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第2章
込められた悪意
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「お呼びでしょうか、陛下」
「菓子に毒を入れたのは、お前か」
陛下の言葉に、エルザは信じられないという表情で大仰に首を振り否定した。
「とんでもございません!確かに私は姫様を快く思っておりませんでした。ですが、それは私が浅はかだったからです。己の不明を恥じて直接お詫びができないのなら、せめて花束を届けて姫様の無聊を慰めることができればと思ってミアにお願いをいたしました。それがまさかこんなことになるなんて…」
それからエルザはミアに視線を向けた。
「お言葉ですが、私よりミアのほうが姫様を恨んでらっしゃるのではないでしょうか?」
「どういう意味だ」
アーベルが厳しい表情で問う。
「ミアは姫様をお守りできなかったために、城外追放されるところでした。それは彼女にとっては耐え難いことだったでしょうから」
(——嫌だ、やめて!)
胸の中で言葉に出来ない叫びが溢れ、ミアは絶望に青ざめた。
エルザの言っている耐え難いことが何を示しているか理解したからだ。城外追放になればアーベルのそばを離れることになる。それは確かにミアが恐れていることでもあった。アーベルはミアに興味をもっていないが、ミアは側にいるだけで幸せだったから——。
エルザがそんなミアの想いを暴露しようとしているのは意味ありげな表情を浮かべていることから分かった。ずっと自分の心の中だけにしまっておくつもりだったことが、こんな形でアーベルに知られるなんて耐えられない。
そう思ったが、ミアにエルザを止める術などない。涙が零れ落ちそうになったその時、姫様がエルザの前に立った。
「ユナ、離れろ」
陛下が声を掛けるが、姫様は意に介さずエルザにノートを渡した。
「え、何も書いていませんが——」
エルザが顔を上げた瞬間、姫様の手がエルザの顔めがけて勢いよく振り下ろされた。パシッと鋭い音がして、エルザがよろめく。
「…っざけんな、ミアに謝れ!」
一瞬場が静まり返った。
「あ…れ、声がでる―んんっ」
陛下は小声で呟く姫様の口を手のひらで押さえた。
「待て、まだ話すな。本当に大丈夫か確認してからだ。アーベル!」
アーベルはすぐさま姫様の元に駆け寄り、異常がないか調べている。
「…何なのよ」
押し殺した声に気づいてミアが顔を向けると、エルザは紅潮した顔で姫様を睨んでいる。
「陛下、何故ですか!いきなり殴りかかってきて暴言を吐くような娘を、どうしてそのように大切になさるのですか!?」
「お前には関係のないことだ」
「陛下、待ってください。私まだ彼女と話さないといけないことがあるんです」
許可を求めるように見上げる姫様に陛下は渋々といった様子で頷いた。
「殴ったことも暴言を吐いたことも謝るつもりはないわ」
平坦な声で言い放った姫様の言葉に、何を言うつもりかと居丈高に構えていたエルザの表情が怒りに染まった。
「陛下のご威光を笠に着て、よくもそのような――」
「食べ物に毒を入れるなんて、他の人が食べるかもしれない可能性を考えなかったの?それにあれはミアが一生懸命作ったものよ。それを台無しにするだけじゃなくて罪を被せようなんて最低ね」
「何の根拠もなしに犯人扱いされるなんて酷いわ!陛下、姫様はミアを庇って私を陥れようと——」
「あのマフィン、陛下が食べたの」
姫様は冷たい口調でエルザの訴えを遮る。
「え…」
「あなたは自分の主を殺しかけたのよ」
