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3章 疑惑の夜会編
19 伯爵令嬢は疲れ果てる
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その後、やってきたティナに手伝ってもらい続き部屋で身だしなみを正したセリーナは、問題なく夜会に戻れる状態まで整えられていたが、気持ちはとても夜会に戻れるものではなく、再びリードと他愛もない話をして過ごしていた。
そもそも皇太子であるリードは会場に戻るべきだと思うが、先程の事件を気に掛けてくれているのか、セリーナのお喋りに何も言わずに付き合っていた。
「失礼します。コーエンです。」
トントンとノックの音が聞こえ、馴染みのある声が聞こえた。
「入れ。アビントン伯爵領まで行っていたにしては早かったな。」
リードがコーエンの呼び掛けに答え、彼を招き入れた。
アビントン伯爵領…。
アビントン伯爵は爵位こそディベル伯爵家と同じだが、領地に大きな鉱山を有しており、その裕福さは比較にならない。
その領地は確か王都から馬車で5時間ほどだろうか…。
セリーナは疲れたようなコーエンの顔を見ながら、ぼんやりと考えていた。
「えぇ、私にも予定があるのに突然指示されたもので…お陰で往復7時間…馬を休ませる暇もありませんでした。」
馬車で5時間掛かる道のりを、馬で3時間半で…それも休みなく…。
セリーナはコーエンの疲労の原因がわかった。
「それは馬に可哀想な事をしたな。ゆっくり休ませてやるとしよう。」
とんでもないパワハラ発言ではあるが、乳母兄弟の2人にとって、この様な発言は一種のコミュニケーション方法だと、一緒に時間を過ごすうちにセリーナもわかって来たので、あえて口を挟みはしない。
「…。ご指示いただいた資料は既に殿下の執務室にお届けしています。私も休ませていただいても?」
「あぁ、もちろんだ。ご苦労だったな、コーエン。」
ペコリとリードに一礼したコーエンが、すぐにこちらに向き直ったので、セリーナはビクッと大きく反応してしまった。
「…コーエン様、お疲れ様でした。」
「いや、約束していたのにエスコート出来なくて申し訳なかったね。…話は聞いてるよ。怪我はない?」
コーエンがセリーナに歩みよりながら声を掛けた。
何の話をどこまで聞いているのだろうか…。
例え会場に居なかったとしても、コーエンの情報収集力を侮ってはいけない。
おやつにエクレアが食べたかったと一人でボヤけば、翌日にはエクレアを携えて現れるくらいセリーナの情報はいつだって彼に筒抜けなのだ。
「大丈夫です。リード殿下もいらしたし。」
そう答えると、コーエンの眉間に一瞬だけ皺が寄った気がした。
いや、見間違いかもしれない。
「部屋まで送ろう。これを着て。」
コーエンは自分の上着をセリーナの肩にそっと掛けた。
少なくとも、皇太子が聖女に上着を着せて、見つめ合いながら宝物の様に大切そうに運んでいた…という結構な尾ひれの付いた噂話は、聞こうとせずともコーエンの耳に届いている様だ。
「この度はセリーナの為にお手間をお掛けしました。」
コーエンは上着の上からセリーナの肩をグッと自分に引き寄せながら、リードに向かってそう言った。
いくら恋愛に疎いリードであっても、これが明らかな牽制である事はわかり、ピクリと眉を動かした。
「気にする事はない。元はと言えば、最初に聖女を口説く様にと言ったのは俺だからな。」
俺にも責任はあるのだから、それくらいの協力は惜しまない…と言う意味でリードは言っていたが、聞いていたコーエンとセリーナはもちろん違う意味に受け取っていた。
前者は牽制を返されたものだと、苦い笑みを浮かべ、後者は、口説く様に言ったって…え?どう言う意味?と混乱していた。
