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「ちょっと待って。そこでどうして、サファイア様がでてくるの? それに婚約って何?」
 
 ルビーが理解できないと言った表情で首を傾げると、同じくネールも意味が分からないと言った表情で首を傾げる。
 
「おかしなことを言いますね。サファイア様の地位が上がれば、必然的にインディゴ公爵家の派閥、つまりは私たちの地位がより強靭なものになるではないですか」
 
「いやまあ、なるけど。じゃあ、婚約の件は?」
 
「さらにおかしなことを言いますね。サファイア様とオニキス様がご婚約なされば、サファイア様は未来の皇太子妃。つまりは、王族の一員です。サファイア様は幸せな人生を送れ、王族のと婚約でインディゴ公爵家の地位はますます上がり、その派閥である私たちも上がる。こんな幸せな未来はないじゃないですか!」
 
「……それは、サファイア様が言っていたの?」
 
「いいえ。しかし、オニキス様が婚約者と死別されたあの日、サファイア様はアメシスト様との婚約を破棄なされました。それが、サファイア様の意思と言うことです」
 
「あ、はい」
 
 貴族の中には、高い地位こそが何よりの幸福であると考える者がいる。
 ネールのように。
 事実、サファイアとエメラルドの婚約破棄は、悪い意味で入学式での噂の的となったが、噂をしていたのは下級に属する貴族たちにすぎない。
 つまりはオニキスと婚約できる可能性がない貴族たちだけだ。
 むしろ上級の貴族たちは、婚約破棄をする者こそ少数だったが、婚約者が決まっていない娘との縁談や、縁談と名の付かないお茶会を積極的に勧めていた。
 むろん、サファイアとエメラルドの行動に対し、苦言の一つもない。
 
「だから、ルビー様がこんな好機を見逃し、トパーズ様との婚約を継続していることには、感謝しております。サファイア様の敵になるとすれば、ルビー様とエメラルド様のお二方のみだと思っていましたので」
 
 サファイアの意思が取り除かれた、ネールの善意。
 サファイアが苦しんだ理由の一つが、ネールの独りよがりの善意によるものだと考えれば、ルビーは自然と怒りが込み上げてきた。
 同時に浮かび上がった、一つの仮説。
 ネールが明言しなかった、ダイヤモンドに対する嫌がらせの理由。
 
「ダイヤに嫌がらせをしている理由は、それもあるの?」
 
 ルビーがそう聞いた瞬間、ネールは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
 
 肯定は、ネール自身が、ダイヤモンドとオニキスが婚約する可能性を抱いていることを意味する。
 平民と王族の婚約という、ネールにとって誇りを大きく踏みにじられる仮定を。
 
「そ、そんな訳」
 
「…………」
 
「……ええ、そうですよ! あの平民は、平民の身でありながら、オニキス様に色目を使っています! オニキス様もオニキス様です! あんな平民なんかをじっと見て!」
 
 ネールの言葉は、明確な誤解ではある。
 現時点で、オニキスはダイヤモンドに好意を持っておらず、逆もまた然り。
 しかし、ダイヤモンドが何者かから嫌がらせをされている事実が、オニキスの視線をダイヤモンドに集め、ダイヤモンドもまたそれに応えているにすぎない。
 とはいえ周囲から見れば、意識をしあっている、ととられてもおかしくはない。
 同様のことはルビーに対しても言えるが、トパーズと婚約状態にあることで、オニキスとのあらぬ疑いは立っていない。
 如何に貴族と言えど、婚約中の不貞はご法度だ。
 
 さて、つまりは、ネールがダイヤモンドとオニキスを引き裂こうとダイヤモンドに嫌がらせをすればするほど、二人の距離は縮まるという結論。
 ネールの一人踊りである。
 
「アホらし……」
 
「……なんとおっしゃいまして?」
 
 思わず、転生前の言葉で感情を吐いてしまったルビーは、慌てて口を押さえるが、吐いた言葉は取り戻せない。
 ネールの表情は驚きへ、そして恥辱に染まった。
 貴族の暴言は、上品な嫌味である。
 端的な暴言は、平民同士の行いである。
 ルビーの発した言葉はつまり、ネールが最も嫌う自身の軽視である。
 
 勢いのまま、ネールはルビーの襟首を掴んだ。
 
「ネール様!?」
 
「おやめください!」
 
 ルビーに失言があったとはいえ手をあげれば、否、襟首を掴んだ現状でも充分にネールの過失。
 側近たちは急いでネールを止めようとするが、ルビーが片手でそれを制止した。
 
「アホらしいって言ったのよ」
 
「……!? 二度も!!」
 
「貴女のやってること、本当にネール様のためになってると思ってるの?」
 
「当然でしょ! 未来の皇太子妃、そんなの喜ばない人なんていないわよ!」
 
「私ならごめんよ。どれだけ高い地位を得ようが、好きでもない人と死ぬまで過ごす未来なんてまっぴらよ」
 
 ルビーの頭の中に浮かぶのは、『純白の少女と烈火の令嬢』のエンディング。
 ルビー・スカーレットの明言されないバッドエンド。
 SNS上ではあらゆる考察がなされ、その一つに地方の下級貴族に嫁がされ、家事奴隷兼売女のような生活を続けたのではないかという説も流れた。
 当時、そんな結婚生活なんてお断りだと、ルビーは激しく憤った。
 
