感情のない君の愛し方

真楊

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「この日空けといて」

 藍から一枚のチラシのような物を手渡された蒼太は「えっ?」と気の抜けた声を出す。蒼太が手渡されたチラシに目を通すと、そこには『水樹藍、三嶋春斗、○○にてライブ開催!』という大きなゴシック体の文字が蒼太の目に入る。

「今週末ライブがあるんだ、お前も来いよ」

「えっ?!いいの!!?」

 ソファから立ち上がった蒼太は勢いよく藍の顔を見た。「でもなんで…?」と突然の藍からの誘いに蒼太は首を傾げる。

「別にお前に来て欲しいから渡した訳じゃないからな。写真、撮らないとだろ」

「あー…」

 何故藍が自分をライブに誘ったのか蒼太は理解した。つまりは写真集の写真を撮るための付き添いのようなものだろう。

「ライブ前とかリハとかさ、普段は見れない俺の姿が撮れるチャンスだろ?それに周りにスタッフさんもいるからあっちでは素の俺じゃないしそれっぽい写真が撮れると思うよ」

「じゃあライブ自体は普通に楽しんでもいいの?」

「別に好きにしろよ、それに楽屋裏の写真とかを撮って欲しいだけだからライブは見なくてもいいぞ」

「えっ、見るよ見る見る!!」

 蒼太は即答する。藍のライブなど見たことがなかった蒼太にとって、これは絶対に目にしておきたいものだった。

「勝手にしろよな、でも浮かれすぎんなよ」

 眠たそうに目を擦った藍は「じゃあ俺寝るわ、起こすなよ」といい部屋を出ていった。
 蒼太は今しがた藍から貰ったチラシを再度眺める。まさかライブに誘われるなんて夢にも思っていなかった。アイドルとして活動している藍の姿をよく知らない蒼太にとって、これは貴重な経験だ。蒼太は今からワクワクと踊るような気持ちだった。
 


「あっ!蒼太君久しぶり!」

「お久しぶりです黒井さん」

 廊下の向こう側から歩いてきた黒井は、蒼太の姿を確認すると笑顔で声をかけてきた。蒼太もぺこりと頭を下げ、黒井に挨拶をする。

「今日は来てくれてありがとう」

「いえいえ、アイドルとしての藍をこの目で見れるなんて貴重ですからね」

 会う度に砕けていく黒井の口調に、親しみやすい人だなぁと蒼太は正直な感想を抱いた。黒井は「楽屋はこっちだよ」と蒼太を案内するために手招きした。
 今日は藍のライブがある。藍からチケットを貰った蒼太も関係者として一足先に会場へ足を運んでおり、今から楽屋へ向かうところだった。

「写真の調子はどう?」

 黒井の問いかけに蒼太は苦笑する。現にまだほとんど撮れていなかったため言葉に迷ってしまう。

「まぁ、これからですよ」

「なんだいそれは」

 蒼太の返答に、黒井は眉を下げて笑った。
 一つの扉の前で足を止めた黒井は「ここだよ」と言い、コンコンとノックをする。扉を開け「おはようございます」と挨拶をした黒井に続き、蒼太も中へと入った。

「うっすー」

「あれ?まだ藍だけ?」

 楽屋には藍しか居ないようだった。藍は「春さんまだ来ないんだけど」と不満そうに黒井に話している。

「まぁ、もう暫くしたら来るでしょ」

「んー、そうだよね」

「あ、そうそう、蒼太くん連れてきたから」

 黒井が蒼太に視線を向けると、自然と藍の視線も蒼太に向く。藍と目が合ったことにドキリと蒼太の心臓は跳ね上がった。一週間以上も一緒に暮らしているんだからいい加減慣れろよな、と蒼太は未だに藍に対して緊張してしまう自分に呆れた。

「おはよう藍。えっと…今日はよろしくね…?」

「なんだよそれ」

 すぐに藍は蒼太からスマホに視線を移した。

「いやー、藍はほんと蒼太くんには塩対応だよね。一緒に暮らしてて藍に酷いことされてない?大丈夫?」

「酷いことってそんないじめっ子みたいなことする訳ねぇじゃん!黒さん絶対面白がってるでしょ!」

 蒼太はカメラを取りだしながら、二人のやり取りを眺めていた。蒼太と居る時よりも幾分かテンションが高い藍、どうやら黒井さん相手でも蒼太といる時のような素の藍は見せていないようだった。マネージャーの前ですら藍を演じている、藍の徹底ぶりに蒼太は感心する。またそれと同時に藍の素を知っているのが自分だけのような気がして、優越感に満たされていくようだった。思わず口角が上がってしまいそうになったが、グッと口元を引き締めた。

