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第2章
呼び出し
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事務官が置いて行った手紙の中に明らかに上質な封筒が混じっていた。
「呼び出しか…」
憂鬱な気分とともにあの日のドールとの会話が頭によぎった。ドールの主の決断が戦況に影響を与える、それがこちらにとって良い変化になるのかは分からない。
今回の呼び出しはそれが原因なのだろう。そうでなければわざわざ呼び出しなどあり得ない。
「司令官閣下、ギルバート・エーデル参上いたしました」
儀礼的な挨拶を交わし侍従が退出した途端、冷え切った空気が漂う。
「随分と遊んでいるようだな」
投げられた言葉から連想したのはラウルとエルザのことだ。優秀な駒をみすみす壊しかけたことが司令官の耳に入っているのは想定内である。
処罰するというなら勝手にすればいい、そんな投げやりな気分だった。
「ふん、否定もなしか。密偵ごときに誑かされるような男だとはな」
「……閣下、ご説明願います。私はケイト以外に心動かされた覚えはありませんが」
机の上に置かれた時計を掴んだのを見て、ギルバートは冷めた気持ちで首だけを動かした。後ろの壁に衝突した時計が激しい音を立てて床に落ちる。恐らくもう使い物にならないだろう。
「その名を私の前で出すな!」
「失礼いたしました」
謝意を含まない淡々とした口調に額に青筋がくっきりと表れる。
(――そんなに大事ならどうしてもっと……!)
何度も繰り返した言葉と想いに蓋をして、ギルバートは続きを待った。
「アンバー国の密偵の女を私が知らないとでも思っていたのか!何の報告もなく逢瀬を繰り返していて関わりがないとは言わせん」
そういえばそうだったな、ぐらいの感想しか持てなかった。確かにドールは女だったと今更ながらに思ったが、ただそれだけだ。
不確定な情報源で重要な情報も少なかったため、特段報告をしていなかった。おかげで裏切り者だと判断されたらしい。
しかし情報を渡さなかったのはそもそも証拠もないことであり、司令官に報告するほど重要事項でもなかったからだ。密偵など一定数潜んでいるものだし、泳がせておくのも現場判断に委ねられている。
だからこれはただの粗探しみたいなものだ。
司令官はギルバートを殺したいほど憎んでいるが、処刑して溜飲が下がるわけではないことを理解している。戦場への復帰を望んでも却下されるのはそれが理由だ。
「相手の動きを窺っておりました。必要でしたら捕らえて引き渡しますが?」
「雑魚に用はない」
あっさりと言い切る様子にドールについては既に調べがついていることが分かった。その上で嫌がらせのように関係性を口にしたのは、そうであってほしいという司令官の、父親としての願望なのだろう。
娘を死なせた男が碌でもない人間であるほうが、精神的に楽なのだ。
「アンバー国の王位継承、もしくは大臣クラスに何か変動がありましたか?」
駒であるギルバートに質問は通常許されないが、ドールの言葉が気にかかっていた。
「ふん、チャーコル国との間で書簡の行き来が活発になっているようだ。あそこはまだ未婚の王女が3人いたからな。恐らくはどこぞの貴族と婚姻を結ぶ動きがあるようだ」
王族や高位の貴族女性は国に有利になるよう、人質か金策として使われる。それが高貴な女性の責務だという。
戦いに身を投じた王女はどうなのだろうか。高貴な出自に関わらず危険な場所で命を懸けて戦う異質な王女はケイトと通じるものがあった。
変わり者の王女とドールの言葉を思い出して、ギルバートは質問を重ねた。
「閣下のご令嬢はアンバー国の王族と面識がありましたか?」
「……そんなことお前ごときが知る必要はない」
正直に答えてもらえるとは思っていなかったが、それは限りなく肯定を表わしているように聞こえた。
『父は生真面目で頑固よ。でも変に情に厚いところもあるから憎めないのよね』
(――君の父親と上手くやれてなくてごめんな)
