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しおりを挟む「よし、飯も食ったし出掛けるぞ」
「えっ?」
綺麗に完食した藍は、自分の分の食器を持ち立ち上がった。「出掛けるってどこに?」と唐突な藍の提案に、何も聞いていなかった蒼太は首を傾げた。
「とりあえずカメラ持ってついて来い」
藍に言われた通り、カメラを首にかけた蒼太は藍の後へとついて行く。すると、一つの公園の前で藍は足を止めた。
「ここ、かなりの穴場でさ。ほとんど人来ないから昼間でものびのび出来んだ」
そう言って藍は公園の中をゆっくりとした歩みで進んで行った。冬の公園、周りの木々は全て葉を落としており、枝が寂しげに空を仰いでいる。藍は肌寒い風にふわっとした柔らかな髪をなびかせながら「ここで写真撮ってよ」と蒼太に微笑みかけた。
「ここで?」
蒼太は藍の意図が分からず「どうしてわざわざ公園なんかに?」と問いかける。
「家で撮る時は片手間に撮ってる感じだろ?そうじゃなくて、モデルの仕事の時みたいなシチュエーションでまたお前に撮って欲しいんだ。カメラを意識した状態でもお前相手だとちゃんとした写真が撮れるんだって証明したい。それに外で撮った方がそれっぽいでしょ?」
蒼太はカメラをギュッと握りしめた。藍がわざわざ蒼太を連れ出した理由、それはモデルとしての写真を撮るためだった。もちろんカメラを持ってこいと言われた時点で写真を撮るのだろうと予想はしていた。けれど藍の意図まで汲み取れなかった蒼太は驚きを隠せなかった。
藍は昨日蒼太が言った「俺だけの力では春斗さんの前で見せるような笑顔の藍を撮れない」という言葉を気にかけてくれたのだろう。
そんな藍の優しさに、蒼太は思わずその場にずるするとしゃがみ込んだ。
「は?!どうしたんだよっ?!」
「だって…嬉しくて…。自信をなくしてた俺の事を気にかけてくれたんだろ?」
「別にそういうつもりじゃねぇよ、ただ俺自身が確かめたいだけ。ほら、早く撮れよ」
蒼太に催促した藍は、ポケットに両手を入れた状態でコートの裾をひらひらと動かした。気を取り直した蒼太は「わかったよ」と立ち上がりカメラを構える。
「適当にポーズとるから、お前も何となくで撮ってくれ」
曖昧すぎる藍の指示に苦笑しつつも、蒼太は悴む手でシャッターをきる。蒼太が何枚かシャッターをきると、藍の表情に変化が現れた。藍の口角は緩やかに上がっており、何とも自然な笑顔をこぼしていたのだった。その笑顔は確かに蒼太へ向けられたものであり、一瞬で心を奪われてしまうほどに美しかった。
一通り撮り終わった二人はベンチに腰かけ、撮影した写真を肩を並べて眺めていた。
「やっぱり俺の言った通りだろ、お前相手なら笑った写真だって撮れるんだ」
「…うん」
蒼太は未だに写真に映る藍の姿が信じ難かった。写真が苦手だと自負していた藍が、こんなにも自然な笑顔を見せている。あの時スタジオで撮影した藍とは大きく違った藍の笑顔に、蒼太は唖然とした。
「もしかして…写真克服できたの?」
蒼太の問いかけに、暫く口を噤み黙り込んだ藍は「いや、克服は出来てない」と首を振った。
「つい一週間前にモデルの仕事があったんだ」
「えっそうだったの?」
「ああ。カメラマンも前とは別の人で、かなり腕のあるプロに撮ってもらった。だけど結局は駄目だったんだ、笑顔どころか普通の写真さえ上手く撮れなかった」
藍は落胆したように力なく微笑んだ。
「ここ最近お前にパシャパシャ撮られまくってたからカメラにも慣れたと思ってたんだけどな。結局はまだカメラに向かって演技することに苦手意識を持ってることには変わりなかったよ。お前が撮ってくれないと、俺やっぱり駄目みたい」
小さくはにかんだ藍に、蒼太の胸はまるで悦に浸るかのような高揚感で満ちていく。他の者では撮ることが出来なかった藍の姿、自分だけが最高に魅力的な藍を撮ることが出来るという事実に、蒼太は独占欲にも似た感情を抱いた。
「それだと、本当に俺がお前の専属カメラマンにならないと駄目じゃん」
自分の気持ちを無視するように、蒼太は冗談めいた口調でそう言った。
「そうだよ、もうお前が俺の専属カメラマンになってくれよ」
困り眉で蒼太に笑みを見せた藍、そんな藍の笑顔にきゅん、と蒼太の胸はときめく。藍の口調から蒼太の冗談に冗談で返したのだろうと予想は出来たが、それでも蒼太は嬉しかった。