「大げさなことを。あんな毒、陛下に効くはずが―」
失言に気づいたエルザが言葉を切るが、既に遅い。
「どうして分かるの。毒は毒で有害なものに違いないわ。体調や量や個人差によって効き目が変わることだってあるのに」
姫様は憤りを隠さずにさらに言い募るが、エルザは一向に認めない。
「私がやったという証拠でもあるというの」
「証拠なんて言い出す時点で自白しているようなものだけど」
冷めた目でエルザを見ると、花瓶に視線を落とした。
「謝罪の品として、こんな悪意に満ちた花だけを集めておいてそれはないでしょう」
「どういう意味だ」
怪訝か表情を浮かべて訊ねる陛下とは対照に、姫様は確信に満ちた表情を崩さない。
「男性はあまり興味がないかもしれませんが、花言葉というものがあります。それぞれの花の見た目や特徴に意味を持たせたものです。もっとも国や地方によってばらつきがあるので、本来であればそこまで気にするものではないと思います」
「ここにあるのは良くない意味を持つ花ばかりなのだな」
陛下の言葉に姫様が頷いた。
「そんなの、ただの偶然です。私は美しい色の花をそろえただけです」
「一つだけ良い意味を持つものがあったけど、この花を選んだのも偶然なの?」
姫様が花をかき分けて示したのは一輪の白い花だった。色鮮やかな花に埋もれて気づかなかった。
「それは、猛毒性の植物ですね。花や草だけでなく花粉にも毒が含まれています」
アーベルの説明にエルザは顔を引きつらせて、言葉を失っている。焼きたてのマフィンの上にその花を揺らして花粉を落とせば、熱で溶けてたちまち見えなくなっただろう。それならば両手が塞がっていても可能だし、あとは見えないよう他の花で隠せばいい。
「ユナ、もうよい。それの処分はお前に任せる」
陛下が冷ややかな声で告げ、アーベルに視線を送る。
「お、お待ちください。陛下、私は―」
エルザの懇願は陛下の一瞥で封じられ、そのままアーベルに拘束され連れて行かれる。
ミアはその様子をただ茫然と眺めていたが、ユナの声で我に返った。
「ミア、ごめんなさい」
「…姫様がどうして謝られるのですか? 謝るのは私の方です。毒が盛られているのに気づかずに、お出ししたから―」
「それは違うわ!」
いつもと違う強い口調に、驚いて言葉を失った。
「…大きな声出してごめんなさい。エルザはあなたの友達だったのでしょう?それなのにあんな風に糾弾してしまったから」
「姫様、それは違います! エルザとは確かに親しくしていましたが、それとこれとは別です。エルザは悪いことをしたのですから、姫様が気にすることではありません」
姫様はどうやらミアに対して罪悪感を抱いている、そう気づいてミアは慌てて否定した。だが何故か姫様の表情は晴れずに、陛下と話があるからと退出を促されてそのまま部屋を後にした。
「菓子に毒を入れたのは、お前か」
陛下の言葉に、エルザは信じられないという表情で大仰に首を振り否定した。
「とんでもございません!確かに私は姫様を快く思っておりませんでした。ですが、それは私が浅はかだったからです。己の不明を恥じて直接お詫びができないのなら、せめて花束を届けて姫様の無聊を慰めることができればと思ってミアにお願いをいたしました。それがまさかこんなことになるなんて…」
それからエルザはミアに視線を向けた。
「お言葉ですが、私よりミアのほうが姫様を恨んでらっしゃるのではないでしょうか?」
「どういう意味だ」
アーベルが厳しい表情で問う。
「ミアは姫様をお守りできなかったために、城外追放されるところでした。それは彼女にとっては耐え難いことだったでしょうから」
(——嫌だ、やめて!)
