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代償
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エーヴァルトの魔力はその身体に負担が掛かるほど膨大なものだと言う。
(ならあの黒い影はエーヴァルトの魔力が溢れたものなんだ……)
森で浄化した黒い霧が魔力なのだと確信していたものの、それと同じものだと思えないほど異質な存在感があった。だがディルクがそれに反応することもなく、エーヴァルト本人も狼狽した様子がない。むしろその佇まいは静謐すら感じさせるほどだ。
「……エーヴァルト、それは……大丈夫なの?」
触れて良いことか分からなかったが、そのままにして良いものには思えず瑛莉は直接尋ねることにした。
「エリーには僕の魔力が見えるんだね。……ベンノ、僕や少し休むからエリーとディルクを客間に通しておいて」
「御意。――こっちだ」
ベンノの突き刺さるような視線を感じていたが、瑛莉はエーヴァルトから目が離せなかった。微笑んでいるものの、固く握りしめた拳や疲労が滲む瞳から何かに耐えていることが分かる。
過分な魔力のせいで身体に相当な負荷がかかっているのだろう。
(ディルクが言っていたのはそういうことか。なら余分な魔力を浄化すればきっと――)
そう考えてエーヴァルトに近づこうとすれば、ベンノはエーヴァルトを隠すかのように前に立ち瑛莉の行動を遮った。
「余計なことをするな。あの方におかしな真似をすれば殺す」
押し殺した声は平坦だったが、強い眼差しが激しい感情を物語っている。
「あんなに辛そうなのに放っておけというのか」
「エリー、言い出したのは俺だが聖女の力がどう影響を及ぼすか分からない以上、ベンノが警戒するのも理解できる。悪いが一旦引いてくれ」
ベンノの懸念もディルクの躊躇いも理解できる。ただ彼らの言葉に反発する気持ちが湧き上がり、どうしても納得できない自分がいることに気づいた。
「気を遣わせてしまったね。でもこれぐらい慣れているから平気だよ」
それがどの程度の苦痛なのか瑛莉には分からない。それでも安心させるかのように微笑むエーヴァルトにやるせない感情が込み上げてくる。
(そんなのは嫌だし、駄目だ!)
達観したような穏やかさは、きっと何かを諦めた証拠なのだと思う。自分ではどうしようもないことに抗い、苦しみそして諦めるしかなかった惨めさを瑛莉は知っている。
その境遇に慣れるまで、どれだけの苦痛と絶望があっただろうと思うと、あの夏の記憶が頭をよぎった。
ただ待つことしか出来なかった愚かで無力な子供時代。「先生」がいなければ、この年齢まで生きていられなかったかもしれない。
だからこそ、自分の力が役に立つのなら何とかしてあげたい気持ちが先に立った。それが自分の我儘であると理解していても、瑛莉は言わずにはいられなかったのだ。
「慣れているからといって苦痛を感じないわけじゃないんでしょう。余分な魔力を浄化するだけならエーヴァルトに危険はないはずだよ。森の魔物たちを浄化しても命ごと奪ってしまうこともなかったし、絶対とは言えないけど危険は低いと思う」
瑛莉の正面に立つベンノは無言でこちらを睨み続けている。敵対するはずの聖女など信用できないのだろうし、万が一のことがあったらと思えば許容できなくて当然だ。
それでも魔力過多による苦しみを和らげることが出来るなら、そう思ってしまうのだろう。
憎しみよりも悔しさが、そして浄化を受け入れるべきかという葛藤をその眼差しに見て取ったことで、ベンノがどれだけエーヴァルトを大切に思っているのかが伝わってきた。
「――エーヴァルト!」
耐えきれなくなったのか崩れ落ちるエーヴァルトにディルクが駆け寄る前に、素早く反応したベンノがその身体を支える。
「ベンノ……世話を掛けるね。………エリー、この状態は力を使った代償……のようなものなんだ。聖女の力もまた……貴重なものだろう。君に、負担は掛からないのかな?」
(話すことすらも辛そうなのに……)
どうしてこんなに他人を気遣えるのだろうと思ってしまうぐらい、エーヴァルトは優しい青年だ。優しい人が傷つくのは嫌だと考えるのは少々偽善的なのかもしれないが、瑛莉は安心させるために表情を和らげて答えた。
「浄化で支障が出たことはないから大丈夫、問題ないよ」
