一寸先は闇

北瓜 彪

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第7章 探検隊

ゼブラグラス

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 「6700万年前だってよ!」
 振り向くなり、ソウヤはそう言って、ヒトシに朝刊を掲げて見せた。
「……が、どうしたんだよ」
 公園に遊びに来たのに突然場違いな物を見せられ何のことやら分からないヒトシは、とりあえず無難な返事をした。
「人だよ!人間だ!これは人間の化石なんだよ!」
 興奮して語るソウヤを流しながら、ヒトシはその新聞に目を落とした。
「昨日A県××区の水田の土中から、ホモ・サピエンスの骨の化石が見つかった。区内のB大学のC教授らのチームによる年代測定の結果、この骨は今から約6700万年前に地中に堆積したと見られている。発見者のDさんは発見時の状況を…」
 そのようなことが書いてあった。
 「すごくね!そんな時代に人類がいた訳ないのに…」
 ソウヤは1人でうっとりし始めた。
「はいはい、お前が何にでも興味を持つガリ勉くんなのは知ってるよ。そんな物見せるために公園に呼びつけた訳じゃねーだろ?」
 勉強嫌いなヒトシは一刻も早くこの話を終わらせたかった。それに気づいたソウヤはやっと
「そうだ、悪い悪い」
 と言って、ポシェットからゲーム機を取り出した。
 ソウヤとヒトシは勉強の姿勢に関しては正反対だが、共にゲームの好きな親友同士だった。最近、両方の親が2人のゲーム好きを心配して2人を外で遊ばせるようにしたので、今日は公園に集まって対戦することにしたのだ。
 ヒトシが待ちかねていたようにすばやく自分のゲーム機を開くと、既に電源は入っていて、画面はポーズメニューで固まっていた。
 「そこのアナタ方!」
 その時、後ろからやや高めの声が聞こえた。
 2人が振り返ると、パンダの着ぐるみがにこにこしながら突っ立っているのだった。
「面白いモノをお見せしましょう!」
 パンダは両手で1つの眼鏡を持っていた。それは白黒の縞柄のフレームで、レンズはかなり厚いようだった。
 ヒトシはソウヤと顔を見合わせ、ソウヤが首を小さく横に振るのを見て、逃げ出そうと思った。知らない人にはついていかない、物を貰ってはいけない、などとしょっちゅう言われている。
 しかし、パンダの着ぐるみだ。公園でこれから何か催し物をやるのかもしれない。その関係の人だったら心配ない。
 そう思い直したヒトシは、パンダの手から白黒の眼鏡を受け取った。
「どうぞ、かけてみてください!」
 パンダがすかさず声をかけた。
 ソウヤはまだ不安そうにしていたが、ヒトシは面白そうだと思って構わず眼鏡を持ち上げた。眼鏡なんて、隣の席のダイスケが初めて眼鏡をかけて登校してきた時にみんなで回しながらかけさせてもらった時以来だな…と思い出しながら、つるのこすれるこめかみのくすぐったさと窮屈さ、虫眼鏡の中みたいになった視界の慣れない感じを味わおうとして…眉にしわが寄った。
 「色が…ない?」
 眼鏡をかけて見た風景は、白黒だったのである。最初は芝生の緑色が強くなったのか、光が眩しくなったのか、いやその逆に暗くなったのかとか考えつくことが色々あったのだが、すぐに分かった。この眼鏡はレンズを通して見た風景を白黒にしてしまうのである。
「あー、確かに面白いかも…ですね」
 偉そうな口ぶりになってしまったことに気づき、慌てて丁寧語をつけ足しながら眼鏡を外してパンダの方を向いて、そこにはパンダはもういなかった。
 「あれっ?」
 ヒトシは焦って後ろを向いた。まだパンダが大人たちの言うフシンシャじゃないことは確定できない。もしかしたら今の言葉に腹を立てて、後ろから自分の首を絞めようとしているかもしれない。怖くなって
「あれっ? あれっ?」
 と声を出しながらきょろきょろと首を回してみたが、あのパンダは公園のどこにもいなかった。
 そればかりでない。ソウヤの姿も消えていた。
「え? …………ソウヤぁ?」
 ヒトシは親友の名前を呼んで、そして公園中を見回してみた。けれど、やはりソウヤはいなかった。
「なんでっ?」
 前には幼児が水浴するためのスペースが、時季を待ちながらカラカラに乾き切っているし、後ろには広い芝生がずっと続いている。遠くにはアスレチック遊具があるが、誰も遊んではいなかった。
「なんで?」
 ヒトシは今度は、幾らか真面目に、言ってみた。急に風が左の袖口のそばを通り抜けた。
 眼鏡をかけ直してみたらどうだろうか。
 ふとそんなことを思いついた。なぜだかは分からないが、そうすれば2人が元に戻っている気がした。これもこの眼鏡のしかけ、何かのマジックなのではないかと感じた。
 そうしてヒトシの視界が、また白黒になった。
 しかしそこにはパンダもソウヤもいなかった。ヒトシは先ほどとまた同じことを繰り返したが、白黒に見える以外、公園はやはり誰もいない芝生でしかなかった。