胸の中で言葉に出来ない叫びが溢れ、ミアは絶望に青ざめた。
エルザの言っている耐え難いことが何を示しているか理解したからだ。城外追放になればアーベルのそばを離れることになる。それは確かにミアが恐れていることでもあった。アーベルはミアに興味をもっていないが、ミアは側にいるだけで幸せだったから——。
エルザがそんなミアの想いを暴露しようとしているのは意味ありげな表情を浮かべていることから分かった。ずっと自分の心の中だけにしまっておくつもりだったことが、こんな形でアーベルに知られるなんて耐えられない。
そう思ったが、ミアにエルザを止める術などない。涙が零れ落ちそうになったその時、姫様がエルザの前に立った。
「ユナ、離れろ」
陛下が声を掛けるが、姫様は意に介さずエルザにノートを渡した。
「え、何も書いていませんが——」
エルザが顔を上げた瞬間、姫様の手がエルザの顔めがけて勢いよく振り下ろされた。パシッと鋭い音がして、エルザがよろめく。
「…っざけんな、ミアに謝れ!」
一瞬場が静まり返った。
「あ…れ、声がでる―んんっ」
陛下は小声で呟く姫様の口を手のひらで押さえた。
「待て、まだ話すな。本当に大丈夫か確認してからだ。アーベル!」
アーベルはすぐさま姫様の元に駆け寄り、異常がないか調べている。
「…何なのよ」
押し殺した声に気づいてミアが顔を向けると、エルザは紅潮した顔で姫様を睨んでいる。
「陛下、何故ですか!いきなり殴りかかってきて暴言を吐くような娘を、どうしてそのように大切になさるのですか!?」
「お前には関係のないことだ」
「陛下、待ってください。私まだ彼女と話さないといけないことがあるんです」
許可を求めるように見上げる姫様に陛下は渋々といった様子で頷いた。
「殴ったことも暴言を吐いたことも謝るつもりはないわ」
平坦な声で言い放った姫様の言葉に、何を言うつもりかと居丈高に構えていたエルザの表情が怒りに染まった。
「陛下のご威光を笠に着て、よくもそのような――」
「食べ物に毒を入れるなんて、他の人が食べるかもしれない可能性を考えなかったの?それにあれはミアが一生懸命作ったものよ。それを台無しにするだけじゃなくて罪を被せようなんて最低ね」
「何の根拠もなしに犯人扱いされるなんて酷いわ!陛下、姫様はミアを庇って私を陥れようと——」
「あのマフィン、陛下が食べたの」
姫様は冷たい口調でエルザの訴えを遮る。
「え…」
「あなたは自分の主を殺しかけたのよ」
「大げさなことを。あんな毒、陛下に効くはずが―」
失言に気づいたエルザが言葉を切るが、既に遅い。
「どうして分かるの。毒は毒で有害なものに違いないわ。体調や量や個人差によって効き目が変わることだってあるのに」
姫様は憤りを隠さずにさらに言い募るが、エルザは一向に認めない。
「私がやったという証拠でもあるというの」
「証拠なんて言い出す時点で自白しているようなものだけど」
冷めた目でエルザを見ると、花瓶に視線を落とした。
「謝罪の品として、こんな悪意に満ちた花だけを集めておいてそれはないでしょう」
「どういう意味だ」
怪訝か表情を浮かべて訊ねる陛下とは対照に、姫様は確信に満ちた表情を崩さない。
「男性はあまり興味がないかもしれませんが、花言葉というものがあります。それぞれの花の見た目や特徴に意味を持たせたものです。もっとも国や地方によってばらつきがあるので、本来であればそこまで気にするものではないと思います」
「ここにあるのは良くない意味を持つ花ばかりなのだな」
陛下の言葉に姫様が頷いた。
「そんなの、ただの偶然です。私は美しい色の花をそろえただけです」
「一つだけ良い意味を持つものがあったけど、この花を選んだのも偶然なの?」
姫様が花をかき分けて示したのは一輪の白い花だった。色鮮やかな花に埋もれて気づかなかった。
「それは、猛毒性の植物ですね。花や草だけでなく花粉にも毒が含まれています」
アーベルの説明にエルザは顔を引きつらせて、言葉を失っている。焼きたてのマフィンの上にその花を揺らして花粉を落とせば、熱で溶けてたちまち見えなくなっただろう。それならば両手が塞がっていても可能だし、あとは見えないよう他の花で隠せばいい。
「ユナ、もうよい。それの処分はお前に任せる」
陛下が冷ややかな声で告げ、アーベルに視線を送る。
「お、お待ちください。陛下、私は―」
エルザの懇願は陛下の一瞥で封じられ、そのままアーベルに拘束され連れて行かれる。
ミアはその様子をただ茫然と眺めていたが、ユナの声で我に返った。
「ミア、ごめんなさい」
「…姫様がどうして謝られるのですか? 謝るのは私の方です。毒が盛られているのに気づかずに、お出ししたから―」
「それは違うわ!」
いつもと違う強い口調に、驚いて言葉を失った。
「…大きな声出してごめんなさい。エルザはあなたの友達だったのでしょう?それなのにあんな風に糾弾してしまったから」
「姫様、それは違います! エルザとは確かに親しくしていましたが、それとこれとは別です。エルザは悪いことをしたのですから、姫様が気にすることではありません」
姫様はどうやらミアに対して罪悪感を抱いている、そう気づいてミアは慌てて否定した。だが何故か姫様の表情は晴れずに、陛下と話があるからと退出を促されてそのまま部屋を後にした。
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