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「オニキス、お前に縁談が来ておる」
 
「またですか」
 
 玉座の間にて、オニキスは父と対面していた。
 オニキスへの縁談の話は、定期的にやってくる。
 オニキスにとってうんざりする数だが、オニキスが実際に目にするのは氷山の一角。
 複数の家臣が縁談相手に目を通し、選ばれた相手だけがオニキスのもとに届けられる。
 
「何度も申し上げているはずです。私は今、誰かに愛情を与えられるとは思いません」
 
 オニキスは、いつも通りの言葉を返す。
 いつも通り、父が仕方がないという表情を浮かべ、これで話が終わると考えていたが、そうはならなかった。
 
「お前の気持ちはわかっているつもりだ。だからこそ、この縁談はお前のためでなく、王家のための縁談だ」
 
「王家のため?」
 
 父の言葉で、オニキスはピンとくる。
 個ではなく、家。
 つまりは政略結婚だ。
 オニキスとて王家の人間、いつかは来るだろうと思ってはいた。
 魔法学院卒業後のことだろうと予測していたが、ここ最近の自身の振る舞いが父のしびれを切らせて早まったのだろうと、納得もできた。
 
「わかりました」
 
 王命である以上、オニキスには是以外の返答がない。
 
「それで、相手は誰ですか? 隣国の王女といったところですか?」
 
 政略結婚は、国内または国外との連携を強めるために使われる。
 国内での地盤が不安定であれば同国の公爵家、盤石であれば国外の王族との縁談が組まれることが多い。
 
「エヴァーグリーン家だ」
 
「エヴァ……!?」
 
 現時点で、アイボリー王家の地盤は盤石だ。
 しいて言えば、オニキスがいつまでも婚約者を探そうとしないことだけが唯一の綻び。
 だが、国内との連携を強めようとするほどの綻びではない。
 
 だから、オニキスはすぐに理解した。
 エメラルドが、表口からだけでなく裏口からも自身に近づいてきていることに。
 否、エメラルド自身にそんな器用な真似ができるとは思っていないので、黒幕がペリドットであることを容易に想像できた。
 
「わかりました」
 
 オニキスの中に、エメラルドとペリドットへの不快感が積もる。
 しかし、この不快感はオニキス個人の感情によるものでしかなく、家同士の縁談においてさしたる意味を持たない。
 結局は、してやられた、その一言である。
 
「それで、日にちは?」
 
「一週間後だ」
 
 駆け引きの敗北は甘んじて受けようと、オニキスはエメラルドとの縁談を了承した。
 
 
 
「オニキス様、その、エメラルド様とご婚約なさるんですか?」
 
「身分を考えても、お似合いのお二人ですわ」
 
 甘かったと、オニキスは思考を止めた昨日の自分を呪った。
 縁談が組まれた程度で安心する相手ではないと、思い至らなかった自分を呪った。
 
「エメラルド様、おめでとうございます」
 
「おめでとうございます」
 
「皆、誤解よー。まだ、お見合いをするだけでー、婚約するとは決まってないわよー」
 
「えー? でも、絶対にお似合いですよー」
 
「そ、そうかしらー?」
 
 クラスどころか、魔法学院中にオニキスとエメラルドの縁談話は広まっていた。
 オニキスは、衝撃のあまり意識が彼方へ飛ばされそうになった体を、必死に支えて耐える。
 教室に入ってきたオニキスを見つけたエメラルドは、周囲の生徒たちを押しのけて、小走りで駆け寄った。
 
「すみませんー、オニキス様ー。なんだか、朝来たらすごいことになっていましてー。あ、もちろん、私が言いふらしたりはしていませんよー」
 
「……だろうな」
 
「信じていただけて嬉しいですー」
 
 エメラルドの言うとおり、エメラルド自身が言いふらしたりはしていない。
 エメラルドは、ただ側近に話しただけ。
 学院中に広めろとも言っていない。
 しかし、側近に縁談のことを話すということは、側近の立場からすれば広めろと言われることに等しい。
 加えて、ペリドットの妹自慢だ。
 オニキスの同級生へはエメラルドの側近から、オニキスの上級生ヘはペリドットから。
 外堀は着々と埋められていった。
 
 オニキスは、エメラルドの横を素通りし、自身の席に向かう。
 
 オニキスに渦巻くのは、ひたすらの不快感。
 と同時に、諦め。
 王族でありながら、死別した元婚約者に感情を引きずられ、次の婚約者を探さなかった自身への正当な罰なのだという、諦め。
 誰とも恋愛をせずに王族の責務を全うするには、政略結婚が最も良いのかもしれない。
 オニキスの心は、義務感によって傾きつつあった。
 
