純白の少女と烈火の令嬢と……

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「今後とも、良きお付き合いをお願いします」
 
「こちらこそ」
 
 シトリンは、応接室で顧客とがっちり握手を交わす。
 今回の商談は、シトリンから新規顧客獲得のために持ちかけたもの。
 つまり、優位なのは顧客だ。
 シトリンは、退室する顧客を深い礼で見送った後、力が抜けた体で椅子にどすんと座った。
 額の汗をぬぐい、商品説明のために用意していた資料を片付けていく。
 
「手ごたえは、あった」
 
 商会のトップであるシトリン自身が動く商談は、未来で莫大な利益が左右される物ばかりだ。
 一件一件が商会の未来に影響し、それゆえシトリンが命をすり減らす緊張感で臨んでいる。
 ここ一年で生えた白髪を撫でながら、夢のためにとシトリンは立ち上がる。
 
 今日のスケジュールもパンパンだ。
 授業の合間どころか、一部の授業を欠席してでも、シトリンは商会の成長に尽力していた。
 何かを忘れるように、必死に。
 
 資料を鞄に詰め込み終えたシトリンは、部屋を出て廊下を歩く。
 向かう先は次の商談会場。
 一秒たりともシトリンに無駄な時間はなく、自然と速足になる。
 
 が、そんなシトリンにも、足を止めてしまう出来事はある。
 
「…………え?」
 
「見つけたわ! シトリン様!」
 
 窓の外から迫ってくる火の玉と、火の玉の先頭で笑顔を向けるルビー。
 そして、ルビーに担がれたエメラルド。
 
「いやあああああ!?」
 
「ぎゃああああ!?」
 
 火の玉は、シトリンの前方にあったガラス窓を突き破り、廊下の壁へと激突した。
 熱と光を噴き出す爆炎の中からは、ルビーとエメラルドがのそのそと現れた。
 服は焦げ付き、ところどころ破れ、しかし怪我は負っていない。
 
「初めて試したけど、練習が必要ね」
 
「初めて!? 殺す気!? あー、わかったわー! あんた、ペーパードライバーのくせして嬉々として助手席に人乗っけるタイプでしょー!」
 
「よくわかったわね」
 
「いやー!? 憲兵さーん! 人殺しー! 人殺しがここにいまーす!」
 
「生きてるじゃない。私もあなたも」
 
「奇跡的にね!?」
 
 シトリンは、目の前で繰り広げられる言い争いをぽかんと眺める。
 目の前で起きた爆発もそうだが、公爵家の令嬢ともあろう二人がぼろぼろの様子で言い争いをしている姿が、あまりにも非現実的で受け入れるのに時間がかかっていた。
 
「あ」
 
 ぼーっと見ていたシトリンの視線に気づき、エメラルドは気まずそうにシトリンを見る。
 少し目をそらし、すぐに視線をシトリンに戻し、眼球を左右にきょろきょろと動かし、最終的にはシトリンへと戻った。
 シトリンもまた、エメラルドに見られていることに気づくと、気まずそうに顔を伏せた。
 
「ひ、久しぶりね……シトリン……」
 
「あ、ああ……。そうだな……」
 
 エメラルドもシトリンも、今すぐにでもこの場から逃げ出したい衝動にかられた。
 しかし、同時に相手と話したいという衝動にもかられていた。
 婚約破棄となって以降、ずっと後回しになっていた本心を伝達する機会を前に、二人はずっと待っていたのだから。
 
