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第2章

忌避される存在

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部屋に戻ると手付かずの朝食が食卓に残されていた。昨日から丸一日何も口にしていないはずだ。

(これも抗議の一種なのだろうか……)
無意識にため息が漏れた。寝室のドアを開けると、ユナは昨日と同じく部屋の隅で顔を伏せたまま膝を抱えている。

「ユナ、食事の時間だ」
声を掛けるとわずかに顔をあげ、首を横に振った。いい加減食事をさせないと体に障る。抱きかかえようとすると身を捩って抗おうとする。

「自分で席につくか、我に運ばれるかどちらか選べ」

そう言うとしぶしぶといったように立ち上がる。相変わらずこちらに視線を向けないが、目が赤く腫れているため泣いていたことは明白だ。
新しい侍女がテーブルの上に、ポタージュと数種類のサンドイッチ、それから果物を並べている。いずれもユナの好物ばかりだ。それでもスープに申し訳程度に口をつけただけで、ユナは席を立とうとする。

(っ……それほどに——)
ミアを追放したのがそんなに堪えているのだろうか。

ユナは食事が大好きだったはずだ。初めての料理や好きな物を出せば目を輝かせるし、喜びを表現するように時折小さく弾む。そんな様子が可愛らしくていつまでも見ていたくなるので、お茶の時間には必ず戻るようにしていた。
だが今のユナは食事を楽しむどころか、まるで苦痛で仕方がないと言わんばかりの表情だ。

内心の落胆を隠し、果物を小さく切ってからユナの口元に差し出すと、暫くためらったあと口を開ける。だが数回繰り返すともう要らないというように首を横に振られた。もっと食べて欲しいと思うがこれ以上無理強いはしたくない。
ふと顔を上げれば新しい侍女が驚愕の表情を浮かべてこちらを見ていたが、目が合うと慌てたように逸らす。

(ユナがこの娘を気に入れば機嫌を直してくれるだろうか?)
食卓には彼女のお気に入りのはずのお茶が手付かずのまま残っていた。



日が傾きかけたころ、アーベルが休憩のために部屋に戻ってきた。随分疲れている様子だったので、ミアはリラックス効果のあるお茶を手早く入れる。

「ああ、お前のこの茶も久しぶりだな」
しみじみと懐かしむ様子のアーベルに覚えてくれていたのだと、ミアは嬉しくなった。

拾われてまだ間もない頃、何か役に立てることがないかと考えたことの一つがお茶を入れることだった。器用ではないため、きちんとした食事を作ることはできなかったがお茶ならば大丈夫ではないかと思ったのだ。もっとも最初に淹れたお茶は渋すぎて、アーベルから怒られてしまったのだが――。それからお茶の種類や淹れ方にも興味を覚え、今ではすっかり趣味を兼ねた特技になってしまった。

「姫は一日中誰とも口を利かず、食事もほとんど摂られていないそうだ」
おかげで陛下がずっと落ち着かず機嫌も芳しくないのだとアーベルが嘆息する。

「まさか体調がよろしくないのですか!?」
「だったら、そう伝えるだろう。姫もよほど怒っているようだな」

自分にも原因があるため、いたたまれない気分になる。今は大丈夫でもこのままだと姫様の体調が心配だ。でもミアが会いに行くことはできない。代わりにどうにか元気づけることはできないだろうか。
必死に自分にできることを考え続けていると、一つアイデアが浮かんだ。

「アーベル様、お願いしたいことがございます」
効果があるかどうかも分からないけど、自分に出来るのはこれぐらいしかない。


翌朝、エルザが不機嫌な様子で現れて、不満をまくし立てた。

「何だって陛下はあんな女をお気に召したのかしら。口も利かないし、自分で食事もしないし、偉そうにして。第一顔だって平凡じゃない。全然理解できないわ」
「いつもはそんな方じゃないの。今は色々あってそう見えるのかもしれないけど…」

