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専属侍女と身嗜み
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「ご気分はいかがですか、聖女様」
「ありがとうございます。だいぶ良くなりました」
ティーカップを手に微かな微笑みを浮かべると、エルヴィーラは静かに黙礼した。
トイレから出てきた瑛莉は少し体調が優れないことを伝えると、すぐにソファーへと誘導され香りの良いハーブティーのようなものを準備してくれた。
(さっきのディルクとのやり取りからしても、職業意識の高い女性といったところかな)
姿は目にしていなかったものの、声で部屋まで案内してくれたのが彼女だとすぐに分かった。
「この度聖女様の専属侍女に任命されましたエルヴィーラと申します。何なりとお申し付けくださいませ」
お茶の支度を整えるまえに挨拶をされたが、その時にもエルヴィーラの顔に笑みはなかったのでこれが標準なのだろう。比較対象がないので分からないが、淡々と仕事をこなす様子は無駄がなく優秀な女性といった印象を受ける。
お茶を一口飲むと爽やかな香りに反してほのかな甘みが広がる。熱い液体が喉を通り抜けると強張っていた身体と心が少し落ち着いたような気がした。
だがそんな穏やかな時間も長くは続かなかった。
「王太子殿下とのご面談が控えておりますので、少々身嗜みを整えさせていただきます」
二人の侍女がやってくると、エルヴィーラが感情の窺えない口調でそう告げた。
(スーツじゃ王太子との面談に相応しくない格好ってことか)
郷に入っては郷に従え、という諺があるのだから瑛莉とて状況に相応しい恰好をするのはやぶさかではない。そう思ったのだが、瑛莉が連れていかれたのは浴室だった。
「失礼いたします」
三人がかりでスーツに手を掛けられて、瑛莉は自分の失敗を悟った。
「あ、あの!大丈夫です。一人でできます!」
例え同性であっても他人から触れられるのは苦手だし、恐らくこのまま入浴をさせられるに違いない。聖女だからと貴族のような身分の人たちと同じ扱いをされることまでは予想していなかったのだ。
「聖女様、私どもがお気に召さないようでしたら他の者を連れてまいります」
「いえ、そういう訳ではなくて。こんな風にお世話をして頂くことに慣れていないので、一人で入らせてください」
不安そうな侍女たちをよそにエルヴィーラは淡々と説明する。
「申し訳ございませんが、そのようなご要望であればお受けできかねます。尊い御身に万が一のことがあってはいけませんし、聖女様のお世話をさせていただくことが私たちの責務でございますので」
そう言い切られてしまえば断るのは角が立つ。
(本当は嫌だけど、エルヴィーラさんも引く気はないようだしあまり我儘だと思われるのも得策じゃないな)
「それじゃあ……お願いします」
仕方がないと割り切って答えたのだが、自分の判断が間違ったとすぐに思い知らされることになる。
(うわぁ……こんな風になってるとは思わなかったな)
想像していた浴室とは違って、そこに広がっていたのは中東で見られるような蒸し風呂だった。蒸気が満たされた浴室内には大きな長椅子が設置されており、瑛莉は促されるままにそこに寝そべる。お湯を掛けられ丁寧に身体を洗われていくうちに、蒸気で身体が温まっていく。
(恥ずかしさを我慢すれば、案外気持ちいいかも)
心地よさに目を閉じれば、うっかり眠ってしまいそうだ。
「聖女様のお肌はきめ細かくて滑らかでいらっしゃいますのね。羨ましいですわ」
「このままでもお美しいですが、更に魅力が増すよう精一杯努めさせていただきます」
エルヴィーラが二十代半ばぐらいなら、こちらの二人は十代後半ぐらいだと思われる。手はしっかり動かしながら、明るい口調で褒められると気恥ずかしさよりも申し訳なさのほうが強い。
(私が重要人物だから頑張って褒めてくれてるんだろうな。そんなことしなくてもいいのに……)
とはいえ彼女たちの頑張りを無下にするわけにもいかず、小声で「よろしくお願いします」とだけ告げれば、エルヴィーラから即座に指摘が入る。