「では、彼女を休ませたいので失礼します。」
あくまでもセリーナは自分の物だと伝えるように、コーエンがセリーナの肩を押すようにして部屋を後にした。
「またルイーザ嬢が仕組んだ事だと聞いた…。近くに居れず、すまなかった。」
「…」
「本当にどこも怪我はしてないんだよね?」
「…」
「クラリス様が今日のセリーナのドレス姿を見逃したのは一生悔やまれるレベルだと言っていたよ。」
「…」
「エスコート出来なかった事を怒ってるの?」
「…」
部屋を出てから、2人で並んで歩き慣れた道を塔へと向かうが、コーエンが何を話し掛けてもセリーナからの返答はない。
返答が無いどころか、深く考え込んでいる様子でコーエンの話が耳に入っていないようだ。
コーエンは遂に諦めて、ただ静かに彼女の横を歩いた。
しかし、その心には大きな焦りがあった。
城に戻ってきてから、至る所でリードとセリーナの話を耳にした。
「リード殿下がクラリス嬢以外のご令嬢を初めてエスコートされていたぞ。」
「あぁ、聖女様だろう。とてもお似合いだった。」
「それどころか、どこかのご令嬢に絡まれている聖女様を殿下が身を挺して守ったって話じゃないか。」
「あぁ、それはそれは大切そうに抱き抱えておいでだった。」
「何でも濡れてしまった聖女様の肌を他の者に見せてなるものかと、上着まで貸し与えになったらしいぞ。」
半日だ…。
泊まりで行ってもいいと指示されたが、セリーナの事が心配で、自分でも信じられないような強行スケジュールで戻って来たら、たった半日でこんな事に…。
所詮は噂だ。
どこまでが真実かは疑わしい。
そもそもあのリードが大切そうに女性を抱き抱えていたなど、乳母兄弟のコーエンでも想像が出来ないのだ。
でも、2人の距離が近付いていたのは先程、直接自分の目で見ていた。
ノックをする前に部屋の中から聞こえてきた2人の声と、部屋の中に居たセリーナの安心しきった笑顔。
その事実はいつも冷静なコーエンの、その冷静さ鈍らせるだけの威力を持っていた。
そうでなければ、今セリーナが何について考えているかなど、すぐにわかったはずだ。
「…ですか?」
「え?何て?」
セリーナはゆっくりと自分の考えを頭の中でまとめてから声を出したが、あまりにも長い時間考え込んでいたせいか、声が掠れてしまった。
「リード殿下に、私を口説く様に言われたんですか?」
コーエンに尋ねられて、再度口を開くと、自分が思ったよりも冷たい声が出た。
セリーナは部屋を出てから、ずっとリードの言った事を考えていた。
口説く様に言った。
指示したって事…?
そう言えば、アーサフィス侯爵令嬢を始めとするご令嬢方も、口々に言っていたではないか。
「ブルーセン子爵令息もお役目と言えど、こんな田舎者のお世話係など…さぞ大変でしょうね。」
確かにそう言っていた。
私の側に居るのが、彼の与えられた役目なのだと。
そう考えれば、何だか全ての辻褄が合う気さえするのだ。
「なっ…誰がその様な事を言ったんだ?」
コーエンが慌てて声を上げた。
彼にしては珍しく動揺している。
誰が言ったも、何も、目の前でリードがそう言うのを一緒に聞いていたではないか…。
セリーナはその動揺こそが答えだと思った。
「わかりました。エスコートはここまでで結構です。一人で戻れますから。」
コーエンの上着をさっと脱ぎ、彼の方へ差し出す。
「ちょっと誤解があるようだから、落ち着いて話そう。君の部屋でちゃんと説明するよ。」
だから、部屋までは送らせて。とコーエンは上着を受け取らない。
「いえ、言い訳は結構です。今日は疲れたので、もうお引き取り下さい。」
セリーナは一向に上着を受け取る気配のないコーエンの腕に、その上着を無理矢理渡し、その身を翻して塔への道を歩き出した。
