35 / 46
第3章
茶会
しおりを挟む
「茶会のお誘いとのことです」
ドールから渡された手紙の差出人を見ると、予想通りの人物の名前があった。
「早いね」
到着してまだ三日目になるが、恐らくエレナの振る舞いは既に王宮中に広がっているだろう。
王妃が動けば要らぬ憶測を呼ぶし、第一側妃は他国からの政略結婚だが発言権が弱い。動くなら二番目の側妃であるエカテリーナ、この国の宰相であるレバノン侯爵の娘だとエレナは考えていた。
他国から輿入れした姫の様子を窺うべく父親から命じられたか、もしくはただの暇つぶしか。
「承諾の返事を出して」
どのみち新参者であるエレナが断るのは得策ではない。
(どうせ一時のことだ。お姫様方は穢れを嫌う)
後ろ盾もなく身分の低さから嫌がらせは日常で、事あるごとに軽んじられ嘲笑されていた。姉達は武術を学ぶエレナのことを野蛮だと非難していたが、エレナが戦場に参加してからは近づくことを止めた。
『人を殺すなどおぞましい』
その言葉を聞いた時には思わず笑ってしまった。王族や貴族が安穏と暮らせているのは兵士たちが命懸けで戦っているからだが、それすらも理解せず自分たちを守る騎士の前でそう言い放てる傲慢さ。
(エカテリーナ妃が面倒な方でなければいいけど)
溜息をついてエレナはお茶会に参加すべく、支度を始めた。
(まあ想定内と言えば想定内なんだけど)
ドレスこそ薄紅色を基調にした品のある落ち着いた装いだが、薄紫色を多用した貴金属を身にまとったエカテリーナ妃は柔らかな微笑みをたたえている。ただしその瞳には蔑みの色を帯びており、カールの瞳の色を身に付けていることからも寵姫であることを匂わせている。
内容はどうあれカールの興味を引いたことが、エカテリーナ妃の不興を買ったようだ。
エレナが緊張しないようにと同年代の貴族令嬢を同席させて、さも配慮しているような言動を取るが、実際にはエレナをあげつらうための要員にすぎない。
口に含んだハーブティーに馴染みのある苦みを感じて、溜息と一緒に飲み込んだ。
嫌がらせのために腐りかけの食材や毒を盛られたおかげで、毒への耐性は付いている。薬と毒は表裏一体、幼い頃野山で食材を調達する際に身につけた知識と実体験は王宮で生き延びる上では非常に有益だった。
「エレナ様は幼少の頃、平民として暮らしていたと伺いました。市井の暮らしなど私たちには想像もできませんわ。ぜひお話をお聞かせくださいませ」
取り巻きの令嬢Aが意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「まあ、そんなこと言っては可哀そうよ。私だったら恥ずかしくて耐えられないわ」
取り巻き令嬢Bがすかさずそう返した。一見庇っているように見えて貶めている、貴族お得意の嫌がらせだ。
(本当面倒だけど、あの人だったらきっとこうする)
エレナは背筋を伸ばしてただ微笑みを浮かべた。
一度だけほんの短い時間だったのに、彼女の存在はエレナの中で鮮明に残っている。
貴族令嬢でありながら、武術に秀でているという噂の女性は立ち姿も振る舞いも優美で他の令嬢とは一線を画していた。毅然とした表情がほころべば慈愛に満ちた優しい表情に一転する。
彼女の周囲だけ空気が違っているようだった。
「エレナ様は変わった特技を持っていらっしゃるとか」
しばらく静観していたエカテリーナ妃が口を開くと、周囲の令嬢は静かになった。
「……武術のことでしょうか」
昨日のことを聞いているのなら、それぐらいしか思い当たるものがない。
「ええ、どのようなものか興味がありますわ」
演武として人前で披露することはあるが、今の盛装姿で出来るものではない。だが断り方を間違えればさらに不興を買うことは必至だ。
日を改めてもらえないか許可を得ようと口を開きかけた時、背後からざわめきが起こった。
視線を動かすより前にエカテリーナ妃が立ち上がったのを見て、エレナもすぐさま後にならって深々と頭を下げる。
「楽にしていい。女性だけのお茶会に不躾だったかな?」
「とんでもございません。陛下にお越しいただき光栄ですわ」
促されて顔を上げると、気品のある笑みをたたえたカールの姿があった。
通りがかっただけで長居しないと茶の支度を断るが、さすがに席を用意しないわけにはいかない。
(嫌がらせでしかない)
カールはエレナの隣に席を用意させ、気にかけるようにこちらを見つめている。当のエレナはカールが自分に好意を抱いているなどと欠片も思っていないが、周囲はそう勘違いしてもおかしくはない。
「ではそろそろ失礼するよ」
五分ほど見せかけの談笑という心理戦を繰り広げたあと、カールは席を立とうとした。いなくなってくれることに安堵しかけた瞬間、カールは信じられないことを口にしたのだ。
「ああ、少し喉が渇いた。エレナ姫、その紅茶をもらっていいかな」
真っ先に反応したのはエカテリーナ妃だ。
「陛下!そのようなものを、いえ新しい紅茶をすぐご用意させますので」
周囲の様子を窺うと、みな一斉に青ざめている。
(全員グルか)
なかなか危険な真似をする。知っている人間が少ないほどバレにくいし、後腐れがないのに、とエレナは冷静に考えてしまう。
とはいえ毒入りの紅茶をこのままカールに飲ませてしまえば、さらに厄介な事態になるのは目に見えている。
(この借りはいつか返してもらうからな!)