 だが、しばらくしてヒトシは、1つ違うことを見つけた。
 公園の脇の車道である。
 通学路から外れているためあまり注意して見たことはなかったが、ただの車道であったはずのその通りが、いつもより狭く見えるのである。
 物が小さく見えるようになった、訳ではない。それではただの眼鏡である。通りの向こうに並ぶ店を見ているうちに、新しいことに気づいた。
 公園を取り巻く風景が、ところどころ変わっているのである。あったはずの店がない。公園前には似合わないあのワイン屋がない。質にこだわりすぎて潰れかかっているらしいと大人たちが噂していたあの高級パン屋がない。みんなみんな、僕の知っているものがなくなってる?
 ヒトシの両足はすたすたと芝生を横切って、公園の出口へ向かっていた。眼鏡をかけたまま、目の前を歩いている男性に話しかける。
「あの、すみません」
男性は中折れ帽を持ち上げてヒトシの顔を観察すると、ヒトシのポシェットからはみ出ていたゲーム機に目を止めた。
「坊っちゃん、それ、何?」
 男性が目を丸くしてそれを見ているので、ゲーム機を引っ張り出して見せた。
「ゲーム機です」
 すると男性は絵に描いたような「怪訝な顔」をして、ヒトシはそれが何だかおかしくて、少し笑ってしまった。そこで男性はパッと明るい顔になり、
「幸せなら、何より何より」
と一人合点して行ってしまった。
「あ! ま、待って下さい!」
 すぐに声をかけたが、男性は浮き浮きした調子で小躍りでもするかのような足取りで行ってしまった。
 ヒトシはため息をついて、ゆるゆると眼鏡を外した。

 顔を上げると、眩しい光が一度に目に入って、見慣れた風景がまだ違った色彩のように見えた。それでも徐々に周りの様子がまた見えてくる。水浴び場の前のベンチには、1組の男女が座っていた。ソウヤの行方を尋ねようと2人に近づくと、ちょうど同時に女性の方が男性に話し始めた。
「でも物理学科なら分かんじゃないの?」
「分かんねえよあんなのお。言っとくけどな、一般相対性理論なんて世界で3人しか理解できないんだからな?」
「じゃあ分かんないんだ。○○くん重力波分かんないんだ」
「ま、俺は留年してるし…」
「ニュースになってたのにー」
「ヘイ、分かりません………」
 男性が頼りない返事を返すのを聞いて、ヒトシは何となくこの2人に聞いても無駄だという気がした。再び眼鏡をかけた。


 「…経済企画庁による経済白書では……」
 白黒の風景が目に入ってくるより先に、ラジオのニュースが耳から入ってきた。
 見ると、公園の芝生の真ん中で、堂々にも真ん中で、やや長髪というか毛量の多い男性が寝そべってラジオを聞いていた。それもアンテナが触角のようにはり出した、立派なボックス形のラジオである。
「大胆だなあ」
ヒトシは悪びれもせずそう言ってしまえた。それ位その光景が大胆だったのだ。
「…して、天皇陛下は先の大戦における犠牲者の…」
 その時流れてきた音声を聞いて、違和感を覚えた。
 「先の大戦」? もしかして、第二次世界大戦のことを言っているのだろうか?
 しかし第二次世界大戦はもうおじいちゃんやおばあちゃんが子供の時の話である。「先の」なんて言ったら、まるでついこの間のことのようじゃないか。数十年がすぐに過ぎちゃうらしいおじいちゃんやおばあちゃんならともかく、アナウンサーがそんな言い方するだろうか。
 そこでまた辺りを見回すと、白黒の公園の白黒の遊具で遊ぶ白黒の家族連れが目に入った。小さな女の子がキャッキャッ言って走り回っていて、エプロン姿のお母さんがその子の相手をしている。ラジオの男性と似た髪型のお父さんが唐突に手を腰に当て、
「よーうし、お父さん、2人がテレビ見られるようにお仕事頑張っちゃうぞーっ」
と、全く芝居がかっていない口調で言ってみせた。
 それを見て、ヒトシは
「ああ」
と納得した。

