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百鼠三味線縁起
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その昔、ある豊かな国に喜連義邦というたいそう裕福な大名がいた。風上天皇の血を引く喜連氏は国一大きな蔵を持ち、義邦はその蔵にこの世の全てが置かれていると自負していた。義邦には義村という一人息子がいて、跡継ぎとなる彼のことを義邦はすこぶる可愛がった。義邦は義村を小さい頃から蔵の中に連れて回り、この世で一番新しい菓子、この世で一番美しい高坏、この世で一番難しい算法書、全ての物を見せてやった。義村は義邦の話をよく聴き、大人になる頃には蔵にある全ての物の名前をそらんじるほどになっていた。
義邦の妻は既にして亡くなり、ある時義邦は後妻を娶った。後妻は常に翡翠の着物に身を包み、口を利かずに夫に附き従っていた。里の知れない怪しい者だと周りの者は噂したが、当の義邦は珍しもの好き、「寧ろそれこそ魅力」と浮かれた。そして義村が後妻と初めて互いの顔を向き合わせた日、義村は己の記憶の中に後妻の顔の浮かぶのを感じた。それは以前に父の蔵で怖がりながらに見つめた代物、異形の極み――この世で一番醜い牛の見るも忌まわしい顔だった。義村は奇妙な巡り合わせのその驚きに耐え切れず、後妻に向かって口走った。
「父上、この女は最も醜いというあの牛と違わぬ顔をしております」
目を丸くした義邦が後妻を覗き込むや否や、後妻の着物が煙に変わり、美しい仙女が現れた。翡翠の色の煙の中で、仙女は厳しい声で語った。
「お前のような思い上がりは荒れ野の隅でくたばるがよい」
煙が晴れて義村が見ると、そこは見知らぬ田舎町だった。
それから義村は三年の間、その地で百姓として暮らした。右も左も定まらず、一人の身寄りも見つからず、義村はさびれた不毛地帯でむやみに鍬鋤振るほかなかった。義村は大いに物知りだったが、その知識は全て富貴の道楽、貧しく生活を送る術など片時として知る由もなかった。義村を見つけた者たちは義村の無知に驚いて、しかし見捨てるわけにもいかず、はじめは義村を助けてやった。それでも「我は某の国の喜連某の息子だ」と騒ぐ義村についには手を焼いて、義村にその地で一番の貧しい土地を与えていじめた。義村の収穫は雀の涙で、それも鼠に食い荒らされる。そんな日々が果てなく続き、ある日義村は姿を消した。
義村はあてもなく逃走し、「どこかで命も尽きよう」と思う。三日三晩も走り続け、ある深山の道の上で小さな石につまずいた。
義村はその場で寝転んで、途方に暮れて空を見上げた。するとその青き目の端に、一軒の荒家が現れた。ここの住人に事情を言えば、何か助けてくれるかもしれない。義村は希望を取り戻し、破れた透垣の隙間から家の中を垣間見た。
家の中では一人の女が縁側に座って休んでいた。女は黒髪を風に艶めかせ、若草色の上衣に映えて、この世の者とは思えない優雅で清らかな顔立ちをしていた。
義村はすぐに女に恋をし、堂々と門の内へ進んだ。
「もし、私は百姓の義村といいます。理由あってここに来てしまいましたが、もとは遠くに暮らしていました。どうか一晩で構いません、こちらに泊めては頂けませんか」
義村が女に頼みこむと、女は義村をじっと見つめて、しばしの後に首肯した。こうして義村はその日は女の家で夕餉を御馳走された。重なる疲れの取れた義村は女に自分の素性を明かし、これまでのことを一つ残らず詳しく女に聞かせてみせた。女は義村に耳を傾け、義村の悲しみを共に悲しみ、義村の苦しみを共に苦しんだ。義村は女の優しさにかつてないほど心を打たれ、話し終えるとすぐさまに女に結婚を申し出た。
「父の屋敷を離れて以来、あなたほど私の苦しみを理解してくれた者はいない。どうかこの家で私と共に幸せに暮らしてくれないか。」
すると女はすっと俯いて、義村にぽつぽつとこう言った。