ミアの言葉にエルザは馬鹿にしたように口の端を上げる。

「あんたはいい子だからね。それで、お姫様に持って行くのはこれでいいの?」
エルザの視線はティーセットに向けられている。

「うん。お湯を入れたらこの砂時計をひっくり返して、砂が全部落ちたらお茶を注いでほしいの」
このお茶は姫様が元気のない時に出したらとても喜んでくれたものだ。早起きして作った焼き菓子との相性もよいはずだ。姫様が気づいてくれるかは分からないが、少しでも口にしてくれれば嬉しい。

「はいはい。まったく手間のかかること」
文句を言いながらもエルザはティーセットを片手に部屋から出て行く。

この様子ではエルザが姫様の話し相手になるのは難しそうだ。エルザからしてみれば、主たる陛下を蔑ろにしているように見える姫様が不快なのだろう。

ふと先ほどのエルザの言葉とアーベルから聞いた話を思い出す。陛下に対して口を利かないのは怒っているからだとしても、初対面であるエルザにも声をかけないのは姫様の性格からして違和感がある。
話さないのは、何か理由があるのではないだろうか。



部屋に入りかけたとき、何かが割れるような音が聞こえた。
ドアを開けると呆気に取られたようなユナの表情が目に入った。彼女の前には床に座り込んだエルザの姿があり、そばにはティーカップの残骸が散らばっていた。

「陛下!」
エルザが立ち上がって、こちらに向かってくる。

「申し訳ございません。姫様のお気に召さなかったらしく…」
言葉と状況だけ切り取れば、まるでユナがティーカップを投げつけたかのように聞こえる。彼女がそんな風に癇癪を起こすとは思えないが、いずれにせよ問題なのはそこではない。

「ユナ、怪我はないか?」
なおも言葉を発しようとするエルザを無視して、ユナの元に向かう。全身を確認するが茶も陶器の欠片も届かなかったようで、安心する。

俯いたままのユナの手を引いてソファーに座らせると、先ほどアーベルから受け取った菓子を取り出す。一口大の柔らかい菓子で、以前好んで口にしていたため用意させた。手に取って口元に運ぶが、ユナは視線を合わさぬまま口元を引き結んでいる。

「一つだけで良い。好きだっただろう?」
そう声を掛けてみるが、ユナは立ち上がって寝室へと逃げてしまった。無理強いをしすぎたのかもしれない。

「あの、陛下——」
振り向くとエルザがそばに立っていた。視線だけで続きを促す。

「どうして姫様にそこまでされるのですか?あの方は陛下のことをよく思っていらっしゃらないのに」
質問に答える気はなかったが、最後の言葉が引っかかった。

「何故分かる」
そう聞くと躊躇う素振りを見せながらも、おずおずと答えた。

「姫様がそうおっしゃったからです。……陛下が悲しまれると思って口にできませんでしたが、ひどいことを…」

(我とは口を利かないが、この娘とは話すのか……)
嫉妬に似た気持ちを抑えながら、続きを促すため声を掛けた。

「ユナは何と言った」
「……そばに寄られるのも汚らわしい、と」
ゆっくりとシュルツの腕に手を伸ばしながら、エルザは続ける。

「おいたわしい限りですわ。私が出来ることでしたら、何なりと――」
「片づけが済んだのならさっさと出ていけ」

冷ややかに見下ろすと硬直したように動きが止まった。それから顔を背けると慌てて部屋から出て行くエルザに何の関心も払わずに、シュルツはソファーに身を沈める。
ユナに嫌われても仕方がない。人間で魔物を忌避し嫌悪する、そんな当たり前のことをすっかり忘れていたのは、これまでユナは決してそんな態度を取らなかったからだ。

だが彼女を想うあまりに自分が気づかないだけだったのかもしれない。街で生き生きとした表情を浮かべていた彼女の姿を思い出し、胸の苦しさが増した気がした。
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