君の願う世界のために

浅海 景

文字の大きさ
上 下
39 / 46
第3章

新たなルール

しおりを挟む
「テオ、何があったか全部教えて」
「お伝えしています。いつも通り貴女がなさっているように処刑を執行しただけです」

何度問い質してもテオはエレナの質問に答えてくれない。テオを信頼しているが、額面通りに受け取れないのはあの男がまともな人間でないことを知っているからだ。
代理など認めず休戦を破棄すればかなりの嫌がらせになる。ただいつも通りの処刑などカールにとっては何の面白みもないだろう。

だがテオの口は固かった。その頑なさが余計にエレナを落ち着かなくさせるが、こうなったテオはありのままの事実をエレナに伝えることはない。
何故テオがそこまで口を噤んだか、その理由は翌日に判明した。

カールの侍従であるフェイが直々にやってきて、お茶会に参加するよう伝えられた。
断りたいのはやまやまだが拒否権がないのはいつものこと。昨日はエレナ自身が刑を執行できなかったため、ペナルティが発生するのかもしれない。
憂鬱な気分を抱えつつ、解毒剤を事前に飲み込んでエレナは素早く準備を整える。

案内されたのはいつもの庭園ではなく、とある一室だった。

「エレナ姫、もう体調は大丈夫かな?」
「お気遣いありがとうございます」

ゆったりとした広さの室内は優美な装飾であるものの、窓以外の部分は書棚で埋められていて小さな書庫といった様子だ。だがそこにしつらえられた家具はどれも一級の品で、現在エレナが腰を下ろしているソファーも本来は座り心地がよいはずだ。

(距離がいつも以上に近い……)
フェイがお茶の支度をしているが、他に妃の姿は見つからずカールと二人きりでソファーに横並びで座っている。この状態が危険だと分かるのに回避する術がない。

おもむろにカールの冷たい指に顎を摑まれ、顔を上げさせられた。声を上げなかった自分を褒めてやりたい。氷のような瞳はいつもより冷ややかで観察するかのように細められている。

「まだ本調子ではないようだね。愚か者にはもう少し罰を与えてやるべきだったかな」

感情の昂りが感じられない静かな声なのに、背筋に冷たいものが走る。

「エレナ姫、口を開けて」

先ほどまでの気配が嘘のように、カールはチョコレートを手にしてにこやかな笑みを浮かべている。
口にしたチョコレートは甘く、毒が入っているように感じられなかった。とはいえエレナが気づかないだけという可能性もあるため、油断はできない。
カールは手についたチョコレートを舐めとって、楽しそうにエレナを見ている。

「もう他の人間に余計なことはさせないから、安心して食べていいよ。ああ、処刑ももういいかな。エレナ姫の肌に傷痕が残るのは面白くない」

髪を撫でられる不快感に堪えている中でのカールの発言に、作っていた笑顔が凍り付いた。

「……陛下、私の願いを叶えてくださるのではなかったのですか?」

戦争を停めさせるための代替案がなくなれば再び戦争を起こすのではないか。思わず両手に力が入り手の平に爪が食い込むが、痛みに集中することで冷静を保てる気がした。

「昨日のように君の騎士を代理に立てればいい。わりと好評だったようだし」

(好評ってどういう意味……)

そんなエレナの疑問を読みとったかのようにカールは続ける。

「君に蛇の毒を盛った疑いのある侍女たちを素手で処刑してもらった。武器がないと即死は難しいのだけど、その分観客は喜んでいたよ」

即死が難しいという事はその分苦痛が長引いたということだ。テオが頑なに詳細を話すことを拒んだ理由が分かった。
自分を殺しかけた相手を庇うつもりはないが、彼女たちとて命令に従わなければ命が危ない立場だ。非力な女性を素手で殺める非道な行為はどれだけテオの心を傷付けただろう。

「酷いですわ、陛下。愚か者の処刑は私にお任せくださったはずですのに、私よりテオのほうが優れているとおっしゃるのですか?」

拗ねたような口調で告げれば、カールの瞳に面白がるような色がよぎる。

「血に染まる君も美しいのだけど、こうやって愛でるのも悪くない」

腰を摑まれ引き寄せられる。反応を窺うカールをよそにエレナは顔を近づけ、耳元で囁いた。

「それなら遊戯をいたしましょう」

にこやかに微笑むエレナに少女のようなあどけなさはなく、蠱惑的な表情を浮かべていた。


新しい遊戯の内容を伝えてからテオはずっと怒っていた。怒りをぶつけられるわけでもなく、ただ無言でエレナに訴えている。

「テオ、お願いだからもう許して」
「何のことでしょう。許しを請うほど俺に何かしたのですか?」

そう言いながらもテオはエレナと目を合わせようとしない。返事をしてくれるだけましなのかもしれないが、滅多にエレナに対して怒ることのないテオが一度腹を立てれば収まるのに時間がかかる。

