転生令嬢、シスコンになる ~お姉様を悪役令嬢になんかさせません!~

浅海 景

文字の大きさ
上 下
23 / 60

謝罪と露見

しおりを挟む
翌日、教室に一人の少女がアネットを訪ねてきた。

「カディオ伯爵家のクラリスと申します。昨日はアネット様に大変ご迷惑をお掛けしたと伺いました。本当に申し訳ございません」

ゆるくカールした青みがかった銀色の髪、華奢な体躯は儚げで、潤んだ焦げ茶色の瞳を見ていると何もしていないのに罪悪感を覚える。実際にリシャールがいなければ、二人とも階段を転がり落ちていたはずなので、どちらかといえばアネットは被害者の立場ともいえるのだが――。

(わざと…ではなかったのよね?)
受け止めた時の違和感はもはや気のせいだとしか思えなかった。アネットにぶつかってしまったものの、あのままだとクラリスも怪我をしていたのだ。

「いえ、クラリス様こそ体調は大丈夫ですか?どうかご無理をなさらないでくださいね」

アネットが労わりの言葉を掛けると、クラリスの瞳からポロリと涙がこぼれた。自分の言動がきっかけで泣きだしてしまったかのようなタイミングに、アネットは思わず動揺してしまう。

「え、クラリス様?」
「すみません、お怪我をさせてしまうところだったのに優しい言葉を掛けて頂けたのが嬉しくて……。お見苦しいところをお見せしました」

恥じらいながら赤みが差した頬を両手で押さえるクラリスは、庇護欲をそそり非常に可愛らしい。

「ぁ…リシャール様」
クラリスの言葉に振り向くと背後にリシャールが立っている。無言でアネットとクラリスを見比べたあと、問いかけるような眼差しを向けるのでアネットが小さく頷けば、そのまま教室から出て行った。

(何かトラブルかと心配してくださったのよね)

どちらかと言えば静かで表情が読めないと思っていたが、僅かな表情の変化は意外と雄弁で、気持ちや考えがくみ取れるようになってきた。そのことを嬉しく感じながら、クラリスへと視線を戻して、ぎくりとした。

「リシャール様にも改めてお礼を申し上げたかったのですが、お声を掛ける勇気がありませんでしたわ…」

悲しそうに眉を下げるクラリスの言動は心からのものに聞こえる。

(あれは……見間違いなのかしら?)
視線を戻したほんの一瞬、クラリスが人形のような無機質な瞳でこちらを見ていたような気がした。それまでの可憐な少女の姿を見ていただけにその落差を恐ろしく感じる。

視線を逸らした先にクラリスが同伴していた少女と目があった。すぐに視線を逸らされたが、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべており、嫌な予感が胸に落ちる。
あまりクラリスとは関わらないほうが良いかもしれない。そう思ったアネットはそつのない笑みを浮かべて、なるべく自然な様子でその場を辞去したのだった。



「アネット、わたくしに何か隠していることはないかしら?」
オレンジの花の香りがする紅茶を楽しんでいると、何気ない口調でクロエが訊ねた。

「お姉様に隠していること、ですか?」

大好きなクロエと一緒に過ごすティータイムをアネットは心から楽しんでいたため、それが何を指しているのかすぐに分からなかった。その結果、クロエはアネットが惚けているのだと思ってしまったのだ。

「……最近、リシャール様と親しくしていらっしゃるでしょう。あの方には話してもわたくしには何も言ってくれないのね」

何やら拗ねたような響きを感じ取って、アネットはその時点でようやくクロエが怒っていることに気づいた。

「お、お姉様!!」
「わたくし、言ったわよね。酷いことをされたら守ってあげるから、ちゃんと教えてちょうだいって。それなのに……アネットはわたくしの言葉など信じていないし、どうでもよいのね」