エレナの取るべき行動は一つ。カップを手に取ると中身を一息に飲み干した。呆気に取られる周囲と異なり、カールだけは面白そうな瞳でエレナを見ている。
(本当に底意地の悪い)
悪態を胸にしまって、エレナはカールに向かって答えた。
「申し訳ございません。卑しい血が混じっているせいか、自分に与えられたものを他者に分け与えることができない性分でございます。すぐに新しい物をご準備させますので」
そう言って侍女に視線を送ると慌てて支度に取り掛かる。
「ふふ、それは悪かった。侍従に用意させるからもういいよ。エレナ姫、貴女のお披露目は三日後に決まった。それまで体調を整えておいてね」
ついでのように告げられた本題と明確な悪意に、エレナは嫌悪感を抑えてカーテシーで答えた。
ドールから渡された手紙の差出人を見ると、予想通りの人物の名前があった。
「早いね」
到着してまだ三日目になるが、恐らくエレナの振る舞いは既に王宮中に広がっているだろう。
王妃が動けば要らぬ憶測を呼ぶし、第一側妃は他国からの政略結婚だが発言権が弱い。動くなら二番目の側妃であるエカテリーナ、この国の宰相であるレバノン侯爵の娘だとエレナは考えていた。
他国から輿入れした姫の様子を窺うべく父親から命じられたか、もしくはただの暇つぶしか。
「承諾の返事を出して」
どのみち新参者であるエレナが断るのは得策ではない。
(どうせ一時のことだ。お姫様方は穢れを嫌う)
後ろ盾もなく身分の低さから嫌がらせは日常で、事あるごとに軽んじられ嘲笑されていた。姉達は武術を学ぶエレナのことを野蛮だと非難していたが、エレナが戦場に参加してからは近づくことを止めた。
『人を殺すなどおぞましい』
その言葉を聞いた時には思わず笑ってしまった。王族や貴族が安穏と暮らせているのは兵士たちが命懸けで戦っているからだが、それすらも理解せず自分たちを守る騎士の前でそう言い放てる傲慢さ。
(エカテリーナ妃が面倒な方でなければいいけど)
溜息をついてエレナはお茶会に参加すべく、支度を始めた。
(まあ想定内と言えば想定内なんだけど)
ドレスこそ薄紅色を基調にした品のある落ち着いた装いだが、薄紫色を多用した貴金属を身にまとったエカテリーナ妃は柔らかな微笑みをたたえている。ただしその瞳には蔑みの色を帯びており、カールの瞳の色を身に付けていることからも寵姫であることを匂わせている。
内容はどうあれカールの興味を引いたことが、エカテリーナ妃の不興を買ったようだ。
エレナが緊張しないようにと同年代の貴族令嬢を同席させて、さも配慮しているような言動を取るが、実際にはエレナをあげつらうための要員にすぎない。
口に含んだハーブティーに馴染みのある苦みを感じて、溜息と一緒に飲み込んだ。
嫌がらせのために腐りかけの食材や毒を盛られたおかげで、毒への耐性は付いている。薬と毒は表裏一体、幼い頃野山で食材を調達する際に身につけた知識と実体験は王宮で生き延びる上では非常に有益だった。
「エレナ様は幼少の頃、平民として暮らしていたと伺いました。市井の暮らしなど私たちには想像もできませんわ。ぜひお話をお聞かせくださいませ」
取り巻きの令嬢Aが意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「まあ、そんなこと言っては可哀そうよ。私だったら恥ずかしくて耐えられないわ」
取り巻き令嬢Bがすかさずそう返した。一見庇っているように見えて貶めている、貴族お得意の嫌がらせだ。
(本当面倒だけど、あの人だったらきっとこうする)
エレナは背筋を伸ばしてただ微笑みを浮かべた。
一度だけほんの短い時間だったのに、彼女の存在はエレナの中で鮮明に残っている。
貴族令嬢でありながら、武術に秀でているという噂の女性は立ち姿も振る舞いも優美で他の令嬢とは一線を画していた。毅然とした表情がほころべば慈愛に満ちた優しい表情に一転する。
彼女の周囲だけ空気が違っているようだった。
「エレナ様は変わった特技を持っていらっしゃるとか」
しばらく静観していたエカテリーナ妃が口を開くと、周囲の令嬢は静かになった。
「……武術のことでしょうか」
昨日のことを聞いているのなら、それぐらいしか思い当たるものがない。