「それは無理なのです、義村様。恥ずかしながら私はかつて己の美貌に酔いしれて、紅白粉の神に呪いをかけられてしまいました。私が生きていられるのは私が私の顔や姿を人に向けないでい続ける限り。あなたの婿になるのはおろか、あなたとここで一日過ごすだけで私は死んでしまうのです。嘘をついたことをお許しください。私はあなたをお泊めすることすらできないのです。私がこんなところに住んで一人寂しく暮らしているのも、それが理由でございます」
義村は落胆したのみでなく、女と自分の境遇の似ていることに驚いた。しかし女の運命は自分のそれよりはるかに厳しい。義村は思わず訊いてしまった。
「その呪いは決して解けないのか」
「いいえ、一つだけ方法があります。天竺の地の底に眠るという黄金の三味線を見つけ出し、異なる四百の手によって一夜に渡って弾くのです。それを私が聞き終えた時、私の呪いは解けるのです」
義村は聞くなり仰天し、女の呪いを解くことはとてもできまいと思いかけた。しかし今や義村にとって、女は千載一遇の相手。ここで見捨ててしまうのは我慢ならないことであった。
「相分かった。私がその天竺の三味線をここに持ってきて聞かせよう。そしてその三味線を四百の手に弾かせよう」
義村は女の手を握り、女の双眸に約束した。
女の家を後にしてから、義村は俄然精を出した。様々な町の様々な店で来る日も来る日も懸命に働き、上の者をつぶさに見てよろずの技を盗もうとした。幕府の者や豪商が店を訪れないかと注意し、そのような者が見えたとくればすぐに近づき親しくなった。だが頻りに彼らに訊ねても、天竺の地底に眠るという黄金の三味線を知る者は誰一人として現れなかった。こんな時に父ならば目当ての物を蔵から出して持ってきてくれるのではないかと義村は密かに考えていたが、待てども待てども義村の前に家族が見えることはなかった。
さらに一年が経った頃、茶屋で働いていた義村は一人の客に呼び出され、店の裏手の路地に来て客の笠の下を見た。その顔は紛れもない白い鼠のそれだった。
「義村様、さる年は誠にお世話になりました。このたびは我々の方からお礼をさせて頂きます。何なりと申しつけてください」
鼠はそう言って丁重に腰を折り、義村に深々と頭を下げた。
「待ってくれ。私が鼠の化物にいったい何をしてやったというのだ」
義村が戸惑うのを見ると、鼠はきょとんと付け加えた。
「義村様、もうお忘れになってしまいましたか。私らはあなた様のおかげですばらしい年越しを迎えたのです。あんなに多くの飯が食えたのはもう十年ぶりでございます」
どうやら鼠は義村のおかげで米をたらふく食ったらしい。さらに詳しく聞き出した末、義村は自分が百姓として苦しんだ日々を思い出した。育てた米が鼠にさらわれるのは地獄の苦しみだったが、それは鼠の小国を助けることになっていたようだ。
「そういうことなら頼みがある。私は天竺の地の底に眠る三味線とやらを探している。それをどうにか見つけ出し、異なる四百の手を使ってある者の前で弾いてくれぬか」
鼠は義村の頼みにうなずき、義村をある場所へいざなった。
そこは竹林の奥の大きな穴の中だった。そこでは壁床天井に鼠の客と同じ姿の白鼠たちが駆け回っていた。ある鼠は米を器に盛り、ある鼠は米糠を造っている。義村を先導してきた鼠はつんざくような鳴き声で皆の注目を集めると、義村を大声で紹介し、義村の頼みを説明した。するとひしめく鼠の中から一風変わった鼠が現れ、
「その三味線を知っている」
としきりに訴えるではないか。それもそのはず、その鼠とは赤茶と白のずんぐり太った天竺鼠だったのだ。かくして天竺鼠を遣わせ、義村は彼の帰りを待った。鼠らは義村に礼をしようと米や糠漬けを振舞ったが、天竺鼠が帰るまでの間も義村は毎日働きに出て、どこかに三味線弾きはいないか町から町へ探して回った。
三月ほど経ち、ようやく天竺鼠が黄金に光る三味線を背負って鼠の国に帰ってきた。しかし未だ四百の手に足る三味線弾きは集まらない。するとあの時の鼠の客が胸を叩いて提案した。
鼠はここに優に百匹。その一匹ずつが自らの四本の肢を使ったならば、これは四百の異なる手で演奏したことになるのではないか。