視界の端でディルクが不安そうにこちらを見たのは、癒しの力を使い過ぎた時に熱を出してしまったことがあるからだろう。だがそれ以降体調に影響が出たことはなく、力の源について考えることを後回しにしていた。エーヴァルトの指摘はもっともであるが、今は魔力を浄化するほうが先決だ。
自信満々に断言した瑛莉とエーヴァルトは無言で視線を交わしていたが、目を逸らしたのはエーヴァルトのほうが先だった。
「それなら……エリー、君の力を借りたい。僕から溢れ出したこの魔力を浄化してくれるかな?」
「っ、我が君……」
狼狽するベンノにエーヴァルトは大丈夫だと言うように頷き、瑛莉に視線を戻す。
「ベンノ、エーヴァルトをそこの長椅子に寝かせて。傍にいると一緒に浄化してしまうかもしれないから」
瑛莉の言葉にベンノは躊躇う素振りを見せたが、エーヴァルト自身が望んだため丁重な仕草で長椅子に運ぶ。
(……失敗はできない。様子を見ながら少しずつ浄化しないと)
力のない聖女として振舞うため、魔石をゆっくり浄化していた経験がこんなところで役に立つとは思わなかった。
「痛かったり苦しかったり、どこか異変を感じたらすぐに声を掛けてね。――じゃあ、浄化するね」
指先に熱を感じたが、先程とは違いどこかぐっと引っ張られるような感覚があり瑛莉は足に力を込める。魔力に意志があるとは思わないが、浄化されまいと踏ん張っているような抵抗を感じて、徐々に力を上げていく。
真夏の直射日光を浴びているかのような熱が腕にまで広がり、浸食されるような不快感があったが、墨汁のようにべったりとしていた影が少しずつ薄くなっていく。その変化に励まされるように瑛莉は浄化を続けた。
「エリー、もう止めていいよ」
薄っすらと周囲を漂う靄の状態になったところで、エーヴァルトから声を掛けられた。浄化を止めると、身体にずっしりとした疲労がのしかかってくる。
「身体がいつもより軽いぐらいだ。ありがとう、エリー」
頬に赤みが差し、嬉しそうに目を細めて心からの笑みを浮かべるエーヴァルトの姿に安堵の溜息が漏れた。
(瞳の色も何だか変わったように見えるな)
第一印象はアメジストのような深い紫を思い起こさせたのに、夢で会話をしているうちにガーネットのような赤みの強い紫だと思うようになり、今はラベンダーのようなやや青みがかった紫に見えるのだ。光の加減なのかもしれないが、その変化が些か大きすぎる。
だが瑛莉がその疑問を口にすることは出来なかった。
「エリー!」
遠くでディルクの焦ったような声が聞こえて視界が霞む。
(ああ、ちょっと無理をし過ぎたのか)
考えられたのはそこまでで、しっかりした腕に支えられた感触に安堵しながら瑛莉の意識は途切れた。
(ならあの黒い影はエーヴァルトの魔力が溢れたものなんだ……)
森で浄化した黒い霧が魔力なのだと確信していたものの、それと同じものだと思えないほど異質な存在感があった。だがディルクがそれに反応することもなく、エーヴァルト本人も狼狽した様子がない。むしろその佇まいは静謐すら感じさせるほどだ。
「……エーヴァルト、それは……大丈夫なの?」
触れて良いことか分からなかったが、そのままにして良いものには思えず瑛莉は直接尋ねることにした。
「エリーには僕の魔力が見えるんだね。……ベンノ、僕や少し休むからエリーとディルクを客間に通しておいて」
「御意。――こっちだ」
ベンノの突き刺さるような視線を感じていたが、瑛莉はエーヴァルトから目が離せなかった。微笑んでいるものの、固く握りしめた拳や疲労が滲む瞳から何かに耐えていることが分かる。
過分な魔力のせいで身体に相当な負荷がかかっているのだろう。
(ディルクが言っていたのはそういうことか。なら余分な魔力を浄化すればきっと――)
そう考えてエーヴァルトに近づこうとすれば、ベンノはエーヴァルトを隠すかのように前に立ち瑛莉の行動を遮った。
「余計なことをするな。あの方におかしな真似をすれば殺す」
押し殺した声は平坦だったが、強い眼差しが激しい感情を物語っている。
「あんなに辛そうなのに放っておけというのか」
「エリー、言い出したのは俺だが聖女の力がどう影響を及ぼすか分からない以上、ベンノが警戒するのも理解できる。悪いが一旦引いてくれ」
ベンノの懸念もディルクの躊躇いも理解できる。ただ彼らの言葉に反発する気持ちが湧き上がり、どうしても納得できない自分がいることに気づいた。
「気を遣わせてしまったね。でもこれぐらい慣れているから平気だよ」
それがどの程度の苦痛なのか瑛莉には分からない。それでも安心させるかのように微笑むエーヴァルトにやるせない感情が込み上げてくる。
(そんなのは嫌だし、駄目だ!)
