感情のない君の愛し方

真楊

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 仕事から帰ってきた蒼太は、家に着くなり電気も付けずにソファに深く腰かけた。藍の靴がない、まだ藍が帰ってきていないことに蒼太は落胆する。
 あれから一週間が経った。藍はつまらない人間ではないと証明すると意気込んでいた蒼太だったが、この一週間藍と全く会えないでいた。教師である蒼太は朝も早く、まだ藍が寝ているタイミングで家を出ることがほとんどだった。そして藍の仕事時間は不規則だが、基本夜は遅く蒼太が既に寝ている時間に帰ってきているようだ。この調子ですれ違いが続き、二人がまともに顔を合わせることは滅多になかった。同居だといってもただ同じ屋根の下で寝食をしているだけの今の関係に、蒼太はため息しか出なかった。

 蒼太はコンビニで買ってきた缶ビールを一つ袋から取り出し、プシュッとプルタブを開ける。しばらく酒は控えようと思っていた蒼太だったが、酒を飲まないとやっていけない今の状況に一気にビールを煽った。
 これでは藍と距離を縮める所ではない、蒼太は缶ビールを片手に机に項垂れた。やはり藍と同居することに対して確実に下心があった。もしかしたらあの頃のような関係に戻れるのではないか、いや、それ以上の関係に…と浮かれる自分がいた。
 馬鹿だな、と蒼太は自分を卑下する。これはあくまで仕事であり、自分の私情など決して持ち込んではいけないのだ。ここまで藍とすれ違うことにかなり気落ちしている自分に蒼太は嫌気がさす。


「んっ…」

 ゆっくりと瞼を開けた蒼太はふわふわとした頭で顔を上げる。どうやらあのまま寝てしまったらしい、机の上には缶ビールが二、三本転がっており、ほろ酔い気分の蒼太は一度欠伸をした。

「あれ…?」

 身体を起こした蒼太の肩から毛布が落ちる。身に覚えのない蒼太はもしかして、と立ち上がった。

「あー、起きた?」

 平然とした様子で藍がリビングに入ってきた。「お前酒弱いくせに飲むのは好きなんだな」とビニール袋を片手にキッチンへ向かった藍はコンビニ弁当を取り出し電子レンジを回した。

「帰ってきてたんだ」

「ん、リビング入った途端暖房もつけねぇで酔いつぶれてるお前がいて馬鹿なんだと思ったわ」

 ハッとした蒼太は「やっぱりこの毛布って藍がかけてくれたんだ」と毛布をぎゅっと握る。

「俺以外に誰がいるんだよ、不審者が入ってきて毛布なんかかけるか?」

「はは、そうだよね。ありがとう藍」

 どうやら毛布だけではなく、暖房も付けてくれたらしい。蒼太は藍の気遣いに言い表せないほどの嬉しさで胸が破裂するような思いだった。

「なんか…こうやって話すの久しぶりだね」

「そう?」

「そうだよ、お互い仕事ですれ違ってばっかでさ、全然藍と会えなかった」

 チンッと電子レンジから音が鳴る。弁当を取り出した藍は蒼太の隣に腰を下ろし、弁当を食べ始めた。
 まさか自分の隣に来てくれるとは思っていなかった蒼太は、体温がグッと上がるような感覚にサッと藍から顔を背けた。

「仕事って毎回こんなに遅いの…?」

「んー、内容にもよるけど基本はな」

 華奢な体型をしているというのに、藍は大盛りの弁当をガツガツと口に運んでいる。昔から藍は大食いだった、一体この細い身体のどこに入っているのか、蒼太はいつも疑問に思っていた。

「あっ!そうだ写真!」

「なんだよ急にっ?」

 蒼太はそう言うと同時に素早く立ち上がると、リビングを出て自室へと向かった。カメラを片手に持った蒼太は急いで藍の元へ戻り「写真撮らないと!」とカメラを構えた。

「げ…今撮るの…?」

「もちろん!だって一週間も経って一枚も撮ってないんだよ?そろそろ撮らないとまずいよ」

 藍はおもむろに嫌そうな顔をしたが、酒が入っているせいで普段よりも強気な蒼太はお構い無しに藍にカメラを向ける。藍は「勝手にしろよもう…」と弁当を食べる手を再び動かし始めた。そんな藍の姿を蒼太はカメラにおさめる。弁当を口元に運ぶ仕草、もぐもぐと頬を動かしながら咀嚼する口元、藍の何気ない動作一つ一つが蒼太にとっては全て魅力的に見えていたのだった。

「藍、美味しい?」

「…なんだよ急に、美味いけど…?」

 藍の返答に、蒼太はほっとしたような安心感を抱く。そして「やっぱお前には感情があると思う」と呟いた。

「ご飯が美味しいと思うから?感情云々よりそれは味覚の問題じゃねぇの」

「えー、美味しいって思うことも立派な感情だと思うけどなぁ」

 蒼太の意見に納得が言っていないとでもいうような表情で藍は箸を動かす。ふと思い立った蒼太は「藍」と名前を呼んだ。そして藍が「何?」と蒼太の方を向いた瞬間、カメラを床に置いた蒼太は藍の頭に手を添え自分の顔をグイッと近づけた。

「痛っったっ!!叩くことないだろ?!」

「何すんだよっ!?やっぱりホモじゃねぇか!!」

 直ぐに手厚いビンタをお見舞された蒼太は、恐らく赤くなっているであろう自身の頬をさすった。

「ホモじゃねぇって!ただ確かめたかっただけだから!」

「はぁ?絶対キスしようとしたじゃんか!」

「する訳ないでしょ!お前が止めなくてもキスするつもりなんかなかったし」

 藍は分かりやすく顔を顰めると「意味わかんねぇ、気持ちわりぃわ」と言葉を吐いた。気持ち悪いという藍の言葉に多少のダメージを受けた蒼太だったが、今の藍の姿に顔を緩める。

「やっぱりちゃんと感情あるじゃん。俺にキスされそうになって嫌だったでしょ?それは間違いなくお前の持ってる感情だよ」

 蒼太がキスをしようとしたら藍は絶対に嫌がる、蒼太には分かりきっていた事だ。酒が入っているせいで多少大胆なことをした自覚はあるが、藍に感情があるのだと証明するには一番手っ取り早かった。実際藍はかなり嫌がっている様子であり、蒼太の想定通りの反応だった。蒼太は「今のお前、すごく人間らしい」と微笑む。

「は、意味わかんねぇ」

「昔から嫌なことは断固として嫌だって言ってたし、嫌そうなことはすぐ表情に出てた。それに…」

 蒼太は咄嗟に口を噤んだ。高校時代のあの時の事を話してしまいそうになり、慌てて「やっぱなんでもない」と無理やりに笑顔をつくって取り繕う。

「なんだよそれ、気になるだろ」

「なんでもないって、とにかく俺が言いたいのはお前にはちゃんと感情があるってこと」

 藍は納得のいっていない表情で「もういい」と一言そう言うと、弁当の空を手に持ち立ち上がった。キッチンの方へ行った藍を目で追いながら、蒼太はふぅ…と胸を撫で下ろす。

 危なかった、思わずあの時の話をしてしまいそうになった。蒼太が藍に嫌われた原因でもあるあの話は藍にとっては禁句だろう。今の藍との関係が平穏に行っているのだから、わざわざ蒸し返すこともない。あの時のことを今藍がどう思っているのか、正直気にはなるが蒼太に聞く権利などなかった。そのためどんなに気になっても胸の奥に閉まっておくことしか出来ないのだった。
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