「おはようございまーす」

 扉が開く音と同時に、一人の男が楽屋へ入ってきた。背丈はそれほど高くなく、蒼太よりも低いだろう。茶色の髪に優しそうな顔立ち、蒼太は男の顔を見た瞬間、男の正体が分かった。三嶋春斗、彼は藍と共にアイドルとして活躍しており、かなり人気もあるような印象だった。今日は藍と春斗、ユニットとしてのライブだったために春斗も当然だが今日一日行動を共にすることとなるだろう。
 「春さん!」と藍は春斗の元へ駆け寄った。

「来るの遅くない?」

「藍が早すぎるんだよ、俺は至って時間通りでしょ」

 楽屋の奥へ進んでいく春斗に、藍もついていく。蒼太は違和感を覚えた。藍の鼓動の動きが普段よりも幾分か弾んでいるように蒼太には感じたのだ。こんなこと初めてだった、藍の鼓動はいつも一定で、そんな藍の鼓動のリズムを蒼太は覚えてしまうほどだった。それなのに今の藍はどうだろうか、ドクン、ドクン、と脈打つ鼓動の刻む感覚は短い。

「春さんおはよう」

「…おはようございますっ!」

 黒井に続き、慌てて蒼太も春斗へ挨拶する。一瞬だけ蒼太の姿をとらえた春斗は「おはようございます」と口にし、すぐに視線を逸らした。

「あっそういえば二人が顔を合わせるのは初めてだよね?蒼太くん、知ってると思うけどこの人は三嶋春斗さん、藍の相方だよ」

「初めまして三嶋春斗です」

「あっ初めまして、佐々木蒼太です」

 お互いにぺこりと頭を下げる。すると「春さん!」と藍に呼ばれたことにより、春斗は藍の元へ行ってしまう。素っ気ない春斗の態度に、第一印象で嫌われてしまったのではないだろうかという不安が蒼太をよぎる。蒼太が呆然と立っていると「春さんはああいう人だから」と黒井が蒼太の肩を軽く叩いた。

「人見知りで壁が厚いんだ、別に蒼太くんにだけああいう態度じゃないからさ。仲良くなれば打ち解けてくれるよ」

 黒井のフォローに蒼太は少しほっとした。仮にも藍の相方である春斗に嫌われたら後々藍との関係に響きそうなため、春斗とは友好的にいきたいところだった。

「じゃあ俺ちょっと出てくるから、リハまでに体力温存しといてね」

「おっけー」

「黒さんまた後でねー」

 黒井が出ていくと、蒼太はまるで一人取り残されたような感覚にオロオロとする。とりあえず今日は写真を撮るために来たのだから、と思い立った蒼太はカメラを持ち上げソファに座り春斗と楽しそうに話している藍に近づく。

「藍、写真撮ってもいい?」

「あ?あー今日はお前の好きに撮っていいから」

「分かった、俺のことは気にせず自然体でいてね」

 カメラを構えた蒼太は思わず顔を顰めてしまう。やはり藍の鼓動がいつもと違う。決して速すぎる訳ではなく、蒼太が違和感を感じてしまうぐらいの些細な違いだ。けれどこの跳ね上がるような鼓動の音、嬉しい、楽しい、などといった喜びの感情と近しい音だ。
 原因はこの男なのか、と蒼太は春斗をちらりと見た。藍にとって春斗がどういう存在なのか蒼太は知らない。しかし、楽しそうに春斗と話している藍の声色は、蒼太が知っている藍とも、藍が演じている藍とも違っていた。

「あははっ、馬鹿じゃねぇのっ」

 藍が笑った、蒼太の指が勝手にシャッターを押す。蒼太は思わず自分の目を疑った、あの藍が笑ったのだ。演技ではないであろう藍の笑顔に、蒼太は戸惑いを覚える。だって今の藍の姿は、感情のある普通の人間と何も変わらないのだから。
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