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悪夢と現実

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「パパ、今日のクッキーは私が作ったんだよ!」

楽しそうに告げる少女に父親と母親が優しい眼差しを向けている。

引き返したい……ここにいちゃ駄目なのに。

そんな私の意思に反して足は止まらず親子の方へと近づいていく。
彼らがこちらの存在に気づいた途端に和やかな会話は止まり、空気が重くなった。自分が家族にとって不要な存在だと暗に告げられているようで悲しくなった。

いつの間にか家族の姿は消え、一人取り残されていた。
不安と寂しさを感じながらも何度も心の中で大丈夫だと自分に言い聞かせる。
一人だって生きていける、ずっとそうやって頑張っていたんだから――。

場面が変わって薄暗い部屋の中、一人の男が倒れていた。顔が見えないのにそれが誰か確信して衝撃に胸が詰まる。

「ノア!!」

傍に行きたいのに近寄ることが出来ず、ただ名前を叫び続ける。胸が張り裂けそうなほど痛み、息が出来ないほど苦しかった。
愛されたいと分不相応に望んでしまった報いなのだ。激しい喪失感に足元が崩れるような浮遊感を覚えて息を呑むと、見慣れない天井が視界に広がっていた。


のろのろと体を起こして周囲を見回す。窓から差し込む光で、それほど時間が経ってないのが分かった。少しうたた寝をしていただけのようだ。ほっとしたのも束の間、夢の内容を思い出し、両腕で自分を抱きしめる。後半部分は起こり得る未来だった。
左手のくすんだ婚約指輪にそっと口づけた。

どうか、ノアが幸せになりますように。

もともとトラックに轢かれて死ぬはずだったから、少し時期がずれただけだ。異世界で過ごした時間はボーナスタイムみたいなもので、これまでの分もこれからの分もまとめてノアベルトが愛してくれた。

幸せな人生だった……これ以上は望み過ぎだよね。

両手をぐっと握りしめると力が入った。体力が先ほどよりも戻っていることを確認してベッドから下りる。チャンスは恐らく一度きりだ。アレクセイたちは私が命を絶つなど想像していないが、失敗してしまえば恐らく監禁されて自由を奪われるだろう。
頸動脈の位置を確かめて、洗面室に向かおうとすると足元が揺れたような気がした。

「……立ち眩みか?」

少し休んだぐらいで完全に体力が戻ったわけではないのだろう。そう納得しかけた時、聞こえるはずのない声が聞こえた。

「リア!」

一瞬まだ夢を見ているのかと思った。だがこちらに駆け寄ってくるノアベルトの姿を見て我に返った。

「駄目だ、来るな!」

ノアベルトは驚いたような表情を浮かべ、足を止めた。

「リア?」

名前を呼ぶ声に涙が出そうになったが、必死で堪える。

夢が現実になってしまう前にノアを帰さなきゃ……。

「あいつらに力を使われてしまう。私のせいでノアを傷付けるのは嫌なんだ。……ちゃんと迷惑かけないようにするから帰ってくれ。私は大丈夫だから」

私がこれからしようとしていることを話せばノアベルトは絶対に止めようとするだろう。悟らせないように冷静でいようと思うのに、僅かに声が震えてしまった。
ノアベルトが気づかないわけがない。それでも精一杯平気な顔をして微笑んだ。

ノアベルトは不快げに目を細めたかと思うと、次の瞬間私はノアベルトの腕の中にいた。慌てて逃げようとするが、抱きしめられる腕の力や体温が伝わってきて心が揺れる。

駄目だ!私がノアを殺してしまうかもしれないのに!

相反する感情に揺さぶられながらも、抵抗するがびくともしない。

「やめろ、離せ!帰れと言っただろう!!」
「リア、もう大丈夫だ。私が絶対に守るから」
「だけど――!」

抗議の声は唇を塞がれて意味をなさない。そんなことをしている場合じゃないのにと焦る気持ちとは裏腹に力が抜けていく。奪われるのではなく与えられる安心感のせいだ。
もう一度軽いキスをして、ノアベルトは頭を撫でる。

「いい子だ。少しそのまま動かないでくれ」

ノアベルトの指が耳朶をなぞり、私の耳に付けられたイヤーカフに触れる。一瞬熱さを感じたかと思うと、乾いた音を立ててイヤーカフが足元に落ちた。
あんなに外すのに手間取っていたものが、あっさりと外れたことに目を見張った。

「心配してくれるのは嬉しいが、魔力に関して私の右に出る者はいないだろう。だから安心してほしい」

優しく微笑みかけるノアベルトを見て、一気に感情が押し寄せてくる。

「っ、ノア……ノア!」

言葉にならずにしがみつくと優しく頭を撫でながら抱きしめ返される。ボロボロと涙が溢れてきて止まらない。

「リア、悪いがちょっと邪魔が入りそうだ。――後でたくさん話をしよう」

落ち着かせるように背中をポンポンと叩く。
身体を離して振り向くと同時に、部屋の扉が荒々しく開け放たれた。
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