづいて、喉に詰まったらしい固形物を吐き出す。
「苦しいな、漢三」
隣にしゃがんで背中をさすってやる。一通り吐き出した漢三はぐったりとしてしまった。
次の日、篠崎は明臣の店に来た。老犬用ご飯のレシピ本を買う篠崎に明臣が声をかける。
「宗旦…犬でも飼ったの…?」
「あ……」
「なんかの依頼?」
「ん…まあ、そうやね」
「じゃあその犬がいなくなるまで僕は遊びに行けないや…」
寂しそうに商品を渡す明臣はうさぎの妖だ。捕食者である犬は怖くて仕方がない。明臣は漢三が狼である事を知らない。妖力の弱い明臣は、正体を知っている篠崎をのぞいて、他の妖仲間がなんの妖であるかまでは分からないのだった。
「ん…ごめんな」
「ううん、またね」
後日。
柔らかいご飯に食事を変えたら漢三はよく食べるようになった。撫でながら食べるところを見守ってやると嬉しそうに尻尾を振ってくれる。よかった、と安堵した。
またある日。
名前を呼んでも漢三が反応しなくなった。呼吸はしているから、どうしたのかと体に触れた次の瞬間。驚かせたようで、大きな声で鳴きながら手に思い切り噛みつかれてしまった。
「イ゛ッッッタ!!」
尚も漢三はグルルと唸り声をあげて首をブンブンと振る。
「漢三!ウチや!漢三!!」
つぅ、と篠崎の手から血が滴った。その血が舌に触れると同時に漢三はハッと気づいた顔をして口を離し、ととと…と後退りして壁にぶつかり、そこで縮こまって丸くなってしまった。
「…ッテェ…」
グ、と腕を押さえつけて、妖力を傷口に集め修復していく。吹き出した脂汗を拭いて漢三の方を見やると、狼は震えていた。
「漢三…」
床をドンドン、と叩いて揺らしてからそっと背中に触れる。今度はすんなり受け入れてくれて、されるがままに撫でさせてくれた。ぎゅ、と抱きしめてやると、少しゴワゴワになった毛が頬をちくりと刺した。
日を追うごとに、漢三は痩せていく。たくさん食べて欲しくて工夫しても、途中で食べるのをやめてしまう。見かねて手で口元まで持っていってやると、ぺろぺろと舌でそれを舐めて食べてくれた。
それからは、手で掬って食べさせてやるようになった。
ある日。
漢三が粗相をしてしまった。今までは必ず、二人で決めた場所にしていたのに、そこがわからなくなってしまったらしい。ついに鼻も効かなくなったのだろうか。
叱ることもできず、一人悩みながら片付けた。
ある夜。
篠崎宗旦はベッドの上で隣に寄り添う狼に腕枕をして、背中を撫でてやりながらひとりごちた。
「ウチがこんなもんあげたからかの…」
狼の耳についた小さなピアスをそっと弄ぶ。
狼は規則的な息を吐くだけでなにも反応を示さない。
「これ外したら良くなったりせんかや…」
小さな望みをかけてピアスを外そうとした。
「グルル…」
歯を剥き出して唸られてしまった。
「…ごめん」
フス、と息を吐いた狼は篠崎の身体にぴっとりと寄り添う。
「…漢三…あんなぁ。もっとちゃんとした時にあの言葉聞きたかったんやで…?」
優しく狼を撫でてやる。
「なんでもっと早う言うてくれんかってん」
「ああいや…言わんでよかったわ」
行為中に言われていたら、それにどう答えればいいのか分からなかっただろう。…神格化したら独りになるのに、今更心を開いたとしても遅い。というか、開かないつもりでいるのだから、応えないつもりのくせに。
こじあけられそうになっているな、と思いつつ、またその気持ちに蓋をした。
「おやすみ漢三。いい夢みてな」
ちゅ、と額にキスを落として灯を消した。
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