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第7話 カツサンド
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「お嬢様、本日のお料理はいかがいたしましょうか?」
「カツカレー!」
シェフからの確認に、向晴は間髪入れずにそう答えた。
「……畏まりました」
シェフは何か言いたそうな目で向晴を見たが、何を言っても聞かないだろう向晴の性格を見越して、そのままキッチンへと向かっていった。
キッチンには、カツカレーの材料が既に並んでおり、シェフたちは早々に調理を始める。
「カッツカッレー! カッツカッレー!」
向晴は何も乗っていないダイニングテーブルに向って早々に着席し、手にフォークとスプーンを持って、カツカレーの到着を今か今かと待ちわびている。
そんな向晴の様子を遠巻きに眺めるのが、のび田と兆老である。
「あのー、執事長」
「なんでしょう?」
「これで十日連続ですよ?」
「十日連続ですな」
「しかも三食とも」
「三食ともですな」
「正気ですか?」
「これで、お嬢様がキャビア、トリュフ、フォアグラしか食べなかった理由がわかりましたか?」
人間の食へのこだわりは様々だ。
食を娯楽として捉え、より美味な料理を求めて様々な料理を食べる人間。
食を生存の手段として捉え、健康を管理するため、同じ様な物を食べる人間。
向晴は、極端なまでに後者である。
否、健康を管理する目的ではなく、直前に美味しいと思った物を食べ続ける性質上、究極の偏食家という表現が適切かもしれない。
「お嬢様の事情はわかりました。そして、ぼくが何をするべきかもわかりました」
のび田は走った。
ダイニングルームに漂うカツカレーの香り。
向晴に近づいてくるシェフの足音。
カツカレーができたのだと悟った向晴は、自然とフォークとスプーンを握る力が強くなる。
「お待たせしました、お嬢様」
シェフが、カツカレーを乗せたお盆をもって、ダイニングルームに戻ってくる。
「いいえ、全然待っていませんわ」
遅刻した恋人にかけるような優しい言葉で、向晴はシェフを迎え入れた。
「うわー、おいしそー!」
フォークとスプーンを持ったのび田が、向晴の背後を通り過ぎ、お盆を持つシェフの前に到着した。
「え?」
「え?」
そしてのび田は、シェフと向晴の驚く表情を無視して、カツにフォークを突き刺した。
「え?」
「いやあああああ!? 私のカツカレー!?」
向晴は焦って立ち上がる。
その勢いで椅子が倒れたのも気にせず、のび田に向かって駆け出した。
「あー、おいしいー」
のび田は、大食い大会に出ているかのように、フォークで刺したカツを即座に口の中へ放り込んでいく。
スプーンですくったカレーライスを即座に口の中へ放り込んでいく。
向晴がのび田の肩を掴んだ時には、皿の上からカツカレーが消えていた。
「私のカツカレエエエエエ!?」
改めて現実を見た向晴は再度絶望で叫び、元凶であるのび田の体を前後に揺すった。
「わた、私のカツカレー! 何を考えてますの!? 出しなさい! さあ全部、出しなさい!」
「お、お嬢様、やめ、やめてください。出る。全部出る」
「出しなさい! 出しなさいよ私のカツカレー!」
「ムギグガグギギ」
執事として、人間として、のび田に吐き出してしまう選択肢はない。
のび田は、全身を揺すられるという苦行の中、口の中に残っていたカツカレーを全て飲み込むことに成功した。
ゴクンとなる喉の音を聞いて、向晴はその場に崩れ落ちた。
目から涙がぼろぼろと零れ落ちる。
「わ、私のカツカレー……」
「え、そこまで?」
「私、人生でカツカレーしか食べたことないのに……」
「最初のキャビア、フォアグラ、トリュフしか食べたことない設定どこ行ったんですか?」
「お嬢様は、時々自分で作った設定をお忘れになります」
「設定って言っちゃったよ、この人!?」
泣いている向晴を見て、のび田は少し罪悪感に襲われる。
しかし、一つの料理しか食べないことは、健康管理の面で望ましくない。
故に、カツカレーしか食べていない向晴を止めた、のび田の行動は正しい。
カツカレーが食べたい向晴。
カツカレー以外も食べる習慣をつけて欲しいのび田。
その中間地点に置かれていた、たった一つの回答を求めて、のび田は口を開く。
