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第12話 カツレツ
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「さあ、始まりました。のび田先生のー、豚カツの歴史講座ー!」
「突然どうしたの? 頭でも打った?」
「いえ。店に到着するまで暇なので、テンションを上げて時間を潰そうかと」
「豚カツの歴史講座をするのは構わないけど、テンションは普段のままでいいから。オブラートに包んで言うけど、ウザい」
「こんな薄いオブラート初めて見ました」
『とんかつの発明者』が創業した店がある場所は、豚カツの聖地である上野。
カツサンド発祥の井泉から、徒歩三分の場所である。
見覚えのある景色を眺め飽きた向晴は、のび田の歴史講座を聞くべく、隣を向く。
視線を受け取ったのび田は姿勢を正し、口を開く。
「さて、日本においてカツレツがいつ誕生したかは定かではありませんが、明治二十三年に発行された『時事新報 東京案内』という観光ガイドには、豚のカツレツが登場したと言われています。ですので、少なくともそれ以前には、豚カツの前身となるカツレツが存在していたと考えられます」
「時事新報?」
「福沢諭吉の創刊した新聞のことです」
「へえー」
「そして明治三十八年、今では上野の豚カツ御三家に数えられる洋食屋、『ぽん多本家』が誕生しました。創業者は、当時宮内省で西洋料理のコックをしていた島田信治郎氏です」
明治時代は、日本が西洋文化を学んだ時代だ。
明治三十八年創業のぽん多本家は、日本人になじみのなかった洋食を、日本人に近づけたと言える。
ところで、カツカレー発祥の店である銀座スイスは、昭和二十八年創業であり、安価に洋食を提供することで洋食をより大衆化させた店。
洋食の周知と普及。
長い歴史のふしぶしには、尽力した者の姿が見えてくる。
「そして何を隠そう、この島田信治郎氏こそが、『とんかつの発明者』と呼ばれている方なのです!」
「なるほど! つまり、この『ぽん多本家』こそが、豚カツ発祥の」
「違います」
「この流れで違うの!?」
「豚カツ発祥のお店は、閉業したって言ったじゃないですか」
「あ……」
「そもそも、この『ぽん多本家』は、豚カツの御三家と数えられつつ豚カツを提供してはいません」
「色々待って。混乱してきたわ」
豚カツの御三家ではあるが、豚カツを提供していない。
提供したこともないのに豚カツの御三家と呼ばれているのか、はたまたかつて豚カツを提供していたのか。
向晴は混乱のあまり頭を抱える。
「混乱するのも無理はありません。ここで出てくるのが、豚カツとカツレツの境が曖昧だということです」
「ほえ?」
「『ぽん多本家』でも、カツは提供しています。ただし、『ぽん多本家』はあくまで洋食屋。提供しているのは、和食の豚カツではなく、洋食のカツレツです」
「……なるほどね?」
「繰り返しになりますが、明確な区別がされていないんですよ。一般人からすれば、豚カツもカツレツも同じ豚カツでしかないんですよ。その結果、カツレツを出す『ぽん多本家』が豚カツ御三家に数えられているのです」
「『豚カツの御三家』を、『豚カツかカツレツを出す美味しいお店』と解釈しても?」
「いいと思います」
余談だが、『上野とんかつ御三家』と呼ばれる店は、『双葉』、『蓬莱屋』、そして『ぽん多本家』の三店だ。
ただし、『双葉』については既に閉店しており、現在ではカツサンド発祥店の『井泉本店』が三店に数えられることもある。
向晴は指で自身のこめかみをグリグリとなぞった後、顔を上げる。
「とりあえず、わかったわ。『とんかつの発明者』島田信治郎が、カツレツで有名な『ぽん多本家』を創業したのね」
「その通りです。そして昭和四年、島田信治郎氏が『ポンチ軒』という店で、豚カツを考案したと言われています」
