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転生者

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一人で簡単な昼食を済ませたアネットはポケットから取り出した手紙を見て、大きなため息を吐く。今朝机の中に入っていた手紙の内容は、アネットに多大な衝撃を与えるものだった。

『アネット・ルヴィエ様
このままでは物語が破綻します。悪役令嬢も無事では済まないかもしれません。
あるべき形に戻すために貴女の力が必要です。』

クロエが悪役令嬢かもしれないと思ったのは遠い昔のことで、手紙を見るまですっかり忘れていたぐらいだ。今のクロエは悪役令嬢のような自己中心的で我儘な性格ではないが、学園内での風評はそちらに傾きつつある。

(これは、もしかして強制力というものかしら……)

その可能性に気づいたアネットはぞっとした。今まで完璧な淑女だったクロエが、エミリアの言動が原因で手を出してしまったことも、その影響なのではないだろうか。
強制力がクロエを悪役令嬢に仕立てようとしているのかもしれない。
自分の愚かさを棚上げするつもりはないが、この世界が物語の中のものであるならば、その可能性は十分にあり得るのだ。

考えれば考えるほどに胸が締め付けられるような不安を感じ、アネットは何度も手紙を読み返す。短い文章の中にもヒントはなく、ただ焦燥感が押し寄せて来る。

(お姉様が危険なのに打つ手が分からない……。いえ、落ち着いて考えないと)

かつてこの世界が小説や創作の世界である可能性を考えたことはあるが、今になってその考えが正しかったと知らされるとは思わなかった。転生者であるのに肝心な内容について自分が知らないことが悔やまれてならない。

恐らく差出人は物語のあらすじを知っている転生者だが該当する人物を考えても、アネットには心当たりがなかった。
それでも手助けをして欲しいということは、アネットには何か役割があるのだろうし、きっと向こうから接触があるはずだ。ならばアネットがすべきことはそれまでにどうやってクロエを悪役令嬢という役割から外すことができるか考えることだろう。

無事では済まないという内容もどんなことを指しているのか分からないことが余計に不安を煽る。何が起こっても大丈夫なように万全の備えをしなければならないが、問題はこの件についてセルジュの手を借りられないことだ。
セルジュの意図がどうあれ、クロエの安全に関わることならきっと動いてくれるだろうが、容易に信じられることではないだろう。さらに情報が曖昧すぎて混乱を招く可能性もある。

(それに……妄想癖がある危険人物として見られるかもしれない)

身内に精神の危うい者がいると見なされればクロエの立場も難しくなるし、アネットがクロエの負担になると判断すればセルジュはアネットをクロエから遠ざけようとするだろう。そして何よりクロエに知られたくはなかった。優しい姉はアネットの気が触れたからと言って嫌悪しないだろうが、きっと悲しむし自分を責めてしまうかもしれない。

(お姉様が幸せにならないなんてそんなのは絶対にダメ!)

セルジュの隣に相応しくあるようにずっと努力を重ねてきたのだ。強制力ごときに邪魔をさせてなるものかとアネットは拳を握り締める。

(……そういえば何をもって悪役令嬢というのかしら?それに悪役令嬢が存在するのならばヒロインも必要になるわよね)

そう考えて一人の少女が頭に浮かんだ時、アネットは背後から声を掛けられ思わずぎくりとした。

「あの、アネット様?」
振り向くと今まさに思い描いた少女が途方にくれたような表情を浮かべて立っていた。

「エミリア様……っ――」

会いたい相手ではなかったが、アネットの視線はエミリアの手元に吸い寄せられる。差出人不明の手紙と同じ封筒にアネットは小さく息を呑む。その反応をどう捉えたものか、エミリアは急いで声を掛けた理由を話し出した。

「お呼び止めして申し訳ございません。この手紙をアネット様にお渡しするよう頼まれたのですが、……お心当たりはございますか?」

不安そうに揺れる瞳にアネットは問い質したくなるのを堪えた。ここでエミリアを怯えさせてしまえば、大切なヒントが失われてしまうかもしれない。

「同じようなお手紙をいただいたばかりだったので、驚いてしまいました。エミリア様はどなたから頼まれましたの?」
「街に出掛けている時に見知らぬ女性から託されましたの。……お断りしようと思ったのですが、すぐにいなくなってしまって……」
おろおろと困り果てているエミリアの様子が目に浮かぶようだ。

(それにしてもどうしてエミリア様に渡したのかしら?)

机の中に入っていたことやエミリアを知っていることから、恐らく差出人は学園内の人物、または協力者がいると見て間違いない。だが学園内の人間であればクロエとエミリアの件について知らないはずがないのだ。手紙を託すのに最適な人材とは思えないが、何か理由があるのだろうか。

「アネット様、こちらはどうしたらよろしいでしょうか?」
エミリアの声にアネットは我に返った。考え込むあまりエミリアから手紙を受け取ることすら失念していたのだ。

「エミリア様、申し訳ございません。私宛ということですから、お預かりいたしますわ」

アネットに手紙を渡したエミリアはほっと安堵の表情を浮かべる。突然知らない人物から手紙を渡されてさぞ困ったことだろう。ましてや現在良好とは言い難い関係性であるアネットに声を掛けることも負担だったに違いない。
正直なところクロエの一件からエミリアに良い感情は持っていないが、それでも会話を交わせば悪い娘ではないのだと思えてくるのが不思議だ。

ほのかな林檎のような残り香に一瞬気を取られたが、アネットはすぐさま手紙をその場で開封した。そこに記された内容に息を呑んだが、アネットは自分の為すべきことを確認するとすぐに行動に移したのだった。
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