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第1章
自己嫌悪に陥ります
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「……下ろしてください」
目を合わさずに告げた声が硬く響く。そのことが魔王の機嫌を損ねるかもしれないと分かっていても、取り繕うことができなかった。
「逃げませんから」
逡巡するような気配に佑那が言葉を重ねるとそっと下ろされたが、代わりに手を繋がれる。強く握りしめられた手の感触に自分もあのオコジョと同じなのだと佑那は思った。逃げる間もなく捕まったから、あんなふうに傷つける必要がなかった。
魔王は今のところ丁重に扱ってくれているが、そもそも人質なのだから、ペット扱いなのだから、そういう扱いを受けても仕方ないのだ。
(今までは何とも思わなかったのに、何でこんなに苦しいのだろう)
目頭が熱くなって、奥歯を強くかみしめる。意識をそちらに集中していたため、魔王が歩みを止めていたことに気づくのが遅れた。
「そなたが泣いていたのは、我があの獣を捕らえようとしたせいか」
否定するために首を横に振った。声を出せばきっとまた泣いてしまう。子供のような振る舞いも被害者面することもしたくなかった。
「そなたがあれを気に入ったのだと思ったが、違ったのか」
可愛らしい姿にはしゃいだ声を出したのは佑那だ。だから魔王に悪気があったわけではないのだろう。可愛いから、気に入ったから手に入れる、その思考は魔物では当たり前なのかもしれないが、佑那はそうではない。
小さなオコジョから発せられた鳴き声には痛みが含まれていた。自分のせいで他の生き物が傷付けられたことが悲しくて怖かったのだ。
「姫、そなたが嫌がることはしたくない。だから教えてくれ。何が原因で悲しませてしまったのだ」
口を開けばまた泣き出してしまいそうで、魔王の問いかけに答えられずにいた佑那だが、その言葉に思わず顔を上げた。魔僅かに眉をひそめた魔王は真剣な表情で佑那を見つめている。
それを見た瞬間、価値観が違うのだと心から納得した。佑那にとって当たり前だと思うことが魔王にとっては違うのだ。躊躇なく動物を傷付けた魔王の行動が理解できなくて怖かった。でもそれは常識が違うせいで、言葉にして伝えればお互いに理解しようとすることはできる。
魔王が続けてこんなに言葉を発することは珍しい。それは本当に佑那のことを理解したいと思っているからではないだろうか。
繋がれた手に少し力をこめて、佑那は魔王を見ながら口を開いた。
「私のせいで、オコジョに怪我をさせてしまったのが、悲しかったからです」
魔王はわずかに首を傾ける。納得できる理由ではないのだろう。
「…あなたは私が逃げようとしたら、同じことをしますか?」
「せぬ」
即答してくれたことに、ほっとしながら佑那はさらに訊ねた。
「どうしてですか?」
「そなたを傷つけたくない」
「それと同じことです。私もあの子を傷つけたくなかったです。可愛いとは思いましたが、連れて帰りたいとは思いませんでした。あの子の居場所はここですから」
魔王は考え込むように一点を見つめた後に、佑那に視線を戻す。
「浅慮だった。済まぬ」
自分の言いたいことが伝わったようで、佑那の心は少しだけ軽くなる。
「いいえ。私も何も伝えないまま嫌な態度をとってしまって、ごめんなさい」
文化の違い、考え方の違いは人それぞれであることを十分理解していたつもりなのに、思い至らなかったことを佑那自身も反省していた。
そんな佑那に魔王が静かな声で告げた。
「姫が謝る必要はない。我はそなたを手放してやれぬ」
佑那が自分をオコジョに重ねたことに気づいたのだろう。それだけにその言葉は胸に刺さった。
「…どうして」
思わず小さな呟きが漏れたが、魔王にはちゃんと届いたようだった。
「そなたを愛しいと思っているからだ」
「そんなの、勘違いです。あなたは私のことを何も知らないのに…」
「知らなければ駄目なのか? 勘違いかもしれぬが我はそう思っている」
魔王が一歩近づくが、佑那は咄嗟に身を引いてしまう。手放せない理由、それは佑那が一番あり得ないと思っていたものだった。もっと別の理由でなければいけなかったのに。
気づけば佑那は無意識に叫んでいた。
「だって、そんなのやだ! 私、家に帰りたいもん!」
ずっと我慢していた気持ちが涙と共に溢れ出す。先ほどよりも子供のように激しく泣きじゃくる佑那を魔王が抱きしめる。
「やっ、嫌だ、放して!」
「すまぬ。姫の望みは何でも叶えてやりたいが、それはできない」
抵抗する佑那に構うことなく、魔王は抱きしめながら優しく佑那の頭を撫で続けた。ようやく泣き声が途切れた頃には佑那の体力は限界を迎えていた。寒さのために佑那の体が小刻みに震えていることに気づいた魔王は慌てたように城へと引き返したのだった。
「……やつ当たりして、ごめんなさい」
かろうじて謝罪を口にすると佑那は浴室に逃げ込んだ。温かい湯船に浸かると冷え切った体がじわじわと温まっていく。同時に押し寄せてくる自己嫌悪と羞恥心。いくら感情が昂っていたとはいえ、子供のような癇癪を起こしてしまった。
(帰れないのは魔王に捕らえられているからだけではないのに……)
顔を合わせるのが気まずく、佑那の大きなため息は浴室に響いた。
いつもより長めに入浴して部屋に戻ると、魔王の姿はない。ほっとしながら、佑那は早々に休むことにした。久しぶりの外出と癇癪を起こしたせいで、ひどく疲れている。