「ええ、どのようなものか興味がありますわ」
演武として人前で披露することはあるが、今の盛装姿で出来るものではない。だが断り方を間違えればさらに不興を買うことは必至だ。
日を改めてもらえないか許可を得ようと口を開きかけた時、背後からざわめきが起こった。
視線を動かすより前にエカテリーナ妃が立ち上がったのを見て、エレナもすぐさま後にならって深々と頭を下げる。
「楽にしていい。女性だけのお茶会に不躾だったかな?」
「とんでもございません。陛下にお越しいただき光栄ですわ」
促されて顔を上げると、気品のある笑みをたたえたカールの姿があった。
通りがかっただけで長居しないと茶の支度を断るが、さすがに席を用意しないわけにはいかない。
(嫌がらせでしかない)
カールはエレナの隣に席を用意させ、気にかけるようにこちらを見つめている。当のエレナはカールが自分に好意を抱いているなどと欠片も思っていないが、周囲はそう勘違いしてもおかしくはない。
「ではそろそろ失礼するよ」
五分ほど見せかけの談笑という心理戦を繰り広げたあと、カールは席を立とうとした。いなくなってくれることに安堵しかけた瞬間、カールは信じられないことを口にしたのだ。
「ああ、少し喉が渇いた。エレナ姫、その紅茶をもらっていいかな」
真っ先に反応したのはエカテリーナ妃だ。
「陛下!そのようなものを、いえ新しい紅茶をすぐご用意させますので」
周囲の様子を窺うと、みな一斉に青ざめている。
(全員グルか)
なかなか危険な真似をする。知っている人間が少ないほどバレにくいし、後腐れがないのに、とエレナは冷静に考えてしまう。
とはいえ毒入りの紅茶をこのままカールに飲ませてしまえば、さらに厄介な事態になるのは目に見えている。
(この借りはいつか返してもらうからな!)
エレナの取るべき行動は一つ。カップを手に取ると中身を一息に飲み干した。呆気に取られる周囲と異なり、カールだけは面白そうな瞳でエレナを見ている。
(本当に底意地の悪い)
悪態を胸にしまって、エレナはカールに向かって答えた。
「申し訳ございません。卑しい血が混じっているせいか、自分に与えられたものを他者に分け与えることができない性分でございます。すぐに新しい物をご準備させますので」
そう言って侍女に視線を送ると慌てて支度に取り掛かる。
「ふふ、それは悪かった。侍従に用意させるからもういいよ。エレナ姫、貴女のお披露目は三日後に決まった。それまで体調を整えておいてね」
ついでのように告げられた本題と明確な悪意に、エレナは嫌悪感を抑えてカーテシーで答えた。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。
扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋
伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。
それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。
途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。
その真意が、テレジアにはわからなくて……。
*hotランキング 最高68位ありがとうございます♡
▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
不死人になった私~逆ハーレムっぽい状態になるなんて聞いてないし愛ってなに?!~
琴葉悠
恋愛
人間と吸血鬼の二つの種族が二つの国で別れて住む世界。
その世界で人間として生まれたルリという女性はある日交通事故に遭い、不老不死の存在「不死人」になる。
彼女は大昔の盟約で吸血鬼の国の王、真祖の花嫁にされる。
が、それがとんでもない日々(逆ハーレム?)の幕開けになるとは彼女は予想もしていなかった!
不死人になった私~壊れゆく不老不死の花嫁~ と少しだけ内容が違うお話です。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる