短気な聖女はヤンデレ魔王のお気に入り

昏い感情

ノアベルトが謁見の間に姿を現すなり、怯えた様子を見せる使者の態度に苛立った。ひりつくような不機嫌な雰囲気をまとっているのだから当然と言えば当然なのだが、ならば最初から来なければ良いと思う。
書状の内容もまたノアベルトの神経を逆なでするものだった。

曰く、古くから伝わる儀式で誤って召喚してしまったこと、少女に何の罪もなくエメルド国で保護したいことなどを飾り付けた言葉で書き連ねてあった。聖女として召喚したことなどおくびにも出さず、あまつさえ哀れな少女に寛大な対応を願いたいと自分たちの行為を完全に棚上げしているとしか思えない。

何も知らないとでも思っているのだろうか。

今更になってこのような書状を送りつけること自体が厚かましい。恐らく召喚するにあたって使用した呪具が無事なことから、聖女がいまだに生存していることを知ったのだろう。
そしてこちらに何の影響も出ていないことを怪しみ、情報を集めるためにリアの身柄を欲している――ともすればリアを利用するために。

いっそこの機会に滅ぼしてしまおうかと本気でそう考えていると、ヨルンからの呼びかけで思考を中断する。聞き流していたが、使者は震えながらも聖女の返還を口にしていたことを思い出す。

「断る。命が惜しければとっとと帰れ」
「どうかご慈悲を。此度の事態は我がエメルド国の責任ですが、少女に罪はありません。何卒ご寛恕願いたく存じます」

怯えた様子を見せていたが、覚悟を決めたようにしっかりと要望を告げる。見たところ文官というよりも武官、騎士に属する者だろう。言葉遣いからも教養を感じられ、貴族出身だと推察される。鬱陶しい貴族特有の腹の探り合いや言葉遊びに付き合うつもりはない。

「くどい。私の支配下で起こったことについて、これ以上干渉するつもりならば容赦はしない、と国王に伝えろ。話は以上だ」

念を押すように鋭い視線を向けると、使者はそれ以上言葉を発することはなかった。
その後の対応はヨルンに任せて、執務室ではなく私室に向かう。
リアの元に戻る前に頭を冷やす必要があったからだ。

甘やかして大切に扱って、ようやく少しずつ気を許してくれるようになった矢先だと言うのに……。

部屋に出る直前の泣き顔が頭に浮かぶ。
苛立ち、哀れみ、不愉快な感情が込み上げて煩わしい。

リアが元の世界に戻りたいと望んでいることは知っていた。そのために書物を真剣に読み込んでいることも、不安と焦りを抱いていることも。そんな方法などありはしないと告げるのは簡単だったが、リアは納得しないだろうと放置していた。

使者に会ったからと言って帰る方法が見つかるわけではない。だが召喚した者であればその方法を知っているのではないかと期待するだろうし、使者の前でエメルド国に行きたいと口にする可能性はあった。
そうすれば外交上厄介なことになるのは明らかで、即座に会わせないと決めた。
何よりも自分以外の者を頼ろうとすることなど許容できない。

リアが面会理由に挙げたいくつかには正当性もあり、これ以上反論できないよう話を逸らしたはずだったのに、リアはあっさり乗り越えてきた。
ほんの一瞬、触れるだけの口づけとはいえ、リアの意思でなされた行為は嬉しくない訳がない。だが、その後の言葉を思い出せば、激しい嫉妬に胸の奥が灼ける。

『――子供ではないのだからキスぐらいしたことありますよ』

誰に、いつ、どこまで許した？

それを聞いた瞬間、汚泥のようにどろりとした昏い感情に支配された。しょせん過去のことだと割り切ることなどできなかった。

リアの性格上、誰とでも口づけを交わすことなど絶対にしないだろう。それは過去に想い合った者がいるということで、未だに僅かな好意しか得られていないノアベルトにとってそれ以上は知りたくもないし、知ってしまえば自分でも何をするか分からなかった。

感情に任せて押し倒すと、何が起こったのか理解していないほど無防備な目をしていて嗜虐心が湧き上がる。過去の記憶を上書きするように無理やり唇を重ねた。
苦し気に喘ぐ声も頬を伝う涙も全て無視して仄暗い欲望を満たした私を、リアは許さないだろう。

