短気な聖女はヤンデレ魔王のお気に入り

浅海 景

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街に出かけてから一週間、私の忍耐は限界を迎えていた。

「どうした?ああ、新しい本でも用意させよう」

こちらの不機嫌さに気づいていながら、何でもないかのように振舞うノアベルトの態度にかちんときた。

「……要らない。ノア、執務室に行きたい」
「駄目だ。まだ安静が必要だ」

あの後、薬の影響で熱が出たが翌日にはすっかり回復していた。それなのにノアベルトは頑なに部屋から出そうとしない。部屋と執務室を往復するだけでも意外と気分転換になっていたのだと、軟禁状態になって初めて分かった。

「拗ねた顔も可愛いが、珍しい菓子を用意したから機嫌を直してくれないか」

困ったような笑みを浮かべながら、話を逸らされ懐柔しようとしてくる。ノアベルトの想いを知った今、甘やかされることも居心地が悪く、ヨルンの嫌味ですら今は聞きたい気分だった。

献身的といえば聞こえはいいが、あれからノアベルトはずっと傍にいてリアの世話を焼こうとするのだ。度を超えた過保護さには辟易したし、入浴や着替えまで手伝われそうになった時には本気で引いた。
その様子を見て、渋々ながら諦めてくれたのだが――。

「ルカ王子のことだけど…」

その名前を出せば、室内の気温が一気に下がったように感じられた。ノアベルトの表情からは笑みが消え、細められた目に剣呑な光がよぎる。

「リアは何も心配しなくていい。二度とあんな真似はさせないし、あれを目にすることもないだろう」

ノアベルトを怒らせたくないためそれ以上聞くことを控えていたが、今回は引く気はなかった。

「心配になるのはノアが何も教えてくれないからじゃない」
「そんなにあれが気になるか?」

冷えきった声に身体が強張る。喧嘩をしたいわけじゃない。ただ何も知らないまま、物事が動いていくのが不安なのだ。
ノアベルトに訴えても大丈夫だと言われるだけで理解してもらえない。そのことがひどく歯痒かった。

「気になるのは王子じゃなくてエメルド国だよ。私がここにいることで、この国にとって不利益になるようだったら――」
「リア」

低い声に言葉を詰まらせると、息ができないほど強く抱きしめられた。これ以上は聞く気はないと拒絶されているようで、怒りよりも悲しい気持ちのほうが大きい。
召喚されたものの何の力もないからと思っていたが、聖女という存在は自分が考えているより大きいのかもしれないとルカに会って思ったのだ。

思い込みが激しい男だったが、無理やりにでも連れていかれそうになって認識を改めた。聖女という存在自体が、利用価値の高いものなのかもしれない。
そうすると自分がノアベルトの傍にいることが正しいことなのかと考えるようになった。

……たとえばエメルドがイスビルに攻め入る大義名分を与えることにならないだろうか。

自分が原因で戦争が起こる可能性に気づいてぞっとした。ノアベルトが私に何も伝えてくれないのは、それが理由だからではないかと思えてくる。

控えめなノックの音に、ノアベルトが入室を促すとステラが入ってきた。リアと顔を合わせようとせず、話しかけてもくれなくなったし、ノアベルトがいる時以外に部屋に来ることはない。
自分のせいで処罰されそうになったのだから、関わりたくないと思われても仕方ないが、唯一の話し相手を失ったのはつらかった。

ステラから小さな箱を受け取ると、ノアベルトはリアの前に跪く。
嫌な予感がした。

固まる私をよそに魔王は真剣な表情で見上げて言った。

「リア、生涯愛すると誓うから私の伴侶になってくれないか」

差し出された箱には一粒のダイヤモンドを中心に小さなピンクダイヤをあしらった指輪。
ノアベルトから目を逸らしたくなったが、ぐっと堪える。本気で求婚してくれているのが分かったから、それに向き合わなければ失礼だろう。

街に出掛けた日に気づいていたのに、王子に攫われかけたことや環境の変化にばかり目に向けて考えることを後回しにしていたのは自分なのだ。
ずっと好意を伝えながらも押し付けることなかったノアベルトが、初めて示した意思表示に胸が痛んだが、それはただの甘えでしかない。

「ごめん……。受け取れない」

そんな真剣な想いに応えることなどできなかった。

「リアは私のことが嫌いか?」
「嫌いじゃないよ。でもノアの好きとは違う」

ノアベルトだって分かっていたはずだ。それでもあえて言葉にするのは、この関係性に終止符を打つためなのだろう。

もう一緒にいられないのか……。

そう思うと心の奥がぎゅっと苦しくなる。この生活はノアベルトの好意の上で成り立っているのだから、求婚を断れた相手を傍に置くはずもない。
身勝手なこの感情も不安から派生しているのだと思えば、自分の醜い部分を思い知らされるようで、ますますたまらない気持ちになる。

それでも私はやっぱり誰かを好きになることが、出来ない……。

視線を合わせることが出来ず俯いていると、ノアベルトは私の手を取り握りしめて言った。

「ほんのわずかでも好意を持ってくれるなら、受け取ってくれ。そうすればエメルド国にも誰にも手出しなどさせない」

懇願するような響きに思わずノアベルトを見ると、そこには甘やかな眼差しはなく真剣な光を帯びていた。

「……どういうこと?」
「リアの心を動かすのに急かす気はない。だが争いを避けるならリアの立場を確立させるのが必要だ」

今の私は「異世界から召喚された聖女」と認識されているが、ノアベルトと婚約すれば「魔王の婚約者」という立場に変わる。聖女のままであれば召喚したエメルド国に身柄の確保を主張されるが、婚約者という立場であればどちらの結びつきが強いかは明白だ。
また婚約者であれば将来王妃になる可能性が高いとみなされ、イスビル内でもそれなりの地位が確立されるらしい。

「リアが聖女になることを拒んでもエメルドは聞き入れないだろう。それよりも私の婚約者になるほうがまだましではないだろうか?」

押し黙ってしまったリアにノアベルトは淡々とした口調で続ける。
まし、というレベルではない。むしろノアベルトの婚約者になりたいと願う女性は多いだろう。整った顔立ち、王という高貴な身分、圧倒的な魔力など非の打ちどころがない優良物件なのだ。
今回の婚約は対外的な意味合いが強いというが、ノアベルトが好意を抱いてくれていることは明らかなため、素直に頷けない。

「ノアを、利用するのは嫌だ」
「リアにならどれだけ利用されても構わない」

愛おしそうに手の甲に口づけすると、ノアベルトはそのまま指輪を薬指にはめる。流れるような動きに止める暇もなく、そこに祈るように目を閉じて唇を押し当てるノアベルトを見て、その手を振り払うことができなかった。

「大切にしよう――私の愛しい婚約者」
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