達観したような穏やかさは、きっと何かを諦めた証拠なのだと思う。自分ではどうしようもないことに抗い、苦しみそして諦めるしかなかった惨めさを瑛莉は知っている。
その境遇に慣れるまで、どれだけの苦痛と絶望があっただろうと思うと、あの夏の記憶が頭をよぎった。
ただ待つことしか出来なかった愚かで無力な子供時代。「先生」がいなければ、この年齢まで生きていられなかったかもしれない。
だからこそ、自分の力が役に立つのなら何とかしてあげたい気持ちが先に立った。それが自分の我儘であると理解していても、瑛莉は言わずにはいられなかったのだ。
「慣れているからといって苦痛を感じないわけじゃないんでしょう。余分な魔力を浄化するだけならエーヴァルトに危険はないはずだよ。森の魔物たちを浄化しても命ごと奪ってしまうこともなかったし、絶対とは言えないけど危険は低いと思う」
瑛莉の正面に立つベンノは無言でこちらを睨み続けている。敵対するはずの聖女など信用できないのだろうし、万が一のことがあったらと思えば許容できなくて当然だ。
それでも魔力過多による苦しみを和らげることが出来るなら、そう思ってしまうのだろう。
憎しみよりも悔しさが、そして浄化を受け入れるべきかという葛藤をその眼差しに見て取ったことで、ベンノがどれだけエーヴァルトを大切に思っているのかが伝わってきた。
「――エーヴァルト!」
耐えきれなくなったのか崩れ落ちるエーヴァルトにディルクが駆け寄る前に、素早く反応したベンノがその身体を支える。
「ベンノ……世話を掛けるね。………エリー、この状態は力を使った代償……のようなものなんだ。聖女の力もまた……貴重なものだろう。君に、負担は掛からないのかな?」
(話すことすらも辛そうなのに……)
どうしてこんなに他人を気遣えるのだろうと思ってしまうぐらい、エーヴァルトは優しい青年だ。優しい人が傷つくのは嫌だと考えるのは少々偽善的なのかもしれないが、瑛莉は安心させるために表情を和らげて答えた。
「浄化で支障が出たことはないから大丈夫、問題ないよ」
視界の端でディルクが不安そうにこちらを見たのは、癒しの力を使い過ぎた時に熱を出してしまったことがあるからだろう。だがそれ以降体調に影響が出たことはなく、力の源について考えることを後回しにしていた。エーヴァルトの指摘はもっともであるが、今は魔力を浄化するほうが先決だ。
自信満々に断言した瑛莉とエーヴァルトは無言で視線を交わしていたが、目を逸らしたのはエーヴァルトのほうが先だった。
「それなら……エリー、君の力を借りたい。僕から溢れ出したこの魔力を浄化してくれるかな?」
「っ、我が君……」
狼狽するベンノにエーヴァルトは大丈夫だと言うように頷き、瑛莉に視線を戻す。
「ベンノ、エーヴァルトをそこの長椅子に寝かせて。傍にいると一緒に浄化してしまうかもしれないから」
瑛莉の言葉にベンノは躊躇う素振りを見せたが、エーヴァルト自身が望んだため丁重な仕草で長椅子に運ぶ。
(……失敗はできない。様子を見ながら少しずつ浄化しないと)
力のない聖女として振舞うため、魔石をゆっくり浄化していた経験がこんなところで役に立つとは思わなかった。
「痛かったり苦しかったり、どこか異変を感じたらすぐに声を掛けてね。――じゃあ、浄化するね」
指先に熱を感じたが、先程とは違いどこかぐっと引っ張られるような感覚があり瑛莉は足に力を込める。魔力に意志があるとは思わないが、浄化されまいと踏ん張っているような抵抗を感じて、徐々に力を上げていく。
真夏の直射日光を浴びているかのような熱が腕にまで広がり、浸食されるような不快感があったが、墨汁のようにべったりとしていた影が少しずつ薄くなっていく。その変化に励まされるように瑛莉は浄化を続けた。
「エリー、もう止めていいよ」
薄っすらと周囲を漂う靄の状態になったところで、エーヴァルトから声を掛けられた。浄化を止めると、身体にずっしりとした疲労がのしかかってくる。
「身体がいつもより軽いぐらいだ。ありがとう、エリー」
頬に赤みが差し、嬉しそうに目を細めて心からの笑みを浮かべるエーヴァルトの姿に安堵の溜息が漏れた。
(瞳の色も何だか変わったように見えるな)
第一印象はアメジストのような深い紫を思い起こさせたのに、夢で会話をしているうちにガーネットのような赤みの強い紫だと思うようになり、今はラベンダーのようなやや青みがかった紫に見えるのだ。光の加減なのかもしれないが、その変化が些か大きすぎる。
だが瑛莉がその疑問を口にすることは出来なかった。
「エリー!」
遠くでディルクの焦ったような声が聞こえて視界が霞む。
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