 逃げ出したいけど、話したい。
 そんな二人の願望は、奇跡的に達成された。
 
「見つけましたー!」
 
「ルビー様、エメラルド様、校舎を破壊するなんて何を考えているんですか!」
 
「捕まえろー!」
 
 怒りの形相で、ルビーとエメラルドを追いかけてきた教師たちによって。
 
「あ」
 
「あ」
 
 ルビーは走った。
 教師から逃げるために。
 エメラルドは走った。
 教師から逃げるために。
 シトリンは走った。
 なんか流されるままに。
 
「くっ、学校内は閉鎖社会だから教師が好き勝手してると聞いたことはあったけど、まさかこの世界でも生徒へのパワハラが横行してるなんて」
 
「どう考えてもあんたのせいでしょうがー!」
 
「何故、私まで逃げているんだ!?」
 
 三人は、夕焼けの差す廊下を走る。
 見方によっては、青春の一幕。
 しかし事実は、不良少女へのお仕置き。
 
 ルビーは気づいていた。
 このまま逃げ続けていても、いずれ捕まるだろうことに。
 そして、当初の目的がエメラルドとシトリンを会話させることだということに。
 
 ルビーは立ち止まり、走ってくる教師たちに向いて両手を広げた。
 突然の行動に、エメラルドとシトリンは足を止めずに振り返る。
 
「ここは! 私が! 食い止める! 貴方たちは行きなさい!」
 
 ルビーの右手は閉じられ、グッと親指が経つ。
 全てを引き受けんとするルビーの気概に、エメラルドは思わず口を開く。
 
「そもそもあんたのせいでしょうがあああ!!」
 
 ルビーという尊い犠牲によってエメラルドとシトリンは、教師という追手から逃れることに成功した。
 
 
 
「はあ……はあ……」
 
「はあ……はあ……」
 
 誰もいない教室で、エメラルドとシトリンは二人きり。
 シトリンが時計を見ると、次の商談時間が近づいてきている。
 遅れてしまえばシトリン商会として大損だ。
 しかし、シトリンはすぐに教室を出ることができなかった。
 シトリンの目の前で、荒い呼吸をしているエメラルドの存在が、シトリンの足を引き止める。
 
 一方のエメラルドは、とっくに呼吸が落ち着いているものの、シトリンへの第一声が見当たらずに荒い呼吸の振りをする。
 上半身を大きく傾け、顔を下に向け、疲労で顔を上げることができない振りをする。
 否、エメラルド自身、第一声が謝罪以外にないことはとっくに気づいている。
 気づいたうえで、いざシトリンを前にすると言葉が出なかった。
 ただのプライドか。
 それとも、小心者の心か。
 
 シトリンは、そんなエメラルドの内心などとっくに見破っていた。
 だてに、婚約者として長い時間を過ごしてはいない。
 
 シトリンの選択肢は三つ。
 一つ目、エメラルドの存在を放置し、次の商談会場へと向かう。
 二つ目、謝罪する決意ができるまで、エメラルドの言葉を待つ。
 三つ目、シトリンが先に謝ることでエメラルドを優位に立たせ、エメラルドの言葉を待つ。
 
 幸い、一つ目を選ぶほど、シトリンは非情な人間ではなかった。
 そして、二つ目を選ぶほど、シトリンは時間を無駄に使う人間ではなかった。
 
「すみませんでした、エメラルド」
 
 シトリンからの謝罪に、エメラルドは驚いて顔を上げる。
 
「あ、えっと」
 
 謝罪されている意味が分からず、いよいよエメラルドは何を話していいのかわからなくなる。
 
「私は、貴女から婚約破棄を伝えられた時、貴女に理由を聞くことも撤回するように頼むこともできなかった。私は、貴女が望むならと全てを受け入れ……いえ、違いますね。ただ、恐かったのです。私自身を否定されることが」
 
「いや、あの、え」
 
 シトリンの言葉は続く。
 強い緊張感に襲われた時、寡黙になる人間と雄弁になる人間が存在する。
 エメラルドは前者で、シトリンは後者だ。
 たまりにたまった感情を、シトリンは吐き出す。
 それは余計に、エメラルドに口を挟む隙を与えなかった。
 
「それでも、私から貴女に伝えなければならなかったのです。婚約者として。男として。貴女の婚約破棄も、それ以降に発生したトラブルも、全ての責は私にあります。許してください、エメラルド」
 
「えっと、その」
 
 エメラルドの心の中には、どんどんと罪悪感が積まれていく。
 
「思えば、昔からそうでしたね。いつも貴女が暴走し、私が諫める役。私たちは、そうして今まで一緒に過ごしてきたはずなのに、どうして今回はこんなことになってしまったのでしょう。貴女が他の貴族を蹴飛ばして問題になりかけた時に私が仲裁したように、食事中にお皿ごと料理を投げ捨てた時に私が料理人たちをフォローしたように。婚約破棄の時も、私が貴女を正しく諫めていればこんなことには」
 
「はああああああああああ!?」
 
 一秒後、罪悪感は崩れ落ちた。
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