義村は半信半疑だったが、他の鼠も恩返しを心底したがっているようで、義村は鼠たちのために三味線弾きを学び始めた。義村が三味線を一から習い、それを鼠に教示する。百の鼠は一夜の曲を代わるがわるに演奏し、さらに一匹の鼠においても四つの肢の全てを使う。義村は慣れない三味線を同じく慣れない鼠たちに手取り足取り教え込んだ。それはまさしく気の遠くなるような時間であったが、義村は決して鼠による演奏を諦めることはなかった。
義村が女に出会ってから三年の月日が経った頃、とうとう深山の荒家に義村と鼠らが現れた。義村は手短に経緯を話すと、女の命を心配し自分は家の外に出て、百の鼠と三味線のみを残して透垣の外で座りこんだ。それから一夜に渡って響いた百の鼠の演奏は、後に都の噂になるほど壮麗を極めるものだったという。
後妻消失の話を肴に宴をしていた義邦は、突然聞こえてきた三味線の音に思わず体が固まっていた。遠くから流れるこの音色は、この世で一番美しい三味線と呼ぶにふさわしい。義邦は家臣たちに命じてその音の出所を探させたが、三味線が見つかるより前に息子の義村が見つかった。
義邦の邸へ戻った時、義村は女を連れていた。「大事な息子が嫁まで連れて帰って来たか」と雀躍したが、義村は父の顔を見据えて明朗な声で語り始めた。
「いかにもこの女は私の妻にございます。しかし同時に父上の妻になる方でもあったのです」
義邦が混乱して息子に質すと、義村はさらに先を続けた。
「この邸から見知らぬ田舎にその身を飛ばされてからというもの、私は己の無力さから目を背け、あちこちに逃げ惑うてきました。この者は私がついに死を考えていた折に現れ、私を大きく勇気づけてくれた者なのです。しかし昨晩私がこの者にかけられた呪いを解いた時、私の目の前に立っていたのは、父上が見せてくださった『最も醜い牛』の顔をした女だったのです。父上もお聞きになったでしょうか、百の鼠の手を借りて演奏させた黄金の三味線です。その曲が終わった時、この者の衣の色は若草から翡翠へ変わり、私は全てを承知したのです。仙女は私を憎んでではなく、私を育て鍛えるために、私に試練を課したのです。父上の蔵をこの世の全てと思い込んでいたこの私めに、外界を見聞きして、位を異にする者の苦労を知り、己の力のみではどうにもならないこともあることを思い知らせ、誰かのことを一心に思い、そんな私にも恩義を感じ力になってくれる者のいることのすばらしさを分からせてくれたのです。私はこのたびこの者と契りを結び、私を助けてくれた鼠らをこの家の新たな家臣として迎えたいと存じます」
義邦は終始義村の話を口をつぐんで聞いていたが、終わりの方へ近づくにつれその頬は引きつりついに激怒した。
「やっと見つかった可愛い息子が何を言い出すか黙って聞けば、お前は私の蔵を侮辱し挙句鼠を家臣にだと! この世で最も才ある家臣は既にこの邸の中におる。鼠の弾いた三味線なんぞ美しい音色のするものか。この世で最も美しく鳴る三味線はこの蔵の螺鈿紫猫三味線に決まっておる!」
「父上、しかし私にとってあの三味線こそ、私の今までの半生に聴いた最も美しい音色なのです。百もの鼠が私のために、一夜に渡ってそれを弾くのだと、そう申してくれたのです。私は鼠らの心に応えるために、どんなに歳月がかかっても、彼らに妻を任せたのです。
それが私がこのおよそ七年の最後に出した音にございます」
義村の晴れやかな顔と反対に、義邦は真っ赤になって立ち上がった。
「もう聞いてられん! お前のような無礼者は喜連の蔵に閉じこめておけばよかったものを!」
すると女がすっくと立ち、義邦をにらんで言い放った。
「あなたのような思い上がりはこの家の恥にございます。この世で唯一の三味線になってその蔵の隅でお眠りなさい」
女が着物の袖を振るうと、義邦の口には唇の代わりに大きな三味線がくっついた。義邦は妖怪・口三味線として鼠らによって蔵に運ばれ、町人の物見に遭ったという。