 容易に、エメラルドとペリドットの望みを叶えそうになるほどに。
 
「おはよう。ダイヤモンド、ルビー」
 
「おはようございます、オニキス様。なんだか大変なことになってますね」
 
「え、縁談って、本当なんですか!? まだ学生なのに……? え!? こ、婚約者って!?」
 
「ダイヤ、貴族の世界だと婚約者の一人や二人くらい普通よ」
 
「ふ、二人!?」
 
 しかし、幸か不幸か、傾きは支えられた。
 オニキスは、ダイヤモンドとルビーに会うことで、ほんの僅かに恋愛への前向きな気持ちを取り戻していた。
 水滴一粒程度の小さな量だが、そんな僅かがオニキスの政略結婚への妥協をとどめているのもまた事実。
 
「心配することではないよ。ただの、家同士の付き合いだ」
 
 オニキスは、自身でも気づいていない感謝を込めて、二人に微笑んだ。
 
「……!?」
 
「……!……??」
 
 話は変わるが、人間の悪意や打算を知らない子供時代のオニキスには、周囲に笑顔を振りまいている時期があった。
 結果、挨拶に来る令嬢を次から次へと虜にし、その場で気を失わせた逸話を持っている。
 意図的な笑顔を止め、鋭い眼光を向けることが多くなった現在でも、笑顔の威力は変わらない。
 
「二人ともどうした?」
 
 突如顔を背ける二人に対し、オニキスは不思議そうに訊いた。
 
「オニキス様は、いつも通りの仏頂づ……クールな表情が一番素敵だと思いますよ」
 
「私もそう思います。人前で、あまり笑わないほうがいいかもしれません」
 
 出せる声を絞りつくして、二人はたどたどしく答えた。
 むろん、真意は周囲の女性を虜にさせるからやるべきではないという、自分たちとオニキスの両者に向けた警告である。
 
「そうか。気をつけよう」
 
 しかし、自身の魅力に一番気づけないのは自分自身だ。
 オニキスは、王族たるもの嘗められない様に、人前で表情を緩めるべきではないと解釈した。
 
 思いは違えど、オニキスが直すべき方向は同じ。
 オニキスにとって、ダイヤモンドとルビーは珍しい存在だ。
 平民特有の感性を持つ努力家のダイヤモンド。
 オニキスの地位に目を向けることがないルビー。
 オニキスの心が変わりつつあるのは、二人と出会った偶然のおかげであり、必然であると言える。
 
 
 
 オニキスがそんなことを考えている裏で、ルビーもまた、別のことを考えていた。
 エメラルドが十中八九転生者であるということを。
 
 ルビーの持つ根拠は、エメラルドの振る舞いだ。
 シトリンと婚約破棄をしたのはゲーム通り。
 オニキスへの猛アプローチをしているのはゲームに描写がないが、オニキスへの好意があるという点ではゲーム通り。
 エメラルドからダイヤモンドへの直接的な嫌がらせがないのはゲーム通りではないが、サファイアの側近であるネールが代わりに行っていたため、『純白の少女』シリーズの三つのシナリオがランダムに実行されたと考えれば、ゲーム通りでないことにも説明はつく。
 
 唯一気になることは、主人公ダイヤモンドがオニキスに起こすはずのイベントを、悪役令嬢エメラルドが代わって消化していることだ。
 ダイヤモンドとオニキスが二人っきりになるイベントの際、ダイヤモンドの代わりにエメラルドがその場にいることが多かった。
 一度や二度なら偶然だが、数が増えれば必然である。
 エメラルドは、ダイヤモンドとオニキスが二人っきりになるイベントの存在を知っており、意図的にイベントへ干渉していると予想ができる。
 
 主人公の邪魔をしたいのか、主人公のポジションを奪おうとしているのか。
 悪役令嬢転生での一つのお約束なストーリー。
 エメラルドの行動はお約束で説明がついてしまい、結果ルビーに、エメラルドが転生者であることの確信に至らせた。
 
 とはいえ、エメラルドの行動は、ルビーが聞けば聞くほどにポンコツで、完全に空回りしていた。
 ゲームのシナリオを知っているという圧倒的優位性を加味してなおポンコツ。
 ゲームにはない行動だがこうすればもっと状況が良くなるだろうと動いて失敗する、料理初心者のアレンジみたいなポンコツ。
 
 ルビーは悩んでいた。
 このままエメラルドを、放置していい物かどうか。
 
 
 
「なによ……! なによあいつらー!」
 
 エメラルドが、オニキスと親しくする二人を見て嫉妬の炎を燃やし続けていることに、二人はまだ気づかない。
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