「私どもにそのような労いの言葉は不要でございます。あなたたちも聖女様を煩わせてはいけません」
静かになった浴室内にはどことなく気まずい雰囲気が漂う。お湯を掛けられようやく終わったとほっとしたのも束の間、香油のようなものを落とされマッサージが始まった。
「苦手な匂いなどございましたら、遠慮なくお申し付けください」
「はい、ありがとうございます」
「私どもに敬語を使う必要はございません。――聖女様のお立場は神官長様と同等でございます。王族の方々以外には通常の話し方でよろしいかと存じます」
薄々予想はしていたが、聖女というのはかなり高位の立場にある。その分責任も重くなるわけで、やっぱり早々に逃げ出したほうが良いのかもしれない。
「聖女様は、ヴィクトール王太子殿下をどう思われますか?」
考え事をしていてもしかして何か聞き逃したかなと思うほど、唐突な問いに瑛莉は戸惑った。
「えっと……とても素敵な方だと思います」
エルヴィーラの質問の意図が理解できずに、瑛莉は当たり障りのない答えを返す。
「さようでございますか。――ダミアーノ神官長とは何かお話をされましたか?」
「いえ、特には……」
瑛莉が答える間もエルヴィーラは黙々と手を動かしているが、気づけばマッサージを行っているのはエルヴィーラだけだ。
(しまった!……そういうこと?!)
身体に直接触れられているため、ちょっとした反応でもすぐに悟られてしまう。先ほどの質問は瑛莉が二人にどういう印象を抱いているか探るためだったのではないだろうか。
「聖女様?」
身体が反射的に強張ってしまったことで、エルヴィーラが訝しげに声を掛ける。
「っ、あ……あの、ちょっとくすぐったくて……」
「失礼いたしました。それでは少し調整いたしましょう」
脇腹辺りに手が触れたところだったので、咄嗟にそう言い訳すれば特に怪しむ様子もなく、エルヴィーラは尾てい骨の辺りを解していく。
それ以上エルヴィーラが質問を重ねることはなかったが、先ほどのように身体の力を抜くことができず入浴が終わった頃には瑛莉はすっかり疲弊してしまった。
「ありがとうございます。だいぶ良くなりました」
ティーカップを手に微かな微笑みを浮かべると、エルヴィーラは静かに黙礼した。
トイレから出てきた瑛莉は少し体調が優れないことを伝えると、すぐにソファーへと誘導され香りの良いハーブティーのようなものを準備してくれた。
(さっきのディルクとのやり取りからしても、職業意識の高い女性といったところかな)
姿は目にしていなかったものの、声で部屋まで案内してくれたのが彼女だとすぐに分かった。
「この度聖女様の専属侍女に任命されましたエルヴィーラと申します。何なりとお申し付けくださいませ」
お茶の支度を整えるまえに挨拶をされたが、その時にもエルヴィーラの顔に笑みはなかったのでこれが標準なのだろう。比較対象がないので分からないが、淡々と仕事をこなす様子は無駄がなく優秀な女性といった印象を受ける。
お茶を一口飲むと爽やかな香りに反してほのかな甘みが広がる。熱い液体が喉を通り抜けると強張っていた身体と心が少し落ち着いたような気がした。
だがそんな穏やかな時間も長くは続かなかった。
「王太子殿下とのご面談が控えておりますので、少々身嗜みを整えさせていただきます」
二人の侍女がやってくると、エルヴィーラが感情の窺えない口調でそう告げた。
(スーツじゃ王太子との面談に相応しくない格好ってことか)
郷に入っては郷に従え、という諺があるのだから瑛莉とて状況に相応しい恰好をするのはやぶさかではない。そう思ったのだが、瑛莉が連れていかれたのは浴室だった。
「失礼いたします」
三人がかりでスーツに手を掛けられて、瑛莉は自分の失敗を悟った。
「あ、あの!大丈夫です。一人でできます!」
例え同性であっても他人から触れられるのは苦手だし、恐らくこのまま入浴をさせられるに違いない。聖女だからと貴族のような身分の人たちと同じ扱いをされることまでは予想していなかったのだ。
「聖女様、私どもがお気に召さないようでしたら他の者を連れてまいります」
