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助言
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「浮かない顔だね。あまり好みじゃなかったかな?」
その言葉にアネットは我に返って顔を上げると、そつのない笑みを浮かべたフェルナンと目があった。
「申し訳ございません――いえ、とても美味しくいただいておりますわ」
アネットの目の前には美しい宝石のように輝く一口サイズのお菓子が並べられている。たっぷりのフルーツを使ったタルトや花をかたどったチョコレートなど、お茶会に出せば称賛を浴びる可愛いらしい見た目だけでなく、味も抜群に美味しい。
(お姉様にも食べさせてあげたい!)
そう思ってしまったことから最近のクロエとの距離感に心が沈み、ついそちらに気を取られてしまったのだ。
「気になるところがあったら何でもいいから教えて欲しい。アネット嬢はお菓子作りが得意だと聞いているからね」
貴族令嬢として眉を顰められる趣味だが、フェルナンは気にした様子もない。むしろアネットの意見を聞くためにカフェに連れてこられたのかと思うほど、様々な種類の菓子が用意されていたのだ。
「私のような素人の意見などあまり当てにはならないと思いますが……」
プロの作ったものを批評するほど美食家ではないが、何も言わないのも失礼だと思ったアネットは取り敢えず思いついたことを口にすることにした。
「チーズや胡椒などを混ぜた甘くないクッキーなどを添えればアクセントになりますし、甘い物が苦手な方にも喜ばれるのではないでしょうか」
きらりとフェルナンの瞳が光ったような気がした。
その後はクッキーに合うスパイスの話や男性にも喜ばれそうなお菓子の話題で、婚約者候補というより仕事相手と話しているかのような気分になる。
「とても参考になったよ。有益な意見をありがとう、アネット嬢」
満面の笑みを浮かべたフェルナンを見て、頭の片隅で失敗したかなという思いがよぎる。
以前リシャールと訪れたことがあるイリゼはフェルナンが経営しているカフェだった。人気店であると聞いているから売上も好調だろうし、アネットの発言がきっかけで更に業績を伸ばすことになれば、自分で自分の首を絞めたも同然だ。
「お礼という訳じゃないけど、悩んでいるのはクロエ嬢のことかな?」
さらりと告げられた言葉にアネットは何も言わずにカップを手に取る。フェルナンが油断のならない人物だと思うのはこういうところだ。
悪意はないと思っているが、相手の懐に飛び込むことに長けた言動は正直苦手に感じてしまう。ぼんやりしてしまったのはアネットのミスなので仕方ないが、これ以上立ち入られたくはない。
「アネット嬢が気にしているのがお茶会の件なら大丈夫だよ」
望んでもいないのに勝手に人の空間に入ってくるような人は嫌いだ。それが親切からのものであっても、信頼関係が築けていない相手であるなら不愉快でしかない。
「クロエ嬢はきっと――」
「ご用件はお済みですわね。そろそろ失礼いたしますわ」
フェルナンの言葉を遮って告げたアネットの声音は平坦だったが、心の中は激しい感情が暴れまわっている。クロエが告げなかったことを他人から聞かされたくはなかった。
「気分を害してしまったか。今日のところはこれでお開きにしよう」
苦笑するフェルナンの顔を見ないことで、アネットは込み上げる思いに蓋をした。
「不愉快にさせたお詫びに一つだけ助言してあげよう。アネット嬢、君はもう少し自分のことを考えてみたほうがいい。誰のためでもなく君自身のために」
「……本日はありがとうございました」
別れる直前にフェルナンからさらりと告げられた言葉にアネットは戸惑いを覚えた。表面的な笑みではなく、どこか真剣なフェルナンの表情に何と返答していいか分からず、結局当たり障りのない言葉を返してその場を離れた。
何だかひどく疲れた気分でアネットはベッドに倒れ込む。掛け違えたボタンに気づいているのに、どうして良いか分からないようなもどかしさばかりが募っていく。
(私自身のことって何?そもそも私から選択肢を奪おうとしている会長には言われたくないわ)
八つ当たりであることを自覚しつつも、フェルナンへの不満を頭の中で並べて枕をペシペシと叩く。子供じみた態度が余計にやるせなくて余計に落ち込んでしまう。
(お姉様のことなら考えられるのに……)
いざとなれば逃げればいいと思っていたのに、それが簡単なことではないと気づくのが遅すぎた。クロエの傍にいることを諦めて市井で働くにしても、貴族令嬢として育ったアネットが仕事を得るための能力があるのだろうか。
伝手も頼る相手もいない中、一人で生きていくことに不安を覚え始めたのは、婚約者候補が現れて現実を突きつけられたせいかもしれない。
政略結婚など当たり前だという教育を受けたはずなのに、知らない相手と過ごし後継を産むことを考えるとぞっとしてしまう。前世の記憶を持っている弊害に、アネットは深い溜息を吐いた。
(会長はある程度私を尊重してくれそうだけど……)
だからと言ってフェルナンに触れられることを考えれば、どうしても嫌悪感が先に立つ。仕事相手として見ればフェルナンの意見や考え方は面白く、良い関係性を築けるような気がしたが、やはり結婚というプライベートなものについては別なのだ。
考えすぎて疲れたのか眠気がやってきて、アネットは目を閉じる。
(あの手は温かくて嫌じゃなかったな……)
膝の痛みよりもズキズキと痛んでいた心が、安心させるようにしっかりと繋がれた手のおかげでふっと軽くなったのだ。微睡みのなか手のひらに蘇った温もりを繋ぎ留めるかのように、アネットは右手を握りしめ眠りへと落ちて行った。
その言葉にアネットは我に返って顔を上げると、そつのない笑みを浮かべたフェルナンと目があった。
「申し訳ございません――いえ、とても美味しくいただいておりますわ」
アネットの目の前には美しい宝石のように輝く一口サイズのお菓子が並べられている。たっぷりのフルーツを使ったタルトや花をかたどったチョコレートなど、お茶会に出せば称賛を浴びる可愛いらしい見た目だけでなく、味も抜群に美味しい。
(お姉様にも食べさせてあげたい!)
