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迷惑な親子

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憂鬱な気分で化粧室から出るとふいに背後から衝撃を感じた。前につんのめったものの、何とか踏みとどまって振り返ると6、7歳ぐらいの少年がニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。少年に突き飛ばされたのだと分かったが、いたずらにしては質が悪い。

「やめなさい」

低い声と険しい表情で告げると幼く見える私を甘く見ていたようで、不愉快な笑いが消えて不満そうな表情に変わる。

「うるさい、ブス!」

リアを押しのけるようにして、少年は背を向けて走りだす。

「ちょっと、危ないよ!」

注意したものの止まらず小さな姿が視界から消える。溜息をついた直後、小さな悲鳴と物が割れる音が聞こえた。
廊下の角を曲がると、予想していたとおり床に座りこんだ少年と女性店員の姿があった。

「怪我はない?店員さんも大丈夫ですか?」

順番に声を掛けると店員は恐縮したように頭を下げ、少年に怪我がないか確認しようと手を伸ばす。だが少年がその手を乱暴に振り払ったのを見て、思わず声を上げた。

「謝りなさい」

大きな声ではなかったが、強い口調に少年がびくりと身じろぎした。

「店内で走って迷惑をかけたのに、このお姉さんは君のことを心配してくれた。それなのにそんな態度を取っては駄目だ。悪いことをしたら謝れ」

少年の目をしっかり見たまま叱ると、不貞腐れた顔が不安げに揺れる。少年が口を開きかけた時、甲高い声が響き渡る。

「ジョシュア?まあ、私の子に何をしているの!」

派手な外見の女性が大げさなぐらいに眉を顰め、こちらを睨みつけている。まるで私が原因だと決めつけているような態度に、何となく無駄だろうなと思いつつ説明することにした。

「息子さんが廊下を走っていたため店員さんにぶつかって、カップを割ってしまいました。幸い怪我はなかったようですが」

ぶつかった衝撃で空のカップは勢いよく飛んだらしく、二人から離れた場所で割れていた。料理を運んでいる最中でなかったことが幸いしたようだ。

「可哀そうな坊や!痛いところはないの?評判のカフェと聞いていたのに従業員の質が悪いのね。責任者を呼んで謝罪をしてもらわなくちゃ」

無駄だろうなと思ったけど、予想以上の馬鹿親だったな……。

店員は頭を下げて謝罪の言葉を口にするが、母親は聞く耳をもたないどころか店員を侮辱するような言葉に変わっていく。
居合わせただけの自分が関わる必要はなかったが、見ているだけでひどく不快だった。思わず口を挟んでしまうほどに――。

「謝罪するのは貴方のほうですよね?」

耳障りな金切り声がぴたりと止まった。

「最低限の行儀も弁えない子供を連れてきた挙句、店に迷惑をかけたのだから当然だと思いますけど」

淡々とした口調で指摘すると、母親は顔を真っ赤にして眦を吊り上げた。

「随分と魔力が低い小娘のくせに、なんて偉そうな口を利くのかしら!平民の分際で分を弁えなさい!」

プライドの高さに反比例して、沸点は随分と低いらしい。激高して扇子を振り上げる姿を冷静に観察しつつ、どう振舞うべきか瞬時に考える。

傷害罪とか貴族相手でも適用されんのかな……?

頭の片隅でそんなことを考えられるほど余裕らしきものがあったが、続いて聞こえてきた声には身体が硬直してしまった。

「何をしている」

冷ややかな声に全員の動きがぴたりと止まる。静かな口調は恐ろしいほどの威圧感を含んでおり、逆らってはいけない存在だと本能が告げているようだ。たった一言でノアベルトはその場を支配していた。

「リア」

僅かに和らいだ口調に強張った体を動かすことができたが、そこには咎めるような響きを含んでいた。

「ごめん、なさい」
「何に対して?」
「戻るのが遅くなったし、余計なことをしたから」
「そうか、いい子だな」

言葉こそ優しげだが、何故か怒っていると直感した。

ああ、多分何か間違えた……。

ノアベルトが怒っている理由は、別にあるのだろう。必死に心当たりを考えていると、余計な声が邪魔をした。

「そちらの使用人は躾がなっていないのではなくて?よろしければ当家が代わりを用意して――」

ノアベルトの周囲の温度が一気に下がる。母親は最後まで言葉を告げることができず、恐怖に身体を震わせることになった。

火に油を注ぐんじゃない!いい歳して空気も読めないのか!

「うわあああん、ごめんなさい!ごめんなさい!」

緊迫した空気に耐えかねたのか、少年が泣きながら謝る声が上がった。
きっと彼にとって、いやこの親子にとっては良い薬になっただろう。
現実逃避をするようにそんな感想を抱いていた私を、すぐに現実に引き戻すような声が落ちる。

「リア、おいで」

周囲の惨状を気にする風もなく、ノアベルトは私に向かって手を差し出す。逆らえない雰囲気に大人しく手を取ればすぐさま抱きかかえられるが、文句は言えない。

目は口ほどに物を言う。
ノアベルトの怒りが全く収まっていないことは、間近で顔を合わせて良く分かったからだ。
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