「えーっと、『ぽん多本店』を創業した後ってことよね。豚カツを出すために、和食屋として『ポンチ軒』を創業したってこと?」
「いえ、創業ではなく考案と言われてますが、細かいところはわからないのです」
「わからない?」
「はい。『ポンチ軒』自体は第二次世界大戦の空襲で閉業しており、真実が受け継がれていないのです」
豚カツの発祥には、さまざまな説と憶測が紛れ込んでいる。
島田信治郎が『ポンチ軒』で考案した説がある一方で、島田信治郎が『豚カツ』と呼ばれるのを嫌ったという説もある。
真実はいつも一つだが、現時点では不明である。
「つまり、貴方はこう言いたいのね? 『とんかつの発明者』が創業した店のカツレツは、豚カツの元祖と言って差し支えない、と」
「Exactly(そのとおりでございます)」
「正直、豚カツの歴史は複雑すぎて読者の半分くらいしか理解できないだろうけど、これから行くお店で『とんかつの発明者』の開発したカツレツが食べられるのはわかったわ」
「読者ってなんですか?」
東京都道四三七号線を北上し、右折してひすいアベニューへ入ってすぐ。
ぽん多本店は姿を現す。
「到着しました」
自動車から向晴とのび田の二人が降り、兆老は自動車を駐車するためにその場を後にする。
「これは、趣がありますね」
向晴の目の前に建つのは、五階建ての建物。
一階と二階の間には、年季を感じる巨大な木彫りの看板が取り付けられており、行書体で『多んぽ』と掘られている。
日本において左横書き化が始まったのは昭和二十四年であり、右横読みの看板は『ぽん多本家』という歴史の生き証人である。
看板の下には白い狛犬の置物が二つ備え付けられ、阿吽がごとく、口を開けた狛犬と口を閉じた狛犬がにらみ合っている。
さらに狛犬の下には重厚感のある扉がどっしりと構え、入る者を選抜するような威圧感を漂わせている。
一階には窓などなく、中の様子もわからない。
気の弱い人間であれば、即座に扉の前から逃げ去るだろ。
「入りますね」
「ええ」
のび田が先導し、扉を開く。
のび田の手には、扉とは思えない重さがのしかかり、扉の奥に未知の世界が広がっていった。
「突然どうしたの? 頭でも打った?」
「いえ。店に到着するまで暇なので、テンションを上げて時間を潰そうかと」
「豚カツの歴史講座をするのは構わないけど、テンションは普段のままでいいから。オブラートに包んで言うけど、ウザい」
「こんな薄いオブラート初めて見ました」
『とんかつの発明者』が創業した店がある場所は、豚カツの聖地である上野。
カツサンド発祥の井泉から、徒歩三分の場所である。
見覚えのある景色を眺め飽きた向晴は、のび田の歴史講座を聞くべく、隣を向く。
視線を受け取ったのび田は姿勢を正し、口を開く。
「さて、日本においてカツレツがいつ誕生したかは定かではありませんが、明治二十三年に発行された『時事新報 東京案内』という観光ガイドには、豚のカツレツが登場したと言われています。ですので、少なくともそれ以前には、豚カツの前身となるカツレツが存在していたと考えられます」
「時事新報?」
「福沢諭吉の創刊した新聞のことです」
「へえー」
「そして明治三十八年、今では上野の豚カツ御三家に数えられる洋食屋、『ぽん多本家』が誕生しました。創業者は、当時宮内省で西洋料理のコックをしていた島田信治郎氏です」
明治時代は、日本が西洋文化を学んだ時代だ。
明治三十八年創業のぽん多本家は、日本人になじみのなかった洋食を、日本人に近づけたと言える。
ところで、カツカレー発祥の店である銀座スイスは、昭和二十八年創業であり、安価に洋食を提供することで洋食をより大衆化させた店。
洋食の周知と普及。
長い歴史のふしぶしには、尽力した者の姿が見えてくる。
「そして何を隠そう、この島田信治郎氏こそが、『とんかつの発明者』と呼ばれている方なのです!」
「なるほど! つまり、この『ぽん多本家』こそが、豚カツ発祥の」
「違います」
「この流れで違うの!?」
「豚カツ発祥のお店は、閉業したって言ったじゃないですか」