終始ギルバートに対しての批判を繰り返す面談は大した収穫はないまま終了し、ギルバートは拠点に向かうため馬を駆った。
「呼び出しか…」
憂鬱な気分とともにあの日のドールとの会話が頭によぎった。ドールの主の決断が戦況に影響を与える、それがこちらにとって良い変化になるのかは分からない。
今回の呼び出しはそれが原因なのだろう。そうでなければわざわざ呼び出しなどあり得ない。
「司令官閣下、ギルバート・エーデル参上いたしました」
儀礼的な挨拶を交わし侍従が退出した途端、冷え切った空気が漂う。
「随分と遊んでいるようだな」
投げられた言葉から連想したのはラウルとエルザのことだ。優秀な駒をみすみす壊しかけたことが司令官の耳に入っているのは想定内である。
処罰するというなら勝手にすればいい、そんな投げやりな気分だった。
「ふん、否定もなしか。密偵ごときに誑かされるような男だとはな」
「……閣下、ご説明願います。私はケイト以外に心動かされた覚えはありませんが」
机の上に置かれた時計を掴んだのを見て、ギルバートは冷めた気持ちで首だけを動かした。後ろの壁に衝突した時計が激しい音を立てて床に落ちる。恐らくもう使い物にならないだろう。
「その名を私の前で出すな!」
「失礼いたしました」
謝意を含まない淡々とした口調に額に青筋がくっきりと表れる。
(――そんなに大事ならどうしてもっと……!)
何度も繰り返した言葉と想いに蓋をして、ギルバートは続きを待った。
「アンバー国の密偵の女を私が知らないとでも思っていたのか!何の報告もなく逢瀬を繰り返していて関わりがないとは言わせん」
そういえばそうだったな、ぐらいの感想しか持てなかった。確かにドールは女だったと今更ながらに思ったが、ただそれだけだ。
不確定な情報源で重要な情報も少なかったため、特段報告をしていなかった。おかげで裏切り者だと判断されたらしい。
しかし情報を渡さなかったのはそもそも証拠もないことであり、司令官に報告するほど重要事項でもなかったからだ。密偵など一定数潜んでいるものだし、泳がせておくのも現場判断に委ねられている。
だからこれはただの粗探しみたいなものだ。
司令官はギルバートを殺したいほど憎んでいるが、処刑して溜飲が下がるわけではないことを理解している。戦場への復帰を望んでも却下されるのはそれが理由だ。
「相手の動きを窺っておりました。必要でしたら捕らえて引き渡しますが?」
「雑魚に用はない」
あっさりと言い切る様子にドールについては既に調べがついていることが分かった。その上で嫌がらせのように関係性を口にしたのは、そうであってほしいという司令官の、父親としての願望なのだろう。
娘を死なせた男が碌でもない人間であるほうが、精神的に楽なのだ。
「アンバー国の王位継承、もしくは大臣クラスに何か変動がありましたか?」
駒であるギルバートに質問は通常許されないが、ドールの言葉が気にかかっていた。
「ふん、チャーコル国との間で書簡の行き来が活発になっているようだ。あそこはまだ未婚の王女が3人いたからな。恐らくはどこぞの貴族と婚姻を結ぶ動きがあるようだ」
王族や高位の貴族女性は国に有利になるよう、人質か金策として使われる。それが高貴な女性の責務だという。
戦いに身を投じた王女はどうなのだろうか。高貴な出自に関わらず危険な場所で命を懸けて戦う異質な王女はケイトと通じるものがあった。
変わり者の王女とドールの言葉を思い出して、ギルバートは質問を重ねた。
「閣下のご令嬢はアンバー国の王族と面識がありましたか?」
「……そんなことお前ごときが知る必要はない」
正直に答えてもらえるとは思っていなかったが、それは限りなく肯定を表わしているように聞こえた。
『父は生真面目で頑固よ。でも変に情に厚いところもあるから憎めないのよね』
(――君の父親と上手くやれてなくてごめんな)
終始ギルバートに対しての批判を繰り返す面談は大した収穫はないまま終了し、ギルバートは拠点に向かうため馬を駆った。
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