そう思ってしまったことから最近のクロエとの距離感に心が沈み、ついそちらに気を取られてしまったのだ。
「気になるところがあったら何でもいいから教えて欲しい。アネット嬢はお菓子作りが得意だと聞いているからね」
貴族令嬢として眉を顰められる趣味だが、フェルナンは気にした様子もない。むしろアネットの意見を聞くためにカフェに連れてこられたのかと思うほど、様々な種類の菓子が用意されていたのだ。
「私のような素人の意見などあまり当てにはならないと思いますが……」
プロの作ったものを批評するほど美食家ではないが、何も言わないのも失礼だと思ったアネットは取り敢えず思いついたことを口にすることにした。
「チーズや胡椒などを混ぜた甘くないクッキーなどを添えればアクセントになりますし、甘い物が苦手な方にも喜ばれるのではないでしょうか」
きらりとフェルナンの瞳が光ったような気がした。
その後はクッキーに合うスパイスの話や男性にも喜ばれそうなお菓子の話題で、婚約者候補というより仕事相手と話しているかのような気分になる。
「とても参考になったよ。有益な意見をありがとう、アネット嬢」
満面の笑みを浮かべたフェルナンを見て、頭の片隅で失敗したかなという思いがよぎる。
以前リシャールと訪れたことがあるイリゼはフェルナンが経営しているカフェだった。人気店であると聞いているから売上も好調だろうし、アネットの発言がきっかけで更に業績を伸ばすことになれば、自分で自分の首を絞めたも同然だ。
「お礼という訳じゃないけど、悩んでいるのはクロエ嬢のことかな?」
さらりと告げられた言葉にアネットは何も言わずにカップを手に取る。フェルナンが油断のならない人物だと思うのはこういうところだ。
悪意はないと思っているが、相手の懐に飛び込むことに長けた言動は正直苦手に感じてしまう。ぼんやりしてしまったのはアネットのミスなので仕方ないが、これ以上立ち入られたくはない。
「アネット嬢が気にしているのがお茶会の件なら大丈夫だよ」
望んでもいないのに勝手に人の空間に入ってくるような人は嫌いだ。それが親切からのものであっても、信頼関係が築けていない相手であるなら不愉快でしかない。
「クロエ嬢はきっと――」
「ご用件はお済みですわね。そろそろ失礼いたしますわ」
フェルナンの言葉を遮って告げたアネットの声音は平坦だったが、心の中は激しい感情が暴れまわっている。クロエが告げなかったことを他人から聞かされたくはなかった。
「気分を害してしまったか。今日のところはこれでお開きにしよう」
苦笑するフェルナンの顔を見ないことで、アネットは込み上げる思いに蓋をした。
「不愉快にさせたお詫びに一つだけ助言してあげよう。アネット嬢、君はもう少し自分のことを考えてみたほうがいい。誰のためでもなく君自身のために」
「……本日はありがとうございました」
別れる直前にフェルナンからさらりと告げられた言葉にアネットは戸惑いを覚えた。表面的な笑みではなく、どこか真剣なフェルナンの表情に何と返答していいか分からず、結局当たり障りのない言葉を返してその場を離れた。
何だかひどく疲れた気分でアネットはベッドに倒れ込む。掛け違えたボタンに気づいているのに、どうして良いか分からないようなもどかしさばかりが募っていく。
(私自身のことって何?そもそも私から選択肢を奪おうとしている会長には言われたくないわ)
八つ当たりであることを自覚しつつも、フェルナンへの不満を頭の中で並べて枕をペシペシと叩く。子供じみた態度が余計にやるせなくて余計に落ち込んでしまう。
(お姉様のことなら考えられるのに……)
いざとなれば逃げればいいと思っていたのに、それが簡単なことではないと気づくのが遅すぎた。クロエの傍にいることを諦めて市井で働くにしても、貴族令嬢として育ったアネットが仕事を得るための能力があるのだろうか。
伝手も頼る相手もいない中、一人で生きていくことに不安を覚え始めたのは、婚約者候補が現れて現実を突きつけられたせいかもしれない。
政略結婚など当たり前だという教育を受けたはずなのに、知らない相手と過ごし後継を産むことを考えるとぞっとしてしまう。前世の記憶を持っている弊害に、アネットは深い溜息を吐いた。
(会長はある程度私を尊重してくれそうだけど……)
だからと言ってフェルナンに触れられることを考えれば、どうしても嫌悪感が先に立つ。仕事相手として見ればフェルナンの意見や考え方は面白く、良い関係性を築けるような気がしたが、やはり結婚というプライベートなものについては別なのだ。
考えすぎて疲れたのか眠気がやってきて、アネットは目を閉じる。
(あの手は温かくて嫌じゃなかったな……)
膝の痛みよりもズキズキと痛んでいた心が、安心させるようにしっかりと繋がれた手のおかげでふっと軽くなったのだ。微睡みのなか手のひらに蘇った温もりを繋ぎ留めるかのように、アネットは右手を握りしめ眠りへと落ちて行った。
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