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 可愛そうなことをしてしまった。
 意外にも、ペリドットの心の中には罪悪感が住んでいた。
 ペリドットの優先順位の中で、最もエメラルドの望みを叶えることが高いというだけで、人並みの感性は持っていた。
 
 だから、最近のペリドットは上の空になることが多い。
 人と話す時は努めて普段通りに振舞うことはできているが、誰も見ていないときにはボーッと空中を眺めている。
 
「では、授業を始めます」
 
 一時間目の授業が始まっても、教科書を開く元気もない。
 周囲の生徒たちが教科書を開き、紙の擦りあう音が、ペリドットの耳を素通りする。
 今日もペリドットは、やる気なく授業を受け、授業が終わればエメラルドの望みをかなえるために頭を捻り、日によっては嫌がらせの下準備をする。
 最近のペリドットのルーチン。
 
「まずは、前回の復習から」
 
「失礼いたします!!」
 
 だから、ルーチンの外、ペリドットのいる教室の扉が勢いよく開かれ、ずかずかと入ってくるルビーを見た瞬間に目が覚醒した。
 上級生の教室だというのに、ルビーは無遠慮に歩き、教室内をきょろきょろと見渡す。
 
「ちょ、ちょっとルビー様!? 困ります。今は授業の最中で」
 
 我に返った教師がルビーを止めようと動く。
 
「黙りなさい! 私の行動は、オニキス様も承知の上です!」
 
「オ、オニキス様の!?」
 
 魔法学院において、教師は校則の元、王族や公爵家の生徒より上の存在と定義され、学院にいる間は、身分に関わらず生徒へ指示をすることが許可されている。
 従って、オニキスの名前を出したところで、教師は従う義務がない。
 とはいえ、人間には感情がある。
 ルールによって許される行為が、必ずしも許されるとは限らないのが、理不尽な人の世だ。
 恐怖心が、教師の動きを止めた。
 
 一体何が起きているんだとルビーを見ていたペリドットは、ルビーと目が合った。
 
「いたわね、ペリドット!」
 
 互いに公爵家。
 爵位は同等。
 年齢は、ペリドットの方が上。
 敬意を払う方向は、ルビーからペリドットへが本来。
 しかし、ルビーはあえて呼び捨てた。
 なぜなら、ルビーの中の悪役令嬢ルビー・スカーレットは、誰に対しても敬意など払わないから。
 自分が正しいと思ったことが正しく、異を唱える者は異常思考の格下認定。
 今、ルビーは明確に、ペリドットを格下と認定した。
 
「用があるの。ちょっと顔を貸しなさい?」
 
 ペリドットの席に到着すると、ルビーはペリドットの腕を掴んで無理やり立たせる。
 唖然としていたペリドットも、ようやく我に返り、怒りがこみあげてくる。
 
「おい、無礼だぞ! 私を誰だと」
 
「誰が話していいっていったのよ!」
 
 非は、ルビーにある。
 無礼は、ルビーにある。
 しかし誰も、ペリドットも、ルビーの言葉に言い返せない。
 言葉に重さがあるならば、今この場にて最も重い言葉を吐いているのはルビーであり、他のあらゆる騒音がルビーの言葉によって押し潰されている。
 
「先生、ペリドットをちょっとお借りします!」
 
 ペリドットが本気で抵抗すれば振り払える、ルビーという女子のたかが一本の細腕。
 その細腕が、ペリドットを有無を言わさず教室の外へと連れ出した。
 
 
 
 ずかずかずか。
 ルビーとペリドットが廊下を闊歩する。
 授業中のため誰もいない廊下には、二人の行く手を遮るものなどない。
 先の教師が、他の教師にルビーの蛮行を伝えていれば、複数の教師がルビーたちを捕まえに来ていたかもしれないが、誰も来ない。
 先の教師は、すっかりとルビーに屈したというわけだ。
 
「おい! 一体どこへ向かっている! 場所くらい教えろ!」
 
「屋上よ」
 
「はあ?」
 
「誰にも聞かれず、ってなったら、この時間は屋上がいいのよ」
 
 階段を上り、鍵のかかった屋上へ続く扉を炎魔法で無理やりこじ開け、ルビーとペリドットは屋上へと辿り着いた。
 と同時に、ルビーはペリドットの腕を投げ捨てる。
 ルビーから解放されたペリドットは、ルビーから距離をとり、捕まれていた腕に怪我がないことを確認する。
 うっすらと痣を見て眉を顰めるも、この程度で済んで良かったと思いなおした。
 炎魔法が漏れ出て火傷でもしていれば、ペリドットにとってたまったものではない。
 