ベッドに横になると時間を置かずに佑那は眠りに落ちていった。
目を合わさずに告げた声が硬く響く。そのことが魔王の機嫌を損ねるかもしれないと分かっていても、取り繕うことができなかった。
「逃げませんから」
逡巡するような気配に佑那が言葉を重ねるとそっと下ろされたが、代わりに手を繋がれる。強く握りしめられた手の感触に自分もあのオコジョと同じなのだと佑那は思った。逃げる間もなく捕まったから、あんなふうに傷つける必要がなかった。
魔王は今のところ丁重に扱ってくれているが、そもそも人質なのだから、ペット扱いなのだから、そういう扱いを受けても仕方ないのだ。
(今までは何とも思わなかったのに、何でこんなに苦しいのだろう)
目頭が熱くなって、奥歯を強くかみしめる。意識をそちらに集中していたため、魔王が歩みを止めていたことに気づくのが遅れた。
「そなたが泣いていたのは、我があの獣を捕らえようとしたせいか」
否定するために首を横に振った。声を出せばきっとまた泣いてしまう。子供のような振る舞いも被害者面することもしたくなかった。
「そなたがあれを気に入ったのだと思ったが、違ったのか」
可愛らしい姿にはしゃいだ声を出したのは佑那だ。だから魔王に悪気があったわけではないのだろう。可愛いから、気に入ったから手に入れる、その思考は魔物では当たり前なのかもしれないが、佑那はそうではない。
小さなオコジョから発せられた鳴き声には痛みが含まれていた。自分のせいで他の生き物が傷付けられたことが悲しくて怖かったのだ。
「姫、そなたが嫌がることはしたくない。だから教えてくれ。何が原因で悲しませてしまったのだ」
口を開けばまた泣き出してしまいそうで、魔王の問いかけに答えられずにいた佑那だが、その言葉に思わず顔を上げた。魔僅かに眉をひそめた魔王は真剣な表情で佑那を見つめている。
それを見た瞬間、価値観が違うのだと心から納得した。佑那にとって当たり前だと思うことが魔王にとっては違うのだ。躊躇なく動物を傷付けた魔王の行動が理解できなくて怖かった。でもそれは常識が違うせいで、言葉にして伝えればお互いに理解しようとすることはできる。
魔王が続けてこんなに言葉を発することは珍しい。それは本当に佑那のことを理解したいと思っているからではないだろうか。
繋がれた手に少し力をこめて、佑那は魔王を見ながら口を開いた。
「私のせいで、オコジョに怪我をさせてしまったのが、悲しかったからです」
魔王はわずかに首を傾ける。納得できる理由ではないのだろう。
「…あなたは私が逃げようとしたら、同じことをしますか?」
「せぬ」
即答してくれたことに、ほっとしながら佑那はさらに訊ねた。
「どうしてですか?」
「そなたを傷つけたくない」
「それと同じことです。私もあの子を傷つけたくなかったです。可愛いとは思いましたが、連れて帰りたいとは思いませんでした。あの子の居場所はここですから」
魔王は考え込むように一点を見つめた後に、佑那に視線を戻す。
「浅慮だった。済まぬ」
自分の言いたいことが伝わったようで、佑那の心は少しだけ軽くなる。
「いいえ。私も何も伝えないまま嫌な態度をとってしまって、ごめんなさい」
文化の違い、考え方の違いは人それぞれであることを十分理解していたつもりなのに、思い至らなかったことを佑那自身も反省していた。
そんな佑那に魔王が静かな声で告げた。
「姫が謝る必要はない。我はそなたを手放してやれぬ」
佑那が自分をオコジョに重ねたことに気づいたのだろう。それだけにその言葉は胸に刺さった。
「…どうして」
思わず小さな呟きが漏れたが、魔王にはちゃんと届いたようだった。
「そなたを愛しいと思っているからだ」
「そんなの、勘違いです。あなたは私のことを何も知らないのに…」
「知らなければ駄目なのか? 勘違いかもしれぬが我はそう思っている」
魔王が一歩近づくが、佑那は咄嗟に身を引いてしまう。手放せない理由、それは佑那が一番あり得ないと思っていたものだった。もっと別の理由でなければいけなかったのに。
気づけば佑那は無意識に叫んでいた。
「だって、そんなのやだ! 私、家に帰りたいもん!」
ずっと我慢していた気持ちが涙と共に溢れ出す。先ほどよりも子供のように激しく泣きじゃくる佑那を魔王が抱きしめる。
「やっ、嫌だ、放して!」
「すまぬ。姫の望みは何でも叶えてやりたいが、それはできない」
抵抗する佑那に構うことなく、魔王は抱きしめながら優しく佑那の頭を撫で続けた。ようやく泣き声が途切れた頃には佑那の体力は限界を迎えていた。寒さのために佑那の体が小刻みに震えていることに気づいた魔王は慌てたように城へと引き返したのだった。
「……やつ当たりして、ごめんなさい」
かろうじて謝罪を口にすると佑那は浴室に逃げ込んだ。温かい湯船に浸かると冷え切った体がじわじわと温まっていく。同時に押し寄せてくる自己嫌悪と羞恥心。いくら感情が昂っていたとはいえ、子供のような癇癪を起こしてしまった。
(帰れないのは魔王に捕らえられているからだけではないのに……)
顔を合わせるのが気まずく、佑那の大きなため息は浴室に響いた。
いつもより長めに入浴して部屋に戻ると、魔王の姿はない。ほっとしながら、佑那は早々に休むことにした。久しぶりの外出と癇癪を起こしたせいで、ひどく疲れている。
ベッドに横になると時間を置かずに佑那は眠りに落ちていった。
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