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譲れないこと

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沈黙の中で時折衣擦れや食器が触れ合う微かな音だけが聞こえる。食事をしながら親子で会話を楽しむことなど、カミーユにとっては無駄でしかないのだ。

この日、アネットとクロエはカミーユと昼食を摂るためにとあるレストランにいた。食事の誘いはあくまでも名目であり、実際はクロエにまつわる噂の真偽を問うために呼びつけられたのだという二人の推測は一致していた。
学園内にあっという間に広まった噂は、親兄弟を通じて貴族の間でも囁かれているのだろう。

(お姉様は自分のせいだから仕方がないなんておっしゃるけど、元はと言えば私がエミリア様と関わったせいだわ)
そんな考えはクロエを困らせるだけだと分かっているから口にしないが、あれからエミリアがアネットに近づいてこなくなったことから、彼女の目的は達成されたとみて間違いない。

食後の紅茶に口を付けたところで、ようやくカミーユは本題に入った。

「クロエ、お前が子爵令嬢に暴力を振るったという噂は本当か?」
「事実ですわ、お父様。ルヴィエ家の評判を汚してしまい、申し訳ございません」

この時点でアネットは既に口出ししたくなっていた。真面目なクロエは自分の振る舞いを反省しており、欠片も言い訳をしようとしない。

だがその場にいたフルールの友人によると、エミリアが伸ばした手をクロエは咄嗟に払い除けはしたが、そこには傷付けようとする明確な意図はなかったように見えたという。
あの時のクロエの発言から考えて、それは自分について何か不愉快なことを言われたとアネットは考えている。だからこそクロエはそれをアネットに告げないのだろう。

急に視界に入ったので思わず振り払ってしまった、そう告げればここまで問題視されることもなかったのだが、それでも感情的に行動した自分をクロエは許せないのかもしれない。
そんな高潔さを持つクロエを誇らしく思っているのだが、今回の件では少々分が悪かった。

「第二王子殿下の婚約者に相応しくないという声が上がっている。お前らしくない失態だな。悪影響を与えているのは学友か、それともアネットか」
ぴくりとクロエの肩が震えて、顔を上げたクロエの瞳には青白い炎が燃え盛っているようだった。

「どなたの悪影響も受けておりませんわ。全てはわたくしの未熟さゆえです」
淡々とした口調で返すクロエだが、雰囲気は冷ややかなものに変わっている。

(お姉様が怒ってらっしゃるのは私について言及されたからよね。嬉しいんだけど、ちょっとマズイかな)

クロエがカミーユにこのような態度を取ったことは初めてである。両親の言うことを聞くのが当然だという教育を受けて育ったのだから、クロエはアネットを庇うことはあっても反抗することはなかった。
案の定カミーユは不快そうに眉を顰めると、クロエを見てため息を吐いた。

「……少し自由にさせ過ぎたか。これ以上問題を起こすようなら、アネットは退学させる。淑女としてのマナーを身に付けさせるほうが役に立つだろう」
「お父様、アネットは学年で一番優秀な学生ですわ。今はわたくしの不祥事について話していたはずですのに、問題のすり替えはお止めくださいませ」

クロエの一歩も引かない姿勢に、カミーユの機嫌が目に見えて低下するのが分かる。

「もともとお前とアネットでは役割が違う。学園に通う必要もなかったのだ。――シリル、退学の手続きを」
「アネットを辞めさせるならわたくしも学園には通いません」

カミーユの言葉を遮ってそう言い放ったクロエにカミーユのみならず、アネットも愕然とした。

「お姉様、それはいけませんわ!お姉様のこれまでの努力が無駄になってしまいます!」

不名誉な噂が流れるなか、それでもクロエは毅然とした態度を取り続け真面目に授業を受け続けている。それを高慢と捉える者もいる一方、言い訳をせずに凛とした姿勢を見せるクロエに噂の真偽を見定めようとする者も一定数いるのだ。

「馬鹿なことを。お前は第二王子殿下の婚約者なのだ。そのように子供のような振る舞いが許される立場ではない」
「理不尽な目に遭っている妹を守れないのなら、――そのような立場など不要ですわ」
その場が一瞬沈黙に包まれる。一番先に我に返ったカミーユは机を拳で叩きつけて、クロエを睨みつけた。

「クロエ――お前は自分が何を言っているのか分かっているのか!」
「分かっておりますわ。ですがわたくしはもう二度と大切な物を間違えたくありません。アネットはずっとわたくしを守ってくれました。だから今度はわたくしが守る番ですわ」

迷うことなく告げたクロエにアネットは涙が出そうなほど嬉しくて、そして同時に息が止まりそうなほどに胸が締め付けられた。

王家と結ばれた婚約が簡単に解消されることはない。だが今回の件に加えてカミーユから王家に申し出があったならば、その立場が危うくなる危険性は十分にあった。
クロエはセルジュのことを確かに想っているのに、アネットのために婚約者の立場を失いかけているのだ。

(そんなのは絶対駄目だわ!)

このままカミーユとクロエが顔を突き合わせていれば、状況は悪化する一方だろう。そう考えたアネットは扉の傍で控えているシリルに必死に目で合図を送る。シリルはカミーユ側の人間だが、この状況がルヴィエ侯爵家にとってマイナスであるのは明白だ。

「旦那様、そろそろお時間でございます」

さらりと告げたシリルにカミーユが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるが、重い溜息を吐いただけで何も言わなかった。
膝をつき耳元で何かを囁いたシリルに、一つ頷いてカミーユはそのまま部屋から出て行った。後に続いたシリルが一瞬だけアネットと視線を交わす、それだけで十分だった。

「アネット……嫌な思いをさせてごめんなさいね」
「お姉様が謝ることではありません!でもお姉様、セルジュ様が悲しみますよ」

政略結婚が当たり前の貴族社会において、セルジュとクロエは互いに想い合っているのだ。アネットがクロエと一緒にいたいと望むことで、クロエの幸せを邪魔することになるのならアネットはそれを手放す覚悟が出来ている。推しが幸せを自分が壊してしまうわけにはいかない。

クロエはアネットの言葉に応えず、ただ淡く微笑んだ。その表情がどこか儚く悲しげのものに見えて、アネットは自分の取るべき行動を決めたのだった。


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