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優しさの理由

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――ひどく嫌な夢を見た。

ただの夢だと言うには過去の記憶が入り混じっているせいで、夢の中で上手く受け流すことが出来ず必死で足掻いていたような気がする。
疲労感と鈍い痛みを引きずりながら、目を開くと天井が見える。自分が一瞬どこにいるのか分からなかった。

「リア、気分はどうだ?痛みや不調があれば教えてくれ」

ベッドの傍で真剣な表情で見つめる瞳にぎゅっと胸が締め付けられる。身じろぎすると手を握られていることに気づき、少し低い温度が心地よい。

「ノア……」

口を開くと掠れた声が出て、それからようやく自分が熱を出しているのだと分かった。全身が熱く、だるくて仕方がない。

「ああ、水を飲むか?」

触れていた手を解かれて、反射的に引き留めるように手を掴んだ。

置いて行かないで、側にいて……。

心の奥に押し込めた願いが浮かんできて、小さな落胆を覚える。望んでも叶えられることなどないのに、自分は何と愚かなのだろう。

「リア?」

だがノアベルトは動いたせいで目元に掛かった髪を指先でそっと梳いて、案じるような眼差しを向けている。

どうしてこの人なんだろう……。どうして私なんかに優しくしてくれるんだろう……?

朦朧とした意識の中、そんな疑問ばかりで一杯になる。聞いてはいけないこと、望んではいけないことなのに、注がれる視線に言葉がこぼれ落ちた。

「ノアは、私が聖女だから優しいの?」

驚いたように目を見開くノアベルトを見て、自分が何を口走ったのか自覚するとともに後悔した。

肯定されたらもうここにはいられないのに……。

それでも言葉にしてしまった問いかけは取り消せない。目の奥がじんと熱くなり思わず目を閉じた私の耳にノアベルトの声が降ってきた。

「私が優しいなどと思うのはリアだけだろうな。リアを愛しく思っている故にリアの好意を得るために行動しているだけだ。それはリアが聖女であろうとなかろうと同じことだ」

髪に触れる手つきはどこまでも優しくて、その言葉が嘘だとは思えなかった。飾らないまっすぐな言葉は夢の残滓である不安と諦観、そして悲しみを溶かしてくれるようだ。

ノアベルトの手を握りしめたまま、私は布団に潜り込んだ。熱のせいで暑さと息苦しさを感じながらも、ノアベルトにどんな顔を見せて良いのか分からない。
そうしているうちに何度か意識が途切れ、目を覚ました時にはすっかり喉が渇いていた。

「……お水が飲みたいです」

小さく顔を出して告げれば、ノアベルトはすぐさま部屋から出て行った。リアはそれを確認すると、自分の言動を思い出してはベッドの上でじたばたと悶える。

何であんなこと聞いてしまったんだろう!

ペット以上の好意を向けられることは分かっていた。それでも種族が違うのだし、珍しさゆえに面白がっている可能性はずっと否定できずにいたのだ。だがノアベルトの言葉はリアの想像よりもずっと真摯で重い。
顔の火照りが治まらないまま、ぐるぐると頭の中で反省する。

いくら嫌な夢を見たからと言って!ああ、もう私の馬鹿!!

自己嫌悪で頭がいっぱいになったが、その原因になったのがエメルド国王子であることに思い至った。そもそもあの王子が勝手なことをしなければ、こんなことにはならなかったのだ。

ルカから聖女のイメージを押し付けられて腹が立った。たとえそれが無知や王族の傲慢さからであっても、誘拐されて貢献しろなど堂々と言える厚かましさに苛々するし、人の話を一切聞かずリアの態度を勝手に決めつけ、挙句の果てにまた攫われかけたのだ。

あの王子、結構ヤバい人間の部類に入るんじゃないか……?

自らの正しさを信じ、悪意を感じられないのがわりと怖い。妄信的で人の意見を受け入れられない人物は何をしでかすか分からないところがある。
ノアベルトが来てくれなかったら、今頃どうなっていただろうか。

いや、そもそもあの王子はどうなったんだ?

そんな疑問が浮かんだ時、ノアベルトがステラと共に戻ってきた。ステラの顔色は真っ青で今にも倒れそうになっている。

「ステラ?」

大丈夫かと声を掛ける前に、ステラは床にうずくまり額づかんばかりに頭を下げた。

「申し訳ございません!」

状況が分からずノアベルトを見るが、特に気にした様子もなく水を手渡してくる。

「飲めるか?他にも色々用意したから、好きなものを選ぶといい」

この状況を無視できるのかと呆気に取られたが、ノアベルトはステラをわざと無視しているようにも見える。

「ステラ、顔を上げてよ。謝られるようなこと何もなかったじゃない」

無言で頭を下げ続けるステラの代わりに、答えたのはノアベルトだった。

「カフェと書店、いずれも未然に防げるものであったのにリアを危険に晒した時点で侍女失格だ。本来は処罰の対象で二度と城に置くことはないが」

ノアベルトは一旦言葉を切って、問うようにこちらに視線を向けたので、慌てて首を横に何度も振った。

「……今回だけリアの意見を尊重して厳重注意とする」
「寛大なお言葉、心より感謝いたします!」

ステラのせいではなく、自分の不注意と短慮から起こった出来事だった。王であるノアベルトが決めた処遇に口を挟めるものではないが、軽はずみな行動をした自分は何も罰を受けないことが申し訳ない。
退出するステラに声を掛けることも出来ずにいると、ノアベルトは躊躇いがちに押し黙った私の手を取った。

「怒っているか?」

ノアベルトに怒っているわけではないため、無言で首を振った。

「魔力を使ってしまったから、何もなかったことにはできない。エメルドが絡んでいるから尚更だ」

少し焦ったような口調はこちらに負担を掛けまいとしているようで、気にしていないというように小さく頷いて別のことを訊ねた。

「あの王子はどうなったの?」
「……気になるか?」

いつもより低い声は不機嫌さを漂わせていたが、気になることには変わりがない。無言で頷くとノアベルトは目を細めたものの、口を開いた。

「――多少怪我を負わせたが、逃げおおせたようだ。リアの安全が優先だったからな」
「迷惑をかけてごめんなさい。……陛下、助けに来てくれてありがとうございます」
「……逃げたかったのではないのか」

尋ねられて初めて今まで一度も考えなかったことに気づいた。最初の頃は逃げても行く当てがないという諦めの気持ちもあったが、ノアベルトが大切に扱ってくれるからそんな気持ちになどなくなっていた。

「働かないのは嫌だけど逃げたいとは思ってないですよ。むしろルカ王子からは逃げたいと思いました。あの人思い込みが激しすぎて怖いし、私は絶対聖女になんてなりたくないです」
「そうか」

ノアベルトは何故か少し困ったような顔で頭を撫でた。それが気にかかって顔を上げるが、先程とは違いノアベルトは悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「リア、また言葉遣いが戻っている。お仕置きだな」
「えっ、だってあれは外出用でしょう?!ちょっと待っ――」

身体ごと引き寄せられて額やまぶた、頬などにキスが振ってくる。唇を避けている辺りに若干気を遣っているのかもしれないが、ただでさえ高い体温が更に上がったようだ。
ようやく止めさせた時には、気に掛かっていたはずのノアベルトの表情について、すっかり忘れてしまっていた。
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