後にこの蔵を調べた結果、そこに眠る物のほとんどはこの世で一番の品などではなく、喜連の邸に出入りする鑑定家が称賛した物に過ぎなかった。この義邦の話から、口先だけでたぶらかすことを口三味線と言うようになった。
こうして義村は仙女と結ばれ、鼠らを迎えて喜連の家を皆で支えていったという。天竺の地底の黄金の三味線は邸の広間に堂々飾られ、「百鼠三味線」の名で呼ばれ今の世までも語り継がれている。
義邦の妻は既にして亡くなり、ある時義邦は後妻を娶った。後妻は常に翡翠の着物に身を包み、口を利かずに夫に附き従っていた。里の知れない怪しい者だと周りの者は噂したが、当の義邦は珍しもの好き、「寧ろそれこそ魅力」と浮かれた。そして義村が後妻と初めて互いの顔を向き合わせた日、義村は己の記憶の中に後妻の顔の浮かぶのを感じた。それは以前に父の蔵で怖がりながらに見つめた代物、異形の極み――この世で一番醜い牛の見るも忌まわしい顔だった。義村は奇妙な巡り合わせのその驚きに耐え切れず、後妻に向かって口走った。
「父上、この女は最も醜いというあの牛と違わぬ顔をしております」
目を丸くした義邦が後妻を覗き込むや否や、後妻の着物が煙に変わり、美しい仙女が現れた。翡翠の色の煙の中で、仙女は厳しい声で語った。
「お前のような思い上がりは荒れ野の隅でくたばるがよい」
煙が晴れて義村が見ると、そこは見知らぬ田舎町だった。
それから義村は三年の間、その地で百姓として暮らした。右も左も定まらず、一人の身寄りも見つからず、義村はさびれた不毛地帯でむやみに鍬鋤振るほかなかった。義村は大いに物知りだったが、その知識は全て富貴の道楽、貧しく生活を送る術など片時として知る由もなかった。義村を見つけた者たちは義村の無知に驚いて、しかし見捨てるわけにもいかず、はじめは義村を助けてやった。それでも「我は某の国の喜連某の息子だ」と騒ぐ義村についには手を焼いて、義村にその地で一番の貧しい土地を与えていじめた。義村の収穫は雀の涙で、それも鼠に食い荒らされる。そんな日々が果てなく続き、ある日義村は姿を消した。
義村はあてもなく逃走し、「どこかで命も尽きよう」と思う。三日三晩も走り続け、ある深山の道の上で小さな石につまずいた。
義村はその場で寝転んで、途方に暮れて空を見上げた。するとその青き目の端に、一軒の荒家が現れた。ここの住人に事情を言えば、何か助けてくれるかもしれない。義村は希望を取り戻し、破れた透垣の隙間から家の中を垣間見た。
家の中では一人の女が縁側に座って休んでいた。女は黒髪を風に艶めかせ、若草色の上衣に映えて、この世の者とは思えない優雅で清らかな顔立ちをしていた。
義村はすぐに女に恋をし、堂々と門の内へ進んだ。
「もし、私は百姓の義村といいます。理由あってここに来てしまいましたが、もとは遠くに暮らしていました。どうか一晩で構いません、こちらに泊めては頂けませんか」
義村が女に頼みこむと、女は義村をじっと見つめて、しばしの後に首肯した。こうして義村はその日は女の家で夕餉を御馳走された。重なる疲れの取れた義村は女に自分の素性を明かし、これまでのことを一つ残らず詳しく女に聞かせてみせた。女は義村に耳を傾け、義村の悲しみを共に悲しみ、義村の苦しみを共に苦しんだ。義村は女の優しさにかつてないほど心を打たれ、話し終えるとすぐさまに女に結婚を申し出た。
「父の屋敷を離れて以来、あなたほど私の苦しみを理解してくれた者はいない。どうかこの家で私と共に幸せに暮らしてくれないか。」
すると女はすっと俯いて、義村にぽつぽつとこう言った。
「それは無理なのです、義村様。恥ずかしながら私はかつて己の美貌に酔いしれて、紅白粉の神に呪いをかけられてしまいました。私が生きていられるのは私が私の顔や姿を人に向けないでい続ける限り。あなたの婿になるのはおろか、あなたとここで一日過ごすだけで私は死んでしまうのです。嘘をついたことをお許しください。私はあなたをお泊めすることすらできないのです。私がこんなところに住んで一人寂しく暮らしているのも、それが理由でございます」