表情や口調はあまり変わっていないが、クロエは先ほどから一向にアネットと視線を合わせない。

「お姉様、違います!誤解です!お姉様を決して蔑ろにするつもりなんてなく――」
「良いのよ、リシャール様のほうが頼りになるのでしょうから」
「お姉様!!!!」

取り付く島もないクロエに動揺したアネットは勢いよく立ち上がったものの、どうして良いか分からない。頭が真っ白になったアネットは気づけば号泣しながらクロエにひたすら謝っていたのだった。

「落ち着いた?」
「っく、はい…。お姉様、ごめんなさい」
ようやく泣き止んだアネットの頭を撫でるクロエの手は優しい。

「もう怒ってないわよ。そもそも相談して欲しいというのはわたくしの我儘だからこれは八つ当たりのようなもの。謝るのはわたくしのほうね」

自嘲するような笑みを浮かべるクロエに、アネットは居たたまれない気持ちになる。また泣きそうになるのをぐっと堪えて、クロエに教科書の件を何でもないことのように打ち明けることになった。

「リシャール様が気づいてくれて本当に良かったわ」

どことなく様子のおかしいアネットに気づき、知らないところで嫌な思いをしているのではないかと思っていたそうだ。まさか教科書を破かれるといった暴力的な嫌がらせを受けていたと知ったクロエは、アネットを案じながらもすっかり落ち込んでしまった。

「でもその後は何事もありませんから、気が済んだのかもしれません」

気落ちしたクロエを安心させるため、何でもない風に伝えたのだが、クロエは余計に心配になったようだ。

「犯人が分かるまで絶対に一人で行動しては駄目よ。わたくしかリシャール様と一緒にいてちょうだい。レア様やフルール様にもお願いしてみましょう」
「お姉様、お二人を巻き込むわけには……」

自分だけならどうとでもなるが、友人を巻き込んでしまったらどうして良いか分からない。本当ならクロエも遠ざけておきたいのに、この様子では絶対に引かないだろう。
隠しきれなかったのは自分の責任なので、大人しく口を噤んでおく。

「……アネットは人を頼らなすぎるわ。もしレア様やフルール様が同じ目に遭ったら貴女は絶対に助けようとするでしょう?それに事情を知っていれば巻き込まれてしまった時に備えることができるのよ?」

クロエの言うことも一理ある。だけど人に頼ることも迷惑を掛けることもアネットは苦手だった。

(全く別の人生を歩んでいるのに、私は未だに過去に囚われているのね)

親しくしていた人たちから突然距離を置かれたり、失望されるのが怖いのだ。アネットが人に甘えることができないのは、過去の記憶と体験から自分だけでやり遂げなければならないと無意識に思っているからだと気づいた。

クロエにおいては幼少期に駄目なところを見られていること、血の繋がりがあることが安心要素に繋がっている。血縁関係は完全に断つことが難しいので時に厄介な鎖となるが、クロエに甘えられるのは姉妹だからだ。

「……ご迷惑を掛けないよう、事情をお伝えしておきます」

助けを求めることは出来ないが、安全を優先するのなら伝えておく必要がある。クロエは少し困ったような表情を浮かべたものの、それ以上何も言わなかった。

「それよりも一体誰がこんなことをしたのかしら…。アネットが可愛いから妬む気持ちは分かるけれど、やりすぎだわ」

「可愛いと言ってくださるのはお姉様だけですわ。元平民なのに上位の成績を収めていることが気に入らないと思っている方たちはいらっしゃると思いますが」

クロエに褒められて嬉しいが、流石に姉の欲目が過ぎる。そう思って伝えたのだが、クロエはますます困ったような表情になった。

「……何といえば良いのかしら。その、アネットは気づいていないのかもしれないけれど、好意を向けている方もいらっしゃるのよ?」

言いにくそうな口調にアネットはクロエが何を言いたいのか分かったような気がした。

「自惚れでなければ好感を抱いてくださっている方はいらっしゃいますが、ただの勘違いですわ」
「勘違いですって?」
目を見張るクロエにアネットは首肯した。

二度と会うことがないと思っていた人物との10年ぶりの邂逅や、優しい思い出のおかげで好意的な感情を持ってくれているものの、それは恋愛とは少し違うだろうとアネットは思っている。