「そ、それはオニキス様への不敬ですよ!?」
 
「違うわよ。女と男のしょうもない恋愛物語よ」
 
 ネールはルビーの襟首を掴んだままルビーを睨みつけ、ルビーもまたネールを睨み返し続けた。
 バチリイバチリと火花が散る。
 
「ふ、ふふふ。サファイア様は、ルビー様とは違う。私の行動に、サファイア様はお喜びになっているわ」
 
「サファイア様は、そんなこと望んでないわよ」
 
「あはは、そんなわけない! いったい、何を根拠に」
 
「サファイア様と会ったからよ」
 
「…………は?」
 
 ネールの手から力が抜ける。
 ルビーは一歩下がってネールの手から解放され、しずしずと襟元を正す。
 
「サファイア様に……会った……?」
 
「ええ」
 
 サファイアが部屋に籠り始めてから、ネールもまた、何度もサファイアの部屋を訪れた。
 しかし、ただの一度も、会うことは叶わなかった。
 ネールは、サファイアの一番の側近であり、最も信頼されている自負があった。
 それゆえ、ネールはサファイアの行動が理解できず、このままではサファイアの地位、ひいてはネールの地位に影響があるのではないかと懸念し、必死に考えた。
 考えた結果、ネールはサファイアの幸福を求めた。
 オニキスの婚約者になれば、サファイアは幸せに決まっている。
 幸せになれば、またサファイアがネールの前に現れてくれる、と。
 
「何故……ルビー様が……」
 
「貴女たちがこれだけ動いていれば、貴女たちが慕うサファイア様の息がかかってるんじゃないかと疑うのなんて当然でしょ? 誰かがサファイア様に会いに行くってこと予想できなかったの?」
 
 しかし、ネールの行動は、サファイアの幸福とは別の何かを求めていた。
 全てが都合よく回る理想を求めていた。
 
「そんな……私ですら……サファイア様とは……」
 
「サファイア様は、貴女たちの行動にとてもショックを受けていたわ」
 
「ショック……?」
 
「ええ。自分のせいでダイヤを傷つけていることを知って、ショックのあまり体調を崩して寝込んでしまうほどに」
 
 ネールは、サファイアの不調の一因が自分の行動によるものだと知って青ざめる。
 
「で、でたらめを……」
 
「本当よ。ここで、私がでたらめを言う意味って何?」
 
「……!……!!」
 
 ネールは目を丸くして、口をパクパクとさせる。
 ルビーの瞳から、ルビーが嘘をついていないことを察した。
 同時に、その場へ崩れ落ちた。
 
 
 
「やりすぎだ、ルビー」
 
 決着のついたタイミングで、物陰から様子を見ていたオニキスが現れた。
 
「オニキス様」
 
「確かに、ダイヤモンドの件をどうにかしろと言ったが、首謀者の心を完膚なきまでに折れとは言ってない」
 
「そんなつもりではなかったのですが」
 
 オニキスの登場にざわめいたのは、ネールと取り巻きの生徒たちである。
 一連の流れを、特にサファイアとオニキスを婚約させるたくらみを、当事者であるオニキスに聞かれたのだ。
 全身から汗が噴き出して、逃げることもできずにその場で固まった。
 
 オニキスは周囲を見渡した後、小さく溜息をついた。
 
「今回の件は、ルビーが預かったものだ。ルビー、彼女たちに、何か罰でも与える気か?」
 
 ネールと取り巻きたちの肩が、びくりと震える。
 
「いいえ。ダイヤへ謝罪して、これ以上何もしないと言っていただければ、私からは別に」
 
「だ、そうだ。ルビーがそう言うのであれば、私から何か言うことはない。行け」
 
「は、はい!!」
 
 オニキスの言葉に、取り巻きたちは腰の抜けたネールを担ぎ上げて、急いでその場を後にした。
 残されたのは、ルビーとオニキス。
 
「好きでもない人と死ぬまで過ごす未来なんてまっぴら、か。私も同感だ」
 
 ふいに口にしたオニキスの言葉に、ルビーはどこからオニキスに聞かれていたのかと、血の気が引いた。
 少なくとも、オニキスが口にした言葉以降のやり取りは、全て聞かれていると考えて差し支えない。
 
「あ、あれは、その……」
 
「すまない、責めているわけではない。ただ、王族という肩書は不自由だと思っただけだよ」
 
「へ?」
 
「ルビー。ダイヤモンドの件、解決してくれたことを感謝する。サファイアの件はあるが、私は君が悪意をもってサファイアに何かするとは思えない。今回の件も含め、私から口添えをしておこう」
 
「へ、はあ……。ありがとうございます」
 
 ポケッとした表情のルビーを置いて、オニキスも教室を出ていく。
 その表情は、複雑そうな憂いを帯びていた。
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