義村は落胆したのみでなく、女と自分の境遇の似ていることに驚いた。しかし女の運命は自分のそれよりはるかに厳しい。義村は思わず訊いてしまった。
「その呪いは決して解けないのか」
「いいえ、一つだけ方法があります。天竺の地の底に眠るという黄金の三味線を見つけ出し、異なる四百の手によって一夜に渡って弾くのです。それを私が聞き終えた時、私の呪いは解けるのです」
義村は聞くなり仰天し、女の呪いを解くことはとてもできまいと思いかけた。しかし今や義村にとって、女は千載一遇の相手。ここで見捨ててしまうのは我慢ならないことであった。
「相分かった。私がその天竺の三味線をここに持ってきて聞かせよう。そしてその三味線を四百の手に弾かせよう」
義村は女の手を握り、女の双眸に約束した。
女の家を後にしてから、義村は俄然精を出した。様々な町の様々な店で来る日も来る日も懸命に働き、上の者をつぶさに見てよろずの技を盗もうとした。幕府の者や豪商が店を訪れないかと注意し、そのような者が見えたとくればすぐに近づき親しくなった。だが頻りに彼らに訊ねても、天竺の地底に眠るという黄金の三味線を知る者は誰一人として現れなかった。こんな時に父ならば目当ての物を蔵から出して持ってきてくれるのではないかと義村は密かに考えていたが、待てども待てども義村の前に家族が見えることはなかった。
さらに一年が経った頃、茶屋で働いていた義村は一人の客に呼び出され、店の裏手の路地に来て客の笠の下を見た。その顔は紛れもない白い鼠のそれだった。
「義村様、さる年は誠にお世話になりました。このたびは我々の方からお礼をさせて頂きます。何なりと申しつけてください」
鼠はそう言って丁重に腰を折り、義村に深々と頭を下げた。
「待ってくれ。私が鼠の化物にいったい何をしてやったというのだ」
義村が戸惑うのを見ると、鼠はきょとんと付け加えた。
「義村様、もうお忘れになってしまいましたか。私らはあなた様のおかげですばらしい年越しを迎えたのです。あんなに多くの飯が食えたのはもう十年ぶりでございます」
どうやら鼠は義村のおかげで米をたらふく食ったらしい。さらに詳しく聞き出した末、義村は自分が百姓として苦しんだ日々を思い出した。育てた米が鼠にさらわれるのは地獄の苦しみだったが、それは鼠の小国を助けることになっていたようだ。
「そういうことなら頼みがある。私は天竺の地の底に眠る三味線とやらを探している。それをどうにか見つけ出し、異なる四百の手を使ってある者の前で弾いてくれぬか」
鼠は義村の頼みにうなずき、義村をある場所へいざなった。
そこは竹林の奥の大きな穴の中だった。そこでは壁床天井に鼠の客と同じ姿の白鼠たちが駆け回っていた。ある鼠は米を器に盛り、ある鼠は米糠を造っている。義村を先導してきた鼠はつんざくような鳴き声で皆の注目を集めると、義村を大声で紹介し、義村の頼みを説明した。するとひしめく鼠の中から一風変わった鼠が現れ、
「その三味線を知っている」
としきりに訴えるではないか。それもそのはず、その鼠とは赤茶と白のずんぐり太った天竺鼠だったのだ。かくして天竺鼠を遣わせ、義村は彼の帰りを待った。鼠らは義村に礼をしようと米や糠漬けを振舞ったが、天竺鼠が帰るまでの間も義村は毎日働きに出て、どこかに三味線弾きはいないか町から町へ探して回った。
三月ほど経ち、ようやく天竺鼠が黄金に光る三味線を背負って鼠の国に帰ってきた。しかし未だ四百の手に足る三味線弾きは集まらない。するとあの時の鼠の客が胸を叩いて提案した。
鼠はここに優に百匹。その一匹ずつが自らの四本の肢を使ったならば、これは四百の異なる手で演奏したことになるのではないか。
義村は半信半疑だったが、他の鼠も恩返しを心底したがっているようで、義村は鼠たちのために三味線弾きを学び始めた。義村が三味線を一から習い、それを鼠に教示する。百の鼠は一夜の曲を代わるがわるに演奏し、さらに一匹の鼠においても四つの肢の全てを使う。義村は慣れない三味線を同じく慣れない鼠たちに手取り足取り教え込んだ。それはまさしく気の遠くなるような時間であったが、義村は決して鼠による演奏を諦めることはなかった。
