令和百物語 ~妖怪小話~

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参拾陸 袖引小僧

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 そこは、袖引きの道と呼ばれている。
 
 袖引きの道は、車道と併設された歩道で、車道との間にガードレールのない田舎ではありふれた構造の歩道である。
 朝は通勤と通学の人々が通る。
 昼は買い物や散歩を楽しむ人々が通る。
 夜は帰宅中の人々が通る。
 ありふれた歩道。
 
 しかし深夜には、袖引きの道を通る人は誰もいない。
 昔からの住民たちは、この地に伝わる逸話を恐れている。
 深夜に袖引きを通ると、袖引小僧に袖を引かれ、あの世へ連れていかれるという逸話を恐れている。
 我が子がうろうろと歩き回れるようになればすぐ、夜中に袖引きの道を歩いてはいけませんと教え込む。
 だから誰も通らない。
 
 
 
「あー、もう! 最悪!」
 
 一人の女が、カツンカツンと足音を鳴らしながら自宅のアパートへと急ぐ。
 会社で起きたトラブルにより、夕食も食べることができないまま仕事に没頭し、気が付けば零時をまわっていたのだ。
 見たいドラマも見逃し、空腹と娯楽を奪われた怒りとで、女の頭の中は、アパートへ帰ることで一杯だった。
 
 だから、気づかなかった。
 
 カツン。
 
 ついうっかりと、袖引きの道に足を踏み入れたことに。
 
「あ、そう言えばここって」
 
 そして思い出す。
 この土地へ引っ越してきたばかりの頃、アパートの大家から言われた言葉を。
 
 ――深夜、袖引きの道を通ってはいけないよ。あの世へ連れていかれるからね。
 
 女にとっては初の田舎暮らし。
 田舎では、その地の慣習に従わないと排斥されると考え、アパートから会社までの最短ルートである袖引きの道を深夜通るのは避けていた。
 が、女はその逸話自体には懐疑的だった、
 
 女はきょろきょろと辺りを見渡し、誰もいないことを確認する。
 
「ま、大丈夫でしょ」
 
 逸話を信じる気はない。
 袖引きの道を通る自分を見ている人は誰もいない。
 早くアパートに帰りたい。
 
 三つの感情は、女に袖引きの道を歩く選択をさせた。
 
 カツン。
 カツン。
 カツン。
 
 袖引きの道に、女の足音が響く。
 
「ほら、何も出ないじゃない」
 
 女は、やはり逸話は出鱈目だったのだろうと考えながら、速足で駆け抜けていく。
 
 そして、袖引きの道の終わりが見えたその時。
 
 ぐいっ。
 
 何かに袖を引っ張られた。
 
「誰!?」
 
 女は立ち止まり、後ろを振り向くが、誰もいない。
 引っ張られただろう袖を見ても、変わりはない。
 背筋にぞくりと冷たいものが走る。
 
「……急ご」
 
 早めに袖引きの道を抜けようと、女は再び歩き始めた。
 
 ぐいっ。
 
 しかしすぐに、引っ張られる。
 今度はスカートの裾を引っ張られる。
 
「!?」
 
 急いでスカートの裾を押さえ、後ろを振り向くも、やはり誰もいない。
 
「な、なんな」
 
 ぐいっ。
 
 耳が引っ張られる。
 
「痛っ!?」
 
 引っ張られる力に誘導されるように、女の顔は前を向く。
 
 ぐいっ。
 
 髪が引っ張られる。
 
 ぐいっ。
 
 肩が引っ張られる。
 
 ぐいっ。
 
 首が引っ張られる。
 
 ぐいっ。
 
「痛い痛い痛い!」
 
 引っ張られる力はどんどん強くなっていき、女は痛みに悲鳴を上げる。
 
 ぐいっ。
 
 ぐいっ。
 
 ぐいっ。
 
 
 
 スポン。
 
 
 
 そして、魂が引っ張られて体から抜けたような感覚を最後に、引っ張られることはなくなった。
 
「はあ……はあ……。な、なんだったの……」
 
 女は自分を引っ張る何かが去ったことに安堵した。
 そして、二度と袖引きの道を通るまいと固く決意し、前を向いた。
 
 
 
 目の前には、意識を失って倒れている女の体があった。
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