純白の少女と烈火の令嬢と……

はの

文字の大きさ
上 下
7 / 37

7

しおりを挟む
 サファイアは翌日も、翌々日も授業には出なかった。
 
「不登校?」
 
 前世の赤口瑠璃の記憶をたどれば、ルビーはそんな言葉も自然と出た。
 教師にサファイアが授業に出ない理由を尋ねても、個人的なことだからと全員が口を開かない。
 授業が終って寮の部屋へ訪ねてみても、扉が開くことはない。
 
 だからこそ、ルビーはずっとサファイアと話すことができずにいた。
 ネールに指示してダイヤモンドを呼び出し、嫌がらせをした件は、一向に進展がなかった。
 
「おはようございます、ルビー様」
 
「おはよう、ダイヤ。最近はどう?」
 
「んー、ぼちぼちって感じです」
 
 ダイヤモンドは、目に見えてのネールたちからの嫌がらせを受けることはなくなった。
 しかし、筆記用具がなくなったり、靴がなくなったりと、小さな嫌がらせは続いていた。
 平民であるダイヤモンドにとって、金銭的な負担がかかる嫌がらせは痛手だ。
 誰の仕業かの見当はつくが、誰の仕業かの証拠がない。
 オニキスから解決を任された手前、ルビーは一向に改善しない現状に胃をキリキリと痛めていた。
 
 そしてもう一つ、ルビーの胃を痛める出来事がある。
 
「状況はどうだ、ルビー」
 
「オニキス様、おはようございます。申し訳ありません。未だ、解決の目途は立っておらず……。私も、動いてはいるのですが」
 
「そうか。私の力が必要になれば、いつでも言ってくれ」
 
「ありがとう御座います、オニキス様」
 
 オニキスからの、定期的な確認
 
 
 
 ではない。
 
「オニキス様ー! 」
 
 オニキスの後ろをついて回る、エメラルドの存在である。
 
 エメラルドは、オニキスに話しかけられていたルビーをぎろりと睨み、オニキスの方へと駆け寄っていく。
 
「あー……。胃が痛い……」
 
 エメラルドの行動の理由は、すぐに分かった。
 
 
 
「ルビー様。私、オニキス様が好きなのですー」
 
「!?」
 
 ある日、ルビーはエメラルドに呼び出され、そう一言告げられた。
 エメラルドには、つい最近までシトリン・オランジュという婚約者がいたはずだが、オニキスが婚約者と死別した途端にこの変わり様。
 他の誰かであれば混乱しただろうが、前世の赤口瑠璃の記憶があるルビーにとっては、エメラルドの行動はゲームに即したものであり、十分納得できた。
 ゲームの悪役令嬢たちは、それほどまでに皇太子妃という肩書に執着していた。
 
 唯一、納得できないことがあるとすれば、釘を刺されている現状であろう。
 
「もしかしてー。もしかしてですけどー、ルビー様もオニキス様のことが好きだったりするんですかー? だとすればー、大きなライバルになっちゃうなーなんてー」
 
 小柄な体を存分に活用し、上目遣いでエメラルドはルビーを見る。
 事情を知らぬ者であれば、恋心ないし庇護欲をくすぐられてしまうだろう。
 しかし、ルビーは知っている。
 エメラルドの本性を。
 自身の持つ可愛さとその使い方を本能で理解し、交渉の武器として行使してくるエメラルドの天然さを。
 
「ご心配なく、エメラルド様。私とオニキス様は、あくまで学友でしかありません。現在は、諸事情で話す機会も増えておりますが、それだけです」
 
「そうなんですねー。ちなみにー、その事情というのはー?」
 
「生徒のプライバシーに関わることなので、お答えいたしかねます」
 
「……そうですかー」
 
 理由が知りたくてうずうずとしているエメラルドに気づきつつも、ルビーは淡々と言い放った。
 エメラルドはしばらく小首をかしげていたが、ルビーがこれ以上話す気はないと判断し、不自然なほど突然に表情を切り替えた。
 最高の笑顔をルビーへと向けた。
 
「でも、ルビー様がオニキス様を狙っていないと聞いて、安心いたしましたー。ルビー様はお美しいので、オニキス様を奪い合うことになれば、私負けちゃうところでしたものー」
 
「ご謙遜を」
 
「じゃあ、私とオニキス様との恋、応援していただけますよねー?」
 
 敵でないなら味方に引き込む。
 そうやってエメラルドは、人生を生きてきた。
 
「それは、お断りします。私は、特定の誰かに肩入れする気はありませんので」
 
 が、ルビーはエメラルドの味方をする気はなかった。
 エメラルドの表情が、一瞬曇った。
 自身の言いなりにならない存在への、明確な不快感を示し、すぐに元の笑顔に戻った。
 