「勝手に決めてごめんなさい。でも――」
「貴女まで遊戯に参加する必要はなかったはずです。軽挙妄動を慎むようあれだけ申し上げましたのに、俺の言葉は覚える価値もありませんか?」

テオが自分を守ろうとしてくれていることは分かっている。けれど自分だってテオを守りたいし、もともとエレナが負うべき義務をテオに肩代わりさせるのは嫌だ。

「俺の代わりはいても貴女の代わりはいないのです」

テオはあくまでも正論で攻めてくる。個人的な感情を優先させることは王族として失格だと言外に告げられてエレナは何も言えなくなった。

「……ですが、決まってしまったものは仕方ありません。できるだけ俺に守らせてくださいね」

黙り込んだエレナを見てテオの声音が若干柔らかくなった。以前なら頭を撫でてくれていたが、もう二度とテオがエレナに触れることはない。頭では理解していたのに思いのほかその事実に心がきしんだ。

翌週エレナとテオは闘技場にいた。エレナがカールに提示した新たなルールはテオとエレナの共闘およびルールの変更だった。

エレナとテオが処刑を行い、その数を競うことで賭けの対象とするよう持ちかけたのだ。
最初の頃はエレナと罪人どちらが勝つかという単純なものだったが、罪人が勝つということは無罪放免に繋がるのだからあらかじめエレナが勝てる相手だけ選んでいるのではないか、そう疑う者が増えていった。

そうなれば賭けとして成立しない。それを見越したエレナの提案にカールは少し考える素振りを見せたが、最終的には許可した。

歓声に包まれて競技場に立ち、観客を見渡せば徐々に人数が増えているような気がした。
それほど面白い見世物なのだろうか。これが統治する者の影響力によるものならばと考えると思わず身震いするほど恐ろしい。

「エレナ姫」

エレナの様子に気づいたテオが気遣うように名前を呼ぶ。誰よりも大切で信頼できる相手が傍にいるなら、何でもできそうな気がしてくる。

「テオ、負けないよ?」

どれだけ血に染まったとしても彼が隣にいてくれるのなら、きっと大丈夫だ。



「ねえフェイ、僕は意外と独占欲が強いみたいだ」

(どちらかと言えば貴方が他人に執着するほうが意外でしたよ)

独り言のような主の声にフェイは心の中だけで返した。流石に不敬だと自覚していたので、代わりに別の言葉を口にする。

「あのテオとかいう騎士ですか?」

カールはつまらなそうな表情で紅茶を口にする。

「姫があんなに無防備な顔を見せるなんて妬けちゃうよね」

軽い口調なのに目が笑っていない。
自分が毒入りの茶菓子を与えることは楽しんでいたのに、王妃が手を出した途端にエレナへの対応を変えた。
お気に入りの玩具が他人に壊されかけたことで自覚したのだろう。カールの見た目に惑わされることなく、的確にその内面を見抜く人間は少ない。
そして自分の要求を通しつつ、カールを楽しませる人間は極めて稀だ。

「殺しますか?」

フェイは期待に満ちた表情でカールを見つめるが、笑いながら却下されてしまった。

「駄目だよ、あれはエレナ姫のお気に入りなんだ。ただ殺してしまうことなんて出来ない」

思案気な表情のカールだが、人の命を奪うことよりもエレナがどう思うかということに重点を置いている。
その様子にフェイは少し安堵した。主に大切な存在が出来たとしてもその残虐性に変化がないように思えたからだ。
嗜虐心の強いフェイがカールに仕える理由はそこにあった。

「邪魔者を排除しながら姫の心を僕に向けさせるには、どうしたらいいんだろうね」

そう言って遠くを見つめながらも、カールの頭の中には既に幾つかの方法が浮かんでいるだろう。
主の邪魔にならないようフェイは静かに膝をついてカールの命令を待つことにした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

処理中です...