「お嬢様」
「何よぉ」
「さすがに十日連続のカツカレーは止めざるをえません、しかし、カツカレーが食べたいというお嬢様のご要望を、半分であれば叶えさせていただきます」
「……半分?」
「はい。今日のお昼は、カツサンド発祥のお店などいかがでしょうか?」
「カツ……サンド?」
カツサンド。
カツレツまたは豚カツを、パンで挟んだサンドイッチである。
フォークやスプーンを使わず手軽に食べられる人気の食べ物。
今ではコンビニで販売しているほど、日本中に広まっている。
「し、仕方ないわね! 本当はカツカレーが食べたいのだけど、それで手を打って差し上げましょう! そうと決まれば、すぐに出かけるわよ!」
向晴は涙を拭って、歩き始める。
高貴な身分の人間が、泣き跡を残したままに外出することは許されないのだ。
ダイニングルームを歩き、スマートフォンを構えている兆老の前を横切り、メイクルームへと向かう。
「……」
「……」
「ちょっと、爺や!? 何を撮ってたの!?」
「撮ってませんよ。泣き喚くお嬢様の姿なんか撮ってませんよ」
「消しなさい! 今すぐに!!」
玄関前に回された自動車に、三人は乗り込んだ。
運転席に兆老、後部座席に向晴とのび田が座る。
「で、今日はどこへ行くんですの?」
長い髪を手で撫でながら、向晴はのび田へと尋ねる。
前回は挑戦的な視線だったが、今回はカツが食べられるということで少々ご機嫌だ。
小さく揺れる体には、期待が溢れている。
「今日向かうのは、上野ですね」
「上野?」
「念のため伺いますが、上野はご存じですか?」
「知らないわ!」
「さすが引きこもり。では、簡単にご説明しましょう。上野と言うのは」
「待って。さっき、引きこもりとおっしゃいまして?」
「上野と言うのは、東京における北の玄関口として発展してきた町です。闇市がたくさん作られただとか、画壇が多く行きかっていただとか、色々な歴史を持つ町ですが、同時に豚カツ専門店が多い地域でもあったんです」
「無視しないでくださる?」
豚カツ専門店が増えれば、競争が起こる。
それは、価格競争であり、味競争であり、斬新さの競争である。
そして競争は、新しい料理を生み出すのだ。
「これから向かうのは、豚カツ専門店の一つにして、上野に店を構えるカツサンド発祥の店『井泉』です」
「カツカレー!」
シェフからの確認に、向晴は間髪入れずにそう答えた。
「……畏まりました」
シェフは何か言いたそうな目で向晴を見たが、何を言っても聞かないだろう向晴の性格を見越して、そのままキッチンへと向かっていった。
キッチンには、カツカレーの材料が既に並んでおり、シェフたちは早々に調理を始める。
「カッツカッレー! カッツカッレー!」
向晴は何も乗っていないダイニングテーブルに向って早々に着席し、手にフォークとスプーンを持って、カツカレーの到着を今か今かと待ちわびている。
そんな向晴の様子を遠巻きに眺めるのが、のび田と兆老である。
「あのー、執事長」
「なんでしょう?」
「これで十日連続ですよ?」
「十日連続ですな」
「しかも三食とも」
「三食ともですな」
「正気ですか?」
「これで、お嬢様がキャビア、トリュフ、フォアグラしか食べなかった理由がわかりましたか?」
人間の食へのこだわりは様々だ。
食を娯楽として捉え、より美味な料理を求めて様々な料理を食べる人間。
食を生存の手段として捉え、健康を管理するため、同じ様な物を食べる人間。
向晴は、極端なまでに後者である。
否、健康を管理する目的ではなく、直前に美味しいと思った物を食べ続ける性質上、究極の偏食家という表現が適切かもしれない。
「お嬢様の事情はわかりました。そして、ぼくが何をするべきかもわかりました」
のび田は走った。
ダイニングルームに漂うカツカレーの香り。
向晴に近づいてくるシェフの足音。
カツカレーができたのだと悟った向晴は、自然とフォークとスプーンを握る力が強くなる。
「お待たせしました、お嬢様」
シェフが、カツカレーを乗せたお盆をもって、ダイニングルームに戻ってくる。
「いいえ、全然待っていませんわ」
遅刻した恋人にかけるような優しい言葉で、向晴はシェフを迎え入れた。
「うわー、おいしそー!」
フォークとスプーンを持ったのび田が、向晴の背後を通り過ぎ、お盆を持つシェフの前に到着した。
