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第1章

問題しかありません

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ミアがいなくなってしばらくソファーに突っ伏していたが、気を取り直して今日借りてきたばかりの本を読み始める。魔王が何を考えていようが出来ることをするしかないのだ。

今のところ、救世主の伝承に該当するような本に辿り着いていない。救世主が魔王と相対したのかは定かではないが、何かしらの影響を与えたことは間違いないのだから記録が残っていてもおかしくないと思う。

(もし、元の世界に戻る方法がなかったらどうしよう……)

それはこの世界に来てずっと抱いていた不安だった。ウィルにもグレイスにも聞けなかったし、彼らも佑那に告げなかったから、その可能性は高いことに佑那はもう気づいている。帰れないと思うと心細くてたまらなくなるから考えないようにしているだけだ。

こんなに長期間連絡が取れていないのだから、家族はきっと心配しているだろう。
幸いにもこの世界にきてから不自由のない暮らしを送れているが、常に綱渡りのような不安定な立場に置かれている。

(いや、自由がないから不自由な状況なのかも?)

言葉遊びのような考えに思わず笑いがこぼれた。笑える余裕があるならまだ大丈夫だ。そう思って頬をペチペチと叩いて自分を鼓舞する。

「大丈夫、大丈夫」
「何がだ?」

背後から急に声が聞こえて、びくりと身体を強張らせた。振り向くといつものように感情の読めない顔をした魔王が背後に立っている。いつの間に部屋に入ってきたのか、全く気付かなかった。

「……いつの間にいらっしゃったのですか?」
「そんなに経っていない」

(せめて声掛けてくださいよ、本気で驚くから!)

文句を言う訳にもいかずに言葉を飲み込む。ここは魔王の部屋なのだから、佑那が文句を言える立場ではない。
魔王は黙って佑那の隣に腰を下ろす。お茶の時間でもないのに部屋に戻ってきたということは何かあるのだろうか。

「あの、何か御用ですか?」
「何が大丈夫なのだ?」

(あ、そういえばさっきも聞かれてたっけ)

「いえ、たいしたことではありません」

言っても仕方のないことだ。帰りたいと願ったところで彼がどうにかしてくれるわけもないし、口にすることでむしろ辛さが増す気がする。

おもむろに魔王が手を伸ばし、佑那の首筋をなぞった。

「っ!」
冷たい感触に思わず身を竦めた佑那に魔王は淡々とした口調で尋ねる。

「装飾品は好まぬか」
「えっ、…いえ、そういうわけではないのですが、普段あまり身に着ける習慣がないので」

ドレスは初日のうちに大量にワードローブに並べられたが、ここ数日はネックレスやイアリング、ブローチなどのアクセサリーを手渡されていた。見る分には綺麗だが、明らかに高級だと分かるためうっかり傷つけてしまうのが怖くてそのままにしている。

魔王が僅かに目を眇めたことで、佑那は自分の失言に気づいた。
王女だったら普段の生活で装飾品の一つや二つ身につけているはずだ。うっかり素で答えてしまった自分が恨めしい。

「他に必要なものは」
「ありません」

内心焦っていたため間をおかず、不自然なほどに即答してしまった。取り繕うとすればするほど、ボロが出そうな気がする。

二人の間に沈黙が落ち、その気まずさを誤魔化すため佑那は何事もなかったかのように、そのまま本の続きを読むことにした。魔王と会話するとどうしても色々と考えることが多くなるし神経を使う。何か言われるかと内心ドキドキしていたが、ページをめくる音や衣擦れの音以外何も聞こえない。

(どうしよう……ちょっと眠いかも)

だいぶ読めるようになったとはいえ、佑那の語学力はまだまだ低い。とはいえ辞書を使えば、不審に思われるだろうし、偽物だとバレてしまう危険性がある。慢性的な寝不足も手伝って、文字を追うのが辛くなってきた。

(1日でいいからゆっくり寝たいな)
そんな願望を抱いてしまうのは、攫われて以来ずっと魔王に抱きしめられた状態で眠っているからだ。



もちろん佑那とて結婚していないことを理由に断固拒否の姿勢を示したが、逃亡防止のためだと魔王に却下されてしまった。

(そんなことしなくても逃げられるわけないじゃない……)
魔術も使えなければ、ピンチを切り抜けるための機転も利かないのに、自力で逃げおおせる自信なんて皆無だ。

「……陛下自らがそのようなことされなくてもーーっ」

いっそ縄か何かで縛ってもらったほうが精神的に楽かもしれない、そう考えて提案する前に魔王は目を細めてこちらを睨んでくる。

(ひぃっ!なんか怒ってる?!不機嫌になったのは口答えしたから?!)

「――姫、今何か言いかけただろうか?」
「いえ、何でもありません!」

そう答える以外、佑那に選択肢はなかった。例えその後どんなに後悔するとしても、あれ以上怒らせてしまうわけにはいかなかったと断言できる。

「では問題ないな」

(問題しかありませんけど!!!)
内心どれだけ絶叫したとしても、それが魔王に伝わることはなかった。



こちらの世界の女性に比べて圧倒的に身体の凹凸が乏しいとはいえ、流石に同じベッドで眠ると言われれば、そういう想像をしてしまうのは当然だろう。
佑那にできる唯一の抵抗策は、寝たふりをすることだけだった。結果からいえば腰に両腕を回して拘束する以上のことを魔王がすることはなく、ただ一緒に寝ているだけである。

そうは言ってもそんな状況で熟睡できるはずがなかった。
夜中にこっそり距離を取ろうとすると、逆に強く抱きしめられることになるということを学習してからは大人しくしているのだが、寝心地の悪さは変わらない。

(暖を取れる抱き枕みたいに思ってるのかな)
埒もないことを考えながら欠伸をかみ殺すと、ぐいと肩を引き寄せられる。

「っ、陛下?」
「少し休め」

何をされるのかと一瞬身構えたが、どうやら佑那の眠気を察して肩を貸してくれたようだ。

(寝不足なのはあなたが原因なんですけどね……)

その気遣いを別のことに回して欲しいし、人に寄りかかるよりはベッドで大の字で寝たい。それでも無下にするのは躊躇われたし、これまでの経験上どのみち聞いてはくれない気がした。
それならば眠れなくとも目を休ませようと判断して佑那はそのまま目を閉じた。頭にそっと触れる感触があり、ぎこちないながらも丁寧に髪を撫でられる。

(あ、気持ちいいかも)

こういう風に撫でられるのは、やっぱりペット扱いなのかもしれない。そんなことを考えながら佑那は眠りへと落ちていった。
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