「全部手に入れるのは難しいか」

逃げ出さないように鎖を繋いでおきたい。誰の目にも触れないよう部屋に閉じ込めて全てを奪ってしまいたい。

そうすればリアを私だけの物にできるだろうか……。
二度と笑顔を見せてくれなくても、側に繋ぎ止めることはできる。失うぐらいならそのほうがずっとましだろう。


いつもの執務室のドアが重く感じられたのは、自分の心境を反映しているせいだ。音に反応して顔を上げるリアの目に涙はなかったものの、気まずそうに視線を逸らされた。

乱暴な行為に腹を立てているならまだ良かった。大人しいのは傷つき怯えていることの証左のようで、胸が締め付けられる。
出会った時に惹きつけられたあの真っ直ぐな瞳は、もう失われてしまったのかもしれない。

「陛下」

なじられるのは仕方ないが、泣かれるのは辛い。ノアベルトは黙ってリアの言葉を待った。

「すみませんでした……。浅はかだったと反省しています。今更こんなこと言っても遅いのは分かっていますが、不快な思いをさせて本当に申し訳ありません」

思いがけない言葉に一瞬心が揺らぐが、すぐに思い直した。恐らくリアは私の機嫌を取ろうとしているのだろう。もしくは逃げ出すための機会を窺うために大人しく振舞っているのかもしれない。

「エメルドに行きたいか？」
「……………陛下が望むなら」

反応を見るために敢えて告げた言葉に思いがけない反応が返ってきた。顔は伏せたままだったが声に力はなく、怯えているというよりも不安そうに見えた。

「私が何に対して腹を立てたか、理解しているか？」
「我儘を言って陛下を困らせたからです。それに諦めさせるための方便を真に受けて――不敬な態度を取ったから……」

……本当に分かってないのか。

苛立ちの原因はリアの過去への嫉妬なのだが、そのことに思い至らないようだ。聡いはずなのに感情の機微には疎い、というよりも色恋に関しては不得手なのかもしれない。
口づけをしたことがあると言っても、経験が豊富なわけではないのだろう。

先ほどまで胸の中に渦巻いていた重く激しい感情が、少しだけ和らいだ。

「それは理由ではないが、リアはまだ分からなくていい」
「え…、じゃあどうして？陛下に嫌な思いをさせたくないから教えて欲しいです」

秘密だと告げるとリアは残念そうな顔をしたが、それ以上何も言わなかった。原因が分からないから迂闊なことを口にしないのだろう。
その様子を見て、今回はまだ止めておこうという気になった。

「リア、私も謝らなければ。先ほどは乱暴なことをしてすまなかった」
「えっ……いやあれは私が悪かったので」
「だから上書きをさせて欲しいのだが、構わないだろうか」
「……上書き？」

きょとんとした表情を浮かべていたが、顎をすくうと即座に理解したようで顔が真っ赤に染まる。

「だ、駄目です！」
「何故？私はリアに嫌われたくない。怖かっただろう？」
「それは――もう大丈夫です。上書きなんかしなくても全然平気です」
「大丈夫だ。今度は優しくするから」
「そういう問題じゃなくて――」

軽く音を立てて啄むような口づけを落とす。リアが硬直してしまったのを良いことに繰り返し軽く口づけをして、唇を舐めると甘い味がした。

「っ……、もう十分です！二度としないでください！！」

顔を羞恥に染めながら叫んでも迫力がないどころか可愛いだけだ。口元が自然と緩む。

「陛下！何で笑うんですか！？」

少しぎこちないが、元の状態に戻りつつある。今はまだそれでも良い。だが多少意識させることは必要だろう。

「もっと練習が必要だな」
「練習なんてしなくていいです！したら本気で怒りますからね！！」

即答するリアを見て笑うと、力いっぱい睨んできたがすぐに不貞腐れたようにそっぽを向いた。
そんな態度も可愛らしいだけだというのに。

男として意識させることは、警戒を強め距離を置かれる危険もあるが、この関係をもう少し進めたい。打算だろうが、無意識だろうが嫌われまいとする態度はノアベルトを安心させた一方、更に自分のことを考えてほしいという欲求が強くなってしまった。

リアの機嫌を取るための甘い菓子を用意させながら、ノアベルトは次の甘やかし方を考えていた。