「待って!セリーナ、誤解だ。確かにそういう指示を受けた事はあるけど…私が君に近付いたのは、それだけじゃない。」
後ろでコーエンがそう叫んだが、セリーナは足を止めなかった。
何だか、とても疲れた。
そもそも皇太子であるリードは会場に戻るべきだと思うが、先程の事件を気に掛けてくれているのか、セリーナのお喋りに何も言わずに付き合っていた。
「失礼します。コーエンです。」
トントンとノックの音が聞こえ、馴染みのある声が聞こえた。
「入れ。アビントン伯爵領まで行っていたにしては早かったな。」
リードがコーエンの呼び掛けに答え、彼を招き入れた。
アビントン伯爵領…。
アビントン伯爵は爵位こそディベル伯爵家と同じだが、領地に大きな鉱山を有しており、その裕福さは比較にならない。
その領地は確か王都から馬車で5時間ほどだろうか…。
セリーナは疲れたようなコーエンの顔を見ながら、ぼんやりと考えていた。
「えぇ、私にも予定があるのに突然指示されたもので…お陰で往復7時間…馬を休ませる暇もありませんでした。」
馬車で5時間掛かる道のりを、馬で3時間半で…それも休みなく…。
セリーナはコーエンの疲労の原因がわかった。
「それは馬に可哀想な事をしたな。ゆっくり休ませてやるとしよう。」
とんでもないパワハラ発言ではあるが、乳母兄弟の2人にとって、この様な発言は一種のコミュニケーション方法だと、一緒に時間を過ごすうちにセリーナもわかって来たので、あえて口を挟みはしない。
「…。ご指示いただいた資料は既に殿下の執務室にお届けしています。私も休ませていただいても?」
「あぁ、もちろんだ。ご苦労だったな、コーエン。」
ペコリとリードに一礼したコーエンが、すぐにこちらに向き直ったので、セリーナはビクッと大きく反応してしまった。
「…コーエン様、お疲れ様でした。」
「いや、約束していたのにエスコート出来なくて申し訳なかったね。…話は聞いてるよ。怪我はない?」
コーエンがセリーナに歩みよりながら声を掛けた。
何の話をどこまで聞いているのだろうか…。
例え会場に居なかったとしても、コーエンの情報収集力を侮ってはいけない。
おやつにエクレアが食べたかったと一人でボヤけば、翌日にはエクレアを携えて現れるくらいセリーナの情報はいつだって彼に筒抜けなのだ。
「大丈夫です。リード殿下もいらしたし。」
そう答えると、コーエンの眉間に一瞬だけ皺が寄った気がした。
いや、見間違いかもしれない。
「部屋まで送ろう。これを着て。」
コーエンは自分の上着をセリーナの肩にそっと掛けた。
少なくとも、皇太子が聖女に上着を着せて、見つめ合いながら宝物の様に大切そうに運んでいた…という結構な尾ひれの付いた噂話は、聞こうとせずともコーエンの耳に届いている様だ。
「この度はセリーナの為にお手間をお掛けしました。」
コーエンは上着の上からセリーナの肩をグッと自分に引き寄せながら、リードに向かってそう言った。
いくら恋愛に疎いリードであっても、これが明らかな牽制である事はわかり、ピクリと眉を動かした。
「気にする事はない。元はと言えば、最初に聖女を口説く様にと言ったのは俺だからな。」
俺にも責任はあるのだから、それくらいの協力は惜しまない…と言う意味でリードは言っていたが、聞いていたコーエンとセリーナはもちろん違う意味に受け取っていた。
前者は牽制を返されたものだと、苦い笑みを浮かべ、後者は、口説く様に言ったって…え?どう言う意味?と混乱していた。
「では、彼女を休ませたいので失礼します。」
あくまでもセリーナは自分の物だと伝えるように、コーエンがセリーナの肩を押すようにして部屋を後にした。
「またルイーザ嬢が仕組んだ事だと聞いた…。近くに居れず、すまなかった。」
「…」
「本当にどこも怪我はしてないんだよね?」
「…」
「クラリス様が今日のセリーナのドレス姿を見逃したのは一生悔やまれるレベルだと言っていたよ。」
「…」
「エスコート出来なかった事を怒ってるの?」
「…」
部屋を出てから、2人で並んで歩き慣れた道を塔へと向かうが、コーエンが何を話し掛けてもセリーナからの返答はない。
返答が無いどころか、深く考え込んでいる様子でコーエンの話が耳に入っていないようだ。
コーエンは遂に諦めて、ただ静かに彼女の横を歩いた。
しかし、その心には大きな焦りがあった。
城に戻ってきてから、至る所でリードとセリーナの話を耳にした。
「リード殿下がクラリス嬢以外のご令嬢を初めてエスコートされていたぞ。」
「あぁ、聖女様だろう。とてもお似合いだった。」
「それどころか、どこかのご令嬢に絡まれている聖女様を殿下が身を挺して守ったって話じゃないか。」
「あぁ、それはそれは大切そうに抱き抱えておいでだった。」
「何でも濡れてしまった聖女様の肌を他の者に見せてなるものかと、上着まで貸し与えになったらしいぞ。」
半日だ…。
泊まりで行ってもいいと指示されたが、セリーナの事が心配で、自分でも信じられないような強行スケジュールで戻って来たら、たった半日でこんな事に…。
所詮は噂だ。
どこまでが真実かは疑わしい。
そもそもあのリードが大切そうに女性を抱き抱えていたなど、乳母兄弟のコーエンでも想像が出来ないのだ。
でも、2人の距離が近付いていたのは先程、直接自分の目で見ていた。
ノックをする前に部屋の中から聞こえてきた2人の声と、部屋の中に居たセリーナの安心しきった笑顔。
その事実はいつも冷静なコーエンの、その冷静さ鈍らせるだけの威力を持っていた。
そうでなければ、今セリーナが何について考えているかなど、すぐにわかったはずだ。
「…ですか?」
「え?何て?」
セリーナはゆっくりと自分の考えを頭の中でまとめてから声を出したが、あまりにも長い時間考え込んでいたせいか、声が掠れてしまった。
「リード殿下に、私を口説く様に言われたんですか?」
コーエンに尋ねられて、再度口を開くと、自分が思ったよりも冷たい声が出た。
セリーナは部屋を出てから、ずっとリードの言った事を考えていた。
口説く様に言った。
指示したって事…?
そう言えば、アーサフィス侯爵令嬢を始めとするご令嬢方も、口々に言っていたではないか。
「ブルーセン子爵令息もお役目と言えど、こんな田舎者のお世話係など…さぞ大変でしょうね。」
確かにそう言っていた。
私の側に居るのが、彼の与えられた役目なのだと。
そう考えれば、何だか全ての辻褄が合う気さえするのだ。
「なっ…誰がその様な事を言ったんだ?」
コーエンが慌てて声を上げた。
彼にしては珍しく動揺している。
誰が言ったも、何も、目の前でリードがそう言うのを一緒に聞いていたではないか…。
セリーナはその動揺こそが答えだと思った。
「わかりました。エスコートはここまでで結構です。一人で戻れますから。」
コーエンの上着をさっと脱ぎ、彼の方へ差し出す。
「ちょっと誤解があるようだから、落ち着いて話そう。君の部屋でちゃんと説明するよ。」
だから、部屋までは送らせて。とコーエンは上着を受け取らない。
「いえ、言い訳は結構です。今日は疲れたので、もうお引き取り下さい。」
セリーナは一向に上着を受け取る気配のないコーエンの腕に、その上着を無理矢理渡し、その身を翻して塔への道を歩き出した。
「待って!セリーナ、誤解だ。確かにそういう指示を受けた事はあるけど…私が君に近付いたのは、それだけじゃない。」
後ろでコーエンがそう叫んだが、セリーナは足を止めなかった。
何だか、とても疲れた。
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