「俺でよければいくらでも撮ってやるよ」
「マジ?じゃあまずは教師を辞めてもらわないとな」
「うーん、それはちょっとなぁ」
「あはは、嘘だよ。むしろ俺なんかのために絶対辞めんなよ」
───ドクン、ドクン。
「藍…」
「ん?」
「いや、なんでもない」
「はぁ?それやめろよ、気になるから」
藍の鼓動の変化に気がついた蒼太は戸惑いを覚えた。ほんの一瞬だったが藍の鼓動は微かに弾んでおり、蒼太に向けた笑顔が心からの笑顔なのだと示していた。
「なぁ、お前から見て俺は感情があるように見えるか…?」
藍は蒼太の瞳を一心に見つめ、そう尋ねた。藍からの唐突な質問に一瞬戸惑いを覚えた蒼太は「う、うん…?」と反射的に頷く。
「そっかー、俺感情あるのかぁー」
「ど、どうしたの急に?」
長い手足を大胆に伸ばし、大きく伸びをした藍は「ん?」と蒼太の方を一度見ると言葉を続けた。
「なんかお前に言われるまで気づきもしなかったからさ、ずっと俺には感情がないもんだと思ってたのにいつの間にかあったんだな。あー、これも嬉しいっていう感情なんだなぁ」
へらっとした笑顔を浮かべたまま、藍はしみじみと話し始めた。いつもの藍とは違うふわふわとした気の抜けたような声色に、蒼太はなんとも可愛らしいのだろうと密かに思った。
「俺、周りのみんなが大好きなんだ。黒さんに春さん、母さんも兄ちゃんも、俺を応援してくれてる人達みんな大好きで、大切なんだ」
藍の笑顔には、周囲の人々に対する深い愛情がにじみ出ているようだった。周りの人々に支えられ、愛されていることを藍自身も自覚しているようで、蒼太は心から安堵する。あの冷徹な表情しか見せなかった藍が、大好きな人達を思い浮かべながらこんなにも穏やかな笑顔を浮かべている、藍の大きすぎる変化だった。
「お前は本当に周りから愛されてると思うよ、みんな藍の事が大好きだから」
「マジで恵まれてるよな、大好きな人達のおかげで俺は感情を持てたんだもん。アイドルやる前はとにかく藍を演じることに必死で何も見ようとしてなかったんだ、でもアイドルになって沢山の人達から応援されて支えられてさ、なんか…藍を演じるよりも皆を楽しませたいって気持ちが強くなって…いつの間にか優先順位が変わってた」
藍は膝を曲げると自身の膝を抱え顔を埋めた。どうしたものかと思った蒼太が「藍…?」と呼びかける。
「お前が居てくれて良かった」
蒼太の方へ顔を向けた藍は、噛み締めるように言葉を零した。まるで水面のようにきらきらと揺れている藍の茶色がかった瞳から、蒼太は目が離せずにいた。
「モデルの仕事がなかなか上手くいかなくて、お前と再会するまで結構焦ってたんだ。写真集も決まったっていうのにこのままじゃ仕事にならないって、完璧な藍を演じるのに必死すぎて昔みたいにまた周りが見えなくなりそうだった。だけどお前のおかげでモデルの仕事も上手くいって…ほんとありがとな」
藍の素直な言葉に、蒼太はどう受け取ったらいいものか分からなかった。カメラマンを引き受けた理由だって、ただ藍のそばに居たいという気持ちが先走ってとった行動だ。藍本人に感謝されるなんて思ってもいなかった。
「大袈裟だよ、俺は別に大したことをしたわけじゃないし」
「写真だけじゃねぇよ。お前が素の俺を否定せず受け入れてくれたおかげで、最近は素の自分も結構好きなんだ」
「…ほんとに…?」
「ああ」
藍の笑顔は、まるで陽だまりのように温かかった。素の自分をつまらないと卑下していた藍が、素の自分も好きだと口にした。喜ばしい事実に、蒼太の頬は緩みきってしまい自然と口角が上がってしまった。
「何ニヤけてんだよ」
「えっ?俺ニヤけてる?」
「うん、なんかすげー腑抜けた顔してる」
笑顔を崩すことなくそう指摘した藍に「ひでぇ」と蒼太も笑って返した。二人の間には穏やかな空気が流れており、学生時代よりも縮まったように感じる藍との距離感に蒼太は幸福感で包まれるような感覚だった。
藍と再び友人関係に戻ることが出来た。蒼太にとってこの事実はこれ以上ない喜びであり、藍の傍にいられるなら恋人など浮ついた関係は望まない、友人という関係で自分は満足なのだと、蒼太は言い聞かせるのだった。蒼太は自分が藍に対して抱いている性的な感情を一切封印する事にした。友人として相応しい男になるために蒼太はそう誓ったのだった。
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