初恋というほどには育たなかった感情をリシャールは持て余しているだけだ。女性不信な部分があるらしいので、それが勘違いする原因の一つになっているようだが、頭の良い男性なのでそのうち薄れていくだろう。
そのようなことをもう少し言葉を選んで伝えるが、クロエの表情は晴れない。

「アネットは、男性が苦手なのかしら?」

好意を向けられていると気づいているにも関わらず、それに気を取られることもなく受け流しているのは何か理由があるのではないかと考えたようだ。

「苦手ではありません。ただ私は自分が誰かに心を傾けることが想像できないだけです。お姉様はもちろん別ですけど」

よしよしと頭を撫でられれば、口元に自然と笑みが浮かぶ。

「わたくしもセルジュ様の婚約者になった時はこんな気持ちになるなんて、想像もできなかったわ。今はセルジュ様といられて、それがずっと続くと思うと本当に幸せなのよ。……だから、もしアネットが望むならわたくしは止めないし叶えてやりたいと思うの」

クロエの言葉と頭から伝わる優しい手つきに、心がポカポカと暖かい。アネットは将来ルヴィエ家を離れて独立したいという夢をクロエに話していなかった。受け入れてくれるだろうと信じているが、トラブルに巻き込まれている状況で伝えるべきことではない。

「お姉様が幸せだと私も幸せです。守ってくれて、甘やかしてくれてありがとうございます」

マリンブルーの瞳が嬉しそうに細められる。その表情を見てアネットは湧き上がる幸福感にふにゃりとした笑みを浮かべるのだった。

しおりを挟む
感想 72

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は推し活中〜殿下。貴方には興味がございませんのでご自由に〜

みおな
恋愛
 公爵家令嬢のルーナ・フィオレンサは、輝く銀色の髪に、夜空に浮かぶ月のような金色を帯びた銀の瞳をした美しい少女だ。  当然のことながら王族との婚約が打診されるが、ルーナは首を縦に振らない。  どうやら彼女には、別に想い人がいるようで・・・

【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました

かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中! そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……? 可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです! そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!? イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!! 毎日17時と19時に更新します。 全12話完結+番外編 「小説家になろう」でも掲載しています。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

推ししか勝たん!〜悪役令嬢?なにそれ、美味しいの?〜

みおな
恋愛
目が覚めたら、そこは前世で読んだラノベの世界で、自分が悪役令嬢だったとか、それこそラノベの中だけだと思っていた。 だけど、どう見ても私の容姿は乙女ゲーム『愛の歌を聴かせて』のラノベ版に出てくる悪役令嬢・・・もとい王太子の婚約者のアナスタシア・アデラインだ。 ええーっ。テンション下がるぅ。 私の推しって王太子じゃないんだよね。 同じ悪役令嬢なら、推しの婚約者になりたいんだけど。 これは、推しを愛でるためなら、家族も王族も攻略対象もヒロインも全部巻き込んで、好き勝手に生きる自称悪役令嬢のお話。

傷物令嬢シャルロットは辺境伯様の人質となってスローライフ

悠木真帆
恋愛
侯爵令嬢シャルロット・ラドフォルンは幼いとき王子を庇って右上半身に大やけどを負う。 残ったやけどの痕はシャルロットに暗い影を落とす。 そんなシャルロットにも他国の貴族との婚約が決まり幸せとなるはずだった。 だがーー 月あかりに照らされた婚約者との初めての夜。 やけどの痕を目にした婚約者は顔色を変えて、そのままベッドの上でシャルロットに婚約破棄を申し渡した。 それ以来、屋敷に閉じこもる生活を送っていたシャルロットに父から敵国の人質となることを命じられる。

【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~

降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

処理中です...