お嬢様、お食べなさい

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第11話 カツレツ

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 向晴は、腕組みをして立っている。
 向かいには、のび田が直立不動で立っている。
 のび田はまさに、向晴に呼び出しを受けたところだった。
 
「よく来たわね!」
 
「なんでしょうか?」
 
「貴方を呼び出すなんて、次の食事の事しかないわ」
 
「まあ、ですよね」
 
 最近の向晴の趣味は、食事だ。
 三大珍味だけではなく、今まで庶民の味と食べ控えていた料理を、積極的にとっている。
 
「最初はカツカレー。次にヒレカツ定食とカツサンド。ここまで言えば、私が次に何を食べたいかわかりますよね?」
 
「もちろんです、お嬢様」
 
 向晴の信用の瞳に対し、のび田は堂々と答えてみせた。
 言葉を介さずとも主人の意思を理解するのは、執事としての務めである。
 向晴と同居してきた期間は、のび田にとって向晴の性格を知るには十分すぎた。
 
「海鮮丼を食べたいんですよね?」
 
「なんでよ!? 海鮮の『か』の字も出てないわよ!」
 
「いや、かの字は出てましたよ。『カ』ツカレーに『カ』ツサンド」
 
「出てたわね! それは私が間違ってたわ! じゃなくて、海鮮料理の話題なんて一言も出てなかったって意味よ!」
 
「ああ、そういう意味でしたか」
 
「むしろ、それ以外の意味が出てきたことに驚いたわよ!」
 
 叫び疲れて上下する向晴の肩を、兆老が優しく叩く。
 
「落ち着いてください、お嬢様」
 
「爺や」
 
「彼はまだ、お嬢様のことを知らないのです。すべて、この爺やにお任せください」
 
「そうね、任せるわ」
 
 向晴より大義を仰せつかった兆老は、タキシードを正し、のび田の前に立った。
 まるで、教師が生徒に言い聞かせるように、兆老はのび田に優しく言った。
 
「カツカレー、カツサンドの順で来たら、お嬢様が欲するのは一つです。カツ、即ち豚カツです」
 
「違……そうよ!」
 
「お嬢様? 今なぜ、違うと言いそうになったのですか?」
 
「爺やだったらボケそうだなって思ったのよ! 普段の言動を振り返りなさい!」
 
 豚カツ。
 カツカレーもカツサンドも、豚カツから派生した料理である。
 両者を食べた向晴が、その元となる純粋な豚カツを所望するのも納得だろう。
 
 兆老の言葉を聞いて、向晴の要望を理解したのび田が両手をパンと叩く。
 
「なるほど。お嬢様は、豚カツ発祥のお店で豚カツを食べたいのですね」
 
「ええ、その通りよ」
 
「……難しいですね」
 
「え?」
 
 が、向晴の希望は、のび田の言葉に阻まれた。
 
 のび田は向晴の元に来てから、向晴をカツカレーとカツサンドの発祥の店へと案内した。
 であれば、当然豚カツ発祥の店も知っているだろうと向晴は考えていたのだ。
 難しいというのは、向晴の想定外だ。
 
「な、何故?」
 
 動揺を含んだ声で問う向晴に、のび田は人差し指を立てた。
 
「理由は二つあります。一つは、豚カツ発祥と言われているお店が、すでに閉業しているからです」
 
「あ」
 
 飲食店は過酷な競争社会であり、七十パーセントの飲食店が三年以内に閉店するとも、九十パーセントの飲食店が十年以内に閉店するとも言われている。
 つまり、寿命が短いのだ。
 
 また、発祥ということは、何十年という長い月日を営業し続ける必要がある。
 建物の老朽化、後継者の不足、エトセトラ。
 閉業に至る分岐点は、無数にあるだろう。
 
 高貴にして聡明な向晴は、食への欲求を見すぎたがあまり、そんな簡単な考えに至らなかった。
 
 向晴はがっくりと肩を落とし、同時に疑問が浮かぶ。
 のび田は理由が二つあると言った。
 一つ目の理由が閉業であれば、それ以外の理由が思いつかなかったのだ。
 向晴は顔を上げて、のび田を見る。
 
 のび田は、中指を立て、指で二つ目を表す。
 
「もう一つの理由ですが、豚カツとカツレツの境が曖昧なことです。たとえ閉業をしていなかったとしても、豚カツ発祥とぼくが呼んだ店の料理を、豚カツと定義していいかは議論の余地があるのです」
 
「曖昧?」
 
 のび田の言葉に、向晴は過去ののび田の言葉を思い返す。
 豚カツとカツレツ。
 その違いを。
 
「貴方以前、『ポークカツレツより厚切りの豚肉を使って、油の量を増やして揚げた料理が豚カツ』って言ってなかった?」
 
「……よく覚えてましたね」
 
「記憶力には自信があるので」
 
 ふふん、と向晴は自慢げな表情を浮かべる。
 
「おっしゃる通り、ポークカツレツより厚切りの豚肉を、大量の油で揚げたのが豚カツです」
 
「なら、境は明確じゃない?」
 
「では、お嬢様に質問です」
 
「何かしら?」
 
「厚切り、と言うのは、具体的には何センチメートル以上の豚肉のことですか?」
 
「へ?」
 
「油の量を増やす、と言うのは、具体的に何グラム以上の油のことですか?」
 
「な、何よその質問。わかるわけないじゃ……あ!」
 
 のび田の質問の意図を、向晴は即座に察した。
 
 レシピには、明確な量が定義されている。
 しかし料理には、明確な量の定義がない。
 例えば、カレーライスと言う料理において、カレーソースとライスの割合が変われば別の料理になるかと言えば、否である。
 
 豚カツとカツレツの違いは、豚肉の厚さと油の量のさじ加減であり、非常に曖昧なのだ。
 だからこそ、豚カツ発祥の店は、曖昧な定義の中でゆらゆらと揺れている。
 
「私は……世界初の豚カツを食べた鳳凰院向晴にはなれないということなのね……」
 
「なんですか、その謎の称号」
 
 のび田が立てた二本の指を閉じ、代わりに手を自身の左胸に当てる。
 
「ですが、安心してくださいお嬢様。代わりに、『とんかつの発明者』と呼ばれる方が創業したカツレツのお店へとご案内します」
 
「豚カツの発明者? カツレツ?」
 
「はい。先程申し上げた通り、豚カツとカツレツの境は曖昧です。なので、『とんかつの発明者』が豚カツの始めて作ったかは断言できません。しかし、限りなく初期にカツレツや豚カツを提供した方であり、発祥の豚カツに限りなく近い料理であることは間違いないです。発祥の豚カツを所望するお嬢様も、きっとご満足いただけると思います」
 
 左胸に手を当てて自信を示すのび田を前に、向晴は落としていた肩を持ち上げる。
 
 
 
「長いし複雑すぎるわ!」
 
「え?」
 
「ちょっと、なんていうか、回りくどい! 豚カツ発祥の店が閉業したとか言ってみたり、豚カツとカツレツはほとんど同じだからカツレツのお店に行こうと言ってみたり、なんていうか、回りくどい! もしこれが小説なら、読者が飽きるくらいには長いうえに情報量が少なすぎて、即座に本を閉じられてるわよ!」
 
「失礼いたしました。では、簡潔に。次回、『第12話 カツレツ』!」
 
「私のもしも話に合わせなくていいからね!?」
 
 今日も、鳳凰院家は平和だ。
 
「さて、車を準備しますかな」
 
 兆老は、穏やかな平和を噛みしめながら、ダイニングルームを後にした。
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