「いえ、そういう訳ではなくて。こんな風にお世話をして頂くことに慣れていないので、一人で入らせてください」
不安そうな侍女たちをよそにエルヴィーラは淡々と説明する。
「申し訳ございませんが、そのようなご要望であればお受けできかねます。尊い御身に万が一のことがあってはいけませんし、聖女様のお世話をさせていただくことが私たちの責務でございますので」
そう言い切られてしまえば断るのは角が立つ。
(本当は嫌だけど、エルヴィーラさんも引く気はないようだしあまり我儘だと思われるのも得策じゃないな)
「それじゃあ……お願いします」
仕方がないと割り切って答えたのだが、自分の判断が間違ったとすぐに思い知らされることになる。
(うわぁ……こんな風になってるとは思わなかったな)
想像していた浴室とは違って、そこに広がっていたのは中東で見られるような蒸し風呂だった。蒸気が満たされた浴室内には大きな長椅子が設置されており、瑛莉は促されるままにそこに寝そべる。お湯を掛けられ丁寧に身体を洗われていくうちに、蒸気で身体が温まっていく。
(恥ずかしさを我慢すれば、案外気持ちいいかも)
心地よさに目を閉じれば、うっかり眠ってしまいそうだ。
「聖女様のお肌はきめ細かくて滑らかでいらっしゃいますのね。羨ましいですわ」
「このままでもお美しいですが、更に魅力が増すよう精一杯努めさせていただきます」
エルヴィーラが二十代半ばぐらいなら、こちらの二人は十代後半ぐらいだと思われる。手はしっかり動かしながら、明るい口調で褒められると気恥ずかしさよりも申し訳なさのほうが強い。
(私が重要人物だから頑張って褒めてくれてるんだろうな。そんなことしなくてもいいのに……)
とはいえ彼女たちの頑張りを無下にするわけにもいかず、小声で「よろしくお願いします」とだけ告げれば、エルヴィーラから即座に指摘が入る。
「私どもにそのような労いの言葉は不要でございます。あなたたちも聖女様を煩わせてはいけません」
静かになった浴室内にはどことなく気まずい雰囲気が漂う。お湯を掛けられようやく終わったとほっとしたのも束の間、香油のようなものを落とされマッサージが始まった。
「苦手な匂いなどございましたら、遠慮なくお申し付けください」
「はい、ありがとうございます」
「私どもに敬語を使う必要はございません。――聖女様のお立場は神官長様と同等でございます。王族の方々以外には通常の話し方でよろしいかと存じます」
薄々予想はしていたが、聖女というのはかなり高位の立場にある。その分責任も重くなるわけで、やっぱり早々に逃げ出したほうが良いのかもしれない。
「聖女様は、ヴィクトール王太子殿下をどう思われますか?」
考え事をしていてもしかして何か聞き逃したかなと思うほど、唐突な問いに瑛莉は戸惑った。
「えっと……とても素敵な方だと思います」
エルヴィーラの質問の意図が理解できずに、瑛莉は当たり障りのない答えを返す。
「さようでございますか。――ダミアーノ神官長とは何かお話をされましたか?」
「いえ、特には……」
瑛莉が答える間もエルヴィーラは黙々と手を動かしているが、気づけばマッサージを行っているのはエルヴィーラだけだ。
(しまった!……そういうこと?!)
身体に直接触れられているため、ちょっとした反応でもすぐに悟られてしまう。先ほどの質問は瑛莉が二人にどういう印象を抱いているか探るためだったのではないだろうか。
「聖女様?」
身体が反射的に強張ってしまったことで、エルヴィーラが訝しげに声を掛ける。
「っ、あ……あの、ちょっとくすぐったくて……」
「失礼いたしました。それでは少し調整いたしましょう」
脇腹辺りに手が触れたところだったので、咄嗟にそう言い訳すれば特に怪しむ様子もなく、エルヴィーラは尾てい骨の辺りを解していく。
それ以上エルヴィーラが質問を重ねることはなかったが、先ほどのように身体の力を抜くことができず入浴が終わった頃には瑛莉はすっかり疲弊してしまった。
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