「えー、どうしてですかー? ルビー様に味方になっていただけるとー、私ー、とっても心強いんですけどー」
 
「申し訳ありません。これは、私のポリシーなので」
 
「……わかりましたー。では、仕方ありませんねー」
 
 ルビーがエメラルドの性格を知っているように、エメラルドもまたルビーの性格を知っている。
 自分の意思が絶対の、譲らない女。
 エメラルドはルビーを諦め、去っていった。
 その直後、エメラルドの物言いをフォローするように、いつも通りエメラルドの横に立っていたペリドットがルビーに弁明をする。
 
「妹が、失礼を致しました。しかし、どうかお許しくださいルビー様。妹は今、心を痛めているのです。なにせ、純粋なオニキス様への愛情を、皇太子妃の座に目がくらんだだけだの、目的のために婚約者を斬り捨てる非情な女だの、あらぬ陰口を建てられております故」
 
「ほ、ほー」
 
 喉まで出かかっていた、その通りだろうという言葉を、ルビーは必死に飲み込んだ。
 
「ですので、ルビー様のお立場も分かりますが、できれば妹の味方になっていただけると幸いです。妹も、ルビー様ほどのお方が味方について頂けると知れば、少しでも辛い気持ちが減るかもしれません」
 
「お断りしますわ」
 
「……そうですか、残念です。それではこれで」
 
 ペリドットは自身の伝えたいことを早口でまくし立てた後、急いでエメラルドを追いかけていった。
 家族愛の強すぎるペリドット。
 恋人や婚約者に対して人生をかけた愛情を注ぐ愛妻家であり、恋人や婚約者がいないときは最も身近な女性である妹に愛情を注ぐシスコン。
 
「はあ、面倒くさいことになりそうね」
 
 ルビーの胃がキリキリと痛む。
 ルビーはダイヤモンドの一件がある都合上、オニキスとの会話を今後も継続する必要がある。
 今日のエメラルドの様子を見る限り、如何にルビーがオニキスに気はないと言い続けようとも、エメラルドがルビーの言葉を信じる可能性は甚だ低い。
 たった一言、ルビーがエメラルドの恋を全力で応援すると言えば、あるいはエメラルドからの嫉妬を逃れられるかもしれないが、ルビーにとっては望まない選択だった。
 なにせ、悪役令嬢という破滅フラグの塊の味方に付くのだ。
 ルビーにとってのリスクは高まる。
 
 ルビーは、エメラルドからの嫉妬はあえて我慢することにした。
 エメラルドは悪役令嬢だ。
 ゲームにおいて、エメラルドの振る舞いはオニキスに好意的に受け取られることはない。
 そうであれば、しばらくルビーが我慢を続ければ、オニキスがエメラルドを自身から遠ざけようとし、そのおこぼれでルビーからも遠ざかる結果になるだろうと、ルビーは予想していた。
 
 
 
「オニキス様ー! 」
 
 エメラルドは、今日もオニキスの後ろをついて回る。
 オニキスは、困った表情を浮かべるだけ。
 いつまでたっても、エメラルドを遠ざける素振りはみせなかった。
 エメラルドから逃れるようにオニキスはルビーに話しかけ、そしてルビーは簡単な応答をし、オニキスの去り際にルビーはエメラルドに睨まれる。
 
「あー……。胃が痛い……」

 ルビーの胃痛は、今日も治まらない。
 
「オニキス様も災難よねー」
 
「ずっとエメラルド様に付きまとわれてるわよねー」
 
「エメラルド様のお兄様、ペリドット様から妹をよろしくと頼まれてるらしいわよ」
 
「エヴァーグリーン家、王家と親交が厚いから、オニキス様も無下にできないんでしょうねー」
 
 ルビーの胃はキリキリキリと痛み続ける。
 エメラルドを見るたびに。
 生徒たちの陰口を聞くたびに。
 
「胃薬……。日本の……胃薬が恋しい……」
 
 
 
 ちなみに、エメラルドの行動は、ことごとく空ぶっている。
 こんな露骨なアプローチは、ゲームの世界のエメラルドにはない行動だ。
 
「ダイヤ? 今日は、オニキス様と一緒では?」
 
「へ? なんでですか?」
 
「あ、ごめんなさい。何でもないわ」
 
 否、ない行動でいえば、ダイヤモンドの行動もゲームと大きくずれ始めていた。
 ゲームでは、ダイヤモンドとオニキスが接触するイベントの日も、ダイヤモンドは一人で行動していた。
 代わりに、エメラルドがオニキスと接触していることが多かった。
 
「偶然かしら?」
 
 一瞬、ルビーの頭の中に、エメラルドもまた自分と同じ異世界転生者ではないかという疑念が浮かんだ。
しおりを挟む

処理中です...