「あ……」
「そもそも、この『ぽん多本家』は、豚カツの御三家と数えられつつ豚カツを提供してはいません」
「色々待って。混乱してきたわ」
豚カツの御三家ではあるが、豚カツを提供していない。
提供したこともないのに豚カツの御三家と呼ばれているのか、はたまたかつて豚カツを提供していたのか。
向晴は混乱のあまり頭を抱える。
「混乱するのも無理はありません。ここで出てくるのが、豚カツとカツレツの境が曖昧だということです」
「ほえ?」
「『ぽん多本家』でも、カツは提供しています。ただし、『ぽん多本家』はあくまで洋食屋。提供しているのは、和食の豚カツではなく、洋食のカツレツです」
「……なるほどね?」
「繰り返しになりますが、明確な区別がされていないんですよ。一般人からすれば、豚カツもカツレツも同じ豚カツでしかないんですよ。その結果、カツレツを出す『ぽん多本家』が豚カツ御三家に数えられているのです」
「『豚カツの御三家』を、『豚カツかカツレツを出す美味しいお店』と解釈しても?」
「いいと思います」
余談だが、『上野とんかつ御三家』と呼ばれる店は、『双葉』、『蓬莱屋』、そして『ぽん多本家』の三店だ。
ただし、『双葉』については既に閉店しており、現在ではカツサンド発祥店の『井泉本店』が三店に数えられることもある。
向晴は指で自身のこめかみをグリグリとなぞった後、顔を上げる。
「とりあえず、わかったわ。『とんかつの発明者』島田信治郎が、カツレツで有名な『ぽん多本家』を創業したのね」
「その通りです。そして昭和四年、島田信治郎氏が『ポンチ軒』という店で、豚カツを考案したと言われています」
「えーっと、『ぽん多本店』を創業した後ってことよね。豚カツを出すために、和食屋として『ポンチ軒』を創業したってこと?」
「いえ、創業ではなく考案と言われてますが、細かいところはわからないのです」
「わからない?」
「はい。『ポンチ軒』自体は第二次世界大戦の空襲で閉業しており、真実が受け継がれていないのです」
豚カツの発祥には、さまざまな説と憶測が紛れ込んでいる。
島田信治郎が『ポンチ軒』で考案した説がある一方で、島田信治郎が『豚カツ』と呼ばれるのを嫌ったという説もある。
真実はいつも一つだが、現時点では不明である。
「つまり、貴方はこう言いたいのね? 『とんかつの発明者』が創業した店のカツレツは、豚カツの元祖と言って差し支えない、と」
「Exactly(そのとおりでございます)」
「正直、豚カツの歴史は複雑すぎて読者の半分くらいしか理解できないだろうけど、これから行くお店で『とんかつの発明者』の開発したカツレツが食べられるのはわかったわ」
「読者ってなんですか?」
東京都道四三七号線を北上し、右折してひすいアベニューへ入ってすぐ。
ぽん多本店は姿を現す。
「到着しました」
自動車から向晴とのび田の二人が降り、兆老は自動車を駐車するためにその場を後にする。
「これは、趣がありますね」
向晴の目の前に建つのは、五階建ての建物。
一階と二階の間には、年季を感じる巨大な木彫りの看板が取り付けられており、行書体で『多んぽ』と掘られている。
日本において左横書き化が始まったのは昭和二十四年であり、右横読みの看板は『ぽん多本家』という歴史の生き証人である。
看板の下には白い狛犬の置物が二つ備え付けられ、阿吽がごとく、口を開けた狛犬と口を閉じた狛犬がにらみ合っている。
さらに狛犬の下には重厚感のある扉がどっしりと構え、入る者を選抜するような威圧感を漂わせている。
一階には窓などなく、中の様子もわからない。
気の弱い人間であれば、即座に扉の前から逃げ去るだろ。
「入りますね」
「ええ」
のび田が先導し、扉を開く。
のび田の手には、扉とは思えない重さがのしかかり、扉の奥に未知の世界が広がっていった。
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