 ペリドットとルビーは、距離をとったまま向かい合う。
 
「それで、話とはなんだ? ルビー」
 
 用件を察してはいたが、ペリドットは敢えて問った。
 
「貴方から受けてる嫌がらせの件よ」
 
 貴方、と単体で言ったのは、エメラルドが嫌がらせに直接関与していないとルビーが思っていることを伝えるため。
 そして、エメラルドごときでは、ここまで手の込んだ嫌がらせなどできないと侮るため。
 言外の意味を理解したペリドットは、不快そうな表情を作る。
 
「証拠はあるのか?」
 
「ないわ!」
 
「話にならないな。証拠もなしに、授業に乗り込んで私を引っ張り出したのか? この無礼、高くつくぞ? 我がエヴァーグリーン家から、スカーレット家に直々に抗議をしてやっても」
 
「慌てないで。証拠は、今ないだけよ」
 
「……今?」
 
「そう、今よ!」
 
 ペリドットは、心の中で首を傾げていた。
 ルビーの口ぶりは、証拠がいずれ出てくることを確信している強さがあった。
 では、いずれ、とは何か。
 ペリドットが思い浮かんだのは二つ。
 一つは、時間と共に現れる何か、例えば日が高くなって特定の場所に明かりを差し込むことで見える証拠。
 もう一つは、ペリドットとルビーが会話をしている裏で、別の誰かが必死に証拠を探していること。
 
 ペリドットは、後者の可能性を高くもった。
 よって、会話をさっさと打ち切ることにした。
 ペリドットでさえ気がついていない証拠が、見つかる前に。
 
「では、その証拠はいつ出てくるのだ?」
 
「すぐよ!」
 
「……馬鹿馬鹿しい。いつ出て来るともわからない証拠を待てるほど、私は暇ではない。失礼する。ああ、そうだ。私にあらぬ疑いを着せ、あまつさえ授業を妨害した件については、もちろんスカーレット家に抗議させてもらう」
 
 ペリドットはギロリとルビーを睨みつけた後、ルビーの横を素通りして校内へ戻る扉へ向かう。
 ルビーは、ペリドットの腕を掴んで止めることはなかった。
 ペリドットの方を見ることなく、立っていた。
 
「証拠は、すぐに出て来るわ」
 
「…………」
 
「貴方の口から」
 
「何?」
 
 依然、ペリドットの目の前に、ペリドットが足を止めるに値する証拠はない。
 しかし、ペリドットは立ち止まった。
 証拠のありかを聞いたから。
 
「私の口から、証拠が?」
 
「ええ、そうよ。貴方の工作は完璧。悔しいけど、私がどれだけ探しても、証拠をつかむことはできなかったわ。褒めてあげる」
 
「…………」
 
「だからね、貴方に自分から出してもらうことにしたの」
 
「何を言っている? 気でも触れたか?」
 
 ペリドットは、目の前にいるルビーが不気味に見えた。
 何を言っているのか、何一つ理解できなかった。
 しかし、ルビーの言葉は自信に満ちている。
 そのギャップが、ペリドットの緊張を極限まで高めた。
 
 次の一言を、いつにないほどの高い集中力で待った。
 
 ルビーが待っていた状況は、これで揃った。
 
「妹大好きな貴方が、ただでさえ馬鹿な妹をますます馬鹿にするために行った愚行の証拠、その口で言ってごらんなさい?」
 
 瞬きを、一回。
 二回。
 三回。
 ペリドットの脳に届いたはずのルビーの声は、いつまでたっても処理されない。
 ぐるぐるぐるぐる、同じ場所を行ったり来たり。
 数秒かけて、ようやくルビーの声が認識され、その意味を解析するのにさらに数秒。
 
 ルビーがペリドットに向かって、満面の笑みを向けるに十分過ぎる時間だった。
 
「貴様あああああ!! 我が妹を、愚弄したか!!??」
 
 ペリドットの顔を怒りで真っ赤に染めるにも、十分過ぎる時間だった。
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