 この眼鏡は、ものを白黒に見せるのではない。
 かけた人を白黒の画像が普通だった時代、昭和時代にタイムスリップさせてしまう眼鏡だったのである。何となく今の人たちと違うファッションセンス、今よりもおおらかで大胆な振る舞い、そしてゲーム機を見たあの男の人の表情、その違和感は全てこのせいだったのだ。

 でもそんなこと、本当にあるだろうか?


 眼鏡をズボンのポケットに入れ、ヒトシは家へと向かっていた。明日学校に行ったら、ソウヤにこの話をしなきゃいけない。いや、その前にお母さんに話さなくちゃ。昭和時代に行ける眼鏡なんて、お母さんは信じてくれるだろうか。でも、そうとしか考えられない。また眼鏡をかけたらもう少し手がかりが見つかりそうな気がしたが、何かあってからでは遅いので、結局そのまま帰って行った。
 玄関のドアの前まで来て、はっと気づいた。お母さんは今日、僕が友達と遊んでる間に買い物に出かけるって言ってたんじゃなかったっけ。
 それでももう公園まで戻る気力はなかったので、そのまま中に入ることにした。手も洗わずに眼鏡をテーブルの上に置き、冷蔵庫から飲み物を出してテレビを点けると、ニュースで首相会見がやっていた。
「総理、総理の仰る『三本の矢』とは具体的にどのような政策でしょうか。もう一度ご説明下さい…」
 女性の声だ。記者が言い終えると、首相は顔色一つ変えずに少しだけ前傾して、
「えー、今、え、お話がありました『三本の矢』、ですが、えーまず1つに…1つ目にですね、『金融緩和』、で、あります」
 そして何やら難しい話をし始めた。ヒトシは興味がなかったのですぐにテレビを切ってしまい、またテーブル上の白黒模様の眼鏡に目を落とした。
「タイムスリップ………やっぱり夢じゃなかったよなあ…」
 ヒトシはまた眼鏡を両手に持って、そのまま自分の顔面に近づけていった。
 
 そこは大型スーパーの一角のようだった。

「え?」

 驚いて眼鏡を外すと、また元のリビングが見える。

 そうか。このマンションは新しいから、この時代にはまだできていなかったんだ。この家の前に何が建っていたかなんて知らなかったけど、スーパーだったなんて知らなかった。いや、スーパーの次にマンションが建ったとは限らない。マンションになる直前は、ここはどんな場所だったんだろう。白黒のスーパーは、何だか監視カメラを覗き見しているような気分になったなあ。
 つぶやきながら眼鏡をかけ直すと、両手に買い物かごを持ったパーマのおばちゃんがすぐ横を走り抜けていった。
「うわっ」
 おばちゃんの頭から安っぽい香水のような匂いがこぼれた。
 おばちゃんの行く先を見ると、既にそこには大勢の人がおしくらまんじゅうしていて、ダンボール箱の上に積まれた幾つものトイレットペーパーを奪い合っているようだった。おばちゃんの姿はもうどこにも見つからない。
「これが『バーゲン』か……。」
 ヒトシは怒号を上げながらトイレットペーパーをかき集める人々をもの珍しく見ていたが、その光景が何であるかに思い当たって、とっさに眼鏡を外した。

 「危ない危ない……あれはきっと…」
 世に言うオイルショックだ。最近ではなんて書いてある教科書が多いとソウヤが言っていた。バーゲンなんかのんきなもんじゃない。あのままあそこにいたら圧死させられていたかもしれないのだ。「もう2度とこの眼鏡はかけないぞ」と自分に言い聞かせながら、ソファーから立ち上がった。
「ソファー?」
 なぜ自分はソファーに座っているのか。リビングの僕の椅子は座布団はひいてあってもソファーではない。そのことに気づいて驚いて顔を上げると、そこは病院の待合室のような場所だった。
 たくさんの知らない人が、主に年配そうな人たちがあちらこちらで歩き回っている。自分が座っているソファーには、杖に体重を乗せたおじいさんが左端に座っていた。右斜め前には公園で見たものと同じようなラジオが置いてあって、そこから病院にはふさわしくない大音量で何かの式典の様子が中継されていた。
「…そして今、吉田首相が………歴史的な戦争の終わりを告げる…条約に調印しました……」
 ヒトシは一気に青ざめた。たった今ズボンのポケットに押し込んだ眼鏡を取り出して、つるで目を突きそうになりながら、あたふたとそれをかけた。

