上 下
28 / 47
第2章

愚かな感情

しおりを挟む
日増しに焦燥が強くなる。
(もう自分とは口もきいてくれないのだろうか)

彼女の前には通常の食事ではなく、ティーカップとともに菓子が置かれている。食事のバランスよりも食欲を戻すほうが先だというアーベルの助言を受けて用意させたものだ。最初は手をつけようとしなかったが、ここ数日は自らフォークを取りケーキを口に運ぶようになった。その様子に密かに安堵する。少しは食欲が出てきたのかもしれない。

食事を終えるとユナは席にとどまったまま、何か考え込んでいるように一点を見つめていた。彼女の考えていることを知りたい。少し前まで理解できているように思えたのは、彼女がきちんと言葉で伝えてくれていたからだ。
自分がどれだけユナに甘えて慢心していたのだと思い知らされる。

恐らく自分には相手を思い遣る心が欠けているのだろう。彼女を愛しているし、大切にしたいのにその方法が分からない。そんなことを考えながら見つめていると、ユナが顔を上げた。その目には非難とは違う、訴えるような色が浮かんでいる。

「ユナ?」
思わず声を掛ければ、口を開きかけたまま言葉を発しようとしない。しばし逡巡したのち、ユナはそのまま顔を伏せてしまった。

「ユナ、どうした?何か言いたいことがあれば何でも言って欲しい」
怖がらせないよう慎重に手を伸ばし、頭を撫でた。

『シュルツに撫でてもらうの、好きです。何だか安心するもの』

そう言って嬉しそうに笑っていたのが、随分昔のことに思える。
触れた手を振り払われはしなかったが、徐々に泣くのをこらえているような表情に変わっていく。

(っ……嫌なのか?)
嫌な考えがよぎり、また彼女の表情に耐えられずに手を離すと、ユナは席を立ち足早に寝室へと向かってしまった。先ほどの訴えるような顔が頭から離れない。この機会を逃してはいけない気がしてユナの後を追った。

部屋に入るとユナが驚いた表情で振り向いた。構わずに手を取り、その冷たい指に唇を押し当てる。

「ユナ、望みがあるなら聞かせてくれ。我にはどうして良いか分からぬ。そなたの願いなら何でも叶えてやりたいのだ」

じっと彼女の瞳を見つめて返答を待つ。だがユナは視線を逸らすと首を横に振った。名前を呼んでも俯いて、視線すら合わせてくれない。

「ユナ、愛している」
頬に手を伸ばし、口づけを落とす。見上げるその顔が今にも泣きだしそうに見える。こんな顔をさせているのは自分が原因なのか。

微かに震えている唇からは今にも拒絶の声が聞こえてきそうで、思わず自分の口で塞いだ。声が聞きたいとあんなに切望していたのに、嫌悪の言葉を聞くのが怖い。久しぶりの感触は以前と変わらないはずなのに、やるせない思いばかりが募ってくる。

長い口づけの後に唇を離すと、そのまま首筋を甘噛みした。体が硬直するのを感じたが、抵抗はない。白い肌に自分の痕跡を執拗に残しながら、一向に抗議の声が聞こえてこないことを不思議に思った。嫌われていないのだろうか、と顔を上げた瞬間に後悔した。

目をきつく閉じ、両手で口元を押さえながら必死に耐えているユナの姿があった。嫌われていないなどよくも思えたものだと自嘲する。

(先日エルザからも汚らわしいと思われていることを聞いていたのに)
その言葉を半信半疑で聞いていたが、こんな状態の彼女を見ればどう思われているのかなど一目瞭然だ。

「……もう、せぬ」
身体を離すとそのまま床にしゃがみこんでしまったユナに声をかけ、その場を後にする。胸の奥がきりきりと痛む。ユナの気持ちはもう戻ってこないだろう。あの愛しい笑顔を見ることも、自分の名前を呼ばれることも、きっとない。

ミアを許していれば、いや街への外出を許可しなければ、彼女をずっと閉じ込めておけば良かったのだろうか。でもそれは近い将来彼女を壊していたかもしれない。どれが正しい選択だったのか。そもそもシュルツがユナを無理やり連れてこなければ、彼女は幸せな日々を過ごしていただろう。奪うことや壊すことしかできない自分が他者を幸せにしたいと思うこと自体、傲慢だったのかもしれない。


「気分転換に書庫にお連れしてはいかがでしょうか」
アーベルからそう提案されて、あの日以来部屋から一歩も出していないことに思い至った。ユナのいつもと違う態度にばかり気を取られていたが、あれから本を読んでいる様子もない。

「お前に任せる」
自分から誘っても彼女は拒否するだろう。アーベルがなおも何か言いたげな表情をしているので、視線で問う。

「それから、もし差し支えなければ、ミアと会わせてみてはいかがでしょうか」
「……検討する」

それがもっとも有効で正しいことだとは分かっていた。ユナが喜んでくれるであろう、自分に出来る数少ないことであることも承知していた。
ただ意地を張っているだけ、そう理解していてもその選択をしない自分が嫌になる。自分ではなくミアになら口を利くであろうことも想像するだけで、嫉妬に駆られてしまう。

(このような愚かな感情を抱くとは——)
ままならない感情を堪えながら、シュルツはそこから目を逸らすように目の前の書類に意識を向けた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

窓側の指定席

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:3,180pt お気に入り:13

さよならイクサ

現代文学 / 完結 24h.ポイント:1,143pt お気に入り:0

melt(ML)

BL / 連載中 24h.ポイント:241pt お気に入り:13

桜の君はドSでした

BL / 完結 24h.ポイント:340pt お気に入り:16

祭囃子と森の動物たち

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:426pt お気に入り:1

傾国の王子

BL / 完結 24h.ポイント:674pt お気に入り:12

憂鬱喫茶

ホラー / 完結 24h.ポイント:468pt お気に入り:0

宇宙は巨大な幽霊屋敷、修理屋ヒーロー家業も楽じゃない

SF / 完結 24h.ポイント:340pt お気に入り:65

愛及屋烏

BL / 連載中 24h.ポイント:213pt お気に入り:5

処理中です...