「え?」
「え?」
そしてのび田は、シェフと向晴の驚く表情を無視して、カツにフォークを突き刺した。
「え?」
「いやあああああ!? 私のカツカレー!?」
向晴は焦って立ち上がる。
その勢いで椅子が倒れたのも気にせず、のび田に向かって駆け出した。
「あー、おいしいー」
のび田は、大食い大会に出ているかのように、フォークで刺したカツを即座に口の中へ放り込んでいく。
スプーンですくったカレーライスを即座に口の中へ放り込んでいく。
向晴がのび田の肩を掴んだ時には、皿の上からカツカレーが消えていた。
「私のカツカレエエエエエ!?」
改めて現実を見た向晴は再度絶望で叫び、元凶であるのび田の体を前後に揺すった。
「わた、私のカツカレー! 何を考えてますの!? 出しなさい! さあ全部、出しなさい!」
「お、お嬢様、やめ、やめてください。出る。全部出る」
「出しなさい! 出しなさいよ私のカツカレー!」
「ムギグガグギギ」
執事として、人間として、のび田に吐き出してしまう選択肢はない。
のび田は、全身を揺すられるという苦行の中、口の中に残っていたカツカレーを全て飲み込むことに成功した。
ゴクンとなる喉の音を聞いて、向晴はその場に崩れ落ちた。
目から涙がぼろぼろと零れ落ちる。
「わ、私のカツカレー……」
「え、そこまで?」
「私、人生でカツカレーしか食べたことないのに……」
「最初のキャビア、フォアグラ、トリュフしか食べたことない設定どこ行ったんですか?」
「お嬢様は、時々自分で作った設定をお忘れになります」
「設定って言っちゃったよ、この人!?」
泣いている向晴を見て、のび田は少し罪悪感に襲われる。
しかし、一つの料理しか食べないことは、健康管理の面で望ましくない。
故に、カツカレーしか食べていない向晴を止めた、のび田の行動は正しい。
カツカレーが食べたい向晴。
カツカレー以外も食べる習慣をつけて欲しいのび田。
その中間地点に置かれていた、たった一つの回答を求めて、のび田は口を開く。
「お嬢様」
「何よぉ」
「さすがに十日連続のカツカレーは止めざるをえません、しかし、カツカレーが食べたいというお嬢様のご要望を、半分であれば叶えさせていただきます」
「……半分?」
「はい。今日のお昼は、カツサンド発祥のお店などいかがでしょうか?」
「カツ……サンド?」
カツサンド。
カツレツまたは豚カツを、パンで挟んだサンドイッチである。
フォークやスプーンを使わず手軽に食べられる人気の食べ物。
今ではコンビニで販売しているほど、日本中に広まっている。
「し、仕方ないわね! 本当はカツカレーが食べたいのだけど、それで手を打って差し上げましょう! そうと決まれば、すぐに出かけるわよ!」
向晴は涙を拭って、歩き始める。
高貴な身分の人間が、泣き跡を残したままに外出することは許されないのだ。
ダイニングルームを歩き、スマートフォンを構えている兆老の前を横切り、メイクルームへと向かう。
「……」
「……」
「ちょっと、爺や!? 何を撮ってたの!?」
「撮ってませんよ。泣き喚くお嬢様の姿なんか撮ってませんよ」
「消しなさい! 今すぐに!!」
玄関前に回された自動車に、三人は乗り込んだ。
運転席に兆老、後部座席に向晴とのび田が座る。
「で、今日はどこへ行くんですの?」
長い髪を手で撫でながら、向晴はのび田へと尋ねる。
前回は挑戦的な視線だったが、今回はカツが食べられるということで少々ご機嫌だ。
小さく揺れる体には、期待が溢れている。
「今日向かうのは、上野ですね」
「上野?」
「念のため伺いますが、上野はご存じですか?」
「知らないわ!」
「さすが引きこもり。では、簡単にご説明しましょう。上野と言うのは」
「待って。さっき、引きこもりとおっしゃいまして?」
「上野と言うのは、東京における北の玄関口として発展してきた町です。闇市がたくさん作られただとか、画壇が多く行きかっていただとか、色々な歴史を持つ町ですが、同時に豚カツ専門店が多い地域でもあったんです」
「無視しないでくださる?」
豚カツ専門店が増えれば、競争が起こる。
それは、価格競争であり、味競争であり、斬新さの競争である。
そして競争は、新しい料理を生み出すのだ。
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