 なんでだ。なんで、なんで眼鏡を外したはずなのに、過去に戻っているのだ。それも家とは全く違う場所だ。
 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。なぜ、なぜ眼鏡をかけていないのに、こんなことになったんだ。

 ーーシュウィインーー

 その時、シンセサイザーのような音と共に、目の前を1人の男性が通り過ぎていった。彼は歩いていたのではない。こちらに脇腹を向けるような格好で目の前を滑っていったのだ。まるでローラーボードに乗っているかのように。そう思って男性を目で追いかけると、男性はなんとローラーボードに乗っているのではなかった。ローラーシューズでもない。そのどちらでもなく、男性が乗っていたボードは、正確には円盤は、地面から数センチ離れた場所をなめるように浮遊していたのだった。男性は道路脇で体勢を変えて円盤を降り、新品そうな赤いスニーカーを光らせながらどこかへ歩いていった。
「どうして! どうしてどうしてどうして! どこなんだよここは!」
 そう叫んだ時、やっと気づいた。
「……どうして…眼鏡をかけているのに、色が分かるんだ?」


 「ゼイタクは敵だ!」
 白黒の土手には、そう書かれた立て看板が幾つも立ち並んでいた。眼鏡の右のつるを右手で不器用に握って、ヒトシはその土手を遠くへ遠くへと走っていた。黒い空に挟まれて黒い山のにぼんやり白い炎のようなものがかかっているのと、どこからかゆうげの匂いがするので、今が夕方なのだと分かった。舗装されていない砂利道に足が突っかかって、何度も転びそうになる。このまま行っても意味はないと思い、ヒトシは眼鏡をかけ直した。

 駅前の喧騒。歩行者信号の電子音。街頭テレビのニュース。空飛ぶ円盤。リニアモーターカーのようなもの。雑踏をぬい飛び回る微小な衛星。動く歩道。球形の自動車。
 その真ん中で、濃い青色のつなぎを着ていない少年が、縞柄の眼鏡を斜め向きにかけて、呆然と立ち尽くしていた。ヒトシの視界は、やはり色で満たされていた。それも今までよりもずっと画質の良い映像が、目の前に広がっていた。危なっかしくヒトシの鼻に寄りかかっていた眼鏡は、街頭ニュースの話題が移ると同時にするっ、と落ちた。
「…『怠慢病』の名で知られるこの病気は現在分かっているだけで世界人口の4分の3以上が罹患しており…」

 ガシャン!
 その音が飛び込んできて、我に帰った。足元で、眼鏡が割れていた。白黒の縞模様のフレームに透明のガラスの残骸が散らばって被さっている。フレームは地面の焦茶色の土粒で汚れ、みっともないありさまだった。
「あ……」
 ズシン、という震動に目を上げると、辺りにはソテツなどの見慣れない植物が緑の森を作っていた。青空は遠くまで淡く澄み切っていて、赤みを帯びた噴煙を漏らす茶色い火山がはるか向こうに見えた。
 フオオオン。
 近くから聞いたこともないような鳴き声が沸き上がり、森の中を巨大な赤茶色の脚が移動しているのが目の端に見える。
 「6700万年前だってよ!」
 ソウヤの声が脳裏に過った。
 この眼鏡は昭和時代に行けるんじゃない。かけた人をタイムスリップさせてしまう眼鏡なんだ。視界が白黒になるのは、カラー映像が国内に普及するまでの昭和時代の画像がそうだったからという演出に過ぎない。そして過去へだけタイムスリップする訳じゃない。眼鏡をかけるたび、行ける時代は未来へ進むのだ。そして反対に、眼鏡を外している時間は、眼鏡を外す毎に過去へ過去へと戻っていく。そう言えば、サンフランシスコ講和条約調印のラジオを聞いたあの病院のソファー、何色だっただろうか。
 ヒトシの頭の中は真っ白、いや、おぼつかないモノクロの世界だった。







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