義村が女に出会ってから三年の月日が経った頃、とうとう深山の荒家に義村と鼠らが現れた。義村は手短に経緯を話すと、女の命を心配し自分は家の外に出て、百の鼠と三味線のみを残して透垣の外で座りこんだ。それから一夜に渡って響いた百の鼠の演奏は、後に都の噂になるほど壮麗を極めるものだったという。
後妻消失の話を肴に宴をしていた義邦は、突然聞こえてきた三味線の音に思わず体が固まっていた。遠くから流れるこの音色は、この世で一番美しい三味線と呼ぶにふさわしい。義邦は家臣たちに命じてその音の出所を探させたが、三味線が見つかるより前に息子の義村が見つかった。
義邦の邸へ戻った時、義村は女を連れていた。「大事な息子が嫁まで連れて帰って来たか」と雀躍したが、義村は父の顔を見据えて明朗な声で語り始めた。
「いかにもこの女は私の妻にございます。しかし同時に父上の妻になる方でもあったのです」
義邦が混乱して息子に質すと、義村はさらに先を続けた。
「この邸から見知らぬ田舎にその身を飛ばされてからというもの、私は己の無力さから目を背け、あちこちに逃げ惑うてきました。この者は私がついに死を考えていた折に現れ、私を大きく勇気づけてくれた者なのです。しかし昨晩私がこの者にかけられた呪いを解いた時、私の目の前に立っていたのは、父上が見せてくださった『最も醜い牛』の顔をした女だったのです。父上もお聞きになったでしょうか、百の鼠の手を借りて演奏させた黄金の三味線です。その曲が終わった時、この者の衣の色は若草から翡翠へ変わり、私は全てを承知したのです。仙女は私を憎んでではなく、私を育て鍛えるために、私に試練を課したのです。父上の蔵をこの世の全てと思い込んでいたこの私めに、外界を見聞きして、位を異にする者の苦労を知り、己の力のみではどうにもならないこともあることを思い知らせ、誰かのことを一心に思い、そんな私にも恩義を感じ力になってくれる者のいることのすばらしさを分からせてくれたのです。私はこのたびこの者と契りを結び、私を助けてくれた鼠らをこの家の新たな家臣として迎えたいと存じます」
義邦は終始義村の話を口をつぐんで聞いていたが、終わりの方へ近づくにつれその頬は引きつりついに激怒した。
「やっと見つかった可愛い息子が何を言い出すか黙って聞けば、お前は私の蔵を侮辱し挙句鼠を家臣にだと! この世で最も才ある家臣は既にこの邸の中におる。鼠の弾いた三味線なんぞ美しい音色のするものか。この世で最も美しく鳴る三味線はこの蔵の螺鈿紫猫三味線に決まっておる!」
「父上、しかし私にとってあの三味線こそ、私の今までの半生に聴いた最も美しい音色なのです。百もの鼠が私のために、一夜に渡ってそれを弾くのだと、そう申してくれたのです。私は鼠らの心に応えるために、どんなに歳月がかかっても、彼らに妻を任せたのです。
それが私がこのおよそ七年の最後に出した音にございます」
義村の晴れやかな顔と反対に、義邦は真っ赤になって立ち上がった。
「もう聞いてられん! お前のような無礼者は喜連の蔵に閉じこめておけばよかったものを!」
すると女がすっくと立ち、義邦をにらんで言い放った。
「あなたのような思い上がりはこの家の恥にございます。この世で唯一の三味線になってその蔵の隅でお眠りなさい」
女が着物の袖を振るうと、義邦の口には唇の代わりに大きな三味線がくっついた。義邦は妖怪・口三味線として鼠らによって蔵に運ばれ、町人の物見に遭ったという。
後にこの蔵を調べた結果、そこに眠る物のほとんどはこの世で一番の品などではなく、喜連の邸に出入りする鑑定家が称賛した物に過ぎなかった。この義邦の話から、口先だけでたぶらかすことを口三味線と言うようになった。
こうして義村は仙女と結ばれ、鼠らを迎えて喜連の家を皆で支えていったという。天竺の地底の黄金の三味線は邸の広間に堂々飾られ、「百鼠三味線」の